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それは、覚醒記念日から何日か経った後――純子が雪岡研究所を去った翌日の出来事。
「焼きおにぎり美味しい? 私はおにぎりはふつーのがいいけどなあ」
大学内にて、一人で昼食を取っていた霧崎に、純子が声をかける。
「好物だよ。イメージにあわないとよく言われるが。ところで、偶然かね? それとも前もって連絡もなくいきなり会いに来て驚かせたのかね?」
「後者。話があって来たよ。大事な話は直接したいからねえ」
純子は霧崎の隣に座り、自分の計画を語り出した。
「他の者が口にすれば気宇壮大……どころか、妄想として一笑に付すであろうが、君が語るとあれば、話は別となるな」
「私だけじゃ流石に無理かな。根人さん達に協力を仰いだらね、快諾してくれたよ。根人さん達の協力は大きいよ。彼等は創造性こそ乏しいし、彼等だけでイノベーションを起こすのは難しいけど、知能は人間のそれを遥かに上回るからね。適材適所って事で、互いの長所を活かせる。そして人間側も、優れた技術者を集めていくつもり。取り敢えず一番期待できそうな霧崎教授に声かけてみたよ」
「ふむ……。君の目的が叶えば、私の目的の一つである、障害者の補助も叶うな。いや、補助はもう不要になるか。どんな怪我や病気で障害が発生しようと、健常者に戻せるわけだ。そして最終目的である全宇宙女体化計画にも近づくというものだ」
にやにやと笑う霧崎。最終計画の方はどうかと思う純子であったが、否定しないでおいた。
「他のマッドサイエンティスト勧誘候補は?」
「ネコミミー博士とミスター・マンジには声かけるつもりでいるよー」
「音木君やミルクはどうするのかね?」
「あの二人が協力してくれるとなると心強いけどさ、多分私が計画の中心にいる時点で、乗って来ないと思う。それにミルクは今、グリムペニスに属しているしねえ」
「熱次郎君は? 彼は中々有望そうだが。何と行っても君と同じ頭脳を有しているし」
「多分あの子は、真君の方につくだろうし、私が声をかけて私の方に持ってこない方がいいと思う。ま、どっちにしても苦悩しそうだけどさ」
純子はかつて熱次郎を自陣営に引き寄せ、真と対立する構図にもっていったが、どうも今の熱次郎の心は、自分より真に傾いていると見ていた。
「よろしい。協力しよう」
霧崎は笑顔で快諾した。
「雪岡君の目的が叶えばそれに越したことは無い――が、例え失敗しても、挑戦する意義はある。その経過で多くのものが生まれ、文明の促進へと繋がるであろうし、結果、私の目的に近付くであろう。何も悪いことはない」
「ありがとさままま」
純子はにっこりと笑って礼を述べるが、霧崎があっさりと引き受けてくれた事が、少々意外とも感じていた。
霧崎の考え方は理が叶っている。しかし霧崎はこう見えて社会派な一面もあり、マッドサイエンティスト扱いされている割に良識の強い人物でもある。反対される可能性の方が高いし、辛抱強く説得する覚悟も、それでもなお反対される覚悟もしてきたのに、すんなりと話がまとまってしまった。
(話に乗った振りをして実は……ていうのは、考えすぎかなあ?)
話がうまくいきすぎた時は、いつも懐疑的になる癖がある純子だった。
***
勇気、鈴音、スノーフレーク・ソサエティーの面々が、赤猫電波発信管理塔前に到着する。彼等は遊軍という扱いであったが、結局、赤猫電波発信管理塔の攻略にと当てられた。
「俺達が回されたってことは、ここの攻略班が無能で手間取っているって事か?」
カシムが意地悪く言う。
「あるいは全体的にスムーズで、駄目押しのためにって可能性もあるね」
と、政馬。
「しかし……こんなでかいもの、短期間でよく作れたなあ」
「てっぺんが見えないってのが、何よりインパクトあるじゃん。宇宙まで届いてそうだし」
雅紀と季里江が塔を見上げて感心する。
一行が塔の中に入る。
「こっちかな」
エントランスにて、ジュデッカが非常扉を指した。
非常階段に入った所で、戦闘の形跡が見受けられた。
「激しくやりあったようだが、人間の犠牲者は無しか」
硝子人の残骸の数々を見て、勇気が言う。
(階段を上っていくつもりか?)
平面化したうえに保護色で風景と溶け込んだ状態で、こっそり尾行していたデビルが、勇気達の動きを見て思案した。
(これは好機? 階段を述べるとなればほぼ一列。後方から襲いやすい。それにまさかこの状況で、このタイミングで、後ろから襲われるなんて、彼等も考えないのでは?)
デビルが思案しているうちに、勇気達は非常扉の中へと入っていく。そして殿を務めるのは、デビルにとって非常に都合のいいことに、鈴音であった。
(チャンスだ)
明らかに最後尾にいる鈴音を見て、何の疑いも無く、デビルはそう思った。目的の達成にだけ頭がいっていた。
(いや、待て……)
奇襲しようとした直前で思い留まる。
(露骨に怪しい。鈴音が狙われているのをわかっていて、あんな風に一人離れているなんて、罠じゃ?)
寸前になってようやくその可能性を思い浮かべる。
(でも偶然後方になっただけかもしれない。罠と疑って好機を逃すのも馬鹿らしい)
結局は、好機を逃したくないという気持ちが勝った。それは賭けですらない。論理を感情に結びつけて、慎重さをかなぐり捨てて、押し切った。
デビルが平面化したまま、非常口に接近する。まだ鈴音は非常口の外にいる。
鈴音の背に近付く。鈴音はまだ非常口の中に入ろうとしない。スノーフレーク・ソサエティーの面々はほぼ入りきっている。やはり最後尾になるようだと見た。
充分に接近したが、念には念を入れて、鈴音一人が残ったその瞬間を狙って奇襲をかけようと、デビルは待ち構えた。
そしてその時が来た。鈴音以外が非常口に入った。
デビルが平面化を解き、床から盛り上がるようにして姿を現す。
鈴音は振り返らない。その必要も無かった。
攻撃する直前、デビルは背後に殺気を感じて攻撃の手を止めた。意表を突かれたあまり、殺気を無視して鈴音を攻撃することは出来なかった。
自分と同様に、床から盛り上がるようにして出現する者の姿があった。その相手に、デビルは見覚えがあった。かつて交戦した事もあった。
「よう、久しぶりだな」
獣の仮面をかぶり、花嫁衣装を纏った、体格のいい少年。仮面の下からせせら笑い、デビルに向かってシャムシールを振るう。カシムだ。
(罠だった……)
袈裟懸けに切りつけられて血を撒き散らし、デビルは眉間にしわを寄せた。
「あははは、お前、そんな顔できるんだな」
カシムがデビルを見て嘲笑う。顔の凹凸すらわかりづらいほどに真っ黒な肌で、表情の見えづらい顔をしているにも関わらず、その時のデビルの表情は、カシムの目にはっきりとわかった。
さらにもう一つ、殺気を感じるデビル。鈴音ではない。エントランスの天井を見上げる。
真っ白い魔女服姿の少女が、天井すれすれの場所に浮いて、目玉が沢山ついた骨の杖を振るう姿が見えた。
杖の先についた大量の目玉から、ピンクのビームが放たれる。
ビームがデビルの右肩と右腕を突き抜けたかと思うと、ビームを浴びたデビルの右肩と右腕が、塩となってぼろぼろと崩れ落ちた。
「本当に来たね。よかった」
ホツミが空中に浮いたまま、デビルを冷ややかに見下ろし、声を発する。
デビルは横に跳ぶ。しかし右腕右肩を失って重心バランスがうまく取れず、転んでしまう。
カシムもデビルに合わせて移動し、追撃を放とうとしたが、突然転んだデビルに虚を突かれ、攻撃の手が止まった。転倒が功を奏する形となった。
(犬飼の忠告を聞いておけばよかったという話か)
デビルは左手を床について身を起こしながら、カシム、ホツミ、鈴音をそれぞれ見やる。
鈴音は少し移動する。非常口に入ったスノーフレーク・ソサエティーの面々が、どんどんエントランスに戻ってきて、デビルに敵意と殺意を孕んだ視線を向けてくる。その中には勇気の姿もあった。
「お前は俺に対するあてつけで、鈴音を殺すために、鈴音に執着していた。それを逆手に取って、鈴音を囮にした。単純極まりない手だったが、単純極まりないアホのお前には、これ以上無く相応しい手だったな」
勇気が冷然たる口調で言い放つ。
(執着――ユダの時もそうだった。今から思えば、執着していたような)
自分の悪い癖が出て、自分の悪い癖も見抜かれて、自分の悪い癖をまんまと利用された事に、デビルは愕然としていた。
***
『あれは執着するタイプであり、同時に冷めやすくもあるタイプだ。矛盾しているようだが、二つの性質が同居している。執着する分、冷めるのも早いし、途端に冷める』
勇気は作戦遂行前に、犬飼から電話でデビルのことを色々と聞いていた。
『そして天邪鬼でもある。それらの性質を利用して罠にかけろ』
「随分と詳しいようだな」
何故犬飼がデビルに関してそこまで詳しいのか、勇気が不審に思わないわけも無かった。
『いやあ、話に聞いた限りで、こういうタイプなんだろうなーって分析してみただけだぜ』
「そんな口振りではないな。面識があるどころか、わりと近い距離にいるんじゃないか? そしてそれをわざとアピールしているようにも聞こえる。何のつもりかはわからないがな」
『ははは、そりゃ読みすぎだって』
犬飼が誤魔化すように笑う。勇気は息を吐く。有用な情報をくれたのも確かであるし、今はこれ以上詮索しないでおくことにした。
『ま、それらの性質を考慮したうえで、デビルをペテンにかけるのは、そう難しいことじゃないんじゃないの?』
「その方法、気が進まないがな」
そして今の台詞は、ようするに単純な奴で、頭に血が上ると思慮も欠けるタイプだと、暗に言っている。勇気はそれを見抜いている。
(その性格を利用して、罠にハメてやるとするか)
犬飼の話を聞いた時点で、勇気はすぐに策を思いついた。




