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ホテルの一室で、政馬は一人でぼーっとしていた。
以前、まだ純子がスノーフレーク・ソサエティーに居た時、彼女が口にした言葉を思い出す。
『考えてもみなよー。一切の悪を排除し、平和で、完璧な調和がとれた、きれいきれいな理想郷なんて実現したとしてさあ、それって面白いものだと思う~? 世界は――人間てのは善も悪も内包しているものだし、多種多様な価値観が渦巻いている方が自然だと思うんだよねえ。もっと言うなら、不完全なまま混沌としている状態の方がいいよ。矛盾するかもしれないけれど、いつまでも不完全なまま、それでも進歩していく姿こそが人間のあるべき形だと私は思うんだー』
純子がスノーフレーク・ソサエティーを裏切り、あれから半年以上が過ぎて、その間に色々とあって、政馬の考えにも変化してきた。そして勇気との約束もあり、組織の方針も変化させた。
(あの頃は純子の言葉に反発を覚えていたけど、今は少しわかってしまう)
自分が理想ばかり追いすぎて、憎しみにとらわれ過ぎて、暴走していた事も今は自覚している政馬である。あのまま暴走するのは無理があったともわかっている。
部屋の扉がノックされた。ノックの音の響き具合だけで、政馬はそれが誰なのかわかってしまう。小さい叩き方。そして扉の下の方を叩いている。
「どーぞー、アリスイ、ツツジ。オープン」
相手の名を呼びつつ、音声操作でドアを開ける政馬。
「おひさですよー、政馬。元気にしてましたかー?」
「こっちは色々と大変なことになっているけど大丈夫?」
アリスイは片手を上げて笑顔で弾んだ声をかけ、ツツジは憂い顔で案じる。
「出会って一秒で心配とか、もうツツジはさー。僕のこと何歳だと思ってるの? 僕はスノーフレーク・ソサエティーの元リーダーだよ。まあ実質今でもリーダーみたいなものだけど」
「いつまでも危なっかしいのが政馬だからね」
肩をすくめる政馬に、ツツジが溜息をつきながら微笑む。
「そうそう、オイラ達ここに来る前に、お祭り会場で純子さんと会ったんですよー」
「デビルと呼ばれている子と一緒にいたわ」
アリスイとツツジの報告を聞き、政馬は真顔になる。
(話には聞いていたけど、デビルは純子と結託していたんだ。そうなるとデビルが犬飼を殺したという話も本当だったのかな。デビルを褒めてあげたいね)
犬飼と同じ陣営にいることは不快極まりなく思っていた政馬であるが、昨夜に犬飼が殺されたという話を聞いて、すかっとした気分になっていた。
(でもデビル、いい加減しつこいし、くどいよ。君がしぶといのはわかったけどさ。いつまでも君を舞台に上げておくわけにもいかない。そろそろ退場させないとね)
勇気を執拗に狙っている事からも、生かしておくわけにはいかない。政馬の腹の虫の収まりもつかない。
(次は確実に仕留めよう。幸いにも僕の能力はデビルに非常に有効だ。いわば僕はデビルの天敵)
政馬のヤマ・アプリは、罪業を力に変換できる。デビルの果てしない罪業をそのまま力に変えてデビルにぶつけられる。
「あれは政馬が悪いことを考えている顔ですよっ」
「そうね」
デビルへの殺意を滾らす政馬を見て、アリスイとツツジが囁き合った。
***
転烙市某所。新居、李磊、シャルル、ミルク、バイパー、義久、澤村が、それぞれ微妙な表情で、顔を突き合わせている。
「最悪の結果を招きましたね。信頼を失い、大義を失い、失わなくていい命も失いました」
「人質取るようなやり方をする連中には、もう付き合っていられないよ」
澤村は不機嫌顔かつ厳しい口調で現状を語り、義久も新居に対して不快感を露わにする。
「成功してもその文句は口にしたかって話だな。まあいいさ。やる気ねーんならとっとと帰れよ。俺は勝つための最良の手を取り続けるだけだ」
意地悪い口調で吐き捨てる新居に、澤村と義久はさらに険悪な表情になった。
『勝てば官軍、負ければ賊軍。賊の采配を振るって、賊軍になってりゃ世話ないですよっと』
ミルクが皮肉たっぷりに言う。もちろんバスケットの中にいる。
「今後どうするかが重要だろ。犬飼も殺されちまったし、昨日今日とろくなことがねーぞ」
しかめっ面でバイパーが言った。
「祭りの様子を見るに、今の所はただの祭りだな」
と、李磊。
「つーか、この祭りがどんな風に、新たな世界改革に繋がるか、何もわからねー」
バイパーの言葉は、他の面々も同じ思いだった。ただ一人、そうではない者もいた。
『祭りで欲望の力と生命力を吸い取ると言ってただろ。祭りはそのために利用する。そいつをアルラウネにぶちこんで、世界中にアルラウネを拡散。それだけのことだ』
ミルクのその発言に、全員しばらく沈黙する。推測の域であったが、ミルクはこの推測が概ね正しいと信じていた。純子のことはよく知っている。
「真は内通者がいると言っていたけどさ、そっちからの情報もさっぱりみたいだねー」
「市庁舎内にこっちの精鋭三人が忍び込んでいるが、そいつらが何か掴むことを期待したいな」
「グリムペニスのあの三人組か」
シャルル、新居、バイパーがそれぞれ発言する。
「勇気君は何をしているのです?」
澤村が尋ねる。
「堂々とぶらついてる。交戦もしたそうだ」
『相変わらず困った奴だ』
新居の報告を聞いて、やれやれといった感じの声を発するミルク。
「こちらも色々手を尽くしているが、空振りばかりだな。赤猫電波発信管理塔急襲作戦は成功したが、こちらの勝利と呼べるのはそれくらいだ」
事務的な口調で新居が述べる。
「せっかく援軍が送られたと思ったら、向こうはぽっくり市からこっち以上に大量に、サイキック・オフェンダー追加しやがったしな。頭が痛えぜ」
『貸切油田屋も支援してくれるって話なんだろう?』
「あてには出来ない」
ミルクの確認に、新居はかぶりを振った。
「そもそも援軍の数が少なかったと思うのですが、何かあったのでしょうか?」
澤村が疑問を口にする。
「さーね……何でだろうね」
とぼけた口調で新居は鼻を鳴らす。新居はその理由を知っていたが、話す気は無かった。
「で、これからどーするのー?」
誰もが聞きたかったことを、シャルルが尋ねる。
「今は相手の出方を待つしかないな。もどかしいが、この状況でこちらから攻めようがねーよ」
市庁舎内に潜入している三名の動き次第では、攻勢に出られるかもしれないと新居は思ったが、それも希望的観測に過ぎないので、口には出さなかった。
***
真、熱次郎、伽耶、麻耶、ツグミの五人は、繁華街から少し外れた場所にあるオープンカフェでくつろいでいた。
「コーヒー飲み過ぎじゃないか?」
コーヒーのおかわりを注文する真に、熱次郎が声をかける。
「まだ四杯目だ。次で五杯だけど」
「もう、だろ」
「一日の許容範囲が大体コーヒー四杯って聞いたぞ」
「確かにそんくらいだけど、短期間で飲んでるのは。まあその辺でやめとけよ。カフェインの取りすぎはよくない。俺も昔、カフェイン中毒だった時期があった」
「わかったよ。でも注文してしまったから、あと一杯」
熱次郎の注意を聞き入れる真。
コーヒーが来る前に、真は電話をかける。
「そっちはどうだ?」
『市庁舎内を探っておるが、今の所これといって変わりはないの。ああ、仕掛けもしておるし、外から攻めてきた際には、内から食い破れるぞ。男治がはりきっておるよ』
電話に出たチロンが状況を伝える。
「その外から攻めるのが失敗してしまったけどな」
『じゃな……。思ったより敵の守備が厚かったうえに、デビルのあれがあったせいで……』
「敗走した原因は他にもある。色々と悪い要素が重なった。そして現状では力押しは無理だとわかった」
『じゃな……。ま、機を待つしかあるまいよ』
チロンとの電話が切れる。
「真先輩、苛ついているのかな?」
真が電話している際に、少し刺々しいオーラが垣間見えたので、ツグミが指摘した。
「僕は失敗したかもな」
「失敗?」
「援軍が思ったより来なかった」
「それって真先輩の失敗?」
真の言葉の意味が、ツグミにはわからなかった。牛村姉妹にもわからない。
「そういえばぽっくり市に派遣した時より援軍が少ないな。PO対策機構は東の保身のためか? 随分とケチっているな。いっそ軍隊でも動かせばよかったのに」
熱次郎が不満を口にする。
(保身のためにケチったんじゃない)
実は真は、援軍が少なかった理由を知っている。いや、知っているどころか――
(まさか……)
真を見て、熱次郎の脳内に、ある想像がよぎっていた。
「貸切油田屋がどの程度支援してくれるかもわからない。テオなら何とかしてくれそうなもんだけど……」
熱次郎が難しい顔で言う。
「何もかも上手くいかず、あちらの出方を待つ状況だ。しかし……向こうに先に動かしてしまったら、それではもう遅い。かといって、言いても思いつかない。せいぜい、市庁舎の中に潜り込んだチロン達に期待するしかない」
「つまり他力本願」
伽耶が息を吐く。
「その一つだけ?」
「いや……」
麻耶の問いに、真はかぶりを振る。
「他に期待できることは二つある。一つは渦畑陽菜がどれだけ協力してくれるか。もう一つは秘密だ」
『私達にも秘密?』
「純子も大概だが、真も秘密主義すぎるぞ」
伽耶と麻耶と熱次郎が不満げな顔になる。
(もう一つの期待は……内通者のあいつが良い情報を仕入れてくるかどうか。どれも不確実で見込みは薄い。蒔いた種が、果たして実を結ぶかどうか……)
真がうつむいて考えていると、気配の接近に気付いた。
「真先輩」
席に近付いてくる者の尋常ではない禍々しいオーラを感じ取り、ツグミが鋭い声で呼びかける。
真が顔を上げ、席の横に立つ少年を見た。真達はつい先程もその少年を見た。
「イメチェンしたのか」
デビルを見上げ、真が声をかける。
「……少し話がしたい」
真を真っすぐ見て、デビルが口を開いた。




