終章
夜。純子は市庁舎内にある自室に一人でいた。
その純子の元に、累が訪れた。
「真をあっさりと逃してしまいましたね。本当にこれでよかったんですか?」
改めて尋ねる累。
「わざと逃がしたわけじゃないよ。まあ、本気で防がなかったのは、わざと逃がしたと捉えられても仕方ないけど、案外、本気で逃げないようにしたとしても、逃げちゃったかもだよ」
いずれ逃亡するだろうと踏んでいた純子である。
「祭りが終わるまで、真君達がずっと捕まったままじゃ、面白いことも無いしね」
「だから見逃したと? それはやはり手を抜いていると見てしまいますよ?」
累からすれば、本気で逃さないように厳重に監禁しなかった時点で、それはわざと逃がしたかのようにしか思えない。
「手抜きしてわざと負ける気は無いよー。でも累君、少しくらいは楽しむべきだと思わない?」
純子が屈託の無い笑みを浮かべて言ってのける。
「奇妙な話ですね。純子の夢を破ろうとする者が、純子に夢を与えた者だなんて。その事に、何とも思ってないんですか? 理不尽だと思わないんですか?」
「子供の頃の私だったら、ナニソレーと思って、悲しむとか怒るとかだったかもしれないけどさー。今の私は面白いという感情しかないよー」
累の問いに、純子は笑顔のまま答えた。
「長い年月を過ごし過ぎて、一人でずっと歩き続けて、灰色の世界をずっと彷徨っているような感覚になっていた私に、ある日、色が戻った。あの子が突然現れた。千年経って、マスターの生まれ変わりとようやく――唐突に再会できた。それだけでももういいやって気持ちも有る。それで満足して終わりでもいいかな……って思うこともあった。でもやっぱり駄目なんだ。それでめでたしめでたしには出来ない。これは私の意地かな? 真君もそれをわかっているからこそ、私にマッドサイエンティストを辞めさせると宣言して、それを目標に掲げているんだよ」
純子には真の気持ちもわかっていたし、その心遣いを嬉しく感じていた。ただし、だからといってそれをストレートに受け入れるつもりは、純子には無い。純子はしっかりと自分の目的を達成させるつもりでいる。
「マッドサイエンティストを辞めさせるという目的もありますが、純子がこれから行おうとしている事を阻みたいんでしょう。輪廻を経た遥か昔の前世の自分の、後始末ですね」
「そうだろうねえ。それと、気になることも言ってたね」
累の言葉を認めながら、純子は真の台詞を思いだしていた。
『僕が勝ったら、雪岡が犯した全ての罪を償わせる』
あの言葉の意味を完全に理解したわけではない。しかし強い言霊を感じたし、純子の胸に強く重く響いた。それは純子の心に喜びにも似た不思議な感情も沸き起こらせた。
『ギネスブックを目指す』
だがその後に口にした台詞を思い出し、純子は戦慄する。そして自分にも恐怖の感情が残っていた事を再認識する。
「シスターの死に、心が痛みますか?」
純子を案じ、尋ねる累。シスターが死んでから、純子の精神がいささか不安定に見えて、累はずっと気遣っている。
「響いているようでもあり、そうでもないようでもあり、複雑な心境。みどりちゃんに見抜かれたけど、ほっとしている感じもある。長い旅路を終わらせた大事な友達を、ちゃんと見送ることが出来たんだから」
遠い目で語る純子。
「僕が死んだ時も同じ気持ちになります?」
「累君には死んでほしくないよ。シスターはずっと疲れていた。累君も疲れていたけど、累君は息を吹き返したんだから」
累の方を見て、純子は微笑みながらきっぱりと告げた。
「ジュデッカ君が言ってたっけ。体制側に回った人って、パターン通りになってしまう。ロボットみたいになってしまうって。私も多くの支配者カテゴリーのオーバーライフに、それを感じていた。人でありながら人ではない、システムの一部みたいになっちゃうんだよ。シスターにも確かにその傾向があった。そんな命を永らえた所で……ね。解放されて、よかったっていう気持ちはある。きっと私よりずっと灰色の世界なんだろうなって思う」
「ずっと灰色の世界って、奇妙な表現ですね。伝わりますけど」
純子の台詞を受け、累が物悲しそうに言った。
「確かに僕は息を吹き返しました。世界に色が蘇りました。しかそれでも、暗いものをまだ引きずっているんですよ?」
累が物憂げな表情で語りだす。
「例えば僕にも夢くらいはありますよ。でもそれはいけない夢なんてです。暗い夢なんです。純子と真を滅茶苦茶に叩きのめした後で、真の見ている前で純子を犯して、その後で純子の見ている前で真を犯してやりたい。そんなことを夢想しています」
「いいね、それ。面白いよ。是非やってみて欲しい」
累が心情を吐露すると、純子は面白そうにくすくすと笑った。累の言葉を冗談だとも思っていない。
「やりませんよ。実行したとしても、純子は怒りも悲しみもせず、本当に面白がって僕を許すでしょうから。それが余計に堪えるから、やりません」
「真君は?」
「怒った後にやっぱり許しそうな気がします」
純子に問われ、累は微笑を零してそう答えた。
***
真がホテルの一室に一人でいると、みどりがやってきた。
みどりにはずっと単独行動をしてもらい、色々と調査をしてもらっている。しかしみどりはそれ以外にも独自で動いている。
「純姉と会って話をしてきたよ。シスターが死んでへこんでいるかと思ったら、そうでもなかったっぽい。全然けろっとしていたってわけでもなかったけどさァ」
声に出して言葉で報告するみどり。二人の精神は繋がっているので、いちいち言葉で報告しなくてもわかるが、出来れば声で会話したい。大事な話は特に。
「純姉、わりとあっさり真兄達を逃がした風に感じるんだけど」
「捕まえて閉じ込めたままではつまらないから、逃がしてみたという方針かもな」
ベッドに仰向けに寝た格好のまま、真は言った。
「ヘーイ、舐めプしてるってことォ~?」
「元からの性格もある。雪岡は策を計る時、徹底的に煮詰めない。固めない。穴だらけの策で、うまくハマればいいな程度で、失敗してもいい程度の感覚で臨む。これまではそうだった」
その理由の一つとして、策を徹底的に固めようと、どこかに歪は生じ、気付かぬ所で穴も出るものであるし、そうなると固める事に費やしたコストの分、崩れた時のダメージが大きいという理由があった。策士策に溺れるという、カウンターも警戒していた。しかし最大の理由は、純子自身の好みの問題だ。純子は策を弄する事はあるものの、一方的に策でハメて貶めることを好まない。
「でも今回は違うような気がする。かなりガチだ。きっちりと計画を煮詰めてきている」
ただし自分の存在に関しては、純子のそのガチのプランの中に組み込まれていないような、そんな気がしている真である。
「真兄はわざと外している?」
真の考えを読んで、肉声で尋ねるみどり。
「ああ……それがあいつの僕に対してのメッセージかも。あるいは招待状か? 扉は開けてあるから入ってこいと」
踏みこませた所で、手が届く寸前で、完膚なきまでに打ちのめしてやろとうしているのではないかと、真は考えている。
「雪岡は舐めプしているわけじゃない。僕に負けるつもりでもない。完全な決着をつけるための儀式なんだろう。僕に全てを出させたうえで、僕に勝つつもりでいる」
純子の性分を考えると、そうとしか思えない真である。
「そうした方が真兄のダメージもでかいってのに、純姉も人が悪いぜィ」
「人が悪いんじゃない。容赦無い鬼教官みたいな受け取り方だ」
真が言った直後、みどりが跳びはねて、真に飛び乗るようにして抱き着いてきた。
「何だよ、急に」
「あばばばば、何でもな~い」
甘えるように体を摺り寄せながら、みどりは笑った。
(ふわぁ~……もうすぐ終わりの時が来るねえ。短かったような、長かったような)
真のぬくもりを感じながら、みどりは思う。
(真兄、純姉、それに御先祖様……。皆と過ごした日々。夢のような時間だったよォ~。もちろん、とてもいい夢だったぜィ)
***
勇気と鈴音は転烙市の街中を堂々と歩いていた。
寒色植物の監視の目は気にしていない。散歩や買い出し程度なら、見つかっても別に良いと考えていた。潜伏している場所を特定されて襲撃されないよう、その時だけ気を付ければいいと。それに対してのガードは、PO対策機構の能力者がしっかりと行っている。
ふと、勇気が足を止める。
(血の臭い……いや、死臭がするぞ。それに魂の腐れたあの臭いと、アルラウネの共鳴も……)
「どうしたの? 勇気」
鈴音が訝ったその瞬間、勇気のすぐ前方で影が伸び上がる。
勇気のすぐ目と鼻の先にデビルが現れる。鈴音は警戒し、いつでも攻撃と防御を行えるように、緊急用の針を袖口から出して身構える。
(俺の目の前に現れて……こいつ、何の用だ?)
不穏極まりない気配を感じ取る一方で、テビルから殺気や闘気のようなものは微塵も感じられない。
「近いぞ。何の用……」
勇気がデビルに問いかけて、絶句した。デビルが体内から人間の頭部を取り出して、勇気の顔の前に突き出してきたからだ。
それは美咲の生首だった。
「君のせい」
「は……?」
デビルが口走った台詞を聞いて、勇気は硬直から解けた。
「これ、君のせい。目を逸らさないで認めて。受け入れて。君のせいで死んだ。殺された」
「俺のせい? 誰に殺され……」
言いかけて勇気ははっとした。至近距離のデビルの目が笑っていた。その時点で気付いた。
「どういうつもりだ……? 何で殺した?」
「どういうつもりだ? どういうつもり? 何で殺した? 君が殺した。何で殺した? 君のせい。何で? どういうつもり?」
目だけ笑ったまま、デビルがオウム返しを続ける。
「はははははははっ! あーっはははははははははっ!」
突然哄笑をあげだした勇気に、デビルは一瞬びくっと身を震わせた。このリアクションは想定外だった。しかし笑い声こそあげているが、目は笑っていない。凄まじい怒気が勇気の体から立ち上っているのがわかる。
大声で笑い続ける勇気を見て、鈴音は息を飲んだ。鈴音は知っている。勇気は怒りが限界に達すると、笑いだすという事を。
「最初に会った時から、お前から発せられる魂の腐敗臭は、俺の神経を逆撫でした。お前は絶対に殺す」
勇気が宣言した直後、大鬼の全身が現れて、デビルの体を思いっきり踏み潰した。
確かな手応えを感じた。二次元化して逃れてもいない。鬼が足をどけると、血が、潰れた臓物が飛び散っている。骨も砕けている。地面にデビルの死体がへばりついている。
「絶対に殺す? 絶対に殺す?」
勇気の背後からもう一体のデビルが湧いてきて、勇気の台詞を復唱する。
「パラダイスペイン!」
鈴音が叫んで、針を指と爪の間に刺す。デビルの顔に大きな穴が穿たれ、勇気が振り返った時には、デビルは倒れていた。
新しいデビルがすぐに湧いてくる。今度は街路樹の影の中から、ガードレールの影の中から、鈴音の影の中から、それぞれ一体ずつの計三体湧いてきた。
「殺す? 神経を逆撫でにした? どういうつもりだ?」
「絶対に殺す。絶対に殺す? 絶対に殺す。何のつもりで殺した?」
「近いぞ。何の用? 絶対に殺す。何の用?」
「やかましい!」
勇気の大鬼が片っ端からデビルを踏み潰していく。
しかしまた新たにデビルが湧いてくる。殺しても殺しても次から次へと新しいデビルが湧く。
「勇気、埒が明かない」
「うるさい! 何百匹でも湧いてみろよ! 湧いた分殺し尽くしてやるから!」
鈴音が声をかけると、勇気は憤怒の形相で怒鳴った。
(効果覿面。いいね。とてもいい怒りだ。彼の怒りが波となって僕の魂に伝わってくる。響いてくる。押し寄せてくる。とても心地好い)
デビルは転がっている美咲の首を意識する。
(壊れた玩具――壊れた人形でも、遊び方次第では遊べる。楽しめる。美咲、君はそれを証明してみせた。とてもいい。君の死は有意義だった。君はそのためだけに死んだ。君はそのためだけに生まれてきて、そのためだけに生きてきて、そのために死んだんだ。役目を果たした。おめでとう。ありがとう)
心の中で賛辞と礼を述べると、デビルはその場から離れた。
「気配が消えた……」
荒い息をつき、ぽつりと呟く勇気。辺りには大量のデビルの死体が散乱している。
「本体が逃げたか……」
「違うよ勇気。こいつは全て本物。本体がいて分身が戦っているとか、そんなんじゃないの」
解析した鈴音が否定しつつ、解析結果をテレパシーで勇気に送る。
何体もいるデビルの全てに精神が存在していた。魂は一つしかないが、一つの魂が同時に宿っていた。分裂したデビル全てが本物であり、そして――
「こいつは死体が動いているのか」
鈴音の解析結果を見て驚く勇気。
「うん。死ぬ前に死相も見えなかった。正確には……生きている死体。心臓も動いているし、肉体として機能しているけど、それでも死体。そのうえ自分を分裂する事も出来るから、どんなに殺しても殺しきれない。地球が崩壊するか、本人の意思で死ぬか、それとも何か特別な方法じゃないと……殺せないよ」
鈴音が躊躇いがちに言うと、勇気は大きく息を吐き、美咲の生首を見下ろした。
「殺せなくても殺してやる。その方法を見つけてやる。こんな真似をする奴は生かしておけない」
激しい怒りを滾らせながら、勇気は宣言する。
「何でこんなことしたのかな……?」
「あいつが俺が嫌いだということは伝わった。だからだろ。ただの挑発。ただの嫌がらせ。あるいは挑戦状のつもりなのかもな」
鈴音の疑問に対し、勇気はどことなく虚ろな声で答えた。
94 ヒーローになるために遊ぼう 終




