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(訊きたかったことがある。君は何故マッドサイエンティストを続けるのだ?)
ラボに一人でいる純子に、守護霊である若き姿のコルネリス・ヴァンダムが話しかける。
「えー? よりによってヴァンダムさんがそれ訊く? マッドサイエンティストを世界中に生み出したのは、過度な環境保護を掲げて、科学文明の発展は悪だなんていう風潮を作った、ヴァンダムさんだっていうのに」
(しかしもういいだろう。私の時代は終わった。君ほどの力の持ち主であれば、もうマッドサイエンティストなどせずとも、どこかの研究機関なり企業で働けばよいと思うがね)
からかうような口振りで返す純子に、ヴァンダムは真顔で意見する。
「周囲の顔色伺って足並みそろえる――自分の思考を放棄して、迎合して合わせる。これ、最悪だよね。絶対やっちゃいけないことだよ。思考放棄して周囲に合わせるわけだから、例えそれが間違っていることでも、あるいは破滅の片道キップでも、赤信号皆で渡れば怖くないの精神で、突き進んじゃう。ヴァンダムさんが世の風潮を変えた時、世界中でそれが起こったんだよ」
口元に微笑をたたえたまま語る純子だが、目は笑っていない。それどころか、敵意にも似た輝きが宿っていた。
(おや、未だに私を恨んでいるのかね?)
「そうかもねえ。あれは千年生きている私の人生の中でも、かーなりー悪いことだったよ。人間は進歩するだけではなく、退歩もしてしまう。万物の霊長気取りなのに、ある日突然、昆虫より頭が悪くなってしまう。ハーメルンの笛吹きについていってしまう。集団自殺するレミングになってしまう。あの時は正にそれだったよ。レミングの集団自殺の伝承は、誤りだけどね」
確かにそれは言えていると、ヴァンダムも同意する。そもそもヴァンダムも金を稼ぐため、
名声を高めるために多くの人間を煽動してきた立場だ。純子と同じ意識が無いはずがない。
「確かに私はマッドサイエンティストだよ。でもさあ、本当に狂っているのはどっちなんだろう? 私はさ、周りに合わせて容易く自分を捨ててしまう人達の方こそ、狂っているとしか思えないんだよねえ。真君ともこの話はしたけどさあ。だから私はあっちに行きたくない。このままマッドサイエンティストでいいよ」
(しかし君のパートナーは、君がマッドサイエンティストである事を是としない)
ヴァンダムに指摘され、純子は一瞬目を細める。
「そうだねえ。私は例え真君に拒絶されても、マッドサイエンティスト辞める気は無いけど、真君はさ、これまで全部思い通りにしてきちゃった子だし、その力があるから、正直どうなるかわかんないよ」
(徹底的にエゴを通すという点では、君達は同じだな)
そんなカップルではすぐに破綻しそうだとヴァンダムは思ったが、純子と真の場合は、破綻することなく、互いを強く想い続けているという事実も認識していた。
***
陽菜とエカチェリーナも今は安楽市にいる。オキアミの反逆のサイキック・オフェンダー等と共に、安楽市民球場の近くのホテルで待機している。
「ほーれ、今夜の夕食を持ってきたよ~。生きているうちに可愛がっておくれ。ウヒェ~ヒェヒェヒェ」
二人の元に、日葵がアコーディオンを弾きながら現れる。日葵の後ろから二羽の鴨が飛び出し、陽菜とエカチェリーナの元に着地する。
「日葵さんの御飯は美味しいけど、わざわざ事前に食材を見せに来なくていいから……」
陽菜が鴨の頭を指先で軽く撫でながら言う。鴨は人によく馴れているようで、全く嫌がるそぶりを見せない。
「ヘヒヘヒヘヒ、わかってないねえ。食う前に見せるからこそ、食う前に可愛がらせるからこそ、味が引きたつってもんだよ」
「ほんま最悪ヤなこのババア……」
膝の上に鴨を乗せたエカチェリーナが、日葵の台詞を聞いて憮然とする。
「真が球場の奥まで潜入したって聞いたけど、それって警備の目を盗んで簡単に突破できちゃうものなのかな?」
鴨と戯れながら、陽菜が疑問を口にする。
「簡単にかどうかはわかラへんけど、それだけの力があるのは確かやな」
陽菜の言葉をいささかピント外れと感じつつ、エカチェリーナがわかりきった事実を答えた。
「ミサイル何発も撃ち込まれた時はひやっとしたけど、あっさりと撃墜した事に、別の意味で寒気がした。純子は本当に世界を敵に回して戦っているし、戦うことが出来るのね」
「うちらもその純子についとんのやで、今更ビビんなや」
「軍隊投入とかもされるんじゃないかってヒヤヒヤよ。いくらサイキック・オフェンダーの集まりでもさ……」
エカチェリーナが力強い声で笑いかけるが、陽菜はの不安は拭えない。
「ヒッヒッヒッヒ、軍隊の類は投入出来ない事情だか理由だかがあるって噂だよ。何かしら、抑えられる力があるんだろうね」
と、日葵。
「真は勝てるのかな?」
「敵やロ。何でそっち目線なん」
陽菜の言葉を聞いて苦笑いするエカチェリーナ。
「判官贔屓? どうしても真の方を応援したくなる気持ちあるし」
「肩入れもしてもーたしな。セやけどもうやめとキ」
「うん……」
エカチェリーナに少し強い語気で釘を刺され、陽菜は躊躇いがちに頷いた。
***
みどりは根人に接触するために、精神分裂体を作れるだけ作って、精神世界に潜っている。しかし本体の意識までもが現実世界に無いわけではない。会話程度は出来る。
「とはいっても、こっちに集中しているから、出来るだけ放っておいてほしいんだよね~。何かあった時とか、どうしても力借りたい時とかだけにしてよォ~」
「わかった」
みどりに言われ、みどりのいる部屋に様子を見に来た真は、すぐに退室しようとする。
「いやいや、今はいいよォ~。丁度休憩中だったしさァ」
みどりが笑顔で真を呼び止める。
「真兄、純姉は計画を阻止したとしても、諦めることは無いって言ってたよね?」
みどりが笑みを消し、神妙な顔になって話しかけた。
「本気で止めたいなら殺せとか、そんなこと言ってたな」
他人事のように言う真。
そして純子は言っていた。真が自分を止め続けるのはいいとして、その度に他の誰かを巻き込んで協力させるのかとも。みどりもそれを意識しているし、指摘もした。
「ヘーイ、真兄、いい落し所、考えてあるの? マッドサイエンティストとそう何度も何度も遊んではいられないんだよ? どうするつもりなん?」
今、みどりは改めて、その事に言及した。
「僕の心を覗けばわかるだろ?」
「ふぇ~……覗くの怖いんだよね。もし何も考えてなくて、あくまで今回の純姉の企みを止めることだけ意識していて、その後のことは考えていないってんなら……正直――まあ、今回だけは付き合うとしても……」
「大丈夫だ」
不安げに話すみどりに、真はきっぱりと告げた。
「僕は言ったはずだ。マッドサイエンティストをやめさせるのが目的だと。今回の騒動を収束させるだけじゃない。あいつの世界改変を止めるのはそのついでだ」
「で、どうするん? ていうか、そっちをついでと言うのもどうなんよー。真兄、それはあたし以外の前で絶対言うなよォ~。今は真兄がついでとぬかすそれを食い止めようと、皆文字通り必死なんだからさァ」
「小細工はしない。僕の全てをぶつけて、あいつの心をきっちり、ぽっきりと折るよ。僕は雪岡の心を変えられると信じている。みどりにそれが信じられないというなら、仕方ないな」
「ふわぁ~……具体策は無し……。相変わらずだねえ、真兄は」
真の答えを聞いて呆れる一方で、みどりは真にそれが出来ないとも思っていなかった。それどころか、真ならそれをやり遂げてしまうのではないかとも思う。
「最悪でも……悪魔の偽証罪だけは絶対に使わせないようにしないといけない」
決然と言い放つ真。いつものポーカーフェイスではない。覚悟の現れが表情に見てとれた。
「世界を書き換える究極運命操作術で、ダメ押しをする気だ。今回は規模が大きすぎるから、代償もどれほど大きくなるかわからない。そしてその代償が雪岡や僕達にも深刻な影響を及ぼす可能性がある」
「ふわあぁ~、真兄、結構考えていたんだね~。安心したよぉ」
「お前は僕と心がリンクしているのに、僕のこと信じてないんだな……」
感心して歯を見せて笑うみどりに、真は憮然とした顔を心の中に思い浮かべる。
「言ったろォ? 全部覗いているわけじゃないんだぜィ。それに心の中だけの会話じゃ味気無いし、声に出して本音を語ってもらった方が、あたしの心にも響くことはあるかさァ」
「そうか」
みどりが他人の心を覗く力を使うことを好まないことを思い出しつつ、真は納得した。
***
グリムペニス日本支部ビル。
史愉は、真と勇気達から送られてきた砲台――ガオケレナ解析データを、さらに詳細に解析する作業行っていた。
史愉も新居同様、ガオケレナの根人に接触したという話を聞かされていない。
「音木さん、大変です。朱堂さんから連絡があり、PO対策機構に所属する組織が次々と襲撃されたとのことです」
宮国とシュシュが史愉のラボを訪れ、報告した。
「殺人倶楽部が半壊し、政府お抱えの術師の流派も二つ襲撃されて、全滅したそうでしゅ」
「ぐぴゅう……あの殺人倶楽部がか?」
シュシュの報告には、流石の史愉も驚いた。殺人倶楽部はPO対策機構の中ではかなり強い組織だ。これまでの働きも目覚ましい。
「しかも襲撃者は一人。この少年でしゅ」
シュシュがホログラフィー・ディスプレイを開き、映像を見せる。
史愉が眼鏡に手をかけ、大きく目見開く。史愉はその少年を知っていた。以前、真から送られた映像で見たことがあり、何者であるかも聞かれていた。
「こいつは……新バージョンのデビルだぞ」
「デビル? 勇気君を散々狙ったという?」
史愉の言葉を聞き、宮国が訝る。宮国も転烙市で起こった出来事は大体聞いていた。
『襲撃者警報発令。襲撃者警報発令。非戦闘員は速やかに避難を。戦闘員はエントランスに集結』
その時、スピーカーから襲撃の警報が流される。
「まさか……」
宮国がホログラフィー・ディスプレイで投影すると、シュシュが開いたディスプレイに映っていた少年が、エントランスの監視カメラにも映し出されていた。




