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弓男、鷹彦、美香の三人の前には、丘陵地帯に建てられた小さな工場が建っている。周囲はぽつりぽつりと木が生え、草が生い茂っている空き地ばかりだ。人通りも無い。裏通りの組織のアジトとしては、よく適した環境である。
「ああ、大事なことを聞き忘れていました」
工場へと歩き出したところで、弓男が美香に声をかける。
「彼等が人身売買組織を通じて買い取った人間で、人体実験をしたという確たる証拠は掴んでいるのですか?」
「無い! しかし情報筋だけは確かだ!」
「えっとねー、一応ね、証拠は必要ですよー。できればそれを抑えたいと思うんですが、どうでしょうかね?」
「応! だから私も元からそのつもりだ! では行くぞ!」
意気揚々と正面から堂々と工場の中へと入っていく美香に、弓男と鷹彦は顔を見合わる。
「いきなり蜂の巣にされねーか、あれ」
「そんなあっさり死ぬ子なら、とっくに死んでいるでしょうよ。でもまあ思いきったことしますねー」
二人が喋っている間に、建物の中から複数の銃声が立て続けに鳴り響いた。
「おいおいおいおいおい、この銃声からすると相手は拳銃じゃないぞ。この国の裏社会は拳銃以外禁止されてんじゃなかったのよ」
「そりゃあねー、武器製造組織ですから、突撃銃や機関銃の類も持っているかもですね」
弓男が懐からプラスチック製の小さな瓶を取り出して蓋を開け、中から錠剤を一粒出して、口の中に放り込む。
裏通りの住人も戦場の兵士達も必ず服用する薬物――『コンセント』。五感、反射神経、集中力、動体視力、第六感等を極限まで高める薬品。一粒服用するだけなら、一切後遺症の無い合法ドラッグ。
服用すれば、相手の動きや銃口から銃弾の弾道すらおおよそ見てとれることが可能となり、銃弾を先読みして回避することもできるようになる。撃つ側も相手が先読みして回避することを前提で、相手のわずかな動作と己の勘を頼りに、どう動くかを刹那の間に計算して撃つ。
コンセントによって極限まで研ぎ澄まされた集中力と第六感でもって、互いに先読み前提で動くがために、ほんのわずかな動作も意識しあってのフェイントのかけあいも、頻繁に行われる。
鷹彦が先に工場の中へと飛び込み、少し時間差をおいてから弓男も飛び込む。
先に入った鷹彦に反応しての銃撃はあったが、弓男に対しては咄嗟の反応ができない。弓男は入り口に向って撃っていた者の居場所をすぐに特定し、銃を向けて引き金を引く。相手はコンテナの陰から少し出していただけの頭部を撃ち抜かれ、コンテナにもたれかかるようにして崩れ落ちた。
さらに、鷹彦に銃を向けている男の姿が視界に入り、弓男はもう一発撃つ。相手は弓男には意識を向けていなかった。
「ま、火力の違いと数の違いがハンデになる、と。そんな程度みたいですね。うん」
積み上げられた箱の陰から、鷹彦を狙ってマシンガンを撃っていた男を撃ち殺して、心なしかつまらなさそうに零す弓男。
残りの敵は、ぱっと見た感じ五人。同様にコンテナやベルトコンベアーの陰からマシンガンを撃ってくる。隠れて様子を伺っている者もいるかもしれないが、積極的に交戦しているのは、この五人だけだ。
彼等は銃を持っているだけの素人としか、弓男の目には映らなかった。年がら年中、銃弾の飛び交う世界に身を投じていた弓男にしてみれば、それが一目でわかってしまうお粗末な乱射だ。
マシンガンの類で弾幕を張ることに意義が無いわけではないが、コンセントを服用し、かつある一定水準以上の腕前を持つ者には効果が薄い。おまけに敵同士で連携も無い。考えなしに撃ちまくっているだけだ。
敵の弾が尽きる瞬間を見定めて、弓男達は拳銃で確実に一人ずつ仕留めていく。
「これで第一陣は終わりかね」
銃撃が完全に途絶え、敵が残らず死体になったのを見て、鷹彦が声をかける。
「まだ奥にいるかも知れないが、ここは工場としては小規模だな!」
美香が言った。積み上げられた箱の中にはマシンガンが並べられていた。銃器の製造工場のようだ。
「おや? 結構な人数がいるみたいじゃないですか」
額に手を当て、奥を覗き込むような仕草を取る弓男。
「誰もいないぞ!」
工房には三人の他に生きている者はいない。弓男の言葉に怪訝な表情になって当たりを見回す美香。弓男は無言で、奥にあるシャッターを指す。
美香とて殺気や人の気配には敏感な方だ。しかしそれは距離に影響される。少なくとも近場には人がいないのはわかる。
「幽霊に教えてもらったってか」
にやりと笑う鷹彦。
(何か超常の能力か!)
鷹彦の言葉に、弓男が超常の力で奥に潜んでいる敵の存在を察知したのだろうと、美香は察した。詳細こそ聞かされていないが、弓男が何かしら力を持っている事は、美香も知っている。
「相手が来るのをここで待ちましょう」
弓男が提案し、鷹彦と美香もそれに頷いて身を潜める。
しばらくした後、弓男の言葉通り、奥のシャッターが開いて新手がなだれ込んできた。その中に組織の構成員十名程の他に、殺意を漲らせた猛獣が六匹も混ざっている。
「おやおや、バトルクリーチャーかよ。まさか日本でこいつらとやりあうことになるとは思わなかったな」
鷹彦が不敵な笑みを浮かべ、手近にあるマシンガンを拾う。拳銃では流石に心許ない。溶肉液は用意していなかった。
バトルクリーチャーの戦場においての役割は、大量投入による敵の弾減らしや、味方の弾避けのための陽動のニュアンスの方が強い。所詮は生物であり、対バトルクリーチャー用の溶肉液入り弾頭や、近代火器の前には成す術無く死んでいく。グレネードなどを食らえばひとたまりもない。
「近い未来、より低コストでより強力なバトルクリーチャーが開発されれば、脅威になるとは言われているけれどよ。このシチュエーションだと十分脅威だぜ」
屋内で、敵との距離もそう離れていない。それでいて銃を持った十人ほどの敵と、盾にも矛にもなりうる六匹の生物兵器。こちらは三人。普通に考えれば絶望的な状況だ。三人ともベテランで強者ということを差し引いても十分に厄介である。
「臆しているのなら下がっていろ! 私が何とかする!」
凛とした表情を敵の方に向けて言い放つ美香に、鷹彦は目を丸くする。
「あれをどうにかできる自信があるってのか? どんな隠し芸を披露してくれるのか、見てみたいねえ」
からかう鷹彦だったが、
「いやいや、それはもう無理ですよっと。私の方が先に隠し芸を披露しちゃいましたからね」
弓男が笑顔で言い、両手を広げて肩をすくめてみせる。
「む!?」
前方で起こった変化に、美香が唸った。
破竹の憩いの構成員達とバトルクリーチャーの周囲に、一瞬白い靄のようなものが拡がったかと思うと、彼等は一斉に恐怖に顔を歪めた。
「化け物! 来るな来るなーっ!」
「痛い……苦しい……助……」
「やっ、やめて! 悪かった! 俺が悪かった! 許してくれえ!」
口々に喚きながら、見えない何かから逃げようとする者、その場に倒れてのたうちまわる者、あるいは虚ろな表情で膝をついて涎を垂らす者など、一人残らず正常さを失い、混沌の様相を見せていた。
バトルクリーチャーも同様だ。明らかに脅えた吠え声をあげ続けたり、壁に何度も頭を叩きつけたり、丸まって震え続けたりしている。
「幻術? いや、幻覚ガスか?」
弓男に視線を向ける美香。
「違いますけれど、ま、そんなものでしょうかねえ。ええ。ま、大して面白い能力でもありませんよっと」
弓男は微笑みながらはぐらかすと、混乱しきっている組織の構成員達の方へとゆっくりと近づき、一人一人、頭部に向けて銃を撃ってとどめをさしていく。
「見えていないのか……」
銃を間近で突きつけられても反応せず、一方的に殺されていく有様を見て、美香は呻いた。
すでに戦闘不能になった相手に、顔色を変えることなく容赦なくとどめを刺していく弓男に、美香は息を呑む。今まで穏やかな口調で喋っていた男が、こんなことをするとは思わなかった。美香なら相手の戦闘力を削いだら、それで勘弁してやる所だが。
(力の正体がわからないことには、私の力をもってしても対処が難しいな。それ以前にやりあうハメにはなりたくないが)
場合によっては敵に回る可能性も有り得る。そういう可能性を孕んだ依頼を美香は受けている。最悪のケースも想定して、弓男の持つ超常の力の謎も、できれば事前に知っておきたいと思う。
「じゃ、適当に爆弾でも仕掛けてまわって、工場ごとドカーンといっとくかね。ていうか、日本戻ってから、爆弾仕入れるのも苦労したぜ……。売る側も出し渋っていたしよ。本当に不便な国だなー」
「なら爆弾仕入れやすい国は、便利な国なのですかっと」
軽口をかわしあいながら、持参した爆弾を要所にセットしていく鷹彦と弓男。
「調べによると彼らの工場はまだ二つある! レッドトーメンター改は、今後の目玉商品として伸ばしていくつもりだろうし、ここではないだろう! 残り二つの工場のうち、一つは奴等の本拠地だ! レッドトーメンター改は本拠地の方で作られているかもしれないな! あるいはその両方か!」
爆弾をセットし終えて、工場の外へと出た所で美香が言った。
「そりゃあねえ。どう考えてもウイルスを作る施設には見えませんしね」
「警備も手薄って感じがするな。工場としての規模も小せえしよ」
つまらなそうに言って鷹彦がリモコンのスイッチを押す。爆音が響き渡り、工場の中から煙が噴出した。
「暴れ足りない感じですし、別の場所も行って、どかーんと暴れてみますか。これ」
「賛成!」
弓男の提案に、美香は即座に同意する。爆破した工場の方には目もくれず、三人はその場を後にした。




