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記者会見を終えた硝子山悶仁郎は、転烙幻獣パークに息抜きに訪れた。
「あ、市長さんだー。やっほ」
白禍ホツミが、悶仁郎に弾んだ声をかける。
「其処許は転烙市に残るそうだな」
「うん。純子ちゃんとも相談してさ、幻獣パークに勤務する事に決めたんだよ」
グラス・デューから連れてきた四足獣のティノを抱いたホツミが、笑顔で答えた。
「私も実験で作られた命。この子達も実験で作られた命だから、相性いいのかなあ。あははは」
「ふむ。作られた命は誰しも同じよ。腹の中から生まれた拙者と、そうではない生まれの其処許、如何に差違があると申すのか」
自虐とも取れるホツミの発言に、悶仁郎は真顔で語る。
「拙者は祭りが終わったら市長は退くつもりでおったが……気が変わったわ」
「え? そうだったんだー。でも変わったんだ?」
「うむ。どうもこの都に愛着が出来てしまったようでの。もう少しばかし続けてみようかと思うてな」
照れくさそうに微笑み、悶仁郎はホツミに抱かれたティノを指で撫でる。
「そっかー。何かあったら私も力を貸すよー。その時は遠慮無く声かけてね」
悶仁郎に向かって愛想良く微笑むホツミ。
「よしなに――と言いたいところじゃが、其処許の力を借りたい時は、都が争乱に陥った時であろう。純子達は河岸を変えたし、当分は平和じゃろ」
指にじゃれついて甘噛みをしてくるティノを弄びながら、悶仁郎が言ったその時だった。
「がおー」
二人のすぐ近くに、一頭の虎が出現していた。
「え? いつから虎が放し飼い……ていうか、幻獣じゃなくて虎?」
「何じゃこの虎……全く気配無しに現れよって」
虎を見て訝るホツミと悶仁郎。
「ぐるる……」
心細いかのように唸る虎。
「ふーむ……置いてけぼりを食らったとな?」
悶仁郎が言い、虎の頭を撫でる。
「虎さんの言葉わかるの?」
「いや、こやつの心が流れ込んできた」
「あ、私にもわかった」
ホツミが虎の喉を撫でると、悶仁郎の言う通り、虎の気持ちを読み取ることが出来た。
***
民主主義をリザレクションさせる会は、街頭演説を行っていた。
政治家や候補者や活動家の演説など珍しいものではない。大抵の通行人は目もくれないか、一瞥して過ぎ去る。しかし彼等の演説は目を引いた。あまりにも異様だった。
彼等は揃って幽鬼のような顔つきで街中で演説していた。皆同じ顔つき。同じポーズ。皆魂が抜けたような顔だった。目は虚ろで、口は半開き、前かがみで両腕をだらんと垂らしている。
『葛鬼勇気政権……打倒。民主主義を……奪還……。リザレ……クション……』
スピーカーは使っているが、ぼそぼそとした喋りかつ断片的で、非常に聞き取りづらい。
「何あれ……? ヤクでもやってるの?」
「まるでアンデッドの群れだ」
「覇気の無い演説って怖くね?」
通行人達がひそひそと囁く。
やがて彼等は演説を辞めた。
「今から……葛鬼勇気を排除しに行く……」
リーダーが告げると、全員無言で頷く。
「待て。あの方から連絡だ……」
一人が制止した。
「葛鬼勇気の実母と実父の住所……だそうだ。あの邪悪な独裁者を産んだ母親……許すまじ」
「離婚しているのか……。両方……成敗……するか?」
「無論である……。天誅である……」
「首を切り落として……塩漬けにして……葛鬼勇気に……送りつけてやれ」
「否……切り落とした首を……葛鬼勇気の元に……持参するぞ……。直接見せて……その時の独裁者の顔を……拝むとしよう……」
「その時の顔を……撮影して……全世界に配信せん……。独裁者が相手ならば……それくらいやっても……当然許される……。皆……喜ぶ。民主主義……万歳」
「うむ……これこそ正義の裁き也……」
覇気の無い声でぼそぼそと話し合うと、彼等はよたよたとした足取りで移動を開始した。
***
ジュデッカが二度くしゃみをする。
「誰か悪い噂をしてるかな? 俺のことさっさと死ねとかよ」
そんな独り言を呟いて微笑む。
(一番そう思っているのは、俺自身だけどな。政馬のおかげで何とか生きているけど)
自虐的な気分になり、大きく息を吐く。
ジュデッカは生きる事に疲れている。散々悪事を働き、悪事を楽しんできたが、それも飽きたし疲れた。今や虚しさしか無い。
(デビルって奴も俺と似たようなもんなのかねえ? 俺みたいに、疲れて楽しくなくなるまで悪いことしまくるのか、それとも楽しい時間の最中に死ぬか。後者の方がいいよなあ。それなのに俺は未練たらしく生に執着して、生き永らえちまっている)
そんなことを考えながら、ジュデッカは室内を見やる。今彼がいるのは、スノーフレーク・ソサエティー本部ビルの、レクリエーションルームの一つだ。
ジュデッカ以外にいるのは二人だけだった。一人はカシムで、もう一人はミサゴという名の人外だ。1on1のバスケをして戯れている。体格でカシムが圧倒しているが、ミサゴが俊敏な動きで果敢に崩しにかかっている。
「お、ジュデッカもやりたいのか? おわっ!?」
カシムがジュデッカの視線に気付き、余所見をして声をかけた所で、ミサゴにボールを取られていた。
「やらねーよ。球技は性に合わねー」
「はん、仲間に入りたさそうに見ていやがったくせによー」
「やりたいのであるか? 然らば交代せん」
ジュデッカの答えを聞いて、カシムがからかい、ミサゴが真面目に申し出る。
「いや、そういうんじゃねーよ。楽しめるってことが羨ましかっただけだ」
寂しげな笑みを浮かべてジュデッカが言う。
「はあ? 何意味わかんねーこと言ってるんだ」
「俺は見たもんが何もかんも、セピアのフィルターがかかっているみたいに見えるし、何やっても心に霞がかかっているみてーで、素直に楽しめないからなあ。長生きしすぎた弊害か。あるいはこれが罰なのかねえ……」
「罰とな?」
「俺は人類史上でもトップクラスの悪人なんだよ。こう見えてもさ」
訝るミサゴに、ジュデッカは微笑をたたえたまま言った。
「ワリーコの僕よりも悪也か。そのようには見えぬが」
「あまりにも悪いことしすぎると、こうなっちゃうんだよ。正義の味方に裁かれて殺される悪党が、羨ましいとさえ感じちまうほどさ。ま、言葉で伝えるのは難しいな」
ジュデッカが喋っている途中に、緊急警報が鳴り響く。
『本部に襲撃がありました。戦闘員はビル一階のエントランスに急行してください』
「お呼びがかかってるぜ。先行くわ」
カシムが床に沈んでいく。
「こころの占い通りか」
ジュデッカが立ち上がる。
「義により助太刀」
ミサゴが短く告げ、バスケットボールを投げて籠の中へと入れる。
「悪い子なのに義により助太刀しちゃうのかよ」
「イーコの掟を破るに劣る悪事はせぬ」
からかうジュデッカに、ミサゴは真面目に答える。
エントランスではすでに戦闘が始まっていた。敵は三人いる。
「おいおい……」
ジュデッカが苦笑いを浮かべる。戦っているのは、噂のデビルだ。残りの二人の敵は、戦わずに様子を見ているだけだ。しかしそれははっきりと敵だと言い切れる。
「また君か」
花嫁衣装に獣の仮面姿のカシムを見て、デビルは微笑む。ぽっくり市でも転烙市でも交戦している。
「お前、そんな顔だったのか。つーか今までの黒いのは何だったって話だよ」
カシムは楽しそうな笑顔でデビルに向かって話しかけながら、シャムシールと鈎爪を振るう。
「似たような台詞、前にも聞いた」
デビルはカシムの攻撃を避けるだけではなく、スノーフレーク・ソサエティーの他の戦闘員達からの遠距離攻撃も避けねばならず、防戦一方に回っていた。
デビルがカシムに反撃しかけても、カシムはすぐに透過を行って防いでしまう。しかし透過する時に、カシムの攻撃の手も一瞬止まる。
「あれはよ、表情のことを言ったんだよ。今は顔そのものだっての」
カシムはデビルの台詞の意味がわかっていた。以前自分が口にした台詞も覚えていた。数日前の話だ。
遅れて現れたジュデッカの注意は、デビルとカシムの戦闘よりも、別の方へと向けられていた。
「あ、ジュデッカ君、ミサゴ君、やっほ」
純子が屈託の無い笑みを広げ、ジュデッカとミサゴに向かって軽く手を振る。純子の横には累もいて、こちらも微笑をたたえて手を振っている。
「あの二人まで来るとはね……。驚いた。しかし……」
スノーフレーク・ソサエティーの本部に攻めてくるからには、納得の人選だと、ジュデッカは思う。最強の少数精鋭の布陣とも言える。
ミサゴが弾かれたように猛スピードでデビルめがけて駆けていく。
「シルヴィアはこんな時に限っていないのかよ」
ぼやきながら、ジュデッカは槍をアポートした。




