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(思えば俺は悪い父親だった……)
狭い裏路地で身を縮めながら、区車亀三は自虐に浸る。
(すぐに癇癪を起こして当たり散らしてばかりだったな。そして……)
怒号や暴力の後の、妻や娘の脅えた顔を見るのが好きだった。それで怒りも収まったし、気持ちが良かった。
家庭での話題といえば、職場の愚痴や賭け事で勝った自慢話や嫌いな有名人の悪口ばかりだったが、今思い起こせば、それも愚かで恥ずかしい行為だったとわかる。
(こんな事になって、今更になって自分の悪さに気付くなんて……。あの時は意識していなかった。何て酷い奴だ……。糞、今更後悔して反省しても……)
頭を抱えてうなだれる。愚かしさを痛感して、恥ずかしくて消えたくなる。
『結局人生というものは、自身が選択した結果でしょう。自分が求める一番いい道を選択しているんですよ。もちろん、選択する余裕も無い人だっていますが――』
テレビで怪しげな著名人がしたり顏で口にしていた台詞を思いだす。
(俺は余裕が無かったわけじゃない。何も考えていないような、流されるだけの生き方をしてきたけど、それも自分で選択した結果なんだろうな)
そこまで悲観した所で、今の自分を意識する。今の自分が何をしているか。何を成さんとしているか。
(遅くない。取り返すために、俺は命を賭して戦うんだ。美咲を守るために。美咲に見直してもらうために。償いのために)
心に決めたことを再認識することで、亀三は激しく自己陶酔する。
(神様がこんな俺に最高のシチュエーションを用意してくれた。世界を蝕まんとする邪悪なマッドサイエンティスト。そしてそれを阻むためのヒーローの力。神様は俺を見捨てていなかった。いや、俺こそが世界の中心。俺こそが物語の主人公だったんだ)
亀三は単純で思い込みが激しく独りよがりな性格であるが故に、全て都合のいいように解釈できる。
「美咲……」
声に出して娘の名を呼び、空を見上げる。建物と建物の隙間から見える曇り空。しかし微かに青空が覗き、もうすぐ陽光が差し込みそうな気配だ。
(あいつ、こんなダメ親父の俺の娘なのに、凄くいい子に育ったな。俺を反面教師にしたのかな?)
自虐的に笑ったその時、一瞬雲に切れ目が出来て差し込みかけた陽光は、再び雲によって遮られた。
「ああああ……ま、まただ……」
悲痛に満ちた唸り声を漏らす亀三。自分が自分でなくなっていく事を実感する。正気が失われ、ひたすら暴走する予感だ。
心が塗り潰される。破と殺戮への欲求に染め上げられる。
「うぐおぉぉぉっ!」
亀三が咆哮をあげ、裏路地から表通りへと飛び出す。亀三の側にいた何十人もの硝子人達も飛び出す。
「なっ、何だ!?」
「化け物!」
「硝子人が大量に……ぎゃあぁぁぁ!」
「ママーっ、ぶぴぃ!」
始まる無差別な殺戮。恐怖に満ちた悲鳴と表情。飛び散る血飛沫。倒れる肉塊。喪失。無意識化で展開するそれらの光景は、亀三にとっての日常の一部分となっていた。
***
「鬼の泣き声……あいつだ。また出やがった」
勇気、鈴音、柚、蟻広が会話を交わしていると、勇気が顔をしかめて報告する。
「件の怪物か?」
柚が問う。
「そうだ。今度こそ仕留めてやる」
そう言って勇気が早足で歩きだす。
「空の道は使わなくていいのか?」
「必要無い。近い」
蟻広が伺うが、勇気はそう言って徒歩で向かう。
「あっちで怪物が現れて暴れているぞ! あっちに行くな!」
「怪物が人を殺して回っているって噂は本当だったんだぞ! 滅茶苦茶人殺しまくってる!」
「空の道を使って逃げてーっ!」
「誰かうちの娘を助けてくださあああぁぁいっ! 怪物に襲われて首が取れちゃったのぉぉぉ!」
「あろんあるふぁ~」
「怪物なんて俺がやっつけてやる!」
「やめなさい! すでに能力者が何人も止めようとして、返り討ちにあってるのよ!」
少し進むと、離れた所から怒号と悲鳴が飛び交っていた。
さらに進み、角を曲がると、藍色の体表に、大量のワカメ触手を生やした亀三が、何十人もの硝子人を引きつれて、大暴れしていた。商店街の道一面に、夥しい数の死体が散乱している。
十人以上はいる能力者達が、必死に応戦している。様々な能力が飛び交う。硝子人達は何人か破壊されているものの、亀三には大したダメージを与えていない。ダメージはすぐに再生してしまう。
戦っていた能力者達の中には、勇気達の方めがけて逃げ出す者も数名いた。とてもかなわないと悟ったのだ。
「引っ込め雑魚共。この宇宙の王であり、この世界の主人公であるこの俺に任せておけ」
勇気が進み出て声をかけたが、修羅場の最中にいる者達は聞こえてない。
「まあいいか」
勇気が巨大鬼を出さんとしたその時だった。
亀三と硝子人達が一斉に姿を消した。
「消えたぞ……」
「どうなった?」
「逃げたのか?」
戸惑う能力者達。勇気達もきょとんとしている。
「強制転移されたようだ」
空間操作能力を持つ柚が言った。
「俺の能力だっ! 発動まで時間がかかるが、対象をランダムに空の道へと飛ばす能力を使った!」
能力者の一人が誇らしげに叫ぶ。
「おおっ! よくやった!」
「ブラボ―っ」
「いや、やってないだろ。空の道を通った先で、また大虐殺引き起こすだけだぞ」
「場所が動いた分、状況悪化してるっての」
褒める者もいたが、問題の本質に気付いて呆れる者もいた。
「余計なことを……」
勇気も憤然として、その能力者を睨んでいた。
***
史愉、男治、チロンがいるホテルの部屋に、純子とネコミミー博士が通される。
「よくもまあのこのこと現れたものよ。如何にも純子らしいと言えるがのー」
チロンが苦笑気味に言う。
「実はさあ、私はふみゅーちゃんにも男治さんにも、凄く違和感を覚えているんだよね。何でそっち側なの?」
挨拶も無く、純子はいきなり本題に入った。
そっち側という台詞が何を指すか、三人にはすぐに理解できた。どうして体制側にいるのかという問いかけだ。
「ワシは蚊帳の外かい」
「あー、えっとねー、同じマッドサイエンティスト枠ってことでね。チロンちゃんはまた別枠だから」
冗談めかすチロンに、純子が微笑みながら告げる。
「僕達は世界を変えるために、これまで積み上げてきた知識と技術の全てを注いでいるんだ。多くの技術者がこの転烙市に集い、転烙市の文明をどんどん底上げしている。ここで育まれた技術は、やがては世界にも広げていくつもりだよ。それと同時に、世界を大きく変えるつもりでいるけどね。全ての人間が、生まれつき等しく力を備えるように、世界を作り変える」
ネコミミー博士が熱っぽい口調で語る。純子の目的に完全に賛同していることが、この喋り方だけでよくわかった。
「ふみゅーちゃん達もこっちに来たらどう? 特にふみゅーちゃんはこっち向きだと思うんだよねえ」
「わっはっはっはっ、見くびられたもんだぞー。戯言は大概にしろッス。君の夢は確かに魅力的よ。でもねっ、それはあくまで純子の夢でしかないぞ。あたしは君の夢に乗るつもりは無いっス。ぐぴゅびゅ」
純子が勧誘するも、史愉はあっさりと笑い飛ばし、突っぱねた。
「男治さんはどうなのかな?」
「あのですねえ……魅力的なお誘いですし、私は応援したいですよ~。でも駄目ですよ。私は純子さんに与することはできませ~ん。そんなことしたら、絶対にふくに怒られてしまいますよ~」
とほほ顔で断り、拒む理由も口にする男治。
「ただでさえ今、絶賛家出中で、裸淫でメッセ送ってもろくに返信してくれないのに、これ以上ふくが私から離れたら……ああ……」
「なるほどー。残念だねえ。チロンちゃんも駄目なんだよね?」
「そっちにつこうかとも考えたが、ついでみたいに言うから嫌じゃ~」
純子が伺うと、チロンは舌を出して笑顔で拒絶した。
「純子さん、また例の怪物が出たよ」
転烙市の警備部の連絡を、ネコミミー博士が報告する。
「しかも近い。ここからすぐの場所だ」
そう言ってネコミミー博士が部屋の窓の外を見る。
「おやおや、こいつが噂の怪物ね。中々そそるっスねー。ぐぴゅっ」
道路にいる怪物を見下ろし、史愉が芽を輝かせる。
「ふみゅーちゃん達、一時休戦にして、あの怪物を一緒に捕獲しなーい?」
「いいけど、ちゃんと山分けするんだぞー。あたしが9で残り1を君達で分けろっス」
「そんな不公平な取り分じゃ……」
「ワシはいらんわい」
史愉の言葉を受け、ネコミミー博士とチロンは半眼になって呆れていた。




