18
真が一歩後退する。
綾音がさらに踏み込んで、真に迫る。
真は何度か、綾音と戦ったことがある。それらは本気の戦いではなく、綾音が旧雪岡研究所に訪ねてきた際、戦闘訓練での手合わせをしたまでだが、それでもある程度戦い方や癖は知っている。
匕首を突き出すタイミングを読み、真は超音波振動鋼線を伸ばし、綾音の腕に巻き付けんとした。
だが突くと思われた綾音の動きが途中で止まった。綾音の一瞬の停止に合わせるように、真も動きが停まる。戸惑って止めたわけではない。それも読んでいた。
綾音の腕が動く。突くのではなく、横に薙いでくる。真もそれに合わせて鋼線を動かす。
真は驚きに目を見開き、鋼線を振るいながら大きく後退した。鋼線が焼け焦げて途中で斬られている。切断された鋼線が火に包まれて床に落ち、燃えている。綾音鋼線を狙って斬ってきた。そして匕首の持つ延焼の力を発動させた。
綾音からすれば、鋼線を伝う形で火を真にまで届かせるつもりであったが、真は鋼線を振るってすぐに引っ込めたので、火は届かなかった。
真はさらに綾音が距離を詰めてくるかと思ったが、綾音は来なかった。それどころか、後退して距離を開けた。
その理由はすぐにわかった。綾音がいたすぐ前方の床から、触手が四本生えてきたのだ。熱次郎の能力だ。
(数のうえではこちらが有利。しかし容易に押し切れる相手でもない)
そこで真は計算を働かせる。
「プロミネンス・ストーカー」
勇気がアーチ状に伸びて追撃する炎を七本出す。累の強さを考慮して、常より多めに出した。
累は避けることなく、妖刀妾松を振るって炎に斬りつける。刀に自身の妖力も加えた一撃が、超常の炎を霧散させる。
「パラダイスペイン」
累が炎に気を取られている瞬間に合わせて、鈴音が攻撃した。念動力の塊がハンマーのように累めがけて打ち下ろされる。
鈴音からの攻撃の気配を察し、累は炎を消した後、転移して逃げた。念動力ハンマーによって、累がいた場所の床が大きくへこむ。鈍い破壊音が響く。
「ここは敵本拠地だ。すぐに援軍が来る」
真が勇気に話しかける。
「だから何だ? 俺に逃げろと言うのか?」
うるさそうに真を見る勇気。
「捕まっている仲間がまだいる。僕は助けに行ってくるから、お前達で踏ん張っていてくれ」
「ちょっと……」
「それだとこっちが危なくなるぞ」
「わかった。行ってこい。それが最適解だ」
真の方針を聞いて、鈴音と熱次郎は表情を曇らせたが、勇気は不敵に笑って了承した。
「父上、真を行かせるとますますこちらが不利になりますが」
移動する真を見て、綾音が累に言った。
「わかっています。綾音が追ってください。ここはどうにかします」
「はい」
累の了承を得て、綾音は真を追って転移した。
勇気、鈴音、熱次郎、ペンギンマジシャンの四人と、一人で向かい合う格好となる累。
「一対三だぞ? 随分な自信家だな。いや、一対四か。ペンギンマジシャンもいる」
「黒髑髏の舞踏」
勇気が言うと、累が術を発動させた。大量の黒髑髏が現れ、通路を埋め尽くす。
「三対幾つでしょうね?」
「変わらないぞ。こいつらはお前が呼び出したものであって、それぞれが意思を持つ別個の頭数じゃない」
累が意地悪く笑ったが、勇気は逆に笑い飛ばした。
廊下を埋め尽くす黒髑髏達が一斉に駆け出す。さながら黒い波が押し寄せるが如くといった光景だ。
だが、先頭の黒髑髏達が一斉に潰されて動きが止まる。後続の黒髑髏達も次々と同じ場所で潰れていく。
廊下の一部分が水で覆われていた。その水の中に飛び込んだ瞬間、髑髏は潰されていた。ただの水ではない。空間の一部分を深海と直接繋げる能力だ。深海と同様の水圧がある。それによって黒髑髏達は潰されていった。
「やりますね」
累は微笑み、素直に称賛する。
その時、勇気は軽い眩暈を覚えた。
(さっきの柚との戦闘からの連戦だ。消耗が無視できないレベルだ。あとどれくらいもつかわからないな)
できればこの疲労を悟られなくないと思うが、累はすぐに見抜いてきそうな気もした。
「使いたくない手でしたが、仕方ありませんね」
スケッチブックを取り出す累。
「何かヤバそうだな」
「いや、あれはヤバい」
勇気が呟くと、熱次郎がはっきりと告げる。熱次郎は累がスケッチブックを取り出した意味を――能力の正体を知っている。
累がスケッチブックを開くと、周囲の風景が一変した。
誰一人、逃げることは出来なかった。対応する間もなかった。変化は一瞬だった。
市庁舎内の廊下ではない。文字通り血のように真っ赤な空。黒い地面。幾つもの丘とくぼみ。丘の上に立つ無数の十字架と、磔にされた薄汚い服装の老若男女。
(いいな……あれ)
磔にされている者達を見て、鈴音は思う。
「俺の嫌いな色だと知っててやったのか?」
赤い空を見上げて、怒りに顔を歪める勇気。
累の能力によって、勇気、鈴音、熱次郎、ペンギンマジシャンの四人は、累の作った亜空間――絵の中の世界へと送られていた。
「累の絵の中に引きずり込まれた……」
熱次郎が呻く。
「どうにかできないのか?」
勇気が鈴音、熱次郎、ペンギンマジシャンをそれぞれ見やる。
「むしろそっちに期待したい。俺も空間操作は出来るけど、累の力には叶わない」
熱次郎が勇気を見て言う。
「ごめん。私も勇気も、さっきの戦いでわりと消耗してるから……。その時の敵が強かったし、完全に回復しきってない状態で助けにきたの」
「無理させて申し訳ないな」
勇気に代わって謝る鈴音に、熱次郎が言った。
「馬鹿鈴音、泣き言を吐くな。主人公ってのは、逆境で輝いてこそ主人公だ」
「そうだね。ごめん。私は主人公を支えるヒロイン失格だね」
「お前をヒロインなんて認めてない」
勇気が吐き捨てると、ペンギンマジシャンを見る。
ペンギンマジシャンがステッキを振る。更衣室のような、カーテン付きの小さな部屋が出たかと思うと、ペンギンマジシャンがその中に入る。
「ワン・ツー……スリー!」
「あ、待てっ」
ペンギンマジシャンが何をするか悟って、勇気が呼び止めたが遅かった。
更衣室が消える。ペンギンマジシャンもいなくなっている。
「まさか……一人だけ逃げた?」
「そのまさかだ……。あいつ、戻ってきたら、声が出なくなるまで折檻しまくってやるっ」
熱次郎が苦笑いを浮かべて尋ね、勇気は声を荒げる。
その時、十字架に磔にされた者達が、一斉に燃え上がった。断末魔の絶叫が響く。
燃えた状態で全ての十字架が宙に浮き、角度を変える。足の方が勇気達三人の方へ向いた状態で、空中で停止する。その数は二十や三十どころではない。
「嫌な予感……」
「どうくるかはわかっているな。防ぎきるぞ」
「防げるかな……」
鈴音が呟いてカッターの刃を口元に当て、勇気は大鬼をフルサイズで出す。熱次郎はありったけの触手を生やす。
十字架が猛スピードで一斉に飛来する。巨大な弾丸があらゆる方向から放たれたようなものだと、熱次郎が思い、絶望的な気分になったその時だった。
三人が通常空間に戻った。
「おっしゃ、間に合ったー。大ピンチだったねー」
累のスケッチブックを取り上げたツグミが、勇気と鈴音と熱次郎を見て笑っていた。累は憮然としている。
その横には伽耶と麻耶の姿もあった。そして少し後ろに、真とペンギンマジシャンもいる。真は後ろから累に銃を突き付けている。
「こいつは見た目のわりに中々有能だな。僕達の所に現れて、ここまで一斉に転移させてくれたんだ」
真が傍らにいるペンギンマジシャンを見て言った。
「俺は累の絵の世界の中から転移できなかったのに、そいつは出来たのか……。しかも連続転移って、よほど空間操作に長けた者ではないと出来ない芸当だぞ」
熱次郎が感心と呆然が入り混じった声で言うと、ペンギンマジシャンは得意げにフンフンと鼻を鳴らして、腰に翼を当てて胸をのけぞって見せる。
「まさかこのベンギンにしてやられるとは……」
「ふん、今回だけは褒めてやる。だが調子に乗るな」
累もペンギンマジシャンを見て呆気に取られている。勇気は忌々しげに吐き捨てると、ペンギンマジシャンを消した。
「申し訳ありません、父上」
少し遅れて綾音がやってきて謝罪した。
(まだ戦えないこともないですが、敵の人数が一気に増えてしまいましたし、ツグミと伽耶と麻耶が加わるとなると、相当厄介ですね)
累は大きく息を吐き、手にしていた刀剣を足元に起き、降参の意を示す。
「累が降参した」
「累、捕虜に出来る」
「いいねー。累君の捕虜化。もうエロいことしか思いつかないっ」
伽耶、麻耶が言い、ツグミが麻耶の言葉を受けてにやにやといやらしく笑う。
「これからどうするんだ?」
「このまま天守閣へ」「純子のクビを取りに行く」
熱次郎が尋ねると、牛村姉妹が答える。
「純子を殺す気かよ。やめてくれよ」
微苦笑をこぼす熱次郎。
「勇気達も疲弊しているし、今は転烙市の各所で戦闘が起こっている最中だ。転烙市の重要施設を幾つか落とせれば、それでかなりの打撃になる。特に赤猫システムを破壊できれば、転烙市の情報を外に出すことが出来る」
真が状況を鑑みて言った。
「なるほど。転烙市の実態が世界に知れ渡れば……全世界のフィクサーを動かすことも出来るかもしれない」
そうなったら自分が貸切油田屋のテオドールに頼んでみようと、熱次郎は考える。
「赤猫電波発信管理塔も攻撃している最中だぞ」
勇気が報告した。
「どの部隊が?」
「ヨブの報酬だ」
「そうか。PO対策機構と共闘しているのか」
勇気の言葉を聞き、真は心強いと感じたが――
「悪いな、真。俺にはあいつを止める事が出来なかった」
憂いを帯びた表情で告げる勇気。
「何をだ?」
「すぐにわかる……。あいつは聞く耳持たなかった」
今起こっている事態は、勇気としては賛成したくなかった事だが、飲み込むしか無い事だった。
加えて言えば、勇気の本心として、反対しきれなかった理由もある。勇気が自分の手でやりたかった事でもある。




