22
死体が一つ増えた玄関先で、真はしばらく放心していた。
首を折られて果てた、母親の無残な死体。ついさっきまで生きていたのに。つい今朝まで、一緒に朝御飯を食べていたのに。今は物言わぬ死体となって転がっている。
(悪い夢であってくれよ……。どうしてこんなわけのわからないことになってるんだよ)
泣きたいのに涙が出てこない。感覚が麻痺してしまっているかのようであった。そして今目の前にある光景を、現実だと認めたくない。
それを現実だと認めた瞬間、受け入れた瞬間、真の目から涙がこぼれ落ちる。
嗚咽を漏らすこともなく、ただ涙だけ流し続けて泣く真。
しばらくしてから、計一の言葉を思い出す。
頭が急にクールになる。こうしてはいられない。仁や宗徳まで狙われているとあれば、守らないといけない。
(僕の身近な人間を殺すことで、僕を悲しませ、苦しませるのが目的ってことか。でも梅宮に恨まれるような事、僕が何かしたか?)
同じクラスだが、会話した覚えは無い。怨まれるような事をした覚えもない。
梅宮が口にした中に、純子の名が入ってないことに、正直ほっとしている。その存在を知られてはいないようだ。
まずは宗徳に電話をかけ、安否を確かめる。自宅にいるのなら不味い。計一が殺しに向かうだろう。移動させなくてはならない。
「宗徳、無事か?」
『何だよ、無事かって』
宗徳が出て、真は安堵した。
「母さんが殺された。あの梅宮に。次はお前と仁、それに鹿山を殺すと言われた」
『はあ? 何言ってんだ。お前がそういう冗談を……』
「冗談だと言うならうちに来てみろ! 今すぐ!」
叫ぶなり電話を一方的に切る。次は仁にかけるが出ない。由美の家と携帯にも電話をかけたが、こちらも出なかった。
(まさかもう……。いや、いくらなんでも早すぎる。まずは連絡がついた宗徳と合流だな)
台所へ向かい、包丁を鞄に入れる。そして裏通りのサイトを調べ、銃がすぐに手に入らないかどうかを調べ、あっさりとその方法を見つけた。密売人と直接会話する。
『何でお前みたいな小僧が銃を欲しがるんだ? 強盗したいのか? それとも気にくわない奴を殺したいのか? 金つまれても、変な犯罪に使われるってんなら、クソったれの海外マフィアでもない限り、誰も銃なんて売らねーぞ』
胡散臭そうな男が、真のことを胡散臭そうに見て問う。
「親が殺されて自分や他の人間も狙われている」
正直かつ簡潔に言うと、
『嘘はついてないようだから、直接会って売ってやる』
と、あっさり了承された。真が嘘をついてないと信じたとしても、今の日本で、その気になればこんなに簡単に銃が手に入るという事に驚いた。
今自分ができることをして一息ついた所で、つい先ほど、目の前で母親を殺された事に対しての哀しみが再び押し寄せてきて、真の目からまた涙がこぼれ落ちた。
***
宗徳がこちらに来る途中に、運悪く計一と遭遇することも危惧していたが、無事に真の自宅に辿りつけた。
「何だよ、こりゃ……」
玄関にある三つの死体を見て、宗徳は絶句した。
「見てわからないか。死体っていうんだ、それは」
精神の平衡を保つために、普段の真なら言わないような冗談を、普段の真と変わらぬ淡々とした口調で口にする。
玄関にしゃがみこんでいる真の顔に、涙のあとが残っているのを宗徳ははっきりと見た。どれだけの間泣いていたのかはわからないが、これだけの惨事が起こってなお、真がこの事態に立ち向かおうとしている意志があるのが、宗徳には感じられた。
「母さん以外は僕が殺した。これ見ろよ。梅宮に壊されたんだ。素手でな」
宗徳に向かって、壊れた銃を指しだして見せる。
「何だかおかしな力をもっていた。まるで漫画だよ。人間とは思えない力だった」
「ひょっとしてあれかな? 吸血鬼ウイルスって奴。さもなきゃ雪岡研究所で力を手に入れたとか?」
「雪岡……」
その名が宗徳の口から出てきたことに衝撃を受ける真。宗徳にも仁にも、純子の名は教えていない。どういう子かも全く喋っていない。
「雪岡研究所って奴だよ。知ってんのか? いや、俺も最近鹿山から聞いて知ったんだけどさ。わりと有名な噂らしいぞ」
「知らない……。どんな噂だ?」
「概要だけしか知らんけど、その研究所にいるマッドサイエンティストの実験台になる代わりに、凄い力がもらえるんだとよ。人体実験の代償だから、運悪ければ死ぬとか」
(まさか……な。でも雪岡なんて名字珍しいし……)
珍しい名字といい、いつも白衣を身にまとっていた事といい、全く無関係と断ずることができない。
「それはそうと、僕が梅宮に恨まれるようなこと、何かしたか? 何か心当たりないか? こんな、周囲の人間を殺すとか言われるほどの……」
「そりゃ俺の質問だっつーの」
渋面で死体をちらりと盗み見る宗徳。言いたいことはいろいろあったが、自分の母親を殺された真が、今どんな不安定な精神状態にあるのか考えると、流石に言葉を選ぶ。
「警察には連絡したのか?」
「するわけないだろ。お前や仁を人質に取られている格好なんだ。それに加えて、どうやってこの状況を説明すればいいんだ。僕も二人殺しているのに」
宗徳の問いを受けて、真は自分が越えてはならない領域へと踏み込んでしまった事を強く意識した。普通のレールとやらを見事に外れてしまった。
「仁はどうしたんだよ」
「連絡つかない。いくら電話しても出ない」
計一がもう仁を殺したとは考えたくないが、携帯電話に何度かけても出ない事実を考えると、不安になって仕方がなかった。
「じゃあここでじっとしていても仕方ないだろ。仁を探しに行かねーと」
「そうだな」
力強い口調で宗徳に言われ、真は立ち上がる。鞄の中にはすでに包丁を忍ばせてある。
「つーか何で銃なんて持ってたんだ?」
「それもわからない。こうなることをまるで予測していた者がいるみたいに、誰かから送られてきた。その辺も謎だけど、梅宮以外の誰かも関わっているのは確かだと思う」
歩きながら会話を交わす真と宗徳。
「お前に銃を送ったのなら、味方じゃないのかね?」
「そうだといいけどな」
味方になってくれる者であれば、銃だけ送ってあとは丸投げなどという、そんな中途半端な助け方があるだろうかと疑問に思う。何かしら特別な事情があるのかもしれないが。
「銃を素手で壊せるくらいの意味不明な怪力げっとしてるなら、今度会った時どう対処するつもりだ?」
「新しい銃を仕入れたよ。後で取りに行く。その前に遭遇したらこれで何とか……」
真が肩から下げた鞄の口を少しだけ開け、中にある包丁を宗徳に見せる。
「僕より前に、宗徳や仁のことを狙ってくるんだろうからな。僕がこれでお前らを何とか守る」
真の言葉を聞いて宗徳は呆れたように大きなため息をつくと、足を止め、道路の隅に転がっていた鉄パイプを拾い上げた。
「それなら俺も戦うわ。別にお前に特別なパワーが芽生えたわけでもねーんだし」
鉄パイプをポンポンと掌ではたいて弄びながら、宗徳は不敵な笑みを浮かべる。
「今まで二人で、結構ヤバい喧嘩を何度かしたけど、今回はぶっちぎりだぞ。下手すれば死ぬんだし。しかも最初に殺されるのはお前の方だ」
真がそう返したものの、宗徳は全く動じた様子を見せない。
「んでも、お前が守ってくれるんだろ? こんなこと言うのもムカつくが、心強えよ」
宗徳からすると、自分より30センチ以上も背の低いこの相棒は、喧嘩の時、いつも隣にいると心強く頼もしかった。小さな体で天性のバネを駆使して暴れまくり、自分よりも体のデカい奴等を打ち倒していく様は実に小気味よく、爽快だった。
(そうだな。一線越えた僕だからこそ出来ることもある)
しかし真は宗徳の言葉を素直に受け止めることができず、暗い決意を固めていた。




