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第百二回死民戦挙は終了した。
硝子山悶仁郎は伽耶と麻耶との戦いを終えると、ぶち抜き転烙アリーナのコートを去った。姉妹だけは殺されることなく、悶仁郎に連れていかれた格好だ。
観客達が立ち上がり、退場口へと向かう。ヨブの報酬の面々も立ち上がる。
「あの二つ頭の飛び入りは何だったんだろうな?」
「空の道から飛んできたようですねー。」
退場する客の列に並び、客席の合間を歩いてアリーナの外に出ながら、ブラウンとシスターが疑問を口にする。
「し、シスターには見えなかったか?」
「何がですかー?」
「あの市長に……純子のた、魂の残滓が見えた。そしてあの双頭の双子の娘には、相沢真の魂の残滓が見えた」
ネロの発言を聞き、シスターは眉をひそめた。
「し、真と純子との戦いが始まっているのだ」
「なるほどー。って、あれは……」
アリーナを出た向かいの喫茶店の窓越しに、シスターは見覚えのある人物を見かけた。
シスターがその人物のいる方へと向かい、喫茶店の中に入る。ヨブの報酬の面々も、黙ってシスターに従う。
「おやおや、神様に仕えるあんたらが、こんな血生臭い催しをお楽しみか」
シスター達の接近を見て、犬飼一は人を食ったような笑みを広げる。
(何だ……こいつら?)
移動しようとしたデビルは、シスター達の姿を確認して、胸のざわめきを覚えて戸惑い、その場に留まった。
(こいつらを見たら、物凄い嫌悪感が胸の中で渦巻き始めた。何でだろう。特にあの傷だらけの顔の大男……)
不可思議な感覚を覚える一方で、デビルは別のことも気にかけた。移動しようとしていたのは、ある男を追うためだ。
(あいつを追わないと。あいつは雪岡純子と繋がりがあるVIPだ。優先順位はあっちだ)
ヨブの報酬のことも気になるが、それは犬飼達に任せておけばよいとして、デビルはその場から離れた。
***
囚われの身となった真は、そこであっさりと純子と再会した。
左腕の負傷の治療は純子が行った。真は寝台の上に寝かされている。拘束はされていない。
(こいつが傍にいるだけで、僕は……身も心も満たされる感覚だ)
純子に治療してもらっている間、真はずっと多幸感を味わい続けていた。それは純子も同じなのだろうと、彼女の表情や全身から放つ幸せオーラを見て、容易にわかる。
目的など放り投げて、純子の側についてしまえば、もうそこで全ては終わり。ハッピーエンドでいいと、そう思わなくもない。真の中にその考えもずっとある。今はより強くある。しかし真はその選択をしない。
「これから何をする気だ?」
気持ちを抑えて、真は硬質な声で問う。
「自分の心配じゃなくて私のやる事の方が気がかりなんだ?」
「当たり前だ」
茶化すように言う純子に、真は力を込めて返した。
「私の半年の成果、どう思う?」
転烙市のことを指して尋ねる純子。
「そりゃあ凄いと思ってるよ。恐怖も脅威も感じている。正直、誇らしくもあるし、感心もしている。称賛したい気分もある。こんな気持ちになるの、おかしいか?」
「え……いや、その……そんな言葉を真君の口から素直に言われると、あははは……凄く嬉しいな。滅茶苦茶嬉しい。うふふふ……」
デレデレに顔を綻ばせて照れ笑い全開の純子を見て、真も微笑ましい気持ちになる。
(しかしこいつ……相変わらずチョロ過ぎだろう……)
一方でそうも思う真だった。
「でもさ、半年間でここまで出来たのは、お前だけの力によるものではないよな?」
「んー、よくわかったねえ。ミスター・マンジやネコミミー博士の力も借りたし、何よりグラス・デューからこっちに来た根人さん達と組んで、彼等の高い知性を借りることで、テクノロジーを飛躍化出来たんだ」
「それによって転烙市を短期間でここまで変えたのか……」
根人の影響は相当大きいのだろうと真は見る。根人は元々驚異の知性を持つ。ただ、彼等はこれまで文明を育まず、科学技術を持たなかった。その彼等が地球にきて知識を備えたとあれば、そして本格的に科学の追及を始めたとあれば、それは鬼に金棒だ。
「赤猫のシステムを都市全域に広げたのも、根人のおかげか?」
「ううん、それは私の成果だよー。雫野流妖術で作った第二の脳を、私の技術でさらにパワーアップして、それを色々やってね」
「で、一つの都市の文明を進めて、それから何をするつもりなんだ?」
最も聞きたい質問を口にした真に対し、純子は微苦笑を零す。
「私の敵である君に、それを教えるの?」
「悪役は主役に大喜びで秘密をべらべらと喋りたいもんだろ」
「あははは、確かにね。私も本当は、真君に何もかも教えたくて仕方ないんだよね」
真の指摘を受け、純子はおかしそうに笑った。
「今の状態は中途半端だね。犯罪者が暴れる世界になって、そしてまたそれも抑えられて、元通りみたいになってきちゃってる。これじゃあ何も変わらない。能力の覚醒だって、全ての人間に起こるわけじゃないし。リコピーアルラウネバクテリアの散布量もいまいちだったかな」
それをよしとしないからこそ、純子は真から離れて、次の計画を練った。
「じゃあどうすればいいか? 生まれた時から備えていればいいんだよ。そうなるようにする。誰しも生まれた時から、能力をいくらでも紡げるようにすればいいの」
単純明快な答えを口にする純子。
「リコピーでは駄目なんだよ。オリジナルのアルラウネの遺伝子を、産まれる前から全ての人類が宿している状態である形でないと駄目なんだ。そうすることが私の目的だよ」
「究極的な目的はそれか」
その経緯が問題だと、真は思う。それはきっと相当ろくでもないものなのだろうと。
「世の人間全員が平等に力を持つ。可能性を持つ。それが本当にいいことなのか?」
「さあねえ。やってみなくちゃわからない。でもやってみたい」
真はぎょっとした。純子は一瞬だが、これまで一度も見せたことが無い顔をしてみせた。儚く、悲しげな表情。
(僕が何か悪いこと言ったか? 何かに触れた?)
それを聞き出すのは躊躇われた。
「私達は心で生きている。心があるからこそ、欲するからこそ、進化する。生きたいと抗う。私達の心が全てを創り出している」
純子が微笑をたたえて、話を続ける。
「ねえ、人類がまだ文明を築いてなくて、野山で獣と変わらない生活をしていた頃、どんな生活だったと思う? 飢えや寒さに苦しみ、病気にかかっても怪我をしても自然に治るのを待つだけ。ありとあらゆる病原菌、ウイルス、寄生虫だらけで、人を苦しめるのが、この世界だった。でも人類は知恵を持ち、文明を築き、世界の過酷な運命に抗って、原始人よりはずっといい生活が出来るようになった」
そこまで話した所で、純子は一旦言葉を止め、真の右手をそっと握った。
真も純子の手を軽く握り返す。どのような心境で、この話をしているのか、真は何となくわかっている。純子の心の根底に、深い悲しみがあるように感じられる。それは途方も無い年月を生きた結果、精神が歪み、無くしかけている感情だ。しかし無くなったわけではない。完全に無くなるわけでもない。
「だけどそれで全て救われたわけじゃない。世界は依然として、生きとし生ける者に耐えがたい苦痛をもたらすし、苦痛を受けるように、人は設計されている。昔よりマシだから我慢しろってわけにはいかないよ。死にたいくらいの酷い苦しみを抱えている人に、アフリカで餓えている子供達よりはマシだから甘えるなって言うくらい、ナンセンスだよ。私達は抗い続けないといけない。人が世界の設計に振り回され、苦しみ、悲しむのなら、私達は世界の設計を解き明かして、世界に抗う。私達にはそれが出来る。いや、人類以外もそうだよ。生物には進化という奇跡の可能性が与えられているんだから」
その奇跡の可能性を等しく与えることが、あるいはその軌跡を起こしやすくすることこそが、純子の目的だ。
「人は皆、運に振り回されている。誰もが超常の力を持つようになっても、結局真の平等は訪れないだろうね。でも今よりは大分マシになると思うんだよ。より多くの機会を与えられること、可能性を与えられるということで、きっと素敵な社会に近付くよー」
その理想に辿り着くにも、きっとろくでもない手段を用いるのだろうと真は考えているが、その理想に辿り着いた先も、かなりろくでもないものではないかと、純子の話を聞いて感じた。素敵な社会になるヴィジョンが、真にはどうしても見えない。
「救いの無い混乱が起きて、その犠牲者が出まくるようになるのは目に見えてる。それで死ぬのは誰だ? 争いを是としない人間だろう。そして混乱をもたらすのは、倫理感の欠けた利己主義的な人間だ。今まで以上に悪が嗤って善が泣く、混沌とした世界になる。それの何がいいんだ?」
あからさまに非難する口振りで言いつつ、真は純子の手を強く握る。手に込めた想いに、怒りは無い。非難も無い。ただ訴えるように、強く、それでいて優しく力を込める。
「進化の力は平等にもたらされるんだから、泣かないように、犠牲者の立場にならないように、進化して抗えば済むだけだよー。そして皆自然にそういう選択を取ることになるよ」
「そうはならない。機会の平等は確かにあるが、結局それでも運に振り回され、運の悪い奴は機会を活かせず、ただ、不幸に死ぬだけだ」
「そうだねえ。完全な平等、完璧な世界なんて無理だよ。でもだからといって諦めちゃいけないよ。少しでも人は上に、先に進むものだから。今よりはマシにしようって、調べ続け、学び続け、作り続け、進み続ける。それが人間でしょ?」
(その思想は……あいつのものでもある)
嘘鼠の魔法使いを意識する真。
(そしてシェムハザ――純子が、師匠の思想も引き継いでいる)
疑問が沸く。
「前世の記憶を見た」
全てが終わるまで秘密にしておくつもりであったが、真はここで、自分が前世の記憶を知っていることを、純子に伝えることにした。
「それは本当にお前の望みか? 前線の僕――嘘鼠の魔法使いに刷り込まれただけなんじゃないか? あるいは、師匠の望みを叶えたいという妄執に捉われているだけなんじゃないか? シェムハザ」
真が口にした呼び名を聞いて、純子は顔色を変えて大きく身を震わせ、真の手を振り払うようにして放した。
ここまで動揺を露わにした純子を、真は初めて見る。見てはいけないものを見てしまった気がしたし、純子にそんな反応をさせた事で、胸の痛みを覚える。言ったことを後悔する。
純子は目を丸くして真を見たが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻る。
「私を驚かせたかったの?」
「少し意地悪した。ごめん」
「すまんこって言おう」
「断る」
「んー……私は千年間、マスターの夢を叶えるために力をつけ、知識を蓄え続けてきた。探索し続けてきた。千年間、マスターの生まれ変わりと再会することを夢見て、あてどなく彷徨い続けた。そして……ようやく夢が叶えられそうになった。やっとマスターと出会えた。真君、君にね」
純子が真の顔に手を伸ばし、頬を触れる。
「なのにさあ、こんな皮肉な事になるなんてね。私は前世の君の夢を引き継いで、千年もずっと頑張ってきたのに、私に夢を引き継がせた君が、千年の時を越えて、私の千年の努力を全て否定している。こんなことってあるんだねえ。あははは」
「ごめん……純子……。それは凄く悪いと思っている」
「すまんこって言おう。いいんだよー。恨んでもいないし怒ってもいない。呆れてもいないし嘆いてもいないから。皮肉だと思うけど、むしろ面白いと思ってる。真君は間違っていない」
純子の言葉に偽りは無かった。それは真にもわかった。
「きっと君が正しくて、私が間違っているんだろうね。止めてみなよ。私はもう引き返すつもりはないし、やり遂げるつもりでいる。この千年間を否定されたくないからね。私は千年分の蓄積を本気でぶつけるから、君も全力で私を止めてみるといいよ。その結果がどうなろうと、私は君を恨んだりしないから」
「改めて言われるまでもなく、そのつもりでいるよ。マッドサイエンティストとしてのお前を、絶対止める」
宣言する真だが、純子の言葉に安堵してもいる。
「他の奴等も僕と同じように監禁しているのか?」
「心配?」
心もち意地悪い笑みを浮かべる純子
「心配したくない。お前がそんなことをするような奴ではないと信じたい。でも、違うだろ?」
「みどりちゃんは捕まえられなかったよー。他は捕まえた。でも熱次郎君に危害を加えるつもりはないよー?」
「ツグミと伽耶と麻耶は?」
真が問うと、純子は嬉しそうに微笑んだ。
「あの三人、前から欲しかったんだよねえ。真君のおかげで手に入れることが出来たよー。私のルールでは、私に敵対した人は、自由に実験台にしていいことになっているんだからねえ。真君についたってことは、私の敵だからさ。真君があの子達を私にプレゼントしてくれる形となったねえ。じゃ」
「そのルールがまだ生きていたとは驚きだ」
それだけ言って部屋を去ろうとする純子の背に、真は皮肉を込めて吐き捨てた。




