12
累と男治が向かい合う。
綾音が下がる。まだ余力はあるし、息も乱れていないが、自分では累に敵わないことは承知している。自分の方に引きつけて、時間稼ぎさえできればよかった。そしてそれは達成されたので、これ以上無理をする事も無い。
「そーれ、ターコイズトマト~」
男治がお手玉をしていた青緑色のトマト四つが一斉に放たれ、累に向かって飛来する。
(熟す前の緑色のトマトでもなく、これまた微妙な色合いというか……)
そんな感想を抱きつつ、累は素早く呪文を唱える。
「水子囃子」
薄く広がったビニール状の霊体が複数現れ、飛来するトマトの前を頼りなげに舞う。
トマトがビニール状の霊を直撃する。水子囃子はあっという間にトマトをくるんでしまい、飛ぶ速度も急激に落ちる。
水子囃子にくるまれたトマトが次々と破裂していったが、水子囃子のビニール状の体は一瞬膨らみ、内側を青緑色の液体で汚したに留めた。汁の一滴も外に漏れず、累にはかかっていない。
「意外と頑丈なんですねえ~。それ。以前雫野の術師とも戦ったことがありますし、その術を見たことも破ったこともありますが、段違いの耐久度と素早さと精密さです。流石は開祖の累君。次元が違いますねえ」
男治がにこにこ笑いながら称賛する。
「手抜きの攻撃を防いだ僕を褒め称える。他の人なら、随分とチープな挑発だと見下げ果てるだけですが、男治遊蔵、貴方だと話が違ってきますね。普通に腹が立ちます」
累の声のトーンが下がり、目つきが鋭くなる。
「あれま。それなら出し惜しみせず、とっておきと行きますかねー。宝石チンアナゴン~」
男治が妖気を膨らませる。累の左右の地面から、全身に色とりどりの宝石をつけた、細長い竜のような妖が飛び出した。長さはかなりのものだが、片手で握れそうなほど細い。
頭部には角や逆鱗や牙があって竜のように見えるので、ぱっと見だけでは、言われなければチンアナゴには見えない。
高速で動き、左右から累に巻き付かんとする宝石チンアナゴン。
術を唱えている間も無いので、転移でさっさと逃げようとした累だが、空間操作は出来なかった。よく見ると宝石チンアナゴンの周囲の空間が微妙に歪んでいる。
(それぞれ一匹ずつ、周囲にいる者の空間操作封じと……空間操作をして周囲の空間の歪曲を担当しているわけですか)
累が刀を振るい、細長い胴を切断しようとしたが、その事実に気付いた時点で、効果が無さそうだと予感した。
果たして刀は宝石チンアナゴンに届くことなかった。刀の軌道に合わせて空間が歪められ刀身はあらぬ場所を空振りする。
宝石チンアナゴンの巻き付きを避けながら、早口で呪文を唱える累。もたもたしていると、空間の歪曲が拡大し、回避も困難になってしまう。
「捻くれ坊主」
長大な肉のバネが出現した。僧衣を纏い、肉バネの先端には顔らしきものがついている。
累が肉バネ僧侶――捻くれ坊主の僧衣を掴む。捻くれ坊主は瞬時に体を縮めると、一気に伸びて、大きく跳びあがった。捻くれ坊主の質量が大きいため、宝石チンアナゴンの空間歪曲の効果が現時点では及ばない。
周囲のビルより高く跳びあがった所で、捻くれ坊主は反転し、頭から地面に向かって急降下する。累も一緒だ。
落下の途中で、累は捻くれ坊主より離れた。捻くれ坊主は宝石チンアナゴンの一匹を押し潰す。長く伸びてくねった胴体の全てを潰せたわけではないが、かなりの範囲が潰れた。
もう一匹は、空から降ってきた累が刀を振り、頭部を切断した。
「何と……凄いですね……」
宝石チンアナゴンを撃破した累を見て、男治は感心する。
先に捻くれ坊主が潰した宝石チンアナゴンは、空間を歪める方だ。これを先に殺すことで、空間歪曲を封じる。そしてもう一匹の、空間操作封じの担当の宝石チンアナゴンは、累が殺害した。
「搦め手の一種でしょうが、広範囲に及ぶ攻撃には、いささか脆弱でしたね。空間歪曲の範囲がもう少し広くあれば、厄介だったかもしれません」
「いえいえ~、大きなもので押し潰し攻撃されるとなると、相当な出力を要しますし、どちらにしても敵わなかったですよ~」
累が指摘すると、男治はへらへら笑いながら頭をかく。
「次のとっておきいきましょ~。海産物色々混ぜ過ぎ鵺~」
「ネーミングがどうかと思います」
次の妖が現れる前に、累が突っ込んだ。
「では海鵺でお願いします~」
男治が断りを入れる。
現れたのは名前通り、海産物が大量に混ざった合成獣だった。全身からワカメやコンブやヒジキやアカモクといった海藻を生やし、尾は縞模様のカラフルなウミヘビ。胴体はアザラシかアシカと思われる鰭脚類のそれ。頭部はラッコで、ピンクのサンゴが角のように生えている。前肢はぱっと見ではわからないが、頭部からすると同じラッコと思われる。後肢は大きな鯨のヒレだった。
(これは強そうです)
海産物色々混ぜ過ぎ鵺改め海鵺を目にして、累は刀を構えてこれまで以上に気を引き締める。
「ニィャア! ニュイ! ニーッ! ニュア! ニャア!」
海鵺が鳴いた。ウミネコの鳴き声だ。
ワカメとコンブが一斉に伸び、累に襲いかかる。
累は転移して避け、海鵺の側面に転移した。後方に転移してウミヘビが反応するであろうし、上空に転移しても迎撃される可能性が高いと見なして、最も無難な横を選んだ。
転移直後に刀で斬りかかる。
海鵺の全身から生えたアカモクが膨張し、斬撃を阻む。アカモクも大量に切断したが、刀は胴体に届く前に威力を殺され、体表を切り裂くには至らなかった。
「ニャッ!」
海鵺が一声鳴き、累に尾の方を向けながら横転する。予測外の奇妙な動きを見て、累は一瞬だが戸惑ってしまい、反応が遅れた。
後肢にあたる鯨のヒレが、累の体をしたたかに打ちつける。累は横殴りに吹き飛ばされ、壁に激突した。
壁に血の痕が飛び散っている。頭部から激しく出血した状態で、道路に横たわる累。アスファルトの上にも血が広がっていく。
(頭蓋骨を割られ、腕と肩の骨も折られ、肋骨も何本も折られて内臓に突き刺さり、内臓も幾つか破裂。血管もかなりの数破裂しましたね……)
全身に衝撃による痺れを覚えながら、累は冷静に分析する。ここまで強烈な打撃を食らったのは久しぶりだ。単純明快にパワーがとんでもない。
(何をしてくるかわからない相手です。遊んでいる余裕はありませんね)
高速で体を再生しながら、累は呪文を唱えた。
「黒髑髏の舞踏」
大量の、そして様々な衣装を着た黒髑髏が出現し、海鵺に殺到した。
「おやおやおや~? 雫野の奥義をもう使ってしまいますか~?」
面白がるような声をあげる男治。
海鵺は後肢のヒレやウミヘビや海藻を振り回し、次から次へと黒髑髏の群れを薙ぎ払っていくが、群がる黒髑髏の勢いに押し切られ、瞬く間に体中に黒髑髏が張り付いた状態になる。
「再生の時間を与えてくれるのですか。貴方が今のうちに僕を攻撃しないとは」
寝転がったままの累が、男治に声をかける。
「イメージ体を作って操るわけではなく、妖そのものを呼んでいる今であれば、それは可能でしょうね~。でも今は私の傑作達を暴れさせたい気分なので~。えっへっへっへっ」
笑う男治を見やりつつ、累はある物の存在を思い浮かべた。
体中を黒髑髏に突き刺され、毟り取られ、海鵺はゆっくりと倒れる。
黒髑髏が消える。後にはぼろぼろになった海鵺の亡骸が残っていた。
そのままにしておくとUMAの死体発見などと騒がれ、色々と面倒なので、男治は海鵺の死体を消した。
「えっへっへっ、まだまだとっておきはありますよ~」
「あれが見たいですね。貴方の最高傑作。知名度もトップクラスのあの妖を」
次の妖怪を呼び出そうとする男治に、累が微笑みながら声をかけた。
累とは対照的に、男治の笑みが消える。その反応を見て、累は気を良くする。
「どうしました? 見せたくないのですか? 制御しきれませんか? 鵺の亜種を作ったくらいですし、あれも貴方が作って管理を……」
「たは~……それ、挑発のつもりですかね~? あれは私がオリジナルを作ったわけではなく、伝承にあるものを模倣してみただけですよ~」
「しかしその模倣品が顕在化し、一個の妖として確立しているのでしょう? コピーがオリジナルを越え、貴方の作った方が今や本物と呼べるのでは?」
「そうですね。今や瑞獣とされるまで昇華された存在ですし、私の管理下はとっくに離れて独立していますよ。今もきっとどこかで生きていると思われますが、どこで何をしているかは知りませんね~」
累の言葉を遮り、男治が語る。
「つまり無理だと?」
「いいえ……プロトタイプのイメージ体であれば、呼び出すことが出来ますよ~。せっかくですし、リクエストにお応えして、見せてあげましょう~。殺生石バージョン3.7564。ダウングレード開始」
男治が珍しく真剣な面持ちになって、かつてないほどの膨大な量の妖気を迸らせながら、呪文の詠唱を始める。
男治の前に、しめ縄が巻かれた、威厳に満ちた黒い岩が出現する。
「殺生石バージョン1.11。さらにダウングレード」
男治が呟くと、妖気がさらに強く濃く大きくなった。男治だけではなく、黒い岩からも強烈な妖気が放たれている。
累は武者震いを起こしながら笑い、立ち上がる。再生が終わった。
「殺生石バージョン0。さらにもう一回ダウングレード」
さらに妖気が増し、黒い岩が割れた。
割れた岩の中から、光る獣が現れた。巨大な狐だ。狐の臀部からは、九つの尾が大きく扇状に広がっていた。




