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転烙市の繁華街で、祭りの準備が少しずつ進められている。
祭りは一ヵ所だけで行われるわけではなく、都市の各地――繁華街や神社等で一斉に開催されるとのことだ。当然ながら、中央繁華街の会場が最も盛況となるが、中央に集まり過ぎないように分散させるため、複数個所で同時に行う。
真、熱次郎、ツグミ、牛村姉妹の五人は、中央繁華街での設営の様子を見物して回っていた。寒色植物がそこら中に生えているが、気にせずに歩いている。伽耶と麻耶の力で、根人に見えないようにしていた。
「いつになるかわからないけど、僕達でこれを壊して回るんだよね? うーん……何か、作っている人達に悪い気がするな」
歩道を歩きつつ、設営の様子を見ながら、ツグミが表情を曇らせる。今日のツグミは男の子モードで、カジュアルな男物の服を着ていた。
「祭りを楽しみにしている人達にも悪い」
「私はその悪を楽しむことにする。悪に回る快感っ」
伽耶が同意する一方で、麻耶は邪悪な笑みを広げている。
「しかしPO対策機構の動きが鈍いな。赤猫電波発信管理塔襲撃の計画に問題でも生じているのか?」
熱次郎が真を見て尋ねる。
「陽動作戦になるんだが、その陽動部隊と本命の管理塔襲撃部隊の編制と配置に、頭を悩ませていると言っていた。ただ、それにしては時間がかかりすぎている気がする。本当の理由は別だろうな」
真が答える。
「何に時間をかけているんだろう?」
「多分、祭りの会場の警備の状況を予めチェックして、攻めるポイントを把握しているんだろう。逃走経路もだが」
「つまり、赤猫システムの中枢の場所の特定に手間取っているのか」
熱次郎は納得した。攻略すべき対象の場所がわからなくては、他の準備が整っていても、動きようがない。
「すでに警備が物々しい」
「怪しい奴はすぐに蜂の巣にする構え」
マシンガンを構えて歩くボディーアーマー姿の兵士を見て、伽耶と麻耶が恐々と言う。
「真先輩、見て。素敵な偶然の導きだ」
ツグミが声をかけて、車道の向かいの通りを指す。
「あ……」
そこにいた人物を見て、真は珍しく、ぽかんと口を開けてしまった。
***
純子、蟻広、柚の三名は、繁華街をぶらついて、祭りの準備の様子を見て回っていた。
「まだ祭りまで一週間近く空いてるのに、もう設営にかかるとか、時間早くないか?」
「PO対策機構の妨害も考慮して早くしてみたんだよー」
蟻広が口にした疑問に、純子が答える。
「PO対策機構の連中、いまいち動きが見えないぞ」
そう言って蟻広がガムを口に運ぶ。
「追加で何人か来た情報は入ってるんだけどねえ。祭りの準備も進んでいるのに、それを妨害する気配も無いし」
敵にも何かしら事情があって、そのせいで動きが鈍くなっているのだろうが、その事情までは、純子にもわからない。
PO対策機構の何名かは、寒色植物による根人の監視網を気にすることなく堂々と街中を歩いているが、彼等の内情は全く探れない。PO対策機構と転烙ガーディアンの間で、そこそこ小競り合いも発生しているし、捕らえた者もいるが、有用な情報は引き出せていない。
「祭りの雰囲気はどこも同じだな。遥か大昔も、御久麗の森の樹海の呪宴も、ここも」
周囲を見渡して柚が言う。
「まだ始まってないだろ。ポイントマイナス1」
「そうだった。しかしその程度でポイントを減らされるのは釈然としない」
蟻広の言葉を受け、柚は微笑を零す。
「とは言っても、柚ちゃんは日本の祭りしか見たことないでしょ? 海外の祭りはまた違った雰囲気あるよー」
「人が集まってガヤガヤに関してだけは同じだろ」
純子と蟻広が言ったところで、柚が足を止めた。
「あそこを見ろ」
車道の向かいを指す柚
「む……」
「あ」
蟻広が唸り、純子がぽかんと口を開ける。車道の向こうにいる相手もこちらを見て、純子同様にぽかんと口を開いていた。
***
バイパー、ミルク、つくし、桜は、救出した鈴音を連れて、勇気の泊るホテルを訪れた。
鈴音はすでに意識を取り戻し、応急手当をしてもらったうえで、自分の足で歩いている。
片目を包帯で隠され、頬に大きな絆創膏を張られ、足にも包帯を巻かれた、痛々しい鈴音の姿を見て、勇気の胸に冷たい衝動が駆け抜けたが、それ以上に、安堵の気持ちの方が強かった。
「鈴音……大丈夫か?」
勇気は珍しく鈴音と向かい合って労わるが、鈴音は浮かない顔だ。
癒しの大鬼の力で鈴音の傷を全て塞ぐ。
「傷は治したぞ」
勇気が告げるが、鈴音は反応しない。
「どうしたんだ? 何があった?」
鈴音に問うてから、部屋の入口にいるバイパー達にも問う。バイパーと桜も憂い顔だ。
『薬物反応があった。幻覚を見る類のドラッグを打ち込まれて、それでおかしくなっているんだろう。薬は私が抜いておいたが、精神的な後遺症や依存性まではフォローできないから、それはお前がやってやれですよ』
「助けてからずっと心ここに非ずだ。いや、少しくらいは会話出来たけどな」
ミルクとバイパーが答えた。
「わかった。こいつをここまで連れてきてくれたこと、感謝する」
鈴音の身を案じ、勇気は強い不安に駆られながら、蒼白な顔になって震える声で礼を述べる。
(こいつがこんな顔することもあるんだな)
バスケットの覗き穴から勇気の顔を見て、ミルクは思う。
「犯されちゃった……穢されちゃった……。犬に……」
「は?」
しかし、鈴音が涙ぐみながら口にした言葉を聞き、勇気の表情が変わった。思いっきり呆れまくったしかめっ面に。
「何て?」
「だから……犬に犯されちゃったって……」
拳を強く握りしめ、ぽろぽろと涙を零しだす鈴音。
「勇気が……さっさと私とHしてくれればよかったのに……してくれないから、私……初めての相手が犬になっちゃったんだようっ。犬に犯されて、犬が私の初体験の相手だようっ!」
鈴音が叫ぶと、その場に伏してわんわん泣き出した。
「えっと……これが薬の幻覚か?」
『多分そうだな』
「衣服の乱れは無かったし、多分そういうことはされてないんじゃない?」
「イエス。バッドトリップによる幻覚だと推測」
普段の勇気に戻って尋ねると、ミルク、桜、つくしが答えた。
「え……?」
誰も全然自分を労わってくれず、冷静に話している周囲の様子を見て、そしてその内容を聞いて、鈴音が顔を上げる。呆然とした表情で皆を見る。全員引いているか呆れているかといった反応だった。
「いや、でも幻覚だろうと、私の体験は確かなんだから、勇気っ、ちゃんと私の心のケアしてよっ。私を慰めてよっ」
「ミルク、出て来いよ」
喚く鈴音を無視して、勇気はバスケットに向かって声をかけた。
『何で?』
「褒美をくれてやる。お前もそれを期待してここに来たんだろう」
『はあ? 少しくらい猫を撫でるのが上手だからと調子に乗るな』
優しい声をかける勇気に、ミルクが険のある声を発する。
「ちょっと勇気……私は……?」
鈴音が立ち上がって勇気の肩を揺さぶるが、勇気は完全に無視している。
「ふーん、撫でるの上手なのか?」
「自分から白状しちゃってるじゃない」
バイパーが伺い、桜がおかしそうに微笑む。
「神社に集う数多の猫共を蕩けさせてきた俺の猫愛撫スキルに、こいつはすでに首ったけだ」
うそぶく勇気。
『思い上がりも甚だしいわ。誰がもうお前に撫でられるか……って、おいっ』
喋っている途中に、桜がバスケットの蓋を開けて逆さまにして、ミルクを床に落とす。
勇気が素早くミルクを抱きすくめると、膝の上に置いて喉や額を撫で始める。
『や、やめろと言ってるのに……おま……ちょっと……やめ……』
ミルクの抗いの声はすぐに小さくなり、ゴロゴロと心地よさそうに鳴きだす。
「ちょっと勇気……。薬の幻覚だって言っても、犬に犯されて傷ついている私を放っておいて、その前でにゃんこ撫でるってどういうことっ?」
鈴音が抗議するが、勇気は無視してミルクを撫で続けていた。




