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「愉快な組み合わせだな。そして――タイプの違うマッチョ二人がかりで、針金のような私に挑むとは、愉快な構図だ」
そう言って霧崎は、胸ポケットからハンカチを抜き取り、前方に放り投げた。
ハンカチが大きく広がり、高速で回転しながら飛来する。最早ハンカチではなく、鋭利な長い刃と変質している。
バイパーとオンドレイは左右に跳んで避けたが、二人がいた空間に到達した瞬間、回転するハンカチが八枚に割れて、それぞれ四枚ずつ、二人に向かって回転しながら襲いかかった。
「触れるなよ!」
オンドレイが叫び、気功塊を放出してハンカチにぶつけて撃ち落とす。もちろんバイパーに対して放った声だ。
(触ったら何があるかわかんねーからか? しかしこいつを避け続けるってのも骨だろうがよ)
バイパーが口の中で文句を呟きながら、不規則な軌道で襲い来るハンカチを必死に避けていると、ハンカチが四枚続け様に落とされた。
「よしよし、よく堪えた。毒蛇」
オンドレイがバイパーを一瞥して笑う。バイパーを襲っていた四枚も、オンドレイが気功塊で撃ち落としたのだ。
その直後、オンドレイは顔色を変えた。
「むう……いつの間に……」
足元を見て顔をしかめるオンドレイ。両足首に、赤いスライムのようなものがまとわりついて、地面に繋ぎ止めている。渾身の力を込めてもびくともしない。
「君が必死に私のハンカチを落としている時にだよ? こう、ぽたっとね」
いつの間にかワイングラスを片手にしている霧崎が、グラスを傾け、ワインを一滴、地面に零す。
ワインの雫が地面に落ちた瞬間、バイパーの足元から赤いスライムのようなものが噴き出して、バイパーの足を絡めとろうとしたが、バイパーは前方に大きくジャンプしてこれを避けた。
「くおおおおっ!」
オンドレイが足に気を集中させる。
赤いスライムは一瞬弾け飛びそうになったが、駄目だった。すぐにまたオンドレイの足にしっかりとへばりつく。
(いや、これはもう少し力を込めれば取れそうだぞ。しかしあえて、取れない振りをしておくか)
良い手応えを感じたオンドレイは、霧崎を騙すことにした。
バイパーは霧崎と向かい合い、頭を巡らせる。バイパーは近接攻撃オンリーというわけではないが、基本はやはり近接戦闘だ。近付かなければ話にならない。
(何をしてくるかわからねーし、何が起こるかもわからねー。不気味すぎる相手だ)
怖気が生じるのを堪えつつ、バイパーは霧崎に向かって一直線に突進する。
オンドレイがバイパーを援護するために、霧崎に銃を二発撃った。
霧崎はワイングラスを片手にしたまま、くねくねと身を捻って銃弾をかわす。
バイパーが霧崎に届く距離まで迫ろうとした、その刹那、バイパーがまだ霧崎が届かぬ距離で、拳を振るった。
「ほう」
面白そうな声をあげ、霧崎はバイパーが振るった拳から放たれた長い針を、空いている手の人差し指と中指の間に挟んで受け止めた。
「工夫が足りないね。もう少し――」
霧崎の口から嘲りの言葉が出かけたが、その細い目が驚きで大きく見開かれ、言葉も中断される。
受け止めた針が膨張し、なおかつ軟体動物のように蠢き、霧崎の人差し指と中指と同化したのだ。そして霧崎の体内へと浸蝕していく。
「おぞましい芸当をするのは、お前だけじゃねーよ。同じ三狂のマッドサイエンティストに造られたもんだからな」
バイパーが嗤い返しながら、霧崎めがけて大きく踏み込み、蹴りを繰り出す。
そのバイパーの動きにタイミングを合わせて、オンドレイがさらに二発銃を撃つ。
霧崎は柳のようにするりと動いてバイパーの蹴りをかわす。しかしオンドレイが撃った二発の銃弾のうちの一発が、細い脚を穿ち抜いていた。
「ぐっ……」
腹部に熱い衝撃を受けて、バイパーの顔が苦悶に歪む。
ほんの一秒前、霧崎は大きく口を開き、喉から何かを出して口に咥えた。そして口をすぼめたかと思うと、口をすぼめたまま思いっきり息を吐き、口に咥えた何かに空気を送り込んだ。口に咥えたそれが勢いよく伸びて、バイパーの腹部を貫いていた。
(ピーヒャラ笛?)
(ピロピロだと……?)
呆気に取られるバイパーとオンドレイ。霧崎が咥えて、伸ばして、バイパーの腹を貫いたそれは――吹き戻し、ピーヒャラ笛、ビロビロ、ピーピー笛などと様々な呼び方がある、カラフルな紙の玩具だ。丸まった紙を口に咥えて、空気を吹き込むと伸びるという仕掛けのあれだ。
バイパーが腹部を押さえて蹲る。柔軟かつ強靭なバイパーの表皮と筋線維は、生半可な攻撃は通じないが、霧崎のピーヒャラ笛は、いともあっさりとその腹筋を貫き、内臓にも深刻な損傷を及ぼしていた。
「むむむ~」
霧崎はピーヒャラ笛を咥えたまま唸ると、毒針だったものに浸蝕されている手に向かって、もう片方の手で手刀を一閃し、手首から手を切り落とした。
すぐに新しい手が生えてくる。先程撃たれた足の傷も、すでに癒えていた。
「うおおおおっ!」
オンドレイが咆哮をあげ、足に気を集中させると、足を地面に繋ぎ止めていた赤スライムを吹き飛ばす。騙す振りなどもう意味が無いと判断した。
「ぬおおおおおおっ!」
咆哮をあげ続け、オンドレイが霧崎に向かって突進していく。
(旦那、いちかばちかの勝負に出るのか? それとも俺を助けるのか? どちらにしろ、合わせるしかーな)
オンドレイの行動を見て、バイパーは攻撃態勢を取る決意をした。重傷を負っているが、ここでへばってはいられない。
(バイパー君を助けるためかね。あるいはそう見せかけて――)
霧崎がオンドレイから、目の前で蹲るバイパーへと視線を向けた。
果たしてバイパーは、低い体勢から霧崎に飛びかからんとしている。
霧崎は憫笑を浮かべ、バイパーの頭を踏みつける。踏みつけられたバイパーの頭部の下から、地面に血が飛び散る。
(ふむ。頑丈だな。踏み砕くつもりであったが)
バイパーにとどめをさせなかったのは計算外であったが、これでしばらく動くことは出来ないと見なし、霧崎は突っ込んでくるオンドレイの方に顔をあげると、思いっきり息を吐いて、ピロピロを勢いよく伸ばした。
「ふんぬ!」
通常のピーヒャラ笛より何倍も伸びたそれを、オンドレイは両手で掴んで受け止めた。オンドレイの両手の掌の皮と肉が切り裂かれ、血が飛沫いたが、それでも何とか止めた。
(二人して楽しませてくれるものだ)
霧崎がにたりと笑い、さらに息を吹き込み、力を発動させる。
オンドレイが掴んだ箇所が爆発を起こした。オンドレイの両手が弾け飛び、顔の左半分にも爆風が及ぶ。オンドレイが大きくのけぞる。
しかしオンドレイは倒れなかった。のけぞったまま踏ん張ったかと思うと、勢いよく上体を戻し、無残に半分皮がめくれて片目も潰れた顔で、霧崎を睨み、再び駆け出す。
「お前は……絶対……捻り潰してやる!」
「両手も無いのにかね?」
悪鬼の形相で宣言するオンドレイを、霧崎がせせら笑ったその時だった。
「痺れている……? これは……」
霧崎は自分の体の異変に気付いた。全身が麻痺して、思うように動かなくなっている。
バイパーは体内に遅効性の神経ガスを仕込んである。これは一日一回しか使えない奥の手だ。しかしその性質上、オーバーライフ相手にも効果がある。いや、オーバーライフを相手にする前提で作られたものだ。
屋外では使いづらいという欠点があったが、最近ミルクの改造によって、このガスそのものをバイパーの意思で、ある程度自由にコントロールできるようになった。台風の最中ではあるが、風に飛ばされる事も無く、霧崎の体内にこっそりと吸引させる事が出来た。
「旦那! 今だ!」
「応!」
バイパーが血を吐きながら叫び、オンドレイも気合いたっぷりに叫び返す。
(毒蛇が作った好機を無駄にはせん! 断じて潰す!)
動きの止まった霧崎に、憤怒のオンドレイが襲いかかる。
オンドレイの飛び膝蹴りが霧崎に炸裂し、霧崎の体が仰向けに倒された。
「うおおおおおおおっ!」
咆哮をあげ、オンドレイは霧崎の体を何度も何度もしつこくストンピングしていく。ぐちゃぐちゃに踏み潰され、平たくなって床にへばりつき、肉片が弾け飛ぶ。
「ぬがああああぁぁっ!」
再生しようとする肉の動きを見て、しかしオンドレイは見逃す事無く徹底して踏み潰していく。
「そこまでだね、チミ」
そのオンドレイに向けて、背後から攻撃する者がいた。ミスター・マンジだ。
「卍流星群!」
ミスター・マンジが口から大量のビー玉のようなものを吐き出す。
振り返ったオンドレイの目にまず飛び込んできたのは、自分をかばうかのように、ミスター・マンジと自分の間に入った少年の姿だった。
「水子囃子」
累が手をかざして呪文を唱えると、ビニール状の霊体が数体現れミスター・マンジの吐き出したビー玉を全て受け止める。
「雫野累君……チミ、どういうつもりだね……。裏切ったのかね?」
「はい。寝返りました。僕は今から真の側に着きます」
呆気に取られるミスター・マンジに向かって、にっこりと微笑む累。しかしその表情には如実に疲労が見受けられる。
「事情は知らねえけど……心強え……」
「うむ。ありがとうよ、坊や」
バイパーが血塗れの顔を上げ、累に向かって笑いかける。オンドレイも頷き、礼を述べながら累の頭を撫でようとして、手が吹き飛んでいる事に気付いて、渋い顔になった。
「イェア、御先祖様来たしー。でももう戦闘終わりかけだわさ」
みどりが言った。確かに戦いの趨勢は見えていた。最初はサイキック・オフェンダー側が有利であったが、キャンセル能力持ちの陽菜が眠らされ、余剰エネルギーの支援も受けられず、鯨男化したワグナーも巨大ピィィィポ君に敗れ、強者のネコミミー博士や霧崎も撃退されてと、何をどう見ても劣勢になる条件ばかりが揃っている。
「ウヒ~ヒッヒッヒッ、これはもうどうにもならないね。うちらの負けだよ」
日葵が敗北を認めて笑う。
「いや……そうでもないで」
エカチェリーナがスタンド席の方を見て言った。
サイキック・オフェンダー側も、PO対策機構側も、スタンド席を見て驚愕した。
彼等の目に映ったのは、純子が一人で、チロン、男治、史愉、黒斗、つくし、ミルク、綾音の七名の強者を圧倒している光景だった。
「おいおいおいおい、あっちヤバいぞ~」
「うっひゃあ……純姉どんだけパワーアップしてんのよォ~」
「嘘だろ……あのメンツ相手に、純子一人で無双かよ」
「純子が完全にラスボスのぜんまい巻かれたね」
二号、みどり、輝明、来夢がスタンド席を見上げ、呆気に取られていた。




