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(強烈な鬼の泣き声だった)
凡美の叫び声と共に、勇気は鬼の泣き声を聞き、突き刺すような悲しみが胸を襲った。
「カシム……やられちまったのか……。馬鹿野郎が」
ジュデッカが未だ燃えているカシムの亡骸を一瞥し、渋い顔になって吐き捨てる。
一方で二人のデビルも、凡美に視線を向けている。
「わかってるよ。凡美。でも悪いけどそれは僕の役目じゃない。純子が世界を焼き尽くしてくれる。そのために僕はここで遊んでいる」
血だまりの中で果てる凡美を見て、デビルは微笑む。
「ほえ~、焼き尽くして欲しいんですかあ。世界がそんなに嫌いなんですか? 私はこの世界、愉快痛快でとっても面白いと思いますけどね~。毎日楽しく生きていますから、世界を呪う人の気持ちはわかりませんね~。たは~」
凡美の断末魔の叫びを聞いて、男治が小馬鹿にしたように半笑いになる。
轟音が響く。勇気の大鬼が巨大ミズカマキリの鎌に足を払われ、転倒したのだ。
大鬼はすぐに立ち上がり、巨大ミズカマキリの両腕の鎌を押さえる。
巨大ミズカマキリは口の管を伸ばして大鬼の頭に突き刺そうとしたが、大鬼は首を横に倒し、際どいタイミングでかわした。
「ミズオ……お前なら勝てる。お前なら誰にも負けない」
勇気の大鬼と組み合っている巨大ミズカマキリを見上げ、民主主義をリザレクションする会のメンバーの一人が、恍惚の表情を浮かべている。
「手強いな」
勇気が眉根を寄せる。巨大ミズカマキリは身体が細いうえに、意外と俊敏だ。大鬼の攻撃が当たりづらい。
デビルが二人になってから、政馬はデビルへの攻撃にシフトし、デビルと接近戦を行っているジュデッカの補佐に回った。
そこにカケラが到着する。デビルの一人に向かって拳を振るう。
デビルはカケラの攻撃を避けたが、拳から煌めく石がシャワーにように大量に放出され、デビルの全身に降り注いだ。
石は全てデビルの体を突き抜けた。開いた穴はすぐに塞ぐ。流動化させられるデビルの体に、単純物理攻撃はほぼ効かない。
しかし石はデビルにダメージを与えていた。デビルの意思を突き抜けて落下した石全てに、デビルの肉辺や体液が付着している。それらはデビルから削り取り、デビルの体に戻さない効果があるようであった。
(僕の体に合わせて対策して、改造してきた)
なおも拳を振るうカケラを見て、デビルは目を細める。
再び石の散弾がデビルを襲い、デビルの体が少しずつ削り取られる。
デビルがカケラに向かって手をかざし、過冷却水を放った。
白ビームの直撃を受け、体が氷で覆われていくカケラ。
「ぐぬおおぉぉっ!」
カケラが憤怒の形相で咆哮をあげ、全身を覆う石を隆起させて、氷を内部から砕くが、すぐにまた氷に覆われてしまう。
唐突に氷が全て消えた。白ビームすらも消えた。
何が起こったか、カケラにはわからなかったが、デビルには理解できた。
(優か)
デビルが優の方を見ると、優と視線があった。消滅視線で過冷却水と氷塊を消したのだ。
好機と見たカケラが、三度目の石の散弾を放つ。
「明太子シールド」
巨大な明太子の盾を出して、デビルはカケラの攻撃を防ぐ。
「心地良い殺意。冷えた体に熱いシャワーを浴びているようだ」
デビルが涼やかな声で、カケラに語り掛ける。
「そんなに僕が憎い? 嬉しいな。悪魔冥利に尽きると受け取ればいい?」
「死ね!」
デビルの言葉を挑発として受け取り、カケラは激昂して跳躍した。飛び上がり、盾の隙間からデビルに石を浴びせるつもりだった。
「ハシビロ魔眼」
跳躍したカケラに視線を合わせたデビルの目が光る。カケラの体が空中で固まる。
うつ伏せに落下するカケラ。デビルはかがみ、カケラの背中に手刀を突き入れる。
「糞っ……」
硬直が解けたカケラが体を翻し、デビルを振り払う。
デビルはカケラと少し距離を置く。
カケラは背中から血を流しながら立ち上がる。すぐに傷口は塞がった。史愉によって再生能力も付与されていた。
「うっ……」
カケラが顔色を変えて呻いた。猛烈な気持ち悪さがカケラを襲った。呼吸が困難になった。いや、呼吸するたびに凄まじい苦痛が生じる。
デビルはカケラの背中を貫いた際、自分の細胞の一部を肺の中に埋め込んでおいた。そしてデビルの細胞は、猛毒のガスを発生させる能力を、カケラの体内から発動させていた。
この毒ガス能力は、かつて来夢達プルトニウム・ダンディーが戦った、『踊れバクテリア』という組織の木田という男の能力であるが、デビルは知らない。
「ぐぇぇ……ええええ……ええぇええっ!」
再生能力が機能する一方で、体内から猛毒を生成され続けるという地獄に、カケラは倒れてえずきながらのたうち回る。
「消してあげたら?」
デビルがカケラを指し、優を見て微笑みかける。
直後、カケラを指すデビルの右手が消し飛んだ。優が消滅視線を用いたのだ。
デビルの右手はすぐに元通りに復元するが、これはいくら体をゾル化できるデビルとて、ダメージにも消耗にも繋がっている。斬られても刺されても打たれても平気な体だが、細胞そのものを消滅させられたとあっては、復元に力を有する。
「うぇぇ……うええぇ……うげぇ……」
血の混じった吐瀉物を吐き出しながら、充血した目を大きく見開き、痙攣しだすカケラ。
「勇気!」
ジュデッカが叫び、隙をついてカケラの体を勇気の側に転移させた。
「こっちに飛ばされても俺だって……今は……」
勇気がカケラを見下ろして、台詞を途中で止めた。苦悶に満ちた断末魔の形相で、カケラは死んでいた。
勇気の大鬼が何度も金棒を振るうが、巨大ミズカマキリはそれらの攻撃を巧みに避ける。
避けた直後、巨大ミズカマキリは攻撃直後の大鬼に鎌を振るい、あるいは口の管を伸ばし、大鬼に確実な一撃を与えてくる。大鬼は少しずつダメージが蓄積していく。
「あいつは……あんなふざけたなりだが、これまでで一番の強敵かもな。いや、難敵か?」
巨大ミズカマキリを見上げ、忌々しげに認める勇気。
デビルの側頭部と肩が消し飛び、血が飛び散る。優がさらに消滅視線で攻撃したのだ。
「随分強い。全く抵抗できない。君もさらに改造した?」
優の方を向いて問うデビルだが、優は答えない。
真っ赤に充血した目を大きく見開き、さらに消滅視線を発動させ、今度はデビルの胸から腹にかけて消えた。
(コンセントの種類によっては、私の消滅視線がパワーアップすることもわかりましたから)
コンセントは銃撃戦の前に服用される薬だ。裏通りで出回っている。飲めば集中力も反射神経も持続力も第六感も高まり、相手が引き金を引く瞬間も見切り、銃口の向きからの弾道予測も出来てしまう。
そのコンセントを、優は二錠服用していた。これは禁じ手である。一錠なら大した副作用も無いコンセントは、二錠服用すると爆発的に危険度が増す。100%廃人化するとも言われている。しかしコンセントの効果も爆発的に増すという話だ。
優はもう保身を省みない。明日の事など考えていない。デビルを殺す事にだけ、自分の命を捧げるつもりでいた。
「ぐぴゅう、相変わらず男治は多人数相手に強いっスねー」
男治がそこら中にシダ植物と粘菌を広げていき、敵を絡めとる様を見て、史愉が感心する。
デビルの駒とされた兵士の中には当然、遠隔攻撃を出来る者達もいる。それらが男治や輝明等の後衛陣を攻撃しだす。
輝明を狙って攻撃が降り注ぐが、ふくが前に立ち、力場を作ってガードする。
「ふく、俺の身は俺自身で守れるから、構うことねーよ。それより前衛の奴等のサポートか、敵の数を減らす事に力を入れてくれ」
「わかったわ」
輝明に言われ、ふくは修の方に視線を向けたが、すでに善治が修のサポートをしていたので、ふくは攻撃に集中した。
デビル相手にジュデッカは槍を振り続けていた。様々な力を持つジュデッカだが、もっぱら槍術と空間操作能力だけを駆使して戦っている。
ジュデッカが槍を繰り出すと、拡散した刺突の力が、デビルの体を穴だらけにするが、すぐに元に戻る。大した消耗も無い。しかしデビル一人の動きをジュデッカに引き付けることは出来る。
実の所、デビルの疲弊とデビルの駒の消耗を狙って、ジュデッカはだらだらと戦っていた。ジュデッカもデビルを仕留める決め手が見つからないので、こうしている。
「粘るね。でもしつこい」
「へへん、こちとらこう見えて長生きしてるんでねー。歳をとると、くどい性格になっちまうもんさー」
デビルの言葉を聞いて、ジュデッカが嗤う。
「優、あまり無理しない方がいいよっ」
政馬が優を見て声をかける。優の双眸の周囲には血管が浮き出て、真っ赤になった目からは血が流れ始めていた。
『復讐なんて馬鹿のすることだ』
優が雪岡研究所に戦闘訓練をしに訪れた際、真が皆の前で何度も口にしていた口癖が、脳裏をよぎる。
「もう……馬鹿でいいんですよう。馬鹿になりきって、全部使いきって、復讐して、皆の所に行ければそれでいいんですよう……」
呟く優の目から零れ落ちる血の中に、涙が混じる。
フルパワーで消滅視線を使い、デビルの体のあちこちが次々と消滅していく。
(嗚呼……これは無理だ……)
デビルは諦めた。復元させるよりも、優の力で消滅する速度の方が早い。
デビルの体が完全に消滅する。
ついにデビルを一人仕留めたが、まだジュデッカと戦っているデビルがいる。
「皆さあん……あとは……頼み……」
疲労しきった優の台詞は、最後まで続かなかった。台詞途中で優の体の真ん中に、横一文字の切れ目が入った。
優の上半身と下半身が分断され、上半身がずり落ちて地面に倒れる。バランスを失い、下半身も倒れた。血が大量にぶちまけられ、臓物が溢れ出る。
「ゆっくりカッター」
デビルが優に向かって人差し指を指し、微笑みながら呟いた。殺人倶楽部のメンバーが一人、橋野冴子の能力だ。
「三体目かよ……」
善治が唸る。少し離れた場所に、新たなデビルが出現していた。これでデビルはまた二体に戻った格好だ。
今のデビルは合計で三体までの分裂が限界だ。分裂そのものが、以前のように容易には出来ない。予め時間と体力を消耗して、分裂しておく必要がある。純子の改造によって、そうなってしまった。
「君の仲間の能力を使って殺してあげた。嬉しい?」
優の亡骸に向かって、新たに現れたデビルが話しかける。
「優が……」
その光景を見て、政馬が愕然とする。一応スノーフレーク・ソサエティーの同胞という事で、気にはかけていたし、目の前で無残に殺された様を見て、少なからずショックを受けていた。
「優、君とは色々あったし、君は殺したくなかった。でも殺すなら僕の手で殺してあげたかったし、これで良かった」
優の亡骸に投げかけたデビルの言葉は、全て本心だった。




