9
真とツグミは繁華街を歩いていた。伽耶と麻耶と熱次郎は寝坊し、後で合流する予定だ。
「おい、お前等」
後方から、低い声がかかる。
二人が振り返ると、2メートル超えの巨漢の姿があった。オンドレイだ。
「お、おおお……いつぞやの……えっと名前何だっけ?」
のけぞって慄くツグミ。かつて交戦した事もある相手であったが、名前は忘れていた。
「オンドレイ・マサリクだ。超常殺しと呼ばれている、世界的に有名な始末屋だよ」
「そっかー。オンドレイさん、すまんこっこ」
真が教えると、ツグミはぺこぺこと頭を下げる。
「久しぶりだな。俺はわりと最近PO対策機構に組み込まれたが、お前達は長いのか?」
「僕はほぼ最初期メンバーだ。ツグミは協力者扱いで、登録されてはいない」
「そうか」
「オンドレイさん超強かったから、味方だと頼もしー」
「到着するなり早速交戦して、偵察部隊の救助に成功したと聞いたぞ」
「えー、すごーい」
「ふっ。俺だけの手柄というわけではないがな。あのうるさい鳥山正美や、プルトニウム・ダンディーもいた」
真、オンドレイ、ツグミが話していると、真に電話がかかってくる。
「手がかりになるような情報は無いな。協力できることがあったらするから、遠慮無く言え」
そう告げて電話を切る真。
「真先輩、どしたの?」
真は無表情のままだったが、何となく、悪い事態が発生した雰囲気が伝わり、ツグミが怪訝な顔になって尋ねる。
「勇気からだ。鈴音がデビルにさらわれたそうだ」
「デビルだと……。あいつがいるのか」
真の台詞に反応するオンドレイ。
「知っているのか」
「以前やりあったことがある。糞のような奴だ。尻尾を巻いて逃げていったがな」
オンドレイは腕組みすると、デビルとの交戦前のデビルの自己紹介する場面を思い出し、不快感を露わにした顔で言う。
「奴とやりあう機会があるなら、いつでも俺に言え。力を貸す」
「わかった」
「よろしくおねげーしやさーんすぅっ」
力強い声で申し出るオンドレイに、真が頷き、ツグミが弾んだ声をかけて一礼した。
***
勇気の命に応じ、転烙市と対立する形で転烙市内に入ったスノーフレーク・ソサエティーの面々であるが、PO対策機構とは距離を置いている。
そして名目上は勇気がトップという事になったが、実質指揮を執っているのは、依然として政馬だ。
「転烙市に来ちまった時点で今更言っても仕方ないことだが、本気でPO対策機構に協力するつもりか?」
政馬、ジュデッカ、季里江、雅紀を前にして、カシムが改めて伺う。
「協力はするつもりでいるよ」
意味深な笑みをたたえて政馬は告げる。
政馬の笑みを見て、カシムはああなるほどと理解した。協力はするが、ただそれだけではない。他の目的もあるのだろうと。ひょっとしたら政馬以外もそれを承知済みで転烙市に来たのかもしれない。最近スノーフレーク・ソサエティーに復帰したばかりのカシムには伝えられていないだけで。
「赤猫電波発信管理塔の襲撃を先にするのか。祭りの準備の妨害をした方がいいと思うのにな」
カシムが私見を述べる。
「電波塔襲撃が先ってことは、外部に情報を発信する意義の方が大きいと見ているからだろう」
と、ジュデッカ。
「この都市の状況を外に伝えたとして、それでどうなるってんだよ?」
カシムが問う。
「各国政府――いや、世界中のフィクサー共を動かせると踏んでいるのかもな」
「信じてくれるのかねえ」
ジュデッカが言うが、カシムは懐疑的だった。
「支配者層は糞だが馬鹿じゃない。信じるだろうさ。支配者層が長年敵視している純子が関わっているなら、そしてかつての支配者層のトップ中のトップだったヨブの報酬が壊滅され、シスターも殺されたとあっては、尚更だぜ」
何百年も支配者層とやり合ってきたジュデッカからすれば、彼等の思考パターンも行動も大体予測できる。
政馬に電話がかかってきた。電話を取った政馬のその顔が、途端に険しくなる。政馬が滅多に見せない表情であるが故に、雅紀や季里江も若干不安になる。
「落ち着いて、勇気。僕達に出来ることは何でもするから」
相手が勇気だと、政馬のその発言で他の面々にもわかった。そして政馬の言動で、かなりヤバい事態が発生したのであろうという事も。
「PO対策機構にも報せた方がいい。探してもらおう」
硬い声と表情で告げ、政馬は電話を切った。
「どうしたん? 政馬」
「鈴音がさらわれたらしい」
季里江が声をかけると、政馬が答えた。
「探すといっても、難しい話じゃないか? こころに聞くってのは?」
雅紀が提案する。
「こころに聞かなくても、この町のシステムを使えばわりといけそうな気もする」
「どうやってだよ?」
「本気か?」
政馬の言葉に、カシムは首を傾げ、ジュデッカは苦笑していた。ジュデッカは政馬が何をするつもりかすぐに理解していた。
「純子に事情を話してお願いしてみよう。純子の性格からして、協力してくれそうだし」
***
デビルは意識を失った鈴音を連れて、団地の一角にある集会所に入った。デビルが寝泊まりしている場所だ。
抱えていた鈴音を乱暴に床に放り投げ、ソファーに腰掛け、一息つく。自分だけならともかく、他者と共に平面化しての移動は、かなり疲労する。
一息ついた所で立ち上がり、床に横向きに倒れている鈴音の頭を、爪先で小突く。
反応は無い。意識が戻る気配は無い。
デビルは肩から一本枝を生やし、枝の葉からビームを放った。
「あぐっ!」
悲鳴をあげて、鈴音が意識を覚醒させる。ビームが鈴音の太股を貫いたのだ。
目が覚めた鈴音は、すぐに状況を理解した。しかしすぐに能力を用いて反撃する事も無い。先程の戦闘の事もある。反撃するにはまだ痛みが足りない。ある程度ではあるが、痛みは蓄積して貯めておくことも出来る。
「いい目覚め」
デビルが目を細める。
「私のことも殺すの?」
ある期待を込めて、鈴音が尋ねる。
「君は彼にとって大事な存在だ。ただ壊しただけでは味気ない。彼の心を揺さぶる壊し方をする」
(ああ、やっぱり……)
デビルの言葉を聞いて、期待通りだと鈴音は喜びに打ち震えた。自分を嬲り殺しにするつもりだと。そして嬲った形跡たっぷりの死体を勇気にみせるつもりだと。
殺されてやるつもりはないし、十分に痛みを蓄積したら反撃に出るつもりであるが、そこに至るまでの経緯を楽しめる。嬲られることの期待で高揚感に包まれる。
デビルがかがみ、無言で手を伸ばす。
「ぐッ!」
鈴音の片目に中指と人差し指を突き入れ、眼球を潰しにかかるデビル。
痛みに喜ぶ一方で、本能的に防がんとして、デビルの手を掴んで拒もうとしたが、デビルの行為を止めることは出来なかった。もう一人のデビルが現れて、鈴音の両腕を掴んで、頭の上にあげて固定したからだ。
(目は両方潰すより、片方だけにした方がインパクトあるかな。片方は残っている方が、壊れたオブジェとしての見た目が良い)
鈴音の片目を潰して、デビルは思う。
(次は……)
爪で頬を切り裂く。痛みや恐怖を与えるためというより、無残な傷痕を作っておくという意図が大きい。拷問され、壊された少女の亡骸を作り、それを勇気に見せつけてやるために。
(そんなんじゃぬるい……。もっと、もっと滅茶苦茶にして……)
ぬるいと感じつつも、鈴音の興奮がいたく刺激される。喜びで溢れる。
(ちょっと待った。この子……)
デビルはその時点で気付いた。鈴音が喜んでいることに。人の負の感情の流れを読むことは得意だが、陽の感情に関してはやや鈍いデビルは、気付くのが遅れた。
(この子……マゾか。痛みを喜ぶ変態なんだ)
その事実を悟り、デビルは急速に冷める。
(あ、やめちゃった……。もしかして気付いた? ま、いいか……もう十分貯まったし)
デビルが冷めた目で自分を見落としていることを見て、鈴音はデビルが自分の本質を見抜いたと悟り、力を発動させることにした。
「パラダイスペインっ」
鈴音が叫んだ瞬間、自分を抑えていた方のデビルが跡形も無く消し飛び、拷問していた方のデビルも、首から下が全て消滅し、頭部が転がる。
(感情の流れが……痛みが喜びと変わった直後、力に転換された。そういうことか。何とも面倒)
実に厄介なものを拾ったと、デビルは嘆息する。
(やり方を変えるか)
さらにもう一人のデビルが床から現れる。細胞を分裂させて増殖したデビルが、予め数体、平面化して冬眠状態になっている。動いている体が消滅しようと、魂を新しい体に入れ替えれば済むので、死ぬことはない。これがオーバーデッドと百合が称した、デビルの絶対的な不死性だ。
(何人いるのよ……)
驚き呆れる鈴音の額に、新しく現れたデビルが手をかざす。
お得意の精神操作能力で、鈴音のバーサーク化を試みるデビル。
(味気ないやり方だけど、この子を狂わせて、勇気と戦わせよう)
そう思ったデビルであったが、中々鈴音の精神に変化が現れない。
「無駄ですよ。私が護っています」
鈴音が冷めた声で告げた。口調が明らかに違う。
(精神が入れ替わった? いや……同一人物なようで、何か違う)
鈴音の精神を見て、訝るデビル。
前世の鈴音――星炭鈴音の意識が、意識の表層に現れ、デビルの精神操作を防いでいた。しかしそこまではデビルもわからない。
(尽く……思い通りにいかない。もうこのままただ壊してしまおうかな……)
諦めかけたデビルであったが、ふと、ある存在を思いだした。
デビルは犬飼から、ある薬を貰っていた。犬飼がかつて船虫舟生に飲ませていた、中毒性の高い違法ドラッグの失敗バージョン。非常に危険なバッドトリップ効果があり、発狂死する者もいるという。
デビルが鈴音の下顎を掴む。
「薬も防げる?」
小瓶を取り出して蓋を開けると、強引に鈴音の口の中に小瓶ごと突っ込む。
「げほっげほっ」
鈴音はすぐに小瓶を吐き出したが、中の液体は少し飲んでしまった。
変化はすぐに現れた。
「あああ……何? 何……? わんちゃん……?」
朦朧とした意識の中で、鈴音は何かを見ていた。
「やめて! いくら何でも嫌だ! 来ないで! それだけはやめて! それは勇気に……イヤダァーッ!」
意識混濁して泣き叫び、必死に拒絶する鈴音。
(どんな夢を見ているのか知らないが、酷い目にあっているようだ)
それが何であるかまでは、デビルにもわからない。
しばらくの間、鈴音は泣き喚きながら床をのたうちまわり、拒絶の仕草を見せていた。デビルはただ見物していた。
やがて鈴音の動きが鈍る。
目の下にクマが出来て、唇が紫色になり、手先が震え出した鈴音を見て、デビルは思案する。
(効きすぎてる? 飲ませ過ぎた? 完全に壊しちゃったら面白くない。いや、逆? 完全に壊したこの子を勇気に見せた時の反応の方がいい? このまま精神が壊れれば、生かしたまま戻した方が面白いかな? 適度に壊して返すことで、壊れかけのこの子と毎日向き合わせて、怒りと悔しさと哀しさを募らせる日々を送らせるのがベター)
そこまで考えた所で、デビルに電話がかかってきた。
犬飼からかと思ったら、違った。相手は純子だ。そもそもデビルの電話番号を知っている者が、片手で数えるほどしかいない。
『あのー、デビルさあ、鈴音ちゃんを今捕まえてる? 解放して欲しいんだけど』
デビルは迷う。頼まれると逆らいたくなる性分だし、頼まれたからといって聞き入れてやる義理も無い。しかしどういうわけかデビルは頼みを聞き入れたい気分になっていた。純子に頼まれたとなると、聞いてやりたいという、そんな気持ちになってしまう。
「わかった」
一声発して、デビルは電話を切る。もうすでに薬で壊してやったようなものだし、これで解放するつもりでもいた。壊れた鈴音を勇気に返してやればいいと。
(いや、薬でどの程度壊れたか、それもわからない。回復が見込めるかもわからないし。今なら傷つけられても喜ばないだろうし、もう少し体の方をあちこちと傷つけておこう)
そう思い、デビルが鈴音に手を伸ばしたが、その動きが止まった。
集会所の扉が蹴り開けられた。鍵もかけておいたが、破壊された。
「ギリギリセーフか? それともアウトか?」
負傷して倒れている鈴音と、その側でかがんでいるデビルを交互に見て、バイパーがそんな言葉を口にする。
バイパーの後方には、つくしと桜もいる。桜が手にしたバスケットの中には、ミルクもいる。
(どうしてわかったんだろう。そういう能力か?)
現れた三人を見て、デビルが不思議がりながら立ち上がる。
(犬飼、俺達を騙したわけじゃなかったか。携帯電話からデビルの居場所を特定して割り出せると言っていたが……)
デビルを見て、バイパーは先程の犬飼から聞いた話を思い出していた。
(やっぱり犬飼とデビルは、知り合いってわけだな。あるいは仲間か? そして犬飼はどういう事情か知らんが、デビルを売り渡したわけだ)
バイパーはそう結論づけたが、デビルにその確認をする気は無かった。もし犬飼の名を出したうえで、ここで取り逃がしたら、デビルは犬飼を殺しに行くかもしれないと考えたからだ。




