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誰もが一度くらいは死というものを考えたことがあるだろう。
しかし、本当に逃れられぬ死の宣告がなされて、それを受け入れざるをえなくなった時、それまでに考えていた死と生の重みは、まるで違うものである事に気付かされる。
亀三は今正に、その死を意識していた。死と生の狭間にいた。いや、霊体は肉体をすでに離れていたので、もう死んでいる。しかしまだ心が死を受け入れきれず、肉体の側に留まっている。
(美咲……)
自分の亡骸にすがり、嗚咽し続けている娘を見て、心底申し訳なくなる。悲しくなる。
「終わったね、勇気」
政馬がやってきて、勇気に声をかけてきた。ジュデッカ、季里江、雅紀もいる。
「富夜は上だ。真が担いでいる」
勇気が市庁舎の窓を指す。窓からは真、ツグミ、牛村姉妹、熱次郎が顔を覗かせていた。
「まだこの人の霊体、側にいるよ。可視化を強くして、声も聞こえるようにしてみる」
そう言って雅紀が、呪文を唱えた。
『美咲……』
半透明の亀三が浮かび上がり、声を発した。
「お、お父さん!?」
驚いて顔を上げる美咲。そして死体の亀三と、霊体の亀三を交互に見やり、それが幽霊であることを理解した。
『美咲、悪い父親ですまなかったな……。ごめんな……。言いたいこと、他にもいっぱいあるはずなのに……言葉が……上手く出てこない……』
「お父さん……私も……同じ……」
言葉が上手く出てこないことは同じという意味で、美咲は言った。
『俺には結局……どうにも出来なかった。最後までダメ親父で終わりだ……』
ヒーローになって美咲にとって誇れる父親になりたかったという本心は、伏せておく。それを美咲の前で、さらには他の大勢の前で口にすることは、流石に憚られる。
『ああ、でも……俺の知っている情報を伝えることは……出来るな……』
勇気や政馬達を見渡して、自虐的に笑う亀三。
『聞いてくれ。雪岡純子がやろうとしている事は……転烙市そのものを……いや、転烙市の市民は、養分にされるんだ』
亀三の口から、衝撃的な真実が語られる。一同の顔色が変わる。
『もう市民の肉体には刻まれちまっている。空の道を使った時点で……いや、他にもある。転烙市のテクノロジーを利用した人間は全て、刻み込まれちまっている。祭りの時に、強制的に命が吸い上げられるんだ』
「どうしてそれを知った?」
ジュデッカが尋ねる。
『俺は硝子人を操れる。その際に、硝子人の頭の中に触れたからだ……。硝子人の一部には、祭りの際にそれらの操作を担当する硝子人がいるんだ』
「そいつを偶然下僕化したってことか」
眼鏡に手をかけ、納得する勇気。
『ああ、その硝子人の知識から、俺は欲望を吸い取り、純粋な力に転換する力を得られた。十年前の怪獣化したアルラウネと同じ力だ。祭りの際に……この力を応用して……ぐ……そろそろ……駄目だ……。意識が……伝えたいことはまだ……』
亀三の言葉が途切れ途切れになっていく。
「そろそろ俺の術も限界だ。これ以上留めておけないよ」
雅紀が頭髪を指で巻いて弄びながら告げた。
『硝子人から得た……俺が姿を消す……気配を消す能力……。硝子人が転烙市の……そこら……ある……隠していたんだ……脳みそを……』
「脳みそ?」
政馬が怪訝な声を発する
「そうか。もう十分だ。ゆっくり休め」
勇気が言う。
『まだ……死にたくない……』
亀三がすがるような目で、美咲を見る。
美咲が亀三に手を伸ばす。亀三も手を伸ばしたが、二人の手は触れ合うことなくすり抜ける。
(実に不愉快なシーンだ)
平面化した状態のまま嘆息するデビル。
(お涙頂戴シーン、感動ポルノ、どっちも見たくないが、重要な局面でもあるから見届けなくてはいけない)
そのために、デビルは嫌々観察していた。
亀三の霊体が消える。
美咲は虚脱した表情で膝をつく。亀三の霊体がいた場所から、足元の死体へと目を落とす。そしてしばらく何も言わず、ただじっと父親の亡骸を眺めていた。
(壊れた人形? いや、まだ壊れかけ)
そんな美咲を見て、デビルはあることを思いついた。
***
みどりは純子の要請で、黒マリモが精神世界へアクセスできないようにしたが、一人で行ったわけではない。累の第二の脳の力も借りていたし、純子が精神増幅器も借りたうえで行った。
「片付きましたね。みどり、御苦労様でした」
累がみどりを労う。
「あぶあぶあぶぶぶ。でも共闘はここまでだぜィ。でさ、御先祖様、ちょい席外してくんね? もうちょい純姉と話したいことがあるんだよねえ」
「わかりました」
みどりの要求に微笑んで従う累。
純子とみどりがソファーに座って向かい合う。先程のように隣に座るのでなく、向かい合った席に座っている。
「あたし、見たんだ。純姉が顔をぐちゃぐちゃにして泣いている所。あたしの死体に抱き着いて、死んじゃ嫌だよーとか言ってたのさ」
みどりが悪戯っぽく笑って告げた言葉を聞いて、純子は一瞬目を丸くした後、気恥ずかしそうな微笑を零す。
「覚えてるよー。千年も前の話なのにね」
純子が言う。みどりの場合は、覚えているというより、真の魂の深淵に触れ、前世の記憶でその光景を見た。
「あの時、緑の目だったね。名前もみどり。輪廻は何かしらどこかしら関連付けるものがあるものだよ」
「あたしの魂は、緑というカラーと死という概念を魂が引き継いでいる。御姫様もかな? 真兄の場合は反社会性と女たらし動物たらしとかかなァ。あばばばば」
自分の口にした台詞がおかしくて笑うみどり。
「楽しかったよォ……。純姉」
「みどりちゃん?」
純子の顔から笑みが消える。
「そんな台詞……またあの時みたいなことになっちゃうの? そのフラグ? あまりよろしくないことを考えちゃうんだけど……」
「どーだろうね~。ていうか、純姉、そんな顔も出来るんだァ。あぶあぶぶあぶぶぶぶ」
不安げな表情になる純子を見て、みどりはなおも笑い、立ち上がる。
「じゃ、また」
「うん」
手をひらひらと振り、出ていくみどりを見送り、純子は微笑んで頷いた。
(そのまたは――現世での再会を指しているの?)
みどりがいなくなった所で、純子はそんなことを考える。
***
黒マリモ亀三が消滅した所で、PO対策機構と転烙市の兵士達が向かい合い、一触即発の状況となっている。
「どうするんだ? このまま戦うか?」
勇気が隣にいる真に伺う。真達も市庁舎の外へと出た。救助した富夜も政馬達に引き渡した。
「駄目だ。勝ち目があると思えない。ここは敵の心臓部だ。市民の中にも大量に能力者がいて、次々と集まってきている状況だ。今押し切れるほどの戦力は無い。連戦で疲労もしている」
「なるほど。確かにそうだ」
真の言い分を聞き、勇気も納得する。
「それだけじゃない。段階を踏まないといけない。まず狙うべき場所は一つ。赤猫電波発信管理塔だ。さっきも言ったが、赤猫システムを破壊して転烙市の情報を市外に公開できるようになれば、転烙市の外からの助っ人を見込める。外部に対策の依頼も出来る。今はPO対策機構の援軍さえ呼べないだろう?」
「理にかなっている。わかった。それでいこう。俺からPO対策機構に連絡を入れておく」
「区車亀三が触れた真実も全て伝えてくれ」
「ああ」
真の言い分と方針を、全て納得したうえで聞き入れる勇気。
「むー……」
二人のやり取りを見て、不機嫌そうに唸る政馬。
「政馬、勇気と真が妙に相性いいように見えて気に入らないんでしょ」
鈴音が政馬の後ろにやってきて囁く。
「んむむ……ちょっとね」
鈴音に見抜かれて、政馬はますます憮然となりながら認めた。
「ちょっとじゃないはず。私も気に入らないし」
からかい気味に言う鈴音であったが、目は笑っていない。
そんなわけで、勇気と真の命令によって、PO対策機構側が市庁舎前より退却する運びとなった。
***
騒動が終わって、互いの兵が退きだしてからも、美咲とKATAは亀三の死体の前にいた。
「立てるようになったんだな」
勇気がやってきて声をかける。鈴音もいる。
「私は超常能力覚醒施設に赴いて、父の助けになりたくて、改造されようとしましたが、担当した方が私の改造を拒み、催眠治療というものをかけてくだって、それで歩けるようになりました」
「担当した人って、もしてかして純子?」
鈴音が問う。
「いえ、純子さんではなく、ミスター・マンジという方です」
「あのおっさんが……」
「意外。本当に改心したのかな?」
ミスター・マンジの名を聞き、顔を見合わせる勇気と鈴音。
「お前の父親は、転烙市の重要な情報を知ってしまった。転烙市のトップが大それた野心を抱き、恐ろしい計画を立てていたことを知った。それを食い止めようとしたが、暴走して一般人まで殺し出した」
「勇気、何言ってるの?」
突然、冷淡な口調で喋り出した勇気の話の内容に、鈴音が驚いて声をかける。
「黙ってろ。辛かろうと全て話す。俺はお前の父親を助けようとしたが、見ての通り無理だった。でも、お前の父親のおかげで、転烙市の計画を知ることが出来た。教えて貰った。それはお前の父親の功績であり、どちらも事実だ。そして俺の考えだと、お前の父親は意識して人を殺したわけではなく、無意識の暴走だった。ただの不幸であり、お前の父親の責任とも思わない」
伝えるだけ伝えると、勇気は押し黙り、美咲の言葉を待つ。
「悪い父親ですまなかったって……本当に悪いです……。でも最期まで……ってのは違います。悪いのは、最後だけです。死んじゃったことだけです……。別にその前は……悪くありません……」
しばらくしてから、美咲は涙ぐみながら言った。
「勇気さんと鈴音さんはどういう人なんですか? あ……勇気さんがこの国を治める人であることは知っていますけど、そんな人が私なんかに気をかけてくれて」
さらにしばらくしてから、美咲が質問する。
「気をかけたのはお前の父親の方にだ。鬼の泣き声をあげていた」
「鬼の泣き声?」
「えっとねー」
鈴音が鬼の泣き声を解説する。
(そういうことか……)
鈴音の口から鬼の泣き声とは何のか聞き、勇気がどんな人物なのかも知り、近くで聞き耳を立てていたデビルは、心底呆れていた。
(くだらないしつまらない。やっぱりこの子は最悪で最低だ)
勇気に対し、デビルは敵意を孕んだ視線をぶつけていた。
(何であいつ、さっきから隠れて睨んでるんだ?)
デビルの視線にも存在にも、勇気は気付いていたが、特に対応することはなかった。




