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ネロは一人だけ生き延びた。隙をつき、力を振り絞り、遮二無二逃亡した。何十人ものスノーフレーク・ソサエティーのメンバーの目が、政馬達に注がれている隙をついての逃亡は、奇跡的と言っても過言ではない。
「お、俺だけ生き残ってしまった……」
安宿の中に転がり込み、大の字に寝て天井を見上げながら呟く。
怪我は全て治癒している。しかし再生に費やした体力の消耗が激しい。
(終わりは……唐突に訪れるものだな。いや……兆候は見えていたか。ヨブの報酬の本部が破壊され……その前にも……サイキック・オフェンダー達との戦いで、俺達は力を失っていった)
虚無感に包まれ、これまでの経緯を振り返る。そして失った同胞達のことを悼む。
(シスターは死んだ……。ヨブの報酬も無くなった……。全て終わった。長く……長く、何時までも続くのかと思われた道。ここで途切れた)
現実味が無いと感じる自分。喪失感によって虚脱状態になっている自分。二人の自分がネロの中で同時にいる。それは矛盾だった。現実味が無いのであれば、喪失感を覚えることも無いというのに。
(シェムハザ……もう君くらいになってしまったな。俺の古い知己は)
幼い姿の赤目の少女が思い浮かぶ。千年経った今も、あの明るい笑顔は忘れない。そして本人と再会する度に、少し成長した顔で、幼い頃と変わらぬ屈託の無い笑顔を向ける。だがネロの中では、まだ幼い頃の少女だった頃のシェムハザの方が、鮮明に焼き付いている。
(生きている限り生きる。しかし……これからどうする……?)
ヨブの報酬の再建を考えたが、今はそんな気持ちにもなれない。そもそも自分は組織の頭を張る器でもないと思っている。
***
勇気と真達は政馬の要請を受け、市庁舎内のどこかに囚われているであろう富夜を探すことにした。
累と綾音は、そのまま見逃すことにした。
「真だけではなく勇気もそうですが、本当に君達は甘いですね……。僕なら絶対に容赦しない所ですが。いつかその甘さが命取りになりますよ」
「その台詞は累の口から何度も聞いているが、僕は今こうしてまだ生きているよ」
呆れる累に、真が淡々と告げる。
「甘いと言われるのは心外だが、俺がどう振舞おうと、俺に敗北はあり得ない。俺が敗北するその時は、宇宙が崩壊する時だ」
威丈高に言い放つ勇気。
「見逃して頂いたことには感謝します。御武運を」
綾音がにっこりと笑って一礼し、背を向けて立ち去った。累も着いていく。
「じゃあ、その捕まっている奴を探そう」
真が促す。
「気乗りはしないが、仕方がないな」
不機嫌そうに前置きする勇気。やっと真の救出が出来たし、疲れている所で、余計な仕事が上乗せされたと思っている。
「相手の特徴教えて」
「写真があればなおいい。成功率上がる」
伽耶と麻耶が要求する。
「政馬に送らせる」
勇気が言い、十数秒後にホログラフィー・ディスプレイで、富夜の顔を映し出す。
「この女だ。狸の妖怪らしい。変身能力がある」
「化け狸娘が市庁舎内のどこにいるか、わかれ~」「狸少女探知レーダー稼働。ぽんぽこりーん」
伽耶と麻耶が即興魔術を行使する。
「こんなんでわかるのか?」
胡散臭そうに姉妹を見る勇気。
「こいつらは言葉がそのまま力になるんだ」
「本当? それなら何でもありじゃない」
真が言うと、鈴音が驚いた。勇気もやにわに信じ難い様子で、伽耶と麻耶を見る。
「そこまでではないみたいだぞ。人としての力の限界はある」
真が付け加える。
『こっち』
姉妹が指差して歩き出す。他の面々もついていく。
「皆でぞろぞろ歩き回って、監視カメラとか引っかかるってことはないのー?」
ツグミが疑問を口にする。
「そりゃあ映ってるだろうけど、外があの騒ぎだからな。こっちにまで来る余裕はないんだろう」
「なるるる~」
熱次郎が言い、ツグミは納得する。
「それに僕等が累達をも退けたとあれば、迂闊には手を出せないだろう。僕等は敵の腹の中にいるようなものだが、その戦力も相当なものだ」
と、真。
「実質、ここがラスダンみたいなもんで、このままラスボス倒せるくらいの戦力有るか?」
「残念だが、俺も鈴音も結構疲れている。戦闘になったらお前達で戦えよ」
熱次郎の疑問に答える形で、勇気が威圧的に命ずる。
「伽耶、麻耶。回復してやれ」
「疲れという名の枷よ、彼方へと吹き飛ぶがいい」「疲労回復、マヤビタンD」
真に促され、伽耶と麻耶は勇気と鈴音に術をかけた。
「えー、本当に疲れ消えた」
「これは……凄いな……」
驚く鈴音と勇気。勇気の癒しの大鬼にも出来ない芸当だ。勇気は傷や病気は治すことが出来るが、肉体の純然たる消耗まで回復させることは難しい。特に自分に対しては無理だ。
「その代わりに私達が結構消耗」「回復系は疲れる」
「回復は元々苦手なうえに、体力の回復はもっと苦手。自分には無理だし」
「疲労回復は傷の手当よりさらに難しい。緊急時しかやりたくない。疲労を取りたいなら御飯食べて寝るべし」
伽耶と麻耶が訴える。
『ここ』
先導していた伽耶と麻耶が足を止め、扉の一つを指した。
扉の鍵を破壊して開くと、中にはベッドに寝かされている富夜の姿があった。
「外傷も無いし、変な術かけられているってことも無いな。薬で寝かされているだけ」
真が瞳を赤く光らせ、解析を行って状態を告げる。
「その色やめろよ。青にしろ。真にはイメージカラー的に青の方が似合う」
勇気が言う。
「イメージカラーで青にされた事は何度かあるけど、この目の色をやめろと言われても、この目を作ったのが雪岡だから、今はどうにもならない」
「ああ、そうなのか」
真の話を聞いて、勇気はかつて純子とヴァンダムが戦った、貸し物競争のことを思いだした。勇気も参戦しているが、あれで真は目を切り裂かれ、その代わりの目を純子に作って貰ったのだろうと、察しがついた。
「さて、見つけたはいいが、外に出るのは難しいな。あの黒マリモには理性が全く感じられない。目につく者を片っ端から殺しているだけだ。近付けばこちらにも攻撃してくるだろう」
窓の外で暴れている巨大黒マリモを見やる勇気。
「作戦の組み立てが必要だろう」
「おっしゃーっ、真先輩の作戦キターッ」
「喜ぶ所じゃないだろ……そこ」
「嗚呼……また真の作戦……」
「発言前に、真が作戦立てて通したい顔をしているのに、私は気が付いていた」
真が言うと、ツグミが歓声を上げ、熱次郎は嫌そうな顔で突っ込み、伽耶と麻耶は揃ってうなだれる。
「真の作戦は何か問題があるのか?」
熱次郎と牛村姉妹の嫌そうな反応を見て、勇気が問う。
「振り回されて凄く疲れる」
「超大雑把。でもわりとうまくいく」
伽耶と麻耶が答えた。
「よし、面白そうだから真に任せる。面白い作戦を聞かせろ」
勇気が真を見て興味深そうに微笑む。
「散々な言われ方だが、大した作戦じゃないぞ。僕達はしばらくこの建物の中に居続けた方がいいってことだ。そしてあの黒マリモに手出しをするとしたら、二つの条件が重なった時だ」
「二つの条件て?」
ツグミが尋ねる。
「一つは、黒マリモがPO対策機構にも手を出し始めた時。もう一つは、PO対策機構が黒マリモに応戦しだした時だ」
「前者だけでもよくないか? というか、前者が起これば、必然的に後者の流れになるだろ」
「そうとも言える。その状況になったら、ここからこっそり支援するに留めておく」
熱次郎が突っ込むと、真はあっさりと認めた。
「つまりは、消極的支援に留めるということか」
勇気が顎に手を当てて眉間にしわを寄せる。勇気としては気に入らない。
「今の状況で、建物の外に無理に出ることはだけは避けた方がいい。今は黒マリモが暴れて中断しているが、周辺でPO対策機構と転烙市の兵士達の戦闘もある」
「そうだな」
気に入らないが、真の言うことももっともだとして、勇気は聞き入れた。
***
累と綾音は、市庁舎内にあるラボに戻った。ラボには、悶仁郎、ネコミミー博士がいる。
「ただいまんこー」
しばらくして、純子も戻ってきた。
「累君、シスター死んじゃった」
「ええっ!?」
いつもの屈託ない笑顔で報告する純子に、累は驚きの声をあげる。
「まさかあのシスターが……純子の倍も生きて、フィクサーの一人として君臨してきた人なのに……」
直接事を構えたことは無いが、累とも多少は因縁のある相手で、その存在を意識はしていた。
「永遠も絶対も存在しないってことだよ。私や累君も気を付けないとねえ。死は突然やってくるものだから」
笑顔でそう告げると、純子はラボにいる一同を見渡した。
「そろそろ祭りの時期を発表しようと思うんだ」
「今、そんな話をする段階なの? 今正にPO対策機構に町の重要施設のあちこちが攻め込まれているのに」
純子の言葉を聞いて、ネコミミー博士が不審がる。
「祭りがPO対策機構に妨害されることを予期して、転烙市防衛軍の組織化が必要だねえ。大々的に募集しよう」
「今からですか……」
「間者が入ってきて、内から食い破られる危険性もあるぞ」
綾音が戸惑いの表情を浮かべ、悶仁郎が冷静に指摘する。
(純子……おかしいですね。ズレたことを続け様に口にしている)
そのおかしい理由は、累にも察しがついた。
「そうだ。祭りの名前は悶仁郎さんにお願いするねー」
また急に話題を変える純子。明らかに様子が変であることは、累以外の者達にもわかった。その理由もわかった。
「祭りの名目は如何なものにする?」
悶仁郎が問う。純子の様子がおかしいなら、そのおかしいままで合わせた。
「準備はどれくらいで出来るかなー。長く見積もって一週間から十日くらいかなー」
しかし純子は悶仁郎の問いに答えず、一人で話を進めている。
「もっと早い方がよくありませんか? 準備期間が長いと、それだけ敵の妨害が増えます」
「純子、話がずっとちぐはぐです。少し落ち着いてください」
「祭りのことよりも、今市庁舎前で暴れている、あれを何とかしないと駄目じゃないかな……」
綾音、累、ネコミミー博士がそれぞれ言う。
「ああ……そっか。うん……私も色々混乱してるかも。あははは……。私にもそんな心があったんだねえ」
ここにきてようやく純子は、自分の混乱とおかしな言動を自覚して、力無く笑った。
(シスターの死がそれだけ響いているということですね)
こんなに痛々しく、そして儚い純子を見るのは、累は二度目だった。一度目は真が百合に貶められた時だ。




