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「何で僕だけ親呼び出されるんだよ。宗徳も一緒に暴れてたのに」
教室に戻ってから、教壇の上に腰かけた真が不満を口にした。
「お前は俺の二倍の人数やってたからな。何より俺は、お前みたく倒れた相手に追い打ちかけて怪我させるような、無茶苦茶してねーもん」
にやにや笑いながら宗徳がからかう。
「オイラ、真は悪いことしたと思わないぞー。悪者退治しただけなんだし、真は悪い奴以外は殴ったりしないの知ってるもんねー」
若干上ずった声でフォローしたのは、真と宗徳と共に幼稚園時代からずっとつるんでいる、田代仁という生徒だった。
目をぱっちりと開き、いつも口を半開きにしてにやにやと笑っている彼は、軽度の知能障害を患っている。だが学力そのものは問題無い。所謂サヴァン症候群というもので、記憶力計算力は非常に優れている。
ただ、常識的な感覚はかなりズレている所があり、精神年齢もかなり幼い。
通常、仲のいい者同士はクラスを別々にするが、小学校でも中学校でも、仁のために便宜を図って、常に仁と宗徳と真を一緒のクラスにするようにしていた。仁の母親の強い訴えもあるし、何かあった際にはその方が対処しやすいだろうという教師側の考えもある。
少なくとも真と宗徳と同じクラスにしておけば、仁がいじめの対象になることはない。
「何なら今度オイラが真のママに話してやるぞー。真は悪くないって」
「そんな余計なこと是非やめてくれ。余計こじれる」
本気でそのつもりでいる仁に、真は切実にお願いした。
「こじれる……こじれるって意味わかんないなー。余計の意味はわかるぞー。多分余計って意味だろー?」
「グダグダになるってことかな」
仁の疑問に答えたのは宗徳だ。
「おおー、なるほどなー。うちのママみたいになるってことかー。それは困るなー」
もっともらしく腕組みし、大袈裟に顔をしかめて難しい表情を作って見せる仁。
「凄く意味履き違えている気がするな。グダグダってのは、状態を現しているもので、人物を現しているものじゃない」
「そんな難しいこと言われてもオイラわからないもんねー」
真が真面目に解説したが、仁はへらへら笑いながらそう言ったので、真は頭の中で溜息をつく自分を思い浮かべて、それ以上は触れないでおく。
「それより皆でカラオケ行くぞー」
意気揚々と腕を上げる仁。
「昨日行ったばかりだろ。つーか一昨昨日にも行ったしなー」
あまり歌うのが好きではない宗徳が、嫌そうに突っ込む。
「毎日―っ。毎日行くもんねーっ。オイラもっと歌うまくなって将来歌手と刑事になるから」
腕を横に伸ばして上下にぱたぱたはためかせて、嬉しそうに宣言する仁。
「何度も言ってるだろ。それぜってー無理だから。どっちかにしろよ」
「あうあう……じゃあ歌手と同じくらい歌の上手い刑事になるぞー」
宗徳に言われて、複雑な顔で仁は妥協する。側でそのやりとりを聴いていた女子生徒数名が、くすくすと笑っている。
「カラオケが駄目なら、今すぐ放送室行って歌ってくるもんねー」
「やめろって。もうすぐ授業だ」
教室を飛び出ようとする仁の腕を掴む宗徳。
「いいじゃない、田代君歌って来れば」
側にいた女子生徒が無責任に囃し立てる。菊池礼子という名の女子であった。
間違いなくクラスで一番の美少女であり、密かに想いを抱いている男子生徒も少なくない。やや細身ではあるが、大人びた容姿をしており、背が高く足がスラリと伸びている。黙っていれば落ち着いたムードの理知的な美少女に見えるが、実際はお茶目で活発な少女だ。
「田代君の歌、期待している人だって少なくないと思うのよ」
「ほらほらー、菊池さんにもああ言われているし、オイラ行ってくるぞー」
仁は頻繁に放送室ジャックを行い、校内放送で己の歌を披露している。仁は歌がとても上手く、聴き入る程のよく通る美声の持ち主であるがため、不快に思っている生徒は少ない。
そもそも仁を嫌う者はほとんどいない。非常に明るくて人懐っこく優しい性格なので、多少暴走する所があっても大目に見られてしまう。
「余計なこと言って焚きつけんなよ」
しかし宗徳は手を離そうとしない。仁の暴走を放っておくと、怒られるのは、仁の御目付け役と認定されている宗徳と真だからだ。
「ちぇっ。あ、そうだ。これ重要極秘情報だけどなー」
礼子が離れたのを見計らい、急に声をひそめて、真と宗徳に顔を寄せるように手招きして、口に片手をあてる仁。
「オイラが聞いた噂だと、菊池さんて、真のこと好きらしいぞー」
「はっ、こいつもう付き合っている子いるからな」
忌々しげに吐き捨てる宗徳。
「性格最悪でチビでも顔さえよければモテるようだ」
「言うほど僕はモテていないと思うがな」
真も顔だけなら学内で最高レベルであったが、背の低さや素行の悪さから、総合的な評価は別れていたし、真もそれを知っていた。
「誰のどこがモテてて最悪だって?」
礼子がまたやってきて声をかける。仁が自分の名前を出したことや、断片的な台詞だけが耳に入ったらしい。
「こいつの話をしていただけで、お前の話じゃないぞ。それとも自分のことだと思ったのか? 自意識過剰だな」
「そ、そんなつもりじゃなかったし」
宗徳の言葉が図星だったようで、あからさまに鼻白む礼子。
「菊池さんも今度一緒にカラオケ行こー。行きたいよね。真と」
「いや、何で相沢君を名指しなのよ……」
仁に無邪気な笑顔で誘われ、礼子はあからさまに顔を赤くする。
「わぁい、菊池さん、顔赤いよー」
「ぐぬぬ……」
追い打ちをかけるように仁にそれを指摘され、拳を握りしめてわななく礼子だった。
(糞……あいつら不良と池沼の分際で、菊池と楽しげに何の話をしてやがるんだ)
そんな四人の様子を遠巻きに見据えていた生徒がいる事に、クラスの誰も気が付かなかった。
その生徒の名は梅宮計一。クラスに友人は一人もいない。彼の事を気に留める生徒すらほとんどいない。いつも本を読んでいて、授業で教師に名指しされた時以外、喋っている所を見たことのある者はない。
誰からも気を留められない存在。この世で一番どうでもいい存在。計一は己自身をそう評している。己を最底辺の存在だとして認識し、絶望しながら生きている。誰にも心を開けず、交われない。人という存在が信じられない。
自分を最底辺と信じこむ一方で、計一は他者も見下していた。世界中の誰も彼もが、愚物に見えて仕方がない。
だがそんな計一でも恋心くらいは芽生える。視線の先にいる菊池礼子だ。
(忌々しい……。最近菊池とあいつら、よく話すようになったけど、どうしてなんだ。まさかと思うが、菊池が相沢の奴に気があるって噂、事実じゃないんだろうな……)
本を読んでいる振りをして、その端から目だけ出して、礼子と真の二人を交互に見やる計一。自他共に認める不細工な容姿の計一は、絵に描いたような白皙の美少年である真に対して、日々嫉妬と憎悪を募らせていた。
(畜生、あいつは顔がいいってだけで、この先何の悩みも無く欲しいもの全て手に入れていく人生イージーモードなんだろうな。不良のくせしてよ。俺は根暗で不細工なせいで、ずっと人生ハードモードになるのがわかりきってるんだぞ。畜生、畜生、呪われろ。何か不幸なこと起これ。事故れ。死ね死ね死ねっ)
本を読む振りをしながら、計一は力いっぱい呪詛を送る。一年前、現在は三年になる不良グループにかつあげされていた経験があるため、計一は不良という存在を心底忌み嫌い、憎んでいた。
もっともその不良グルーブは真と宗徳によって病院送りにされ、以後かつあげやイジメの類は一切しなくなったので、計一にとっては真と宗徳は恩人にあたるのだが、計一はその事実を知りつつも受け入れようとはしない。等しく憎悪の対象と見なしている。
途中で虚しくなって、読書へと戻る。読んでいる本はありがちなライトノベルだ。何をやっても駄目な主人公が異世界に召喚されて力を得て、世界のピンチを救うために大活躍して、周囲の人間に凄い凄いと大絶賛されて持てはやされるという、手垢にまみれた内容。
こういった本を読んでいると、計一は嫌な現実から解き放たれた気分になるが、同時に渇望するようになる。
くだらない現実も、本の中と同じような事が起こらないかと。いや、起こっていいはずだし、起こるべきだと。自分も凄い力を手に入れて、人々から認められて褒め称えられ美少女に惚れられるべきだと、そうなって何が悪いのかと。




