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「神蝕は断ち切るぞ。いい加減鬱陶しいし、見苦しくて見ていられない」
「うぐぐっ……」
真の宣言を聞いて、純子はまた少し精神的ダメージを受けて呻く。
真が大きく踏み込み、刀を振るう。
「え……?」
純子が目を丸くした。刀を振るう直前の真の全身から、光るルーン文字が生じて、真を中心にして回転していたのだ。
強烈な冷気が放射され、純子の動きが停止する。
純子の腹から出ている臓物の一部に、黒い刃が食い込む。斬撃はまたしても途中で止まった。真の力では、神蝕を切断しきれない。
しかし今度は切断できなくても問題は無かった。
真の瞳が赤く光る。それが何を意味するか、純子がわからないわけではないが、何故このタイミングで光ったのかはわからない。
「黒蜜蝋」
真がみどりから教わった術を使う。刀身の、臓物に食い込んだ部分から、黒いコールタールのようなものが溢れ出し、直接神蝕に影響を及ぼした。
純子の腹部が黒蜜蝋化する。四方八方へと伸びて膨れ上がっている神蝕の根元も全て、黒蜜蝋化している。
「なるほどー、考えたねえ……って、言いたい所だけど、無意味だよー」
純子が黒蜜蝋化して神蝕を自ら切断した。切られた先の神蝕は全て消滅する。
「また増やせばいいだけだし」
再び腹から肉と臓物を噴き出して、神蝕を行おうとした純子であったが、噴き出たのは黒蜜蝋化した肉だった。
「え……?」
「肉体を増殖する際、自動的に黒蜜蝋がかかるように工夫した。力の出力源に術を仕掛けた。発射孔に術を仕掛けたと言ってもいいな。例えるなら、青レット置くだけをトイレのタンクの上に置けば、青い水が流れる理論だ。お前に貰った人工魔眼の解析能力が優秀なおかげで、その場所も特定できた」
真が赤く光る双眸を指して言った直後、真の瞳の赤い光が収まり、普通の目に戻る。
理屈はわかるが、真がそのような形で術を施すことが出来る事に、純子は驚きを禁じ得なかった。
「御頭さんの力を使ってる?」
「力というか、術式のスキルだな」
純子の問いに答える真。
「変身しなくても、前世の力を部分的に使えることはわかっていたけど、変身して前世の力を呼びだしているのと、同じレベル?」
「完全に同じわけじゃない。少し劣る。台風の力を吸収していなければ、僕にそこまでの芸当は無理だ。今だけのボーナスタイムだな」
「少し劣る程度だったら……そして台風パワーで強化した状態なら、十分な脅威だよ」
純子が笑い、姿を消した。転移したのだ。
真の周囲の風景が変わる。図書室から、球場上空に戻る。夜空に透明の階段が幾つも浮かび、空を川が流れている。階段の中にも川の中にも大量の脳が有る。
「出てきたけど、真が元の真の姿に戻ってない?」
凛が上空を見上げて言った。他の面々も戦闘を見ている。図書室を現出させている間は見ることができなかった。
「獣之帝なら勝機はありましたが、あれでは……」
いつの間にか戻ってきた綾音が言う。
「いいえ、違いますよ。綾音。今の真は――まあ、見ていればわかります」
累が微笑をたたえて言った。累もわかっていた。今の真は、真の姿のまま、前世の全ての力を、かなりの出力で引き出せる事を。
累以外にも、今の真の状態に気付いている者が一人いた。みどりだ。
気配を感じて振り返る真。
大爆発が起こった。純子のお気に入りの攻撃手段の一つ、水蒸気爆発だ。密閉した亜空間に熱した鉄や石を水と共に入れ、亜空間の扉を開く事で圧迫くされた水蒸気を爆発させて噴き出す荒技だ。
真の体が大きく吹き飛ばされて、夜空を舞う。
そのまま落下する事は無かった。背中から翅を生やしてはためかせ、ホバリングを行う。
かなりの大ダメージは受けた真であったが、現在の真は、獣之帝の再生力も備えている。それにプラス台風吸収分のパワーアップがあるので、生半可な攻撃では死に至らない。
空間が歪む気配を感じ、真は上を向く。亜空間の扉が開き、中から純子の腕だけが突き出され、七色の電光が真に向かって放たれた。
(よりによって僕に電撃で攻撃するなんて……)
嫌な思い出が思い起こされる。昔、純子から拷問訓練を受けた時、電気の拷問だけは耐えられなかった。そして純子とヴァンダムとのゲームにおいても、真は電気拷問を再び受ける事になっている。あの時の事も思い出してしまう。
しかもこれはただ電気を流し続けているというだけではない。逃れる事が出来なかった。再生能力もお構いなしに、高電圧高電流で真の全身を駆け巡り、体組織を熱し続ける。細胞が再生しても、すぐに細胞を壊死させ続けている。
この七色スパークには空間操作を封じる効果もあるのだが、今現在真のいる空間は空間操作封じが成されているので、真にはあまり関係が無い。
真は七色のスパークの解除を試みるが、解除という力そのものに全く慣れていないため、手間取ると判断し、台風パワーで強引に消し飛ばすことに決めた。
純子はその間に、次の攻撃に移っていた。真に向かって掌をかざし、真の周囲の分子運動を急速に減衰させる。つまり極低温をもたらして、凍らせにかかっている。
七色スパークが爆ぜて消えた。力に力を流し込んで、力任せに無理矢理消去した。だがその直後、真の全身が文字通り凍り付く。
「先輩、負けた……?」
上空で行われる戦いの様子を見て、十夜が呟く。
「まだやれるかもしれないが、どうにも旗色が悪いな。受けに回り続けている。悪い流れだ」
李磊が唸る。
「私女だけど言わせて、凍らされてそれでおしまいなんて、締りが悪いと思う。そんな決着は有り得ないよねー。だからこれはまだ決着じゃないと思います」
「同感。真ならまだやれる」
正美の言葉に来夢が頷いたその時、真の凍結が一瞬にして解けた。消える寸前だった意識を集中し、体細胞の運動を急激に加速させた。
凍結が解けたタイミングを狙いすまし、純子は次の攻撃に移っていた。
「力を空中に霧散させるアースみたいな縄でぐるぐる巻き~」
伽耶と麻耶の力を用いて、言葉を現実化させる。縄が出現し、真に巻き付いた。
純子の言葉通り、全身の力が抜けていく感触を味わう。台風パワーもどんどん抜けていく。すぐに補充されるが、抜ける分の方が大きい。
(雪岡にも李磊にもサイモンにも新居にも教わった。流れを制さなくてはならない。今の流れは雪……純子に傾いている。このままじゃ押し切られて負ける。無理矢理でも変えて、流れが変わった所で、一気に畳みかけないと)
真は高速で頭を巡らせ、流れを変える手と、畳みかける手、その次の手も考える。
「黒蜜蝋」
真と共に巻き付けられている刀から、再び黒蜜蝋が溢れ出し、縄を黒蜜蝋化することで無力化し、真は拘束から逃れる。
(このタイミングで……僕が攻撃から逃れた所で、純子は僕にまた攻撃してくる。畳みかけてくる。こうして僕の攻め手を封じて、僕を一方的に削ってくる。その瞬間を逆に狙う)
果たして真の予想通り、純子は真が縄を解いた瞬間を狙い、掌をかざす。どんな攻撃をしてくるかはわからないが、とにかく厄介な攻撃をしてくるのは確かだ。
純子が攻撃する前に、真が刀を振るう。ただ、振るっただけだ。純子とはほとんど距離が離れていないが、明らかに刀は届かない距離だ。届かない距離だからこそ、真は純子が攻撃するより先に、その挙動を実行できたとも言える。
だがその刀の素振りは、しっかりと攻撃に繋がっている。黒蜜蝋はまだ刀に残っていた。黒蜜蝋が刀から飛び散り、純子の顔にかかる。
純子はかわそうとしたが、間に合わなかった。自分が攻撃するタイミングを狙われての反撃であった事と、夜空なので黒蜜蝋が見えづらかった事と、真の挙動に若干戸惑ったという理由がある。
「ごめん、雪岡……顔を狙って」
黒蜜蝋をかけられ、顔を押さえて動きを止めた純子に、真が謝罪しながら右手を上げ、人差し指で天を指す。
「すまんこって言――」
「すまんこ、純子」
純子が訂正を促している最中に、真は純子の要求に従い、訂正して謝罪した。
「ええええっ!? 真君がすまんこって言ったあぁぁ!?」
驚愕の叫びをあげる純子。
(これで終わりだ……)
計算通り、純子が驚愕して隙を晒したので、真はとどめの一撃を放った。
真が右手を振り下ろす。雷が純子と側にいる真の双方に落ちた。
純子は直雷撃を受け、全身を硬直させる。
純子は掌で触れた物質を操れる。電子と陽子といった、物質を構成する素粒子も操れる。そのため、電撃での攻撃はほぼ無効化できる。だがそれは、予め攻撃が来るとわかっていて、備えていた時の話だ。
真は予め備えていた。自身も雷を食らう程の位置にいたが、雷の電流と熱を逆に自分のエネルギーとして吸収できるように、獣之帝の力を用いていた。
真が弾けるように動く。直雷撃を食らって倒れた純子の体を抱きすくめ、全力で翅をはためかせ、嵐の中を超高速で上に向かって飛翔する。
「真君……?」
一瞬意識が途絶えた純子であったが、すぐに意識を戻し、体の痺れも消した。しかし自分が真に抱かれながら飛んでいると知った。
「痛っ……何?」
鋭いものを肩に刺された感触を覚える純子。
「空間操作を封じる針を刺した。少し大人しくしてろ」
上空に向かって飛翔しながら、真は純子の体を強く抱きしめ、耳元で告げる。それも累から巻き上げたものだと、純子はすぐにわかった。
純子は無言で頷き、真の体を抱き返す。
二人は雲を突き抜け、星の見える夜空の下にまで上昇した。
「飛んでっちゃった」「らぶらぶふらいはーい……」
「真先輩、どういうつもりなんだろうね」
「雲の上に何かあるのか?」
雲の上まで飛んでいった二人を見送り、伽耶、麻耶、ツグミ、熱次郎がそれぞれ呟く。
真が空中で停止し、ホバリングに移行する。
星々が輝く夜空を見上げる純子。台風のせいで空気が綺麗になっている事と、高度のせいで、東京の空だというのに多くの星が見える。
空を見上げた後、純子は眼下を見下ろした。下では雲が高速で流れている様が見える。
それから純子は真を見た。真は穏やかな微笑を浮かべていた。
「これが僕の、最後の攻撃だよ」
真が純子に顔を寄せ、耳元で言う。
「夜空の空中デートが?」
「そうだ」
微笑み、冗談めかして尋ねる純子に、真は顔を離して純子と向かい合い、笑顔のまま頷いた。
「空間操作も封じた。ここなら伽耶と麻耶とツグミの脳みその力も及ばない。余剰エネルギーの補給も無理だろう。そして神蝕も使えない。再生能力に乏しいお前が、再生できる僕にこうして捕えられている。後はお前に何が出来る?」
純子に向かって優しい声音で語る真。
「あとは……悪魔の偽証罪だけだな」
その言葉を口走った所で、真の顔から微笑みが消え、表情に陰りがさした。
「その存在を知ってから、僕は何度も悪夢を見たよ。悪魔の偽証罪を使った代償に、お前が僕のことを忘れてしまったり、僕を敵と認識して憎むようになったり、お前が永遠の闇に堕ちていったり、お前が男になったり、お前がBL漫画家になったり」
「最後のはいいことだよ」
「いや、絶対よくない」
「で、発動を防げるの?」
純子の問いに、真は転烙市でネロ達との戦いを終えた後での、純子との会話を思い出す。あの時、悪魔の偽証罪に対して触れた。
純子の真意はわからないが、止めたいのなら止めろと、真は純子がそう言っていたかのように受け取った。それからずっと、真は純子に悪魔の偽証罪を使わせない方法を考えていた。
「いいや、僕にはその方法はわからない。わからなかった」
純子の問いに対し、真は正直に答えた。
「だから……防ぐには、こうするしかない」
真は再び純子に顔を寄せ、純子の唇に自分の唇を重ねた。
純子は真の行動に少し驚いてはいたが、抗おうとせず受け入れた。
真が唇を離し、額と額を合わせ、目と目を間近で合わせた状態で、口を開く。
「お願いだ。純子。悪魔の偽証罪は使わないでくれ。それだけはやめてくれ。嘘鼠の魔法使いに、僕のことを一番好きだと言ってくれただろ? それなら一番好きな僕のお願いを聞いてくれ」
切実な口調で訴える。みっともないという考えが、情けないという思いが、真の脳裏によぎったものの、もうこれしか手は無い。悪魔の偽証罪は、純子の意志一つで発動してしまう。その意志を阻むには、自分の心をありのままぶつけるしかない。自分の気持ちをぶつけて、純子の心変わりを祈るしかない。それ以外に無い。
「ハッピーエンドにしたいんだ。そのために僕はここまで走ってきた。やれることは全てやったつもりだけど、もうこれ以上は何も思いつかない。これくらいしかできない」
純子を抱く腕に力を込める。
「わかったよ……。真君、怖がらせて……苦しめてすまんこ」
純子が謝罪し、真の体を抱き返す。その言葉を真は信じた。信じて、心底安堵して、全身の力が抜けた。しかし翅だけは動かしている。
「お前が悪魔の偽証罪を使うことが一番怖かった。でも……」
純子に身を預ける格好になった真が、語りかける。
「マッドサイエンティストと遊ぶのは楽しかった」
真のその台詞を聞いて、純子の胸に熱いものがこみあげてくる。真を抱く腕にさらに力がこもる。
「何だかさ……全部真君の思い通りになって、私の完敗って感じかなあ」
「純子のおかげだよ。お前が僕を鍛え上げた。お前が僕を求めて千年以上さまよう間に身につけた英知は、たった数年お前の側にいただけの僕が引き継いだ」
そして純子が真に授けたものを使って、真は三つの目的を叶えた。純子と自分のために復讐を果たし、純子を護れることを証明し、純子と戦って勝利した。
純子は改めてそう意識して、さらに胸が熱くなった。千年の孤独と空白が全て埋まって、満ち足りた。自分の千年はこの時のためにあったとさえ感じた。
純子の中で感情が荒れ狂っていた。ずっと忘れていた感情。長く生き過ぎた弊害で消滅したのではないかと疑っていた感情が、確かに蘇っている。
「ねえ……私、ここで普通の女の子みたいに泣いていいのかなあ? すごく幸せな気分なんだけど、浸っていいのかな? 散々殺しまくって、悪さいっぱいしてきて、その罪悪感だって無いマッドサイエンティストな私が、真君に……ヒロインみたいに、抱きついて泣いていいのかな?」
「いや、すでに抱きついているし、もう泣いているだろ」
真の指摘を受け、純子は驚いて目の下をなぞる。
目から液体が零れ落ちているのに、気付いていなかった。頬でも、目でも気付かず、指でなぞって気付いた。
「あれ……? 本当だ……。私泣いてる。凄く嬉しくて……嬉しすぎて涙が出ちゃってるよ。何百年ぶりだろうね。あははは……」
笑い泣きしながら、純子はネロの言葉を思い出す。
『きっと君にも戻る。その子が、君の涙を戻してくれる』
ネロの言う通りになった。それは純子が望んでいた最高の展開であり、ネロもそう思い、そう信じていたからこそ、自分に向かってそう言ってくれたのだと、純子は思う。
「君は全部……叶えてくれた。千年もかかったけど、ちゃんと私に会いに来てくれた。私の心を取り戻してくれた。私に涙も取り戻してくれた」
喋っている間にも、純子の目からとめどなく涙が溢れ出している。
「あはは……涙が止まらないなあ。何しろ千年分堪えてきた……貯めこんできた涙だし。こういうの感極まるって言うのかなあ」
いつまでも涙が止まらない事に、気恥ずかしさを覚える純子。
純子の話を聞きながら、真はヴァンダムとの戦いの後の純子の台詞を思い出す。
『生き永らえていて良かったって……心から思う。君と再会した時も思ったけど、今はもっと強く想うんだよ』
あの時とはまた違う感動と感激に、純子が浸っている。その事実が、真には嬉しかった。
(千年の孤独な旅。灰色の世界を彷徨った日々か)
真は瞑目し、意識する。
(純子、お前の気持ちは――)
(シェムハザ――貴女の気持ちはわかりません。どんなに身近にいる愛おしい者だろうと……)
(他人の気持ちなんて、そうそうわかるはずもあるめい。だがよぉ……)
(くぅあぁ……)
四つの心が、四人分の声が、一つの魂の中で続け様に響く。四人の気持ちは一つの魂の中で、一つの意思として統一されていた。
「ヴァンダムとのゲームの後のこと、思い出した」
真が自分の気持ちを口に出す。
「死を拒み、僕と出会える事を望み、諦めなかったこと、あげく……それが良かったと、僕の前で言ってくれたこと。僕は……あの時の感情、上手く表現しきれない。嬉しくて、愛おしくて……今も……あの時と同じ……いや、それ以上の気分だ」
真の言葉を聞いて、今度は純子の方から、真の唇に自分の唇を押し当てた。勢い余って歯と歯が当たる。
どれくらいの時間が経ったか、語り合う事も無くなり、全て終わらせたことを再認識して、真は下を流れる雲に向かって、降下を始めた。
(みどり、ようやく終わったよ。お前には本当に世話になった。おかげでハッピーエンドで終わらせられた。ありがとう)
純子を抱きしめたまま、ゆっくりと降下しながら、真は心の中でみどりに礼を述べる。
(みどり?)
真が呼びかけても、答えは返ってこない。
そして真は気が付いた。みどりとの精神リンクがいつの間にか切れていることに。




