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いくらなんでも、獣之帝が台風のエネルギー全てを一度に吸収する事は、不可能だろうと、純子は見る。純子とて、余剰エネルギー全てを取り込んでいるわけではない。使う分を少しずつ取り込んでいる。一度に膨大なエネルギーを取り込もうものならば、肉体という容量がもたずにパンクする。しかし台風が来ている時点で、その力を吸収し続ける事は出来るであろう。つまり消費した力をすぐ補充できるのだ。
今までは純子がそれをやっていた。真の指摘通り、無尽蔵の力を得たつもりでいた。有り余る転烙市の余剰エネルギーを用いて、自分の力を最大限に増幅していた。
一方で、目の前にいる獣之帝は、台風の運動エネルギーを吸収して、そのまま自分に転換するという離れ業をやってのけた。
(雷でも同様の事が出来るのかな?)
そんな疑問が思い浮かんだ刹那、獣之帝が激しく翅をはためかせ、純子の視界から消えた。
人工魔眼による人間離れした動体視力をもってしても、追うのが難しい速度で、変則的に飛ぶ獣之帝。純子本体から大分近い位置の、神蝕の中へと潜り込んでいく様だけが、純子の視界に入った。
「くぁっ」
神蝕の肉の中から、獣之帝が片腕だけ出して天を指す。
次の瞬間、獣之帝の片腕めがけて雷が落ちてくる。獣之帝の周辺の臓腑が爆ぜ、増殖した神蝕の一部分に電流が流れ、高熱で焼かれる。
「ちょっと危なかったかな」
電流も熱も、純子の本体までは届かなかったが、かなり際どかった。一億ボルトにも及ぶ電圧も危険だが、高熱もかなり厄介だ。雷が駆け抜けた後に空中に生じる熱はおよそ三万度にもなる。そして空気の熱膨張による爆発もセットでついてくる。
直雷撃を食らった神蝕の体細胞はこんがりと焼け、破壊しつくされている。
純子は破壊された細胞を切り離し、再び細胞を増殖させにかかる。それと同時に、ありったけの臓腑と骨肉を太い触手のようにして、獣之帝めがけて繰り出す。
「くぅうあぁぁぁっ!」
獣之帝が叫び、再び飛翔する。一直線に飛ぶことは無い。短い範囲で上下左右前後斜めにジクザグに飛びまくりながら、襲い来る神蝕を片っ端から、引き裂き、薙ぎ払い、穿ち抜き、粉砕し、噛みちぎりと、手足と牙と頭を用いて迎撃していく。
この時点で純子はある事実に気付いた。獣之帝が神蝕を破壊するスピードの方が、神蝕によって筋肉繊維や臓物を増殖させる速度より速いという事を。
「くぁっ!」
再び獣之帝が天を指し、腕を振り下ろす。雷鳴が続け様に三回も鳴り響く。三つの稲妻が、多頭竜の首のように太くと長く伸び上がっていた部分にそれぞれ落ち、三本の神蝕が力を失って、地面へと落下していく。落下の途中に熱で焦がされた細胞が大重量の神蝕を支えきれず、ちぎれていた。
「ちょっ、危なっ!」
「肉の雨が降ってくるー」
正美が慌てて逃げ、晃が嬉しそうな声をあげる。
「おぞましき肉片より我等を護りたまえー」「ばりあー」
伽耶と麻耶が広範囲のバリアーを張ったが――
「いや、大丈夫ぽい」
修が呟いた。肉片は地面に落ちる前に消滅した。
「先程まで純子が強者達相手に無双していたというのに、今は逆に押されている也」
ミサゴが空中での戦いを凝視したまま呻く。
「つーか何で真はあんなのに変身してるんだか」
獣之帝の姿になって暴れる真を見て、シャルルが苦笑する。
「くぅぅううぅうぅあああぁぁああぁぁぁあっ!」
夜空を高速飛翔する獣之帝が、徐々に純子本体に近付いてくる。
純子は防戦一方になっていた。本体に近づけまいと、余剰エネルギーを最大限に使って神蝕を増殖させ続けて、獣之帝を攻撃し続けているが、獣之帝は少しずつ確実に近づいてくる。
(でも前世の力を出し続けるわけにはいかないんじゃない? マスターも御頭も、わりと早い時間で退場したし。まあ……マスターは回復して二度出てきたから、台風のエネルギー吸収している分、あの姿でいられる時間も長くなっている可能性も高いか)
時間切れは期待しない方がいいと、純子は判断する。
迫る獣之帝と純子本体の距離が、かなり近くなる。
「あっち行ってちょー」
ここで純子は、周囲にある伽耶と麻耶のクローン脳の力を用いた。
空間操作が成され、獣之帝の体が強制的に100メートル以上後方に転移される。接近した苦労を台無しにされる格好となった。
稼いだ時間で、純子は神蝕の増殖を目論む。
「くぁあぁぁあぁぁ!」
獣之帝はすぐに間合いを詰めて接近はしなかった。咆哮と共に力を発動させる。
台風の風に乗って、猛吹雪が吹き荒れた。広範囲に広がっている神蝕全てが、吹雪に包まれる。低温とは分子運動の低下だ。神蝕の増殖の動きも明らかに鈍くなる。
それだけではなかった。空中に無数の竜巻が現れ、竜巻の中に巨大な雹が混じり、神蝕を穿ち抜き、切り刻み始めたのだ。
「やっぱり……パワーで完全に押し負けちゃっている感じだね」
単純な力比べでは敵わないと改めて実感し、純子は手を変えた。
「くう?」
周囲の風景が一変して、獣之帝は戸惑いの声を漏らし、きょろきょろと見回す。
空中にいたはずの二人は、地上にいた。夜ではなく昼になっていた。周囲の建物のデザイン、行き交う人々の服装は、明らかに日本ではなかった。現代でもなかった。
「覚えてる? 私が育った町――私とマスターがいたあの町だよ。ネロさんやペドロさんもいたあの町」
純子が獣之帝に向かって語りかける。ツグミの能力――絵を現実世界に被せる力を用いたのだ。絵は描いていないが、純子の頭の中にあるイメージを引き出して用いた。
「いや……これじゃなくて、こっちの方がいいかな?」
純子がもう一度ツグミの力を使う。風景がさらに変わった。二人がいる場所は図書館だった。ただし、二人の距離が離れているので、異様に室内の距離が長いデザインになってしまっている。それでもその風景は、純子にとって大事な思い出の場所だ。
「ここで真君と会ったんだよね。覚えてるよね?」
恍惚とした笑みを浮かべて語りかけると、純子はさらに能力を発動させる。
空間が激しく軋む。獣之帝が動揺する。
「真君……死なせちゃったらすまんこ。ていうか、頑張って死なないようにしてね」
純子が言った直後、空間が大きく歪み、ひび割れ、引き裂かれていき、ばらはらの破片となっていった。ツグミの必殺技、空間歪曲シュレッダーだ。
「くぁあぁぁぁぁ!」
獣之帝が絶叫をあげ、空間の歪から逃れようと高速で飛び回る。しかしすでにその体は、空間の歪に捕らわれてしまっている。身体のあちこちが引き裂かれ始めている。
このまま獣之帝に致命的なダメージを与えたとしても、台風のエネルギーから吸収して瞬時に再生してしまうのか? 答えは否だ。この空間は隔絶されている。獣之帝が台風のエネルギーを吸収することは出来ない。
(この方法は使いたくなかった……。少しでも加減を誤れば……少しでも真君の生命力が足りなければ、殺しちゃう……)
獣之帝が台風の力を吸収できると知った時点で、純子は幾つかの攻略方法を思いついていた。しかしそのどれもが、真を死に追いやる代物だった。その中で一番マシなのがこの方法だ。
「んん?」
大きな力の気配を感じ、純子は斜め上を向く。
そこに見覚えのあるものが浮かんでいた。盆栽だ。
空中に浮かぶ盆栽が、純子に向かって立て続けにビームを照射してくる。増殖した神蝕をビームが貫いていく。
「木島の盆栽……」
純子が呟く。累が持つ魔道具――『木島の鬼具』の一つだ。純子との共有財産でもある。
さらに何枚もの札が現れ、図書室の壁に張り付いた。封印札と呼ばれる、超常の力を封じる力を持つ、超常関係ではメジャーな魔道具だ。目の前に現れたそれも、純子は見覚えがある。これは封印札の中でも特別に強い代物で、雪岡研究所の魔道具保管庫に置いてあったものだ。
ひび割れた空間がくっついて、空間の歪が元に戻っていく。獣之帝の体も再生していく。
「くぅっ」
小さく叫び、獣之帝が純子との間合いを一気に詰める。その右手には、漆黒の刀身の刀が握られていた。累の持つ不壊の妖刀『妾松』である。
純子が人工魔眼を光らせる。真紅の双眸から赤いビームが放たれる。
獣之帝が刀を振るい、ビームの一本を弾くが、もう一本のビームは翅を切り裂いた。
片方の翅を切られて、空中でもんどりうちなりながらも、獣之帝は懸命に飛翔し、純子との距離を詰める。
空中で態勢が大きく崩れた獣之帝を、迎え撃たんとする純子。
だが、純子は一瞬だが固まってしまった。獣之帝は空中で回転しながら、その姿を変えた。真に戻ったその姿を見て、純子は一瞬戸惑ってしまったのだ。
真はそのまま純子に激突する事を狙っていたが、純子は吹っ飛んでくる真をかわす。
図書室の壁に激突する真。
「受け止めてほしかった」
すぐに身を起こしながら、真が言う。
「敵なのにそれは甘いでしょー。それにしても、もうガス欠?」
意外そうに尋ねる純子。獣之帝にまだ余裕はあったように見えるので、真の姿に戻った意味が純子にはわからない。
「これはお前を倒す力じゃない。護る力だ」
真が言った。これとは、前世の自分になる力を指しているのだろうと、純子は察する。
「前から言ってるだろ。お前を倒すのはあくまで僕自身の力」
右手にじゃじゃ馬ならしを、左手に妖刀妾松を携えて、真は言い放つ。
「その銃は私が作ったんだけど、真君の力なの? 刀は累君のだし……」
純子の問いに答えず、真は攻撃に移った。至近距離から、じゃじゃ馬ならしをフルオートで全て撃ち尽くす。
念動力で障壁を作って防ぎながら、純子はある事実に気付いた。撃たれたのはただの弾ではない事を。
「スプラッシュ式魔弾頭――シリアルナンバー450」
障壁に食い込んで空中制止している弾を見て、純子が発射された弾につけられた弾頭の名を口にする。これまた雪岡研究所の魔道具神器秘宝の保管庫に置かれていた、マジックアイテムだ。
障壁が回転した。複数の不可視の力が回転しながら純子に襲いかかる。回転するエネルギーに巻き込まれ、純子の体も後方に回転する。まるで高波に巻き込まれてしまったかのような衝撃。転移して逃げることは無駄だとわかっている。空間操作しようとしても、空間ごと回転のエネルギーに巻き込まれる。これはそういうものなのだ。
空中で450度回転し、純子は図書室の床に、ほぼ逆さの格好で頭から落ちた。
完全に隙を晒した純子に向かって、真が踏み込み、刀を振るう。
純子は神蝕を操り、肉塊で真の刀を阻む。肉塊深くに刀が斬り込まれたが、斬撃は途中で止められた。
すぐに刀を引き抜く真。
体勢を立て直そうとした純子に、木島の植木鉢がビームを撃ち込んできた。脚と胸がビームで貫かれる。
「ちょっとちょっと……」
やられた箇所を即座に再生しつつ、純子が抗議めいた声をあげる。
「あのー……もう一回聞くけど、それさー、真君の力って言っちゃっていいの?」
「言いがかりはよせよ。僕が累から取り上げた力だから、僕の力以外の何物でもないだろ」
苦笑いで問う純子に、真は威丈高に言い張る。
(ふえぇ~……真兄変わってねーなァ。あたしとやり合った時と同じだわさ)
真の目を通して戦闘の様子を見ていたみどりも、苦笑していた。




