27
「今度こそ本当に戦いに……と、いきたいけど、その前に……ちょっと頼みがある」
「何?」
「回復してくれ。そうしないと嘘鼠の魔法使いが出せない。あいつがお前を試したいらしい。会話しただけで時間切れで引っ込んだから」
真が口にした頼みに、純子は絶句しかける。
「そ、そっか……凄くどうかと思うけど……いや、それはいくら何でも甘えすぎだし、駄目だよー。敵同士でしょ」
「そうか。じゃあ勝手に利用させてもらう」
真が背負っていた少し大きめのバッグを下ろし、中をまさぐる。
「これでいけるかな」
「あ、それは……」
真が取り出したのは、ストローを咥えた小便小僧の人形だった。純子はその人形を知っていた。
小便小僧の双眸とストローが光る。
真の疲労が回復していく。逆に純子は、全体からすると微々たる量だが、確かに力を吸い取られていることを実感した。そういう魔道具だ。雪岡研究所の神器魔道具置き場に置かれていたものだ。
「それは研究所に置いてあった、累君と私の共有財産なんだけどなー」
「つまり僕の物でもあるということだな。何も問題無い」
純子が苦笑気味に言うと、真は小便小僧をバッグにしまい、再び嘘鼠の魔法使いの姿になった。
「どうも。先程ぶりです」
気まずそうにぎこちなく笑う嘘鼠の魔法使い。
「えっとー……マスター、今のはちょっとどうかと思うんだけど……今度こそ本当のお別れはどうなったの?」
「ええ……少々間抜けでしたね。ええ……。それでは……いきますよ」
嘘鼠の魔法使いが短く呪文を唱え、杖を振るう。光るルーン文字が乱舞する。
「マスター……千年も経ってるんだよ? 転烙市で貯めた余剰エネルギーや、三人の脳を利用しなくても、私の方がどう考えても強いからさ」
純子が笑いながら手を振り払う。呪文の詠唱も無く、嘘鼠の魔法使いの三倍以上の数の光ルーン文字が飛び出し、純子の周囲を旋回しだした。
「これはこれは……しっかりと私が教えた魔法の鍛錬と研究も続けていたのですね」
感心し、嬉しくもなる嘘鼠の魔法使い。
嘘鼠の魔法使いが放ったルーン文字が炎の渦となって、純子を取り囲む。
しかし炎は全て消えた。炎と入れ替わるようにして、純子が出したルーン文字が、色とりどりの光のカーテンに変化し、純子の周囲をゆっくりと回っている。
光のカーテンが緩やかに波立ち、嘘鼠の魔法使いの方へと伸びていく。
如何なる攻撃であるか、嘘鼠の魔法使いには理解できなかった。純子のオリジナルの術だ。しかし込められた魔力は相当量のものであり、殺傷力は高いと見た。
(時間も限られていますし、出し惜しみはしないでおきましょう)
嘘鼠の魔法使いが呪文を唱える。詠唱中に無数の光るルーン文字が、杖から生じて飛び回る。彼のとっておきの大魔法だった。
杖の周囲を待っていた光るルーン文字が、猛スピードで一斉に上空へと跳びあがったかと思うと、無数の流星となって、夜空に光の軌跡を残し、光のカーテンと純子めがけて降り注いでいく。
神蝕のあちこちに光り輝く流星が直撃する。肉が爆ぜ、血が飛び散るが、瞬時にして増殖して元通りになる。いや、たとえ増殖しなくても、神蝕があまりにも巨大すぎて、流星で攻撃されて受けたダメージは全体の5%にも及ばない。
光のカーテンに当たった流星は、ただ砕け散っただけで終わった。光のカーテンは全く損傷無く、嘘鼠の魔法使いへと向かっていく。
嘘鼠の魔法使いは光のカーテンを避けんとして、空中階段を飛び移っていくが、すぐに行き止まりまで追い詰められる。
光のカーテンは嘘鼠の魔法使いにある程度接近した所で、その速度を増し、部分的に幾つも盛り上がって、嘘鼠の魔法使いを上下左右から包み込もうとする。
「ここまでですね。愛する弟子シェムハザ……また……いつか会いましょう」
弟子の成長を見届けて、満足そうな笑みを広げてみせ、光のカーテンに包まれる直前に、嘘鼠の魔法使いは消えた。
嘘鼠の魔法使いの代わりに現れた者が姿を見せる前に、光のカーテンが全身を包む。
その僅か二秒後、光のカーテンが内側から黒い刃で切り裂かれた。
「おやおや、あれを斬るなんて」
意外そうな声をあげる純子。すでに嘘鼠の魔法使いでは無いことはわかっている。
「へっ、出てくるなリ、この扱いたあな」
野性的な笑みを広げ、甲冑に身を包んだ蓬髪の武者が、霧散していく光のカーテンの中から現れた。
「御頭さん?」
累からその存在を聞いて知っていた純子である。
「黄泉からの捲土重来」
御頭が妖術を用いる。空中に浮かぶ透明の階段のあちこちに、甲冑を纏い、槍や刀や大太刀で武装した武者達が現れる。
「もう戦国の時代は過ぎて何百年も経つってのによう、こいつらは冥界との狭間で、未だにくすぶっているようだぜ」
自分が呼び出した荒武者達の霊魂を見渡し、御頭は笑う。
荒武者達が透明階段を跳びはねて、一斉に純子に向かっていく。霊であるが、ほぼ実体化している存在だ。
純子の腹部から四方八方に伸び、多頭竜の首のように大きく何本も分かれて広がった神蝕のうちの二本が動き、迫りくる荒武者達をあっさりと薙ぎ払い、透明階段の下へと落とした。
その隙をついて、御頭は次の術を完成させていた。
「望まれし天高気清」
純子の本隊の周囲の空間の色が、微妙に変化する。服の色がほぼ暗い色へと変わる。しかし夜の上空であるが故、変化はその程度だ。
「空間操作――気圧、湿度の急激な変化かな? 空間操作は封じていたつもりだけど、それを打ち破ったのは中々凄いね」
純子が称賛した直後、純子の周囲の色が元に戻った。御頭の術はあっさりと解除された。
「おいおいおいおい、こいつは俺の手に負えそうにない……が、人喰い蛍!」
御頭が無数の三日月状の明滅を呼び出し、放つ。
「イタチの最後っ屁くらいはいくぜ」
御頭が言った直後、神蝕が全ての人喰い蛍を薙ぎ払い、御頭の体にも直撃した。
吹き飛ばされかけた御頭であったが、刀を透明階段に引っかけて、何とか落ちずに済んだ。
「ははっ、とてもじゃねーが俺じゃあ敵わなねーな。ま、わかっていた事だがよ。消える前に、一つ……言わせてくれや」
口から血を吐きながら、純子を見上げて笑う御頭。
「俺から言いてえのは……一つだけだ。頼むからよ、累のことも忘れないでやってくれよ。見捨てないでやってくれよ」
純子に向かって告げた直後、御頭から真の姿に戻った。
「痛……」
呻き、胸を押さえる真。御頭の状態で受けたダメージを引き継いでいる。変身しても同じ体だ。
「台詞を聞いてもわかったと思うけど、今のは累の保護者だった。戦国時代の野伏りだ。累を拾って、累に術と悪事を教え込んだ」
真が解説する。
「累君に聞いたよー。二人で情交も極めたって」
「それは知らなくてよかったことだ」
「今も是非……」
「今は無い」
期待を込めて何か言いかけた純子だが、真はきっぱりと否定した。
「真君、前世の力を引き出すなんて、凄い切り札だねえ。うん、凄いよ。どうやってそんな力を身に着けたのかとか、色々と興味が尽きないよー。でも……残念だったね。その力で、百合ちゃんやデビルも倒してきたんだろうけどさ、マスターの力も、御頭の力も、私には全然届かないのは、今やってわかったよね?」
笑顔であったが、心なしか虚しげな声で話しかける純子。
「君は君で、持てる力の全て出した。全て出し尽くした。必死に頭も使っただろうね。とっても頑張ったんだと思う。君が力の限り、考えの限り、挑んでくるってわかっていたから、私もそれに全力で応じたよ。私は私で思いつくことをやりまくって、で、今この結果がある。うん……残酷な結果だね。胸が痛むよ。君と私で、凄く差が開いちゃったという結果。でも勝負の世界は無常――」
「勝手に勝ち誇るなよ。まだ勝負は終わっていないだろ」
冷めた口調で、真は純子の言葉を遮った。
「お前は無尽蔵の力を得たつもりでいるようだな。お前が準備して得た力、それは確かに凄いと思うし、実際僕の前で、強者達を蹴散らしてみせた。嘘鼠の魔法使いと御頭も問題にしなかった。確かに凄いよ。まともにやったらとてもじゃないが勝ち目は無い。でも――」
真が片手を真っすぐに上げ、荒れ狂う天を指す。
「でも、運命は僕に味方してくれた。世界は僕の勝利を望んでいる」
「んー? 何のこと?」
「台風が来ている」
怪訝な声をあげる純子に、真は会心の笑みを広げてみせた。
それは勝利を確信している笑みだと、純子の目に映った。そして台風が来ているという台詞の意味を理解して、純子ははっとする。そして珍しく、背筋にぞくぞくと冷たい物が走る感触を覚えた。
真が残る一人の前世に変身する。全身桃色の肌に、赤い髪、短い角、翅が生えた妖――惑星グラス・デューでは週末に吹く強い風と呼ばれていた暴威の生物。
「くぅあああぁぁああぁああぁあぁあぁあああぁぁぁぁぁぁっ!」
獣之帝に変身した真は、上空を指したポーズのまま、長く尾を引く咆哮をあげる。
ただ叫んでいるだけではない。上空から膨大な量のエネルギーが獣之帝に流れ込んでいる様が、純子の人工魔眼にははっきりと映っていた。
「週末に吹く強い風の能力――天候を操る力で――台風のエネルギーを吸収しているってことだね……」
台風が来ていると言われた時点で、純子は察していた。真の前世に獣之帝がいる事も、純子は知っている。前世の力を引き出せる時点で、そして台風が来ている時点で気付くべきだったと、純子は思う。
平均的な台風は、誕生から消失までの間に、百京ジュールの運動エネルギーが発生すると言われている。平均的な台風一つが、広島型原爆約一万数千個分以上のエネルギーに相当する。そして今回来ている台風は、かなり大型と言われている。
全てのエネルギーを吸収は出来なくても、例えほんの一部だけでも吸収できるだけでも、途方もない力を得られる。転烙市の市民から吸い取った生命力の余剰エネルギーを上回る力を吸い取る事は、十分に可能であろうと、純子は見なした。




