四つの序章
安楽市絶好町にある和風喫茶、暗黒魔神龍庵。
「暗黒魔神龍の大焦熱地獄ステーキと、麻婆柘榴豆腐定食と、反宇宙的二元グノーシス主義サラダと、遊星からの物体汁と、時計仕掛けのカシスオレンジと、深淵から覗いてくるパフェ」
「ディマトリアと卵のそぼろ丼、ブラックマリアの聖水」
「魔界スーパーノヴァオムライスとコトリバコココアよろしく~」
シルヴィア丹下、樋口麗魅、幾夜ルキャネンコがそれぞれ注文する。
「相変わらずがっつりいくなー、細い体して」
「細くねーからな。俺には高カロリーが必要なんだ」
麗魅がからかうと、シルヴィアは得意げに笑った。
「転烙市にいっぱい送られたみたいだけど、私達はずっとお留守番なの~ん?」
幾夜が肩に伸びた赤毛を指で弄びながら尋ねる。
「その方がいいだろ。転烙市からは情報が発信できない仕掛けが施されていて、戻ってくる奴は死体だけだ。PO対策機構が追加で出した兵が、翌日には全員揃って死体になって、こっちに戻ってきたって話もあるぜ。相当な激戦模様みてーだぜ」
と、シルヴィア。
「スノーフレーク・ソサエティーの連中も転烙市にいるそうじゃねーか。あんたもスノーフレーク・ソサエティーの一員なんだろ? 行かなくていいのか?」
「俺はパートタイムだからいーの」
麗魅に問われ、シルヴィアはあっさりそう言って笑い飛ばす。
「そしてこっちにいるからって、絶対に安全とも限らないぜ。PO対策機構のオフィスを狙ってくる可能性もあるし、その時には銀嵐館が護る予定だ」
「そんな出番無くていいわ~ん」
シルヴィアと幾夜が言うと、ウェイトレスが飲み物を持ってきた。
「それに裏通りは――PO対策機構は、ある程度の援軍は送るものの、かなり数を制限している」
「何でだよ? いっそ軍隊でも送ってやりゃいいのに」
シルヴィアの言葉を聞いて、きょとんとした顔になる麗魅。
「わからねーけど、転烙市内からそういう要請があったらしい。軍隊送るのも絶対無しだと記されていたとよ」
その情報はトップシークレットだが、情報組織オーマイレイプのナンバー2であるシルヴィアは知っていたし、友人達の前で躊躇いも無く暴露してしまうのだった。
それは現在の話。
***
東洋最大の西洋魔術結社『コンプレックスデビル』の導師、シャーリー・マクニール。彼女は半年前より、グリムペニスやPO対策機構との対話を行ってきた。
コンプレックスデビルとしては、無闇に超常の能力者が増えている現在の世の中を、忌々しく感じている。サイキック・オフェンダーに対しても、良い印象は無い。そのため消極的にではあるが、PO対策機構には協力していく意向となった。
「私の弟子が三人、PO対策機構の一員として西に向かっています。安否は不明です」
グリムペニスの最高幹部である人物を前にして、シャーリーが話す。
「そのうちの二人は、コンプレックスデビルの秘蔵っ子と言ってもいい子です」
「牛村伽耶さんと牛村麻耶さんですね」
グリムペニスの重鎮である宮国比呂は、穏やかな微笑を浮かべた。
「その秘蔵っ子を派遣しているのだから、これ以上の協力はしがたいと言いたいのですか?」
「はい、そうです。コンプレックスデビルは個人主義者の集まりですし、要望や欲求はあっても、自分では動きたくない者達ばかりです。恥ずかしい話ですが」
コンプレックスデビルはこれまで、PO対策機構にそこそこ協力してきたが、そのほとんどが、自らは血を流さぬ安全圏での協力であった。PO対策機構が西へ出向いている話は、コンプレックスデビルも聞き及んでいるが、先日一度だけ発信された転烙市の情報を聞き、今やすっかりと及び腰になっている。
「吸血鬼もそうですよ。お気になさらず」
穏やかな微笑を絶やさず、真祖の吸血鬼である宮国は言った。
「援軍が送れないという話はわかりましたが、転烙市の勢力が、逆に東に攻めてくる可能性も、現在PO対策機構は憂慮しています。その際にも動かないという場合は、コンプレックスデビルとの関係は断つしかありませんね」
「承知しました」
宮国がやんわりと告げた厳しい言葉に、シャーリーは恭しく頷いた。
(そもそも援軍は……送るつもりもありませんけどね)
宮国が心の中で付け加える。
(今こそ多数の援軍を送る時だというのに……援軍を制限しろというあの不可解な要請は一体……)
赤猫電波発信管理塔が制圧され、赤猫電波が途絶えた隙に、高田義久は転烙市内のPO対策機構からの様々な要請も送っている。その内の一つに、援軍の数を制限し、あまり送りすぎないようにという要求があった。宮国はそれに従っているが、その意図は理解できない。
これも現在の話。
***
転烙市市庁舎の一室。悶仁郎、霧崎、日葵、純子の前に、不健康そうな青白い肌の少年が佇んでいた。病的なイメージはあったが、容姿は整っている。大きく見開かれた目は、ゆっくりと動き、その場にいる面々をそれぞれ観察していた。
「その子が噂に聞いておったでびるか」
「コピーアルラウネの保有者のようだな」
悶仁郎と霧崎が少年を見て言った。
「裏通り中枢のトップ、犬飼一が死んだそうじゃのう。あたしゃファンだったんじゃが。フィッフィッフィッ」
日葵が笑う。
「そいつの名はもう出さなくていい」
少年――デビルが日葵を一瞥し、心なしか不機嫌そうな声を発した。
「お前さんが殺したのかい。じゃあ聞いておくがええ。犬飼一の小説、後半はパラレルワールドもののSFが特に多くて、パラレルワールドに取りつかれているんじゃないかって、ファンの間ではよー言われとった」
日葵が話しだすと、デビルはまるで興味が無いと言わんばかりに、日葵から視線を外した。
「あたしのいた御久麗の森にねえ、メープルDっていう変わった子がいたのさ。その子の一族は、自分達と別の軸の世界――つまりパラレルワールドや異世界の存在を信じていて、互いを行き来できる方法は無いかと、探っているらしいよ。先祖が別の世界に偶然迷い込んで、そこで別世界の自分を見たとか、そんな話があったせいだとか」
(くだらない)
視線を外したものの、デビルは日葵の話を聞いている。心の中で毒づいたが、興味が無いわけではない。
「異なる世界か。ややこしいのう。拙者は異なる星に二百年程もおったがのう」
「あの星にはまた行ってみたいものだ。前回は行きそびれてしまった」
「拙者はもう懲り懲りじゃ」
悶仁郎と霧崎が話す。
ふと、デビルは疑問を覚えた。
「別の世界の自分も同じ姿?」
ガラスに映った自分の姿を見て、デビルは問う。パラレルワールドにいる自分も、元の姿に戻ってしまったのだろうかと、そんなことを考える。
「いんや、世界による。近い世界は同じじゃが、世界によって、見た目も性格もほぼ別物らしい。それでもなお自分であるというのじゃ。何故かわかるかね?」
デビルは答えないが、日葵は話を続ける。
「世界が異なっても、魂は同一だから、だそうな。メープルDの話によるとねえ、メープルの一族は魂の在り方をずっと探っておったからこそ、それがわかったらしい。ここ以外にも世界はあって、別の世界には必ず自分と同じ魂を持つ者がおる。そして魂というものは、例え世界が変わっていようと、中身が全く変わっていても同一なんじゃと」
「中身まで変わっていて、同じ魂である意味があると申すか?」
「さあなあ。あたしにもわからんよ。フュフュフュ」
悶仁郎の問いに、日葵は笑った。
「同じ魂だというのなら、何かしら影響はあると考えた方が自然だねえ。つまり、輪廻転生――時の流れは魂の縦軸。一方で、異世界、別世界、分岐世界は魂の横軸とも解釈できるかな」
それまで黙って話を聞いていた純子が口を開く。
「興味深い話だが、時間を縦に表現するのはわかるとして、異なる世界を横と表現するのは何か違う気がするな」
と、霧崎、
「あの黒い玉は何?」
デビルが急に話題を変え、誰とはなしに尋ねた。
「ほう、其処許は存じておったか」
悶仁郎がからかうような声をあげる。
「わりと目立つ。しかも大きくなってきている。空間の歪みを感じる」
「あれは拙者がこさえているものよ」
デビルが言うと、悶仁郎は得意げに笑った。
これまた現在の話。
***
「元気だなしよォ、優姉」
喫茶店。しょぼくれている優と向かい合ったみどりが励ます。いるのは二人だけだ。
「犬飼さんはさァ、悪いこといっぱいしたし、ろくな最期にならないって、あたしはわかっていたよ~。しかもデビルと通じてて、それを裏切ったとか、そりゃーあーなるわ。自業自得だべー」
「それはわかっているんですう。でも……」
優の瞳に、一瞬だが暗い輝きが宿った。みどりはそれを見逃さなかった。
「まさかデビルに復讐とか考えてないよね?」
「考えていませえん」
みどりの問いに、優は小さくかぶりを振る。暗い輝きはすぐに消えた。
「前にデビルに殺されかけたこともありますけど、助けて貰った事もあるんですよねえ。多分、その時にはデビルは犬飼さんと繋がっていて、私と犬飼さんも親しいと知って、それで助けてくれたんだと思いますけどお。それに……犬飼さんを殺した後のあのデビルのことを思い出すと……復讐しようって言う気持ちには……。怒りや恨みはありますけど、怒りきれないし恨みきれないんですぅ」
悲しみにくれるデビルの姿を見た限り、自分以上に深い傷を負っていたように、優には感じられた。
「みどりさんはどう思っているんですかあ?」
「今言ったこともう一度言うけど、犬飼さんは殺されてもしゃーないこと沢山してるしねえ~。自業自得じゃね? ま、あんなんでも生きてて欲しかったけどさァ」
みどりが答えている最中、電話がかかってくる。
相手は純子だった。
『みどりちゃん、ちょっと頼まれて欲しいことがあるんだけど』
それも現在の話。




