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神蝕の中に隠れていた純子が姿を現す。腹部の服はめくりあがり、腹の中からは臓物や肉が溢れ出ている状態だ。
普段持っていない、少し大きめのバッグを背負った真が、純子の前に進み出る。
「場所を変えよう。他の奴等に聞かれたくない話もしたいし」
「いいよー。二人共、上へ」
純子が真の要望に従う。真と純子のいる場所が、空中の透明階段へと移動する。
「風の音がうるさいな」
「消すよ。風の音消えてー」
純子が言葉を発した瞬間、風の音が消える。風は吹いているままだ。周囲の風の音だけが伝わらなくなった。
「なあ……聞きにくいことだけどさ、何でよりによってそれなんだ?」
「んー? 何のこと?」
真の言葉足らずな質問に、純子は小首を傾げる。
「ラスボスが変身する時、色々パターンあるよな。巨大化も定番だし、神々しくなる事もあれば、醜くなることもある。で……お前はよりによって、醜い姿に変身するパターンだ。何でそのパターン選んだ? 巨大化よりはマシかもしれないけど、いや、ある意味巨大化も混じっているか」
「ええええっ? 醜いって……。ちゃんと体も残しているでしょ。顔だって残しているし、お腹から内臓いっぱいはみ出てるだけじゃなーい」
「十分醜悪だ。お前のそんな醜悪な姿は見ていたくないし、そういう意味でもさっさとやっつけないとな」
「あうあうあうあう……他の人になら同じこと言われても何ともないけど、真君だと堪える……。精神攻撃になってるう~」
頭を抱える純子。
「目的の二つは果たしたつもりだった。復讐と、お前を護る力を身に着けてそれを証明すること。でも後者はまだだ」
真が真面目な話に移る。
「いつか訪れるかもしれない、お前が真剣に窮地に立たされたその時、守るのは僕だと決めていた。お前を打ち負かすためだけじゃなく、そういう時のためにも力を磨いていた」
「貸し物競争の時に、その目的は果たしたんじゃないのー?」
「一度証明したのは目的の達成とも言えるけど、その後もずっとそれは続いていくものだよ。僕はずっとお前の側にいて、お前の力になり続けるつもりだ」
「今は敵なのに?」
心持ち意地悪い口調で尋ねてから、純子は微笑んだ。
「悪魔の偽証罪を使わせたくない。それを防がない限り、護れる証明とは言えない」
明らかに憂いを帯びた顔になった真を見て、純子は笑みを潜めた。
「最後の目的を叶えるよ。マッドサイエンティストを辞めさせる」
「んー……マッドサイエンティスト辞めろってのは……やっぱり聞けないなあ」
真が力強く宣言すると、純子小さく息を吐き、頬を掻く。
「私達は挑み続ける。それが失敗しても、その失敗は成功の糧となる。私達は歩み続ける。探究を、研究を、追及を辞めない。辞めたくない。例えどれだけの犠牲を払ってでも、私達は、追い求め続けなくちゃ気が済まない。ていうかさあ、それのどこがマッドなの? 私達こそが、人として正しい在り方だと思うけどなあ」
「そうかもな。でも僕は、お前がこれ以上無闇に人を手にかけるのは……嫌だ」
純子の主張を全て否定するわけではないが、真の気持ちとしては、それは認めがたい。
『もちろん諦めるわけがないよー。私が生きている限り、失敗しても何度でもやり直すよ? 私を本気で止めたいなら、私を殺すしかないってことだね。でも、それだと矛盾しちゃうよね? 真君の目的は私を護る事も含まれるんでしょ? 矛盾しちゃうね。そして私のこの計画を防ぐことが――イコール真君の最後の目的――私にマッドサイエンティストを辞めさせるって事には、繋がらない。ただ私の企みを一回潰しただけだね』
安楽市民球場に転移して来た時、純子が皆の前で口にしていた台詞が、真の脳裏に蘇る。しかし――
(お前を殺さなくても止める方法はあるんだ。お前は今、想像もついていないだろうけどな。いや、例えわかっていても、お前には防げないよ)
すでに真の中で答えは出ている。矛盾する事もなく、純子にマッドサイエンティストを辞めさせる方法はある。それはあの時言われるより前に、すでに真が考え付いていた事であり、予定している事だ。
「僕に抗って、また新しいゲームをするなら、僕もそれに付き合って遊ぶ。止めてみせる。でもさ……もう僕の近くから離れないで欲しいよ。正直半年離れられたのは、物凄く堪えた。ずっと側にいてくれ。あと……純子のゲームはしばらくお休みにして欲しい。今度は僕の夢を叶える手伝いをしてくれよ」
「あうあうあう……そういう言われ方……響くっていうか……」
真に切実な口調で訴えられ、あからさまに動揺する純子であった。
「一つ聞きたいんだけど、どうして真君は私がマッドサイエンティストであることを否定するの? どうしてそんなに辞めさせたいの? 私がマッドサイエンティストだと何の不都合があるの?」
「その答えは今僕が口にしたばかりだろ。僕が嫌だから――だけじゃ駄目か? 答えとして不十分か?」
「曖昧だよ。気持ちどうこうじゃなくて、もっとはっきり理由を教えて欲しい。他人の気持ちを完全に理解することなんて出来ない。誰もね。でも部分的にならわかるものだし、私は真君の気持ちを少しでも多く理解して、納得したいんだよね」
純子の言葉を聞き、真は数秒思案してから、話しだした。
「お前を悪のままでいさせたくはない。罪を犯し続ける存在でいてほしくない。お前は親切だし、優しいし、気遣いもするから、マッドサイエンティストだってこと忘れそうになる事もあるけど、それでも根っこは徹底的にマッドサイエンティストだ。だから半年前あんなことをして、世界を滅茶苦茶にした。今やろうとしている事は、もっと酷いことになるだろう」
「いや、ならないよー。半年前は失敗しちゃって、中途半端だったから、犯罪者に利用されちゃうことが多かったけど、次はもう全人類を遺伝子レベルで改造するから」
「何年か経てば落ち着くかもしれないけど、その間に相当な混乱が生じるし、人も死にまくるだろ。つまりお前が罪を犯す」
「人なんて何時の時代も、どこの土地でも絶え間なく死んでいるし、生まれてくるし、私の知らない所での命の消失を考慮は出来ないかなあ。それより理想の方がどう考えても大事だしー」
「そうだろうな」
純子が人の命を数字の上下程度にしか見れない性質である事は、真にはわかっている。例え全人類のうちの99%の人間の命を奪っても、純子は何の罪悪感も覚えないだろうと。
「私は千年生きてきて、数限りなくこの手を汚しているし、今更だよ」
「それは一人殺したら何人殺してもいいという理屈だろ。過去がどうであろうと、今からでも、無闇に人を傷つけるような真似はしてほしくない。相手が下衆とか敵とかなら構わないけど」
「やっぱり平行線だねえ。ま、しゃーない。私達、似た者同士だし」
心なしか、純子が会話に飽きてきたような、不快感を示すような仕草と表情を見せた。しかし真はお構いなしに話したいことを話し続ける。
「お前は我を通さなければ気が済まない性分。僕もそうだ。僕はお前が悪であることが嫌だし、これ以上の罪を重ねて欲しくない。それが僕のエゴ。僕もそれを押し通したいだけだ」
「デビルは真君のその、何が何でもエゴを通す所が気に入っていたみたいだよ。私も好きだけどね」
「僕も、お前のそういう所が嫌いなわけじゃない。でも、お前の言う通り平行線だ。引かないエゴ同士、衝突するしかない」
「私はいくらでも悪になるし、いくらでも罪を犯すよ。それは私にとって大したことじゃない。ただ、真君まで付き合う必要は無いかな。この世に悪は私一人いれば十分だし」
「嘘吐きも一人いれば十分だな」
真のその台詞を聞いて、純子は目を丸くする。
「その反応からすると、千年経っても覚えていたのか」
真は純子に対し、複雑な感情を抱く。真は正直、今の純子の反応が嬉しい。千年経ってもなお覚えていたことが嬉しい。だが同時に、千年もの間ずっと、甘い呪いをかけられたままの純子に対して、憐憫に近い想いが湧いていた。
「お前が生きてきて、これまでに積み上げてきた罪業。僕はそれを無視して通らない。お前がどれだけ罪を犯したか、どれだけの人を殺したか知らないけど、何万、何十万の命を奪ったかわからない大悪党だろうと、償いはできる。僕はお前に償わせて、お前の罪も全て浄化する。僕はそう決めた」
真の決意を聞いた純子は、転烙市で真を捕獲した際、真が口にした台詞を思い出す。
『僕はいつでもお前を変えることができたんだぞ?』
あの台詞の後に口にした方法は、半分冗談のようであり、本気であるような気もした。しかしそれとは違う方法で、真は自分に償いとやらをさせるのだろうと、純子は見る。
「前にも聞いたね。あまり聞きたくないけど、どうやって償わせるの?」
非常に嫌な予感がしつつ、恐々と尋ねる純子であった。
「イザナギとイザナミの話は知っているか?」
真の言葉を聞き、純子は何のことか察して、顔を引きつらせる。
「奪った分以上に、新たに命を生み出せばいい。ギネス記録を目指すぞ」
「んんんんん……やっぱりそうなるのね……」
一日に千人殺すなら千五百人産ませるという話を指しているのだろうと、純子は思う。
「一つ確認したいんだけど、君は私を解放するという役割を自分に課して、その役割を演じているの? 違うよね?」
純子の問いに、真はきょとんとする自分の顔を思い浮かべる。
「演じている? これは僕の確かな望みだ。何度も言うけど、お前がマッドサイエンティストの役割を続けて、課せられたシステムに従っていることが気に入らない。本心だ」
「それは真君の思い込みだよ。私は自分で望んでいる結果だから」
(違うだろ……。望んでいるのではなく、お前こそ、望むように仕向けられたんだ)
純子の主張を聞いて、真は非常に辛い気持ちになる。純子をこのように仕向けたのは、前世の自分だ。
「その望みさえ、仕組まれていたとしたらどうする?」
純子の質問を受けて、真は確信した。純子は知らない――あるいは意識していないのだ。嘘鼠の魔法使いの甘い呪いが、今の純子を創り出したのだと。
「私はこの世の多くの人に、疑問を抱いていた。普通の人だけじゃない。この世の管理者のつもりで、フィクサーしちゃっている人達なんかもそうだよ。皆システムの一部になりきっていた。そのために動いているだけって感じでさ。シスターもそうだし、ミハイル・デーモンさんもそうだった。自分の役割を自分で決めて、ただ役割に従うだけ。でも真君や勇気君や政馬君やミルクは、ちょっと違ったかなあ。ヴァンダムさんや百合ちゃんも違ったね。でも、安心したよ」
「安心?」
「真君は、役割に縛られているわけじゃなさそうだしね。それだけは嫌だったんだ。そんなんで私に挑まれたら哀しいなあ。ただのエゴである方がずっとマシだよ。私的にはね」
(お前は嘘鼠の魔法使いに、役割を決めて動かされていたけどな。千年間)
そう考えた真は、ある事を決めた。最初に使う手を――呼び出す者を決めた。
「そろそろ始めるぞ」
真が告げ、その姿を変貌させる。
「いい……よ……」
真の姿が変わっていく様を見て、純子は絶句した。
「嘘……そんな……」
灰色の中折れ帽子とローブ。ねじれて渦巻いた樫の木の杖。長くまっすぐ伸びた金髪。端正な顔に浮かんだ柔和な笑み。
千年振りに見るその姿。夢の中では何度も見た、焦がれていた姿。二度と会えない、二度と見る事は無いと思っていた人物。顔。服装。柔らかな笑み。それを再び現実で目の当たりにして、純子は全身を震わせる。
(幻術……じゃない。正真正銘の本物)
人工魔眼で解析して確認する。
「千年振りですね。シェムハザ。ようやく会えました」
嘘鼠の魔法使いは、千年前と同じ笑みをたたえたまま、千年前と同じ声を発した。




