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一日経過した。転烙魂命祭は六日後だ。
朝、ミルク、バイバー、つくし、桜の四名が、新居、犬飼、義久の潜伏先を訪れる。
「倶楽部猫屋敷の面々か」
バイパーとつくしを見て新居がぽつりと呟く。新居は裏通り時代からその存在を知っていた。バイパーとも知己である。
『草露ミルクだ。今日は私から話がある』
ミルクが声だけ出して挨拶をする。
「直接姿を出さないのに、遣いだけは直に寄越したのかよ」
犬飼がへらへら笑いながらからかう。
義久も同じことを思った。草露ミルクがどういう人物かは知っている。ネット上だけで姿を現す、マッドサイエンティスト三狂の一人であると。
『デビルという奴に関して話したい』
その名が出ても、犬飼はへらへら笑っていたままだったが、その笑みは危うく凍り付く一歩手前だった。動揺で動悸が若干激しくなっている。
それからミルクは、自分が知る限りのデビルに関する情報を話した。それらはホツミから聞いた話だ。
『今の勇気は、そのデビルって奴に気を取られているようだ』
「お前達は勇気に接触して、話をしたのか?」
新居が問う。
『してない。どんな反応するかわかりきっているし、私達の言うことなんて聞きやしないだろうからな』
「だからこそ裏通り中枢のトップである悦楽の十三階段に接触し、勇気を陰からガードするよう頼みにきたってわけだ」
バイパーが言葉を続けた。
(あいつ……変な方向に動き出してるなあ)
犬飼としては頭が痛かった。勇気にまでちょっかい出すのはよろしくないと考えている。いくらデビルでも手に余る相手であると、犬飼は見ているからだ。いや、勇気だけであればまだしも、勇気の今の立場からすると、勇気を護る者がごまんといるので、デビルが迂闊に刺激した場合、デビルにとって悪い方向にいく未来が見えてしまう。
(ま、俺も居場所教えちゃったけどよ。さて……傍観しているのも芸が無い)
犬飼が頭を巡らせる。
(そろそろ歪が生じたかな。先手は俺が打たせて貰おう。ま、それにお前が気付くかどううかはわからんけど、気付いたらどうするかな? どうなるかな? お前は俺を殺すか?)
そして犬飼の考えがまとまった。その視線が、バイパーに向く。
「バイパー、ちょっと話がある」
犬飼が立ち上がり、バイパーに声をかけた。新居と義久が訝しげに犬飼を見る。
「何だよ」
バイパーも胡散臭げに犬飼を見ながら、それでも応じて、犬飼と共に席を外した。
「情報源が俺だと、誰にも言わないって条件で、とびっきりのネタを教えてやるよ。デビルって奴に関してな」
「こっそりと話すってことは、デビルと知り合いってことか」
バイパーは呆れて息を吐きながら、落ちてきた一房の前髪を後ろに払った。
「俺の身の危険もあるヤバい情報なんだぜ? 詮索は無しな。俺のことも誰にも言わないでくれよ」
「ふーん。俺なら誰にもバラさないと信じてくれるわけか。結構甘い男だったんだな、お前は」
バイパーが意地の悪い笑みを広げる。
「信じるぜ。俺だって相手を選ぶ。ま、信じた結果裏切られたら、それもしゃーないとして諦めるし。でもお前なら大丈夫だろ」
犬飼が悟ったような口振りで言うと、バイパーの笑みが消えた。
「教えるのはデビルの居場所だ。ああ、何をしようとしているかも教えておくぜ」
そう前置きをしてから、犬飼は話しだした。
(さて、どうなるかな。デビル、上手いこと切り抜けて楽しませてくれよ。あっさりやられちゃつまらんぜ)
バイパーにデビルの情報を伝えながら、犬飼は頭の中でデビルに向かって、届くはずの無い声で語りかけていた。
***
朝。鈴音は宿泊しているホテルを出て、一人でお菓子を買いに出かけた。
美咲の件があって以来、勇気はいつも不機嫌で、鈴音が話しかけても無反応であったり、うるさがったりする事が多い。
(全部あのデビルって子のせいだ)
鈴音からすると、美咲が殺された事よりも、それによって勇気がおかしくなっている事の方が腹が立っている。
鈴音はそれなりに良識がある一方で、高嶺流妖術師の術師として育てられた事もあってか、人の生き死にをそれほど重く受け止めない。親しい者であればともかく、縁の無い他人の死には鈍い。そして勇気がいつも人の悲しみを重く受け止めすぎているせいで、鈴音は一歩下がってどこか冷めた気持ちで受け止めてしまっている。
デビルはきっとまた勇気の前に姿を現す。その時は確実に仕留めてやろうと鈴音は決意している。あれは相当危険な存在であると感じている。勇気に大きな禍をもたらしかねない者だと。
(人助けも支配者の仕事もやめさせて、二人きりで平和に暮らしたいな……)
うつむき加減に歩きながら、切にそう願った直後、鈴音は表情を引き締めて顔を上げた。
禍々しい気配が漂っている。覚えのある感覚。鈴音はそれと遭遇したことがある。
針とカッターの刃を取り出しつつ、鈴音は大きく横に跳んだ。
鈴音がいた場所の後方の地面から、真っ黒い人型が盛り上がる。
「デビル……」
鈴音が呻く。首筋がざわつく。険しい表情になって睨みつける。冷たい怒りが沸き起こった。
自分の前にデビルが現れた理由を、鈴音はすぐに理解した。この者は、自分が単独行動をする時を狙っていたのだと。美咲を殺したように、勇気に対する当てつけを行うつもりなのだろうと。
デビルは小さく息を吐く。鈴音を不意打ちで昏倒させて、速攻でさらおうと思ったのに、ギリギリで気付かれてしまった。
デビルは昨夜からずっと、勇気と鈴音の近くで隙を伺っていた。そして鈴音が単独行動を行い、十分に離れた地点を狙って、不意打ちをかけた次第である。
「パラダイスペイン」
強い怒りを込めて呟くと、鈴音は針を爪に刺した。いつもより深く――爪の根元を突き抜けるほどに深く刺す。
次の瞬間、デビルの足元が爆発した。至近距離で爆風を浴び、鼓膜が破れ、眼底出血を起こし、皮がめくれ、肺からも出血した。そのうえ無数のアスファルトの破片が、デビルの体のあちこちに突き刺さる。
倒れたデビルの体が再生していくが、すぐには起き上がれない。
鈴音が続けて攻撃を見舞う。カッターの刃で己の掌を切り裂くと、それに合わせるかのように、不可視の力による斬撃がデビルを襲い、胸から腹部にかけて袈裟懸けに切り裂かれ、血と内臓が噴き出した。
(殺意たっぷりの加減の無い攻撃。いいね。でも――)
鈴音に対し感心する一方で、デビルは残念に思う。
「えっ?」
両足首を掴まれた感触を覚え、鈴音は声をあげて地面に視線を向ける。
地面から二つの黒い手が現れて、鈴音の足首を掴んでいる。その直後、もう一人のデビルが足元から飛び出てきて、鈴音の両足を下からすくい上げ、鈴音を前のめりに転倒させた。
完全に隙を見せた鈴音の頭部に向けて、デビルは衝撃波を放った。加減して放った一撃で、鈴音の意識を奪う。
(君は中々強い。でも残念だった。一人の僕に気を取られ過ぎ。僕が分裂できる事を、誰かから聞いて知っていれば、あるいは忘れていなければ、こんなことにはならなかったのに)
うつ伏せに倒れた鈴音を見下ろし、デビルは満足そうに目を細める。
これからが楽しみで仕方がない。勇気の大事な存在であろうこの少女を、玩具にして遊び壊して、その壊れた玩具を勇気に見せて、どんな反応をするか、今から考えるだけで、デビルは胸が高鳴ってやまない。
***
一人、部屋でゲームをして暇つぶしをしていた勇気が、鈴音の帰りが妙に遅いと意識したその時、鈴音から電話がかかってきた。
「鈴音?」
『この子は君の彼女?』
聞き覚えのある声が響く。鈴音の電話からその声が響き、そして発せられた言葉を聞いて、一対何が起こっているのか、勇気は瞬時に理解した。
頭に血が上る。デビルへの怒りで全身の血が沸騰する。それと同時に、鈴音のことを意識して、全身の血が凍りつく感覚も覚える。
「お前は……!」
『今から僕の玩具。僕がこの子で遊ぶ。遊び飽きたら返す』
怒号をあげる勇気に、デビルはからかうような口振りで一方的に告げて、電話を切った。




