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蟻広、柚、勤一、凡美の四人は、転烙市外れの歓楽街の祭り会場を警護していた。ここにはPO対策機構は現れていない。
「小規模だけど、普通の祭りっぽいわね」
「いつの場所、いつの時代も祭りの雰囲気は変わりない。御久麗の森の祭りも好きだったよ」
祭りの様子を見て、凡美と柚が感想を述べた。小さな歓楽街故に、祭りの規模も大きいものでは無いし、人の集まりもそこそこ程度だ。
「祭りの意味がよくわからないな。怪しい噂は流れてきているけど」
勤一が柚と蟻広の方を見て伺う。転烙ガーディアンと言っても、勤一や凡美のような兵隊には全容を知らされていない。しかし蟻広と柚は、自分達よりずっと純子に近い位置にいるので、何か知っていそうだと踏んだ。
「現時点ではただの祭りだが、純子の目的を達成するための重要な催しが、そのうち行われるそうだ。祭りに参加する者から力を抽出するらしいわ」
「おいおい……」
あっさり答える柚に、蟻広が顔色を変える。
「こいつらの前でそれを言って……も別にいいか。体的には何なのか、俺達も知らないし。それにその辺のことは、PO対策機構も見抜いているからこそ、祭りの阻止に躍起なんだからな」
「怪しい噂は本当だったってことか」
蟻広の話を聞いて、勤一は言った。
欲望のエネルギーを力に変えるだの、命を吸い取られるだのといった話くらいしか、蟻広も知らない。それは区車亀三が明かした事で、PO対策機構の間でも、転烙ガーディアンの間でも、確証の無い噂として知れ渡っている。一部の硝子人にそうした力が有るという話も。
「歩き通しだし、PO対策機構も現れないみたいだし、ちょっと休みましょ」
「賛成」
凡美に促され、柚が同意し、蟻広以外の三人がベンチに座る。凡美と勤一で同じベンチに座り、柚は少し離れた隣のベンチに座った。
「座らないの?」
柚が蟻広を見て怪訝な顔になる。
「いや……その……」
嫌そうな顔で躊躇いる蟻広。
「まさか私の隣に座るのが抵抗ある? 照れてるのか?」
「違う。その質問マイナス1な。ベンチにいい思い出が無いんだよ」
にやにや笑う柚に、蟻広は言いづらそうに答える。
「ベンチで寝てたからか?」
「ん……!?」
勤一に指摘され、驚く蟻広。
「よくわかるな。まさか、お前も?」
「ああ。家出してきたばかりの頃にな」
蟻広に問われ、勤一は一瞬ニヒルな笑みを浮かべて頷いた。
「こっちも同じだ」
蟻広が息を吐き、観念したかのような顔になって、柚の隣に座った。
「あの人だかりは何?」
長蛇の列を見て、誰とはなしに尋ねる柚。
「あれは今日発売される予定だった目玉商品の販売ね。宣伝されていたの、見てなかった?」
凡美が答えた。
「ゲームの宿屋とかクローン販売とか言ってたあれだな。クローン販売は無くなったそうだが」
「完全に無くなったわけではないぞ。制限をかけただけだ」
柚が言うと、蟻広が訂正した。
「同じ人間を作って売り出すなど、私はおぞましいと思っていた。人はそこまでの技を身に着けてしまったのね」
「私もよ。同じように感じている人は多いと思う」
柚がぞっとしない顔つきで言うと、凡美も同意を示す。
凡美がホログラフィー・ディスプレイを広げる。現在の祭りの様子と、転烙ガーディアンの状況をチェックする。
「市内の各地の繁華街で騒ぎが起こっているみたい。PO対策機構が祭りの邪魔をしてきて、転落ガーディアンと戦闘にもなっているわ」
「ここも俺達がパトロール中なわけだが……全ての祭り会場を襲撃しているわけではないのか」
凡美の話を聞いて、勤一が牧歌的な祭りの様子を眺めながら言った。
(俺らしくもなく、こんなのどかな雰囲気が続いて欲しいとか、そんなこと思っちまってる)
世界を憎んでいたはずなのに、今のこの時間に限っては、その気持ちが全く湧かない勤一であった。
***
真、伽耶と麻耶、熱次郎、ツグミの五人は、転烙市外れの歓楽街を歩いていた。すぐ近くで祭りも行われている。
「真、大丈夫か?」
「大丈夫じゃないように見えるか?」
熱次郎が心配そうに声をかけると、真は暗いトーンの声で返す。
「いつもの真じゃない。はっきり落ち込んでる」「凄く大丈夫じゃなく見える」
「さっきのはショックだったね。作戦発案者の相沢先輩じゃなくても、皆ショックだよ」
麻耶、伽耶、ツグミが言った。
「一緒に手を汚したわけだからな」
ツグミの言葉に対し、熱次郎が皮肉げな声を発した。
「前提として、奴等は市民に手出しはしてこないと思い込んでいた。今や言い訳にしかならないが。日本ではそれはないと、たかをくくっていた」
傭兵時代を思い出す真。敵ゲリラが市民を人質にとる格好で市街地に潜伏しようと、新居は容赦なくミサイルを撃ち込み、市民も大量に巻き添えにしていた。真も同じことをしたというのに、今はあの時の戦場の感覚が薄れてしまった。
「転落市内でのみ閲覧可能なネット掲示板やSNS見てみたら、あっという間に拡散しているぞ。PO対策機構の評判が酷いことになってる」
熱次郎がネットを閲覧し、渋面で報告する。他の四人も足を止め、ホログラフィー・ディスプレイを投影して情報をチェックする。
「市内限定だけど拡散」「PO対策機構だけ悪者扱い」
転烙市内限定の情報サイトを見て、伽耶と麻耶も揃って顔をしかめる。
「真実だけでなく、噂に尾びれがつきまくって、あることないこと書かれまくっているね」
気落ちした顔つきでツグミ。
「人質に取ったのは僕達だけど、僕達だけを一方的に悪者扱いは納得いかないな。実際に市民を殺したのはあいつらなのにさ」
真が言う。少し平静を取り戻した。
「ここの市民は多くが、転落市の支配者側の心情なんだ。それも仕方がない。俺達の正体が割れれば、街中をのんびり歩いてもいられなくなるかもな」
熱次郎が言い、ディスプレイを消す。
「この事件で祭りの客足が止まるかと思ったら、そうでもないみたいだしね。逆に盛り上がってる。転烙ガーディアンでなくても、祭りに参加して、僕達と戦うと息巻いているよ」
市民の反応をチェックして、ツグミが言った。転烙市民の能力者率は高い。転烙ガーディアンに所属していない能力者も大量にいる。
「で、僕達は祭りの妨害しないの? そういう指示が新居さんから出ているんでしょ」
「僕は――今は積極的にやる気になれない。転烙市全体の盛り上がり方を見ると、祭りの参加者の足を止めることは出来ないと思う」
ツグミに問われ、真が答えた。
「ちょっと電話する」
真が断りを入れて、電話をかけた。
「さっきどうも」
『どうもじゃないでしょ。何てことしたのよ……』
怒りに満ちた声が返ってくる。
「僕達の仕業じゃない。そっちがやったことだ」
『あんた達が市民を盾にしたことがそもそもの元凶よ』
「あんなことになるとは思っていなかった。あいつがあそこであんな真似をするとは、そっちだって思っていなかったことだろう」
釈明しつつも言い返す真。
『あの子は何なの?』
「僕の口からではなく、雪岡に直接聞いた方がいい。雪岡に与する事になったのも、つい最近――いや、一日も経っていない」
『で……何の用?』
怒りと呆れが混じった声で、相手が尋ねる。
「僕に協力してくれると言ってたよな? 今こそ協力して欲しい」
『正直、お断りしたい気分なんだけど……』
「話だけでも聞いてほしいな」
『念押ししておくけど、内容によるからね。私は明確に純子を裏切ることはしないし』
『協力した時点で何にしても裏切りちゃウん?』
電話の向こうから別の声が響いた。
「頼みたいことは二つある。難しいことでもない」
そう前置きを置いてから、真は頼みを口にした。
『難しいことでもない? 後者は難しい気がするけど……ま、やってみる』
電話は切られた。
「今のって、ひょっとして真の言っていた内通者か?」
「違う。渦畑陽菜だ。内通者にするつもりもないし」
熱次郎の言葉を否定し、電話相手の名を出す真。
「陽菜さんと通じていたの?」
「だから内通者とは違う。以前僕に協力してくれるという話もしていたんだ」
驚くツグミに、真が答えた。
「さっきの失敗は、デビルだけのせいじゃない。あいつらオキアミの反逆が大挙して加勢にきたおかげで、差がついた」
「こっちも援軍送られているのにね」
「敵に比べてこっちの援軍少ない」
伽耶と麻耶がトホホ顔で言った。
(少なくした事には理由がある)
姉妹の言葉を聞いて、口の中で付け加える真。
その時、新居から電話がかかってきた。
『よう、しょげているんじゃねーかと思って、慰めに電話してやったぞ。感謝しろ』
「切るぞ」
『まあ聞けよ。お前のあの作戦な、何も悪くない。いい作戦だったぞ』
新居が明るい声で告げる。
『デビルが現れなければ、上手くいってた可能性大だ。あれでいいんだよ。俺達が生き残るため、勝利するために、最善の手を常に選び続けろ。どんな汚い手でいい。その二つが重要なんだ』
新居の言葉を聞き、真の心が一気に冷える。心が凍り付き、強く固まった気がして、迷いも罪悪感も消え去った。
『巻き添えにして死なせちまった連中には、心の中で謝っておけ。許してはもらえないだろうけどな。謝って自己満足でいいだろ』
しかし次に言われた言葉を聞き、また心が揺らぐ。
『これからも遠慮なく、容赦なく、勝つための合理的な手段を考えてくれ。頼むぜ』
新居の笑い声を聞いて、真は無言で電話を切った。
「真先輩、あれ」
ツグミが向かいの歩道を指して、緊張気味の声をかける。
真達がツグミの指した方を見ると、見覚えがある者達の姿があった。
「ちょっと……あれ」
真達と車道を挟んだ向かいの歩道にいた凡美も、真達の存在に気付いて指差した。
「あいつらか。ポイントマイナス2」
蟻広が忌々しげに吐き捨て、噛んでいたガムも吐き捨てた。




