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(まさかここで彼等が現れるとは)
唐突に現れた葛鬼勇気と高嶺鈴音の二人を見て、累は唇を噛む。
「かいわれ大根……って呼び名は嫌だったかな? 微妙に忘れた。もやし? まあいい。危なかったな」
すぐ横に血塗れで倒れているみどりを気遣い、勇気は巨大な鬼の人差し指を出す。
「ちょっと失礼だよ。勇気」
「全くだぜィ……助けてもらったのは感謝してるけど、同時にムカつくわ」
鈴音が注意し、勇気に傷を治してもらったみどりが頬を膨らませて立ち上がる。
「ヘーイ、三対二になったよォ~? 御先祖様ァ。いや、綾音姉は戦えるん? もしかしてこれで三対一かなァ? あぶあぶあぶぶぶぶ」
みどりが倒れたままの綾音を見て、おかしな笑い声を発する。すでに円盤も骸骨も消えていた。綾音が意識を失ったことで術は解けた。
「降参します。現時点においては、みどりは襲わないことにします。約束します。僕達は」
累が大きく息を吐いて告げる。流石にこの状況で戦い続けるのは無理がある。何より綾音は今、勇気やみどりの近くで倒れている。その気になればすぐにとどめを刺されてしまう。
「その口約束で見逃せってのォ~?」
みどりが鼻で笑う。
「雫野の開祖の名にかけて約束しますよ。約束を破ったら、好きなようにしてください。それともみどり達が、僕と綾音を捕獲して拘束しますか?」
「二人拘束は難しいな」
勇気が倒れている綾音を見下ろした。
「この女だけでも人質に取るか?」
「転移能力あるから、ずっと意識奪ったままにしとかないといけないんだよね。それも面倒」
勇気が提案すると、みどりが肩をすくめる。
「よし。見逃してやる」
勇気が偉そうな口で告げると、大鬼の指を綾音に近付ける。
「治しておいた。恩義に感じろ。そしてこの恩を仇で返したらただではおかない」
「わかりました。ありがとうございます。みどりだけではなく、勇気にも大きな借りが出来たということにしておきます」
累が改まった口調で礼を述べると、気絶している綾音を抱え、店から立ち去った。
「御大が自ら御降臨かよ」
テーブルの下から出てきた犬飼が、勇気に声をかける。
「多分お前達より前からここにいるぞ」
「私達一週間前からいるしね」
「えええ……何でまた……」
「国家元首が何やってんだよ」
勇気と鈴音の言葉を聞いて、驚くみどりと犬飼。
「ぽっくり市と転烙市の情報はほとんど外に漏れていなかったが、転落市に関しては特に謎に満ちていた。俺の直感でここに何かあると感じた。転烙市に呼び寄せられるサイキック・オフェンダーが、尽く消息を絶っていたのもおかしかった。だから来た」
「いやいや、だから来たって、大将自ら来なくちゃならない理由になってないだろ」
「最も有能で有力な者が動く。適材適所だ。文句あるのか。文句があっても認めないぞ」
犬飼が笑いながら突っ込むも、勇気は傲然と言い放つ。
「警察来たぞ。ヤバそうだからうちらも退散した方がいい」
と、義久。
「詳しい話は外を歩きながらするとしよう」
「お前が決めるな。決めるのは俺だ」
犬飼が促すと、勇気がぴしゃりと言って、外に出ていく。鈴音もすぐ後に続く。
「あの子いつもあんなんなの?」
「そーだよ」
義久が尋ねると、犬飼が苦笑して答える。
「勇気兄、一週間いて何かわかったことは?」
「聞いて驚け。ここに雪岡純子がいるかもしれないぞ」
みどりが尋ねると、勇気が得意げに言ってのける。
「いや、それ知ってるから。あたし達純姉に招待されたんだしー」
「はあ……? ふざけるなよ。この情報は手に入れるのに苦労したんだ。お前は記憶を一度リセットしろ」
「無理だべー」
「招待されたってことは、真もいるのか?」
真が特に純子を止めたがっている事は、勇気も知っている。
「ふぇ~、真兄達、捕まっちゃったわ……」
「間抜けが。まるで鈴音だ」
「えー、ひどいよ勇気」
みどりの報告を聞いて、勇気が眉間にしわを寄せて吐き捨て、鈴音が唇を尖らせる。
「取り敢えずやる事は決まったな。真達を助けに行く――のは後回しだ」
「ふぇ~? 何だよそれ~」
勇気の台詞を聞いて、今度はみどりが唇を尖らせる。
「実は難題を抱えている。先にそっちの解決だ」
「何だかわからないけど、その後で頼むぜィ」
勇気の言葉を聞いて、みどりは溜息混じりに告げた。
(勇気だけじゃない。PO対策機構も来ているし、真の知り合いも多いからそちらから救助も求められる。真が裏通りの真のトップだと知る新居だって来てるんだ。しかし――)
犬飼はその前に真が救助される可能性も見込んでいる。
(今、デビルが純子の居場所を探りに行っている。真達の監禁場所も突き止めて、解放するつもりでいる。先にデビルがやり遂げるかな? それとも……)
***
デビルは平面化するだけではなく、体を床の色に変えていた。平面化と保護色の二つの能力を同時に発動させている。そうしないと屋内では目立ってしまう。
平面化して市庁舎内の廊下を移動していたデビルは、廊下の先から歩いてきた人物を見て驚愕した。
(偶然か? それとも……)
向かいからやってくる白衣を纏った赤い瞳の美少女を見て、デビルは珍しく緊張する。
少女――マッドサイエンティスト雪岡純子が足を止める。デビルもそれに合わせて動きを止めた。
(いや、明らかに見つかっている。こちらを見ている。いや……それ以前に何だろう、この感覚……)
相手の意識が向けられていることを意識し、すぐ側にいることを意識した事で、デビルは奇妙な感覚に包まれた。心がふわってする、とてもとても温かく、懐かしい気分。
「君は監視装置の一つ目を見抜いたみたいだけど、もう一つ監視装置があったんだよ。一つだけ見抜いて安心しちゃった?」
デビルのいる場所に視線を向け、純子が声をかける。
「隠れてないで出てきなよー。別に攻撃したり捕まえたりする気もないからさー。ちょっとお話しよ?」
にっこりと笑いながら呼びかける純子に、デビルは観念した気分で、二次元から三次元の姿に戻った。
「やあ、おひさー」
笑顔のまま口にした純子の台詞を聞いて、デビルは訝る。そして再び妙な感覚に襲われる。
(おひさ……? 面と向かい合うのは初めてのはずだ。それなのに……初めての気がしない……? 前に近くで見たからか?)
かつてデビルは純子を見た事がある。真の影に隠れて観察していた事もある。百合と真の戦いの終盤で、近くから見た事もある。しかしその時には、このような感覚は覚えなかった。おそらく相手の意識が、こちらに向けられなかったからだろう。
(この子の話は……よく聞いている。僕を作ったアルラウネからも、百合からも、睦月からも、犬飼からも聞いている。これがマッドサイエンティスト雪岡純子。今、世界をこんな風に変えた張本人。縁の大収束のほぼ中心にいる子だ。声をかけられたのは初めてのはずなのに……初めての気がしない。それに……何でこんなに胸が熱くなっている……? 懐かしい気持ちでじんわりと……。どうして僕は……)
「君の魂の残滓は、君と関わった人達から感じ取っていたよー。いつ会えるのか楽しみにしていたけど、やっと会えたねえ」
激しく動揺し、震えているデビルに向かって、純子が話し続ける。
(どうして僕はこんな……)
「君の魂は私を覚えている。忘れているのに覚えている。千年もの輪廻の旅を経てもなお覚えているから、今、懐かしい気持ちになっているんだよ」
無言のまま疑問を投げ続けるデビルの言葉が、まるで聞こえていたかのように、その疑問に答えるかのように、純子は言葉を紡いでいく。
「君は私に忘却の力を用いて、君のことを忘れさせようとしたけど、残念。記憶っていうのはね――忘却っていうのは、魂の記憶領域の奥底にしまうだけなんだよ。消すことは出来ない。私は自分の記憶を全て操作して引き出すことも出来るようになって、そのおかげで思い出しちゃったんだ。ま、つい最近の話なんだけどねー」
自分の前世から知り合いだったという事を、純子の話を聞いてデビルは理解する。しかし今はそんなことはどうでもよい気分だった。
(声を聞いているだけで温かい……。震える……抱き着きたい。そして……壊したい……)
愛情と破壊欲。愛らしいと思うものを壊したくなる衝動――キュートアグレッション。恋人や赤ちゃんや子猫やハムスターを、抱き潰したい、握り潰したい、噛んでしまいたい、食べてしまいたいといった、様々な形で、独占して壊したくなる気持ちが沸き起こるあれが、デビルの中に湧きおこる。
しかし同時にそれを忌避し、抑える理性もある。だからこそデビルは睦月から離れた。
「話を聞く限り、君は相変わらずのようだねえ。千年も輪廻転生の旅を続けても変わらない。自分を悪魔と名乗り、悪魔のように振舞う」
前世でも自分はこんな風だったのかと、デビルは驚く。そしてほっとする。デビルは自分が好きだからだ。嬉しくすらある。
「んでさー、デビル君」
純子が少しうつむき加減になり、目を細め、その微笑を若干ダークな印象に変えてから、質問をぶつけた。
「君、どっちに味方するつもりなの?」
93 マッドサイエンティストの箱庭で遊ぼう 終




