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構えるみどりを見て、デビルは自分が震えている事に気付く。
(僕、恐怖している? 死を意識して。もう死んでいるのに?)
その意味はすぐに理解した。
(直感しているんだ。この子は僕に死を与えられると)
みどりの言葉は断じて虚言ではないと察する。この場面で出てきて、勇気達はあっさりと退いて一人に任せるということは、このみどりこそが、勇気側が用意した切り札なのだろう。
(逃げた方がいい……でも、逃げられない。そうか……結界ってこれのことだ)
デビルがみどりから視線を外して、天井や壁を見た。結界が張られていることを認識した。
「気付いた~? あばばばば」
デビルの視線を見て、みどりが笑う。
「雅紀兄も中々やるよねえ。デビル、この結界は霊体の移動を妨げる。永続的には続かないけど、結界が機能している間は、その肉体を捨てて、別の肉体に霊体を移動させることはできないんだよぉ。あぶあぶあぶぶぶぶ」
(用意周到。本気の本気で僕を滅ぼすために、準備に準備を重ねたのか。ここまでやるのか……。そしてこの策を考えたのは……)
犬飼の顔が脳裏に浮かび、デビルは怒りと絶望が同時に湧きおこる。
(これが……奈落に落とされる者の痛みか……。これが……今まで僕や犬飼が与え続けてきた絶望か……)
デビルが同時にうなだれる。
『ふふふふふ……』
何故か笑いがこみ上げて、二人のデビルが同時に笑う。一人は倒れたままだ。
「僕だけでは不公平」
犬飼を意識して、ぽつりと呟くデビル。
(まずその肉体を二つとも使い物にならないようにして、霊魂を露出させてやるよォ)
みどりが呪文を唱える。
「悪因悪果大怨礼!」
黒いビームがみどりより放たれた。狙いは倒れている方のデビルだ。
倒れていたデビルは回避したつもりであったが、避けきれなかった。起き上がってその場から動こうとした所に、極太ビームを半身に食らい、再び倒れる。
その間に、無事な方のデビルが無数の枝葉を体から生やして、葉から一斉に何十条ものビームを立て続けに乱射した。
ロビー中にデビルの放ったビームが降り注ぎ、破壊の限りが尽くされる。
「さ、せ、なぁいっ!」
しかしみどりはあっさりと転移して避けた。デビルの頭上に現れ、落下しながら薙刀を振りかぶる。
デビルは頭上に向かってもビームを放ったが、みどりは体のあちこちをビームで貫かれながらも、薙刀でデビルを殴りつけた。
(何だ!?)
おかしな衝撃を食らい、デビルは驚愕した。木刀で殴られた感触だけではなく、自分の存在がブレるかのような、そんなおかしな衝撃があった。
(やめろやめろやめろやめろ飛ぶな飛ぶな飛ぶな飛ぶな!)
そのまま自分がどこかに吹き飛ばされ、彼方へと飛ばされるような感覚に恐怖し、デビルは必死でその感覚に対して抗う。
何とか踏み止まったが、ただ木刀で殴られただけではなく。何かしらの術か能力をかけられたのは明白だった。
着地したみどりが再び薙刀で斬りかかってきたが、デビルは平面化して避ける。そして平面化したまま移動して、距離を取る。
「ふわあぁ~、惜しい。そのまま冥界に送ってやろうとしたのに、上手くしがみついたねえ」
みどりが笑う。
「何をした?」
三次元に戻ったデビルが問う。
「二段構えの術。まず百合姉にかけられた術を解いたんだよぉ~。んで、同時に冥界に送る術もかけてやったぜィ」
みどりが解説する。
「デビル、あんたの魂には、常世と現世を隔絶する禁忌の術が仕掛けられていた。そいつのおかげで、あんたはとっくに死んでいるのに、現世から魂が離れられないでいるんだわさ。ゴーストを作る術と原理は同じだけど、そいつを滅茶苦茶強力にしたうえに、肉体との関連付けも強固にされている。でもそれももう無い。死を司るあたしには、そいつを解いちゃう事もできちゃうんだよね。で、死を拒むオーバーデッドの術式は、今殴った時点で解除したぜィ」
「つまりもう……死ねば普通に霊体が冥界に飛ぶようになったと?」
「イェアー、そういうこと。ていうかさァ。あんたもう死んでるし、今のあんたはさ、ただのよく出来たゾンビなんだよぉ~。限りなく生者に近いけど、それでも死者なんだよね」
それは百合からも聞いて知っていた。問題は死んでいても死なない自分が、死ねば死ぬようになった事だと、デビルは改めて意識する。
これまでは殺されても死なない性質だった。分裂体が世界のどこかにあれば、細胞の一片でもあれば、霊魂はその場所に戻り、蘇る。しかしもう、今の肉体を滅ぼされれば、魂は冥府に飛び、死が訪れるという事だ。
「あばばばば……皮肉だよね。あたしの魂に、死に魅入られる呪いをかけたのは前世のあんただってのにさァ、そのおかげであんたは再び死の法則に捉われることになるなんて」
全身血塗れでにやにや笑うみどりを見て、デビルは嘆息した。
(改めて……僕への対策はばっちりだったのか。そのための……僕を滅ぼすために適合する人材もいたなんてね。しかも自分に縁有り。本当に……恐れ入った。よくもまあやってくれる。神様も、皆も、犬飼も……そんなに僕を否定するのか。そんなに僕をこの世から追放したいのか……)
自分が悪魔を名乗っていた事がおこがましく感じられる。自分を消そうとしている者達の方が余程悪魔的だと、デビルは思う。
(ここで……終わりか。悔しいな……)
逃れられぬ死の予感と共に、デビルは戦意を失くし、その場に膝をつく。
「ヘーイ、最期まで足掻けよ。諦めて俎上のおさかなさんかーい。往生際はいいけどさァ、無抵抗の相手を殺すって……いや、あんたは別だね。あんたみたいな腐れ外道にそんな気持ち抱くこともねーわ」
みどりが呪文を唱える。
「人喰い蛍」
三日月状の光滅が大量に出現するや否や、膝をついて呆然自失状態のデビルめがけて一斉に飛来した。
体中を穴だらけにされる――では済まない。体中の肉が飛び散り、肉片がロビーの床に大量に散乱した。
(仕留めた。殺した。再生する気配も無い)
血と肉辺を見てみどりは思う。
(この肉片からも分裂できるか? いや……霊魂は飛んでない。こんな状態でも、まだこいつ生きているんだ)
先程悪因悪果大怨礼を食らった方のデビルに、みどりは視線を向けた。倒れたままだが、まだ息が有る。
最早デビルは肉体を滅ぼせば魂は冥界へ飛んでいく。自分の分裂体を残していたからといって、そちらに移動することは出来ない。
しかしこの肉体は、みどりが術をかける前に存在していた肉体だ。魂と結びつく力が残っている。だからこそデビルの霊魂を引き寄せた。首の皮一枚でデビルの命を繋いだ。
「でも、こいつさえ滅ぼせば、今度こそ終わりだよォ~」
みどりが倒れているデビルに向いて言い放ったその時、ロビーの自動ドアが破壊された。
「ええっ!?」
自動ドアを破壊して、全身青黒い肌の筋肉隆々の男が勢いよく飛び込んでくる光景を見て、みどりは思わず驚きの声をあげる。
「デビル!」
叫んだのは青黒い肌のマッチョの後ろから入ってきた、三十代と思われる女性だ。その右手は、棘付きの鉄球になっている。
ホテル内に飛び込んで来たのは、勤一と凡美だった。
「さ、せ、なぁい!」
みどりが叫び、勤一の前へと素早く移動して立ち塞がる。
勤一がみどりめがけて蹴りを繰り出すが、みどりはあっさりと避け、薙刀で勤一の喉を突く。
しかしまるで効いていない。勤一はひるむことなく、腕を大きく振り回し、みどりに殴りかかる。
みどりはすんでの所でかわし、距離を取る。近接戦ではかなわない相手と見て、術で対応する事にした。
呪文を唱えだすみどりだが、すぐに中断した。
「あ、ちょっとちょっと、何しるてのぉ~」
視界内で、凡美が棘付き鉄球を伸ばして、バネをデビルに巻き付け、引き寄せる光景を見たみどりが、素っ頓狂な声をあげる。
「ずらかりましょう!」
ぐったりとしたデビルを抱えて、凡美が叫ぶ。
「俺がここで少し踏ん張っておくから、凡美さんは先に行って」
勤一がみどりの方を向いたまま告げた。今度は勤一がみどりの前に立ちはだかる格好となった。
「付き合ってらんねーよォ」
みどりが吐き捨て、転移する。
みどりの姿が消えたと見るや否や、勤一は振り返った。
果たして、振り返った先にみどりがいた。凡美までの距離はそう離れていない。
「さよならパーンチ!」
「げふっ!?」
転移した直後に後ろから攻撃を食らい、みどりは避けきれずに、驚愕と共に吹き飛んで倒れた。
(ふぇ~……読んでたのかよォ~。転移能力持ちと戦ったことがある奴なのか)
これは自分が相手を見くびっていたと、倒れたままみどりは思う。
みどりが起き上がると、勤一と凡美は空の道へと上がって逃走を完了していた。
「ここまでくればもう追うのは無理だろう」
空の道を移動し、透明階段の一つに着地して、勤一が言う。
「何で助けたの……」
凡美に抱えられたデビルが掠れ声で呻く。
「お前には何度も助けられている。今度はこっちの番だ」
「そういうのはいらない。暑苦しい……」
勤一が言うも、デビルは弱々しい声で拒む。
「凡美さん達に会う前は、どいつもこいつも俺のことがどうでもいい奴ばかりだったしな。デビルも、俺のことを助けてくれただろ」
「あっそう……」
勤一の台詞を聞き、どうでもいい気分のまま、デビルは目を閉じる。
「おい、みどりが外にいる」
「うわー、ロビー滅茶苦茶だよ。凄い破壊痕」
「デビルの気配が無い。結界は破られていないけど」
「うわ、ひどくやられてる。みどりちゃん酷い怪我」
勇気、政馬、雅紀、鈴音がそれぞれロビーに降りてきて喋る。
外で倒れているみどりを確認して、四人も警戒しながら外へと出る。
「すまねー……しくじっちまっったよォ~……」
勇気達の姿を見て、みどりが身を起こす。
「ここまでお膳立て整えておいて逃がしたのかよ」
「イェア。逃がしはしたけど、もうあいつは不死身とは言えないよォ~。みどりがちゃんと死ねるように術をかけといたからさァ。まあ、術を解いたとも言えるけど。今の体から霊魂が離れたら――つまり今の体が完全に崩壊したら、魂は冥界に飛ぶはずだわさ」
呆れる勇気に、みどりが報告する。
「勇気、早く治してあげてよ」
「大丈夫。あたしにも再生能力あるし、すぐに治るよォ~」
鈴音が勇気を促すも、みどりは断った。確かに傷口はみるみるうちに治っている。
「上出来だと褒めてもらいたいのか? 一人でいけるとか言ってたくせに、結局逃がしているじゃないか。やっぱり役立たずのかいわれ大根だったな」
「ぐぬぬぬ……」
「勇気、女の子にそういう仇名つけるのはよくないってば」
言いたい放題の勇気に、みどりが唸り、鈴音が注意する。
「あいつのしぶとさとしつこさには辟易だ。いつになったら仕留められるのやら」
勇気が大きく息を吐いた。まだこの先もデビルの襲撃を意識して警戒し続けなければならないかと思うと、実に気が重い。




