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累の刀がバターウーマンの首をはねるが、すぐに復元される。致命傷を与えても、行動を数秒止めるだけだ。
「本当にこれで敵は消耗してるの~?」
ホツミは懐疑的な気分で杖を振り続け、ピンクの光線で異形達を塩の塊にしていくが、すぐに元の姿に戻ってしまう。きりがない。
「確実に消耗しているはずです……。しかしこの術自体が低コストで構築されている事を考えると、大した消耗ではないのかもしれません」
アジモフが術を駆けた時のスマートさを見ると、その性格が何となく累にはわかる。術一つが徹底的に洗練されていて、低コストで大きな効果が出せるようにしてあっても、不思議ではない。
「黒髑髏の舞踏」
累が大量の黒髑髏を出現させて、異形達の相手をさせる。黒髑髏が異形達にたかり、掻き毟り、突き刺し、抱き着き、行動の一切を阻害し続ける。
「Bホラ住人の相手はこれにさせておいて。僕達はここの脱出に力を注ぎましょう」
「最初からそうすればよかったよねー」
累に向かって微笑むホツミ。
「しかしそう簡単にはいかないでしょうね。二人がかりでも」
浮かない顔で言うと、累が空間操作の術を施す。閉鎖され、異界化されているこの空間を中から強引にこじ開け、外に出るために。
何も言われずとも、ホツミは累のやりたいことを理解して、上手く累のアシストをする。空間をねじり、こじ開け、切り裂き、圧迫し、凝縮し、反動を利用し、引っ張り、さらにまたこじ開けと、四次元的に様々な力を二人がかりで加えていく。
「うえーん……疲れる~。これしんどーい」
「いけなくもないですが……これは時間がかかります」
あっさり弱音を吐くホツミと、ダルそうな顔で言う累。
(簡単にいかないことはわかっていましたが。あのアジモフという男の性格は大体わかっていましたし)
最初に術を仕掛けられて、あっさりとこの空間に引きずり込まれた際も、そしてこの空間の中で襲ってくるBホラ異形の構造を見ても、累はアジモフという男の性格がよくわかってしまった。少なくとも術師としての性質は見抜いた。非常に繊細で、几帳面で、効率的で、抜かりが無い。術一つ構築するのに、思い入れたっぷりに丁寧に作り上げられている。
「仕方ないですね。いちかばちか、スペシャリストの救援を呼びます」
気の進まぬ顔で息を吐く累。
「もんじろーさん?」
「それは今外でアジモフと戦っているはずですし、如何に空間操作に長けた彼でも、容易にはこの中に入ってこられないでしょう。より特化した力を持つ者に、心当たりがあります」
肉体と精神体の変換を可能とし、精神世界と物質界の行き来に長け、物質の法則にも捉われないその者なら、この隔絶された空間に飛び込んでくる事も出来るはずだと、累は踏んでいる。
***
アジモフは三つのルビーを地面に投げた。
ルビーを支点にして、三角形の赤い光が地面から伸び、五人いる悶仁郎の二人が赤い光に満ちた空間に包まれる。
「細かい御仁じゃのう。其処許、今投げた赤い宝石、途中で消えたぞ。攻撃の範囲や対象を悟られんようにしよったか。徹底しておる」
赤い光の中の悶仁郎が笑う。ただ投げただけではかわされるため、投げた後にルビーが転移するように仕掛けたのだ。故に悶仁郎は、結界を構築されて中に閉じ込められるまで、全くわからなかった。
三人の悶仁郎が動く。赤い空間の中の悶仁郎二人は動けない。
アジモフはすでに自身の周囲に、複数のオパールを投げている。
悶仁郎の一人がアジモフの後方に転移し、刀で切り付けんとする。
「むっ……」
しかし悶仁郎はその動きを途中で止めた。
(今、刀を振るっていたら、同士討ちよ。実に緻密に、部分的に、空間を歪めておる。拙者の目でも気付きにくいほど。現代風に言えばぴんぽいんと)
直前で見抜いた悶仁郎。刀を振るっていたら、刃のみが空間を転移し、アジモフの前方に居る別の悶仁郎の顔を切りつける結果になっていた。
「空間操作に長けた者同士の戦いは難解だ」
アジモフが厳かな声で、ぽつりとこぼした。
「拙者から言わせて貰えば、能力よりも、其処許の性格の方が難解よ。術へのこだわり、術を仕掛ける精妙さ、只事ではないぞ。驚嘆と称賛に値するわ」
転移した後方にいる悶仁郎が言うと、前方にいる二人の悶仁郎が動いた。一人は前から真っすぐに突っ込み、もう一人は転移する。
多角的に、一斉に攻撃するかに見せかけて、時間差をつける。転移した二人目は、アジモフの上空から斬りかかった。これはある種の様子見のデコイだ。この攻撃にどう対処するか、アジモフの反応を見定めてから、残る二人で攻撃する腹積もりでいる。
上から斬りかかった悶仁郎の体が激しく歪み、ねじれ、強烈な圧力と共に左右にちぎられて吹き飛ばされた。
「かうんたーと言えばよいのかの。それも自動的に発動するたいぷと見た」
前方からアジモフめがけて突進する悶仁郎が呟く。
「されど全方位に張っているわけではない。否、それは無理があるというもの」
後方にいる悶仁郎が言い、体を激しくブレさせながら、再び後ろから斬りかかる。
アジモフの後方には、斬撃の軌道に合わせて、空間を歪めて同士討ちに導くトラップが仕掛けられている。それを承知のうえで攻撃した。
同士討ちのトラップは発動しなかった。
前方の悶仁郎は、アジモフの周囲に落ちている宝石の数々を狙って、空間を歪めながら剣を振るった。しかし――流石に空間操作術の要となっている宝石だけあって、ガードが働いた。同様の空間操作の力がオートで働き、空間の歪曲が即座に修正されて、悶仁郎の力の発動を止める。
「やはりな」
横に移動したアジモフを見て、後方から攻撃した悶仁郎がほくそ笑む。
アジモフの背中がざっくりと切りつけられている。斬撃は骨と内臓に達しており、常人では致命傷だ。しかしアジモフの傷はすぐに再生する。
「精妙さにも限度はあろう。近い空間において、同時に数ヵ所の空間操作を行うのも無理があると見た。それが本人の意思で行われる術ではなく、予め仕掛けたおーととらっぷによるものとあれば尚更。おーばーきゃぱしてぃという奴じゃろ? 現代語も外来語も疎いから間違っているかもしれんが、あっておるか?」
「全て合っている。指摘の通りだ。空間操作術の限界。ねじれが近づくと、そして多重になると、操作の難易度ははねあがる。他者の仕掛けた空間操作を強引に打ち消し、修正しようとする力を自動で行うとあれば、同時に他の自動カウンターにも力の作用を割くのは無理がある」
にやにや笑いながら悶仁郎が指摘すると、アジモフはあっさりと認めた。
「加えて、其処許のその精妙さと繊細さは、崩しやすいという欠点にも繋がるのう。建物は雑に造ると目もあてられんが、逆に策と術に完璧さを求めると、わずかなヒビが入っただけで、一気に全てが崩れかねん。純子も似たようなことをのたまっておったわい」
「その通りだな。重々承知している。しかしそれが私の性格だ。アーティストであり、エンターテイナーとしての完璧主義な性分だ」
「ふふっ、難解であり難儀な性格か」
悶仁郎が笑ったその時、空間が激しく軋む音がした。
「どうやら向こうも――」
アジモフが喋ろうとしたその時、空間の扉が開かれた。
「がおーっ」
「何じゃ、その虎は」
累とホツミが虎に乗って現れる姿を見て、悶仁郎が苦笑いと共に問いかける。
「僕が呼びました。状況の打破に最も適した存在でしたので」
累が言い、アジモフを見た。
「三人と一匹がかり――と言いたい所ですが、すでに貴方は三対一で戦っていたようなものですね。実に大した方です。しかし現在、僕達は貴方を直接攻撃も出来ますよ」
「ぐるるる」
累が刀を収めて言い放ち、逆に虎はアジモフを見据えて身をかがめて唸っていた。
「そのうえ私の力はもう残されていない。ここまでだな」
アジモフが瞑目して両手を軽く上げた。
「ふっ、潔いのう。しかし恐るべき手練れであったわ」
「凄く強かったよねー、ルイ・アシモフ監督」
降参するアジモフを見て、悶仁郎とホツミが微笑む。
「ええ。この数日、陣を張り続けていたのはアジモフですね。その分かなり力が低下していたはずです。そんな状態で僕達三人と渡り合うとは、相当な実力者ですね」
アジモフを見て、累も改めて感服し、称賛する。
(ひょっとしたらこの男、ベストコンディションであれば、僕や純子やネロより上かもしれません)
アジモフに視線を向けたまま、累はそう思うまでに至った。




