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硝子山悶仁郎は幕末に暗殺者として活躍していたが、惑星グラス・デューへと迷い込み、黒アルラウネを移植されて異形の存在へと成り果てる。
現在は地球に帰還し、現代社会に何とか適応して生きていた。
覚醒記念日以降、そんな悶仁郎の存在を知る純子が声をかけた。自分の遊びに付き合わないかと。転烙市を自分の都合の良いように改造するので、その統治をしてくれと。
思ってもみない要請であったが、悶仁郎はこれを受けた。ずっと日陰者だった自分であるが、人生のうちに体験できる事はしてみたいという、そんな単純な好奇心が理由で。
「か~……難しいのー。演説の勉強。いや、面倒というのが本音じゃの」
市長室にて、和紙に筆と墨を用いて演説の台本を書きながら、悶仁郎は頭を掻く。
「市長様も大変じゃて。いつの時代も、上に立つ立場は面倒であることは普遍にして不変か。よもや拙者が斯様な立場に就くとは思わなんだが」
「普通の都市の市長様じゃないしねー。サイキック・オフェンダーも集めているし、元々は暗黒都市だし、どうしても力による統治が必要になるよ。統治者としての説得力もいるし、それなりのパフォーマンスも必要かな」
悶仁郎の前にいる純子が言う。
「そのぱふぉーまんすとやらが問題じゃ」
悶仁郎は大きく息を吐き、筆を置いて休憩にした。
支持率はそこそこ高い悶仁郎であるが、ズレた発言も多く、不安がられてもいる。その辺が課題でもある。
「より民草を納得させる良い弁舌……無いものかのー」
「言葉だけが立派でも、人の心には響かないよ。虚ろな空回りになっちゃうよ。心とか、背景が必要なんだ。その人物の存在感とか、安心感とか信頼感が必要なんだよ」
「ふーむ……」
「どんなに達者で正しいロジカルだろうと、ロジカルだけで心は動かないし、正論が必ずしも心に響くわけではないからね」
「ろじかる……のう。うむ。その理屈はわかるわい。同じ言葉でも、口にする者が違うだけで、全く印象が異なることもあるしの。言葉の重みが違ってくるわ。それによって説得力の有無が別れることもあろう」
心に刺さらない論理は、いくら本人が正論のつもりでも、何の力も無い空疎で無価値なうわごとだと悶仁郎も理解している。
「とはいえ、その理屈がわからない人もいるけどね。言葉や理屈は誰が言っても同じはずなのに、発言する者によって異なる印象を抱くことが愚かだと、そういう考えの人ね。人の心に響く言葉、刺さる言葉を紡ぐことが出来る人達は、全て理解したうえで、どう訴えれば情緒に響くのか、自分の印象がどうであるか、状況や背景も計算したうえで、相手の心に刺さる言葉を口にできる。そして役を演じられる」
「拙者にも然様に演じろというか。荷が重いわい。この時代の生まれでもないしの」
惑星グラス・デューから地球へ戻ってから、現代日本のことも学習した悶仁郎であるが、現代人の気質を理屈では理解していても、感性の部分では共感できない部分が多い。通じ合えない、わかり合えない相手に――しかも不特定多数を惹きつけるためのパフォーマンスを自分がするなど、土台無理があると悶仁郎は思う。
「でも背景と状況のお膳立てはしっかり整っているし、悶仁郎さんのキャラも受け入れられているよー。悶仁郎さんは立派にこなしているよ。演説の内容もちゃんと自分で考えているしさ。真面目だよねえ」
「ふふ、いい飯食わせて貰っている分、働かんとな」
仕事に対しては誠実な悶仁郎であった。しかし忠実かと言えばそうではない。裏切ることもある。グラス・デューで百年以上も仕えてきた古王も裏切っている。
今は悶仁郎も面白がって純子に協力しているが、何処かでズレが生じたら、あっさりと裏切るだろう。純子も悶仁郎のその性質を承知したうえで、自陣営に置いているし、悶仁郎が裏切った場合、あっさりと殺す。あるいは実験台に使う。よほど気に入った者でない限り、純子は基本的に、裏切り者に対して容赦しない。
「で、これからのことなんだけどさ。多分PO対策機構やらヨブの報酬やら、敵対勢力がわんさかここに押し寄せると思うんだよねえ。すでにヨブの報酬は来ているし」
「其処許のぱーとなーもな」
悶仁郎が口を挟むと、純子は小さく微笑んだ。
「明日の死民戦挙の際に、悶仁郎さんを狙ってくる可能性もあると思うんだよねえ」
「彼の催しは、元より殺し合いが前提じゃろ。楽しみが増えるというものよ」
「油断は禁物だよー。ああ、それとね、真君とその仲間と戦闘になる可能性もあるけど、その子達は殺さないでね。特にこの子とこの子達。生かしたまま回収して実験台にしたいから」
不敵に笑う悶仁郎の前に、純子がホログラフィー・ディスプレイで少女達の写真を投影してみせた。
「ふむ。努力してみよう。しかし其処許がそう望むのであれば、これらの娘が拙者の前に立つ前に、其処許自身が回収すればよかろうて」
「まあ、そうなんだけどねー。出来るだけそう努力するつもりではいるけど、何が起こるかわからないから、念のためね」
「なるほど。拙者より長生きしていることはある。用心深いの」
悶仁郎の言葉は皮肉だった。本当に用心を重ねるなら、自分のような者を配下にしたあげく、要職には就けないだろうと、悶仁郎は思っている。
(あるいは拙者程度が何をしようと、制御しきれる自信があってこそか?)
悶仁郎は純子を見て思う。たった半年で、一つの都市をここまで改造して発展させた純子の力を考えれば、自分一人が何をした所で、掌の上で踊らされるだけの結果になるのではないかと。
***
真達が転烙市を訪れ、一日が経過した。
市役所を訪れる予定で、宿泊したホテルを出た所で、真達六人はすぐさま襲撃を受けた。
「ぱおーん!」
頭部が象になった巨漢が鳴き声をあげ、単身で襲いかかってくる。
「象頭?」「ガネーシャ?」
「これ、人が変身してるの?」
「何でこんな能力にしちゃったの? 象好きなの?」
伽耶と麻耶が象頭の巨漢を見て、呟き合う。
突進してきた象男に、真が銃を撃つ。
銃弾は尽く弾かれた。象男はいささかもひるむことなく、真に体当たりを仕掛ける。
真が避けると、今度は熱次郎に向かって体当たりを仕掛けるが、熱次郎も避ける。
(こいつ、殺気も無いし……それに、手加減している?)
真の目から見て、象男が体当たりを本気でしているようにも見えなかった。
「皆っ、左っ」
みどりが鋭い声をあげる。全員が左を向くと、筋肉質な中年男が、パイプでシャボン玉を飛ばしている姿が見えた。
シャボン玉は男から離れるごとに巨大化していき、人がすっぽり入るほどの大きさになる。そしてシャボン玉のようにふわふわと飛ぶわけではなく、地面と水平に、真達めがけて高速で飛んでくる。
「象頭は囮か」
熱次郎が呟き、地面から触手を数本生やして、シャボン玉の行く手を遮った。
直後、数本の触手が地面から一気に引き抜かれて、一つのシャボン玉の中に丸まって収まる。
「わーお、触れるとシャボン玉の中に捕まっちゃうんだー」
ツグミが歓声をあげる。
「何故か嬉しそう」「喜んでいる場合じゃない」
『シャボン玉らしく飛んでけ~』
伽耶と麻耶が即興魔術を発動させると、水平に飛んできた巨大シャボン玉が全て、速度を急激に落とし、ふわふわとシャボン玉らしく漂い始めた。
「ぱ、ぱおっ……」
象男が戸惑いの声をあげ、逃げ出した。
シャボン玉男も、自分の能力が無力化されたうえに、象男が逃げ出す様を見て、さっさと退散する。
真は象男もシャボン玉男も見逃した。また襲ってくる可能性もあるので、本当は殺した方がいいが、相手に全く殺気が無かったのでそれもやりにくい。
「殺気が一切無いから、二重の意味で面倒だ。葉山のせいで裏通りの戦闘は、殺さずの路線にシフトしたが、こいつらはそういうんじゃないな。元々殺す気が無い奴等だ」
真が銃を収めながら言う。
「自分達が殺意を見せなければ、こっちも加減すると、予め雪岡から言われている可能性もあるな。そして……殺さないようにして襲ってくるということは、もう一つ狙いがある」
『狙い?』
伽耶と麻耶が訝る。
「僕達を生きたまま捕獲したいんだろう」
特にツグミと牛村姉妹は、純子にしてみても高い価値があり、純子が欲さないはずがないと真は見ている。
「さっさと市役所に向かって、硝子山悶仁郎を倒した方がいいな」
「殺すの?」「倒してどうするの?」
伽耶と麻耶が問う。
「殺さなくても、PO対策機構が市長をやっつけたと宣伝するのは効果あるだろう」
「そんな宣伝できるのかな?」
熱次郎は懐疑的だった。そんなに単純に話が進むだろうかと。そしてその宣伝にどれだけ意味があるのかもわからない。
「市内では平気なんじゃないか?」
「いや、宣伝が出来るかどうかのことじゃなくて、その宣伝に意味あるのかってこと」
真の発言がズレていたので、熱次郎は眉をひそめる。
「市内でも、都合の悪い情報の拡散は、赤猫を使って防がれちゃうんじゃね?」
「えっとー、私達は偵察任務だったのに、そこまでやっていいの?」
みどりとツグミが疑問を呈する。
「やってみる価値はある。どっちもな」
一瞬ではあったが、無意識のうちに微笑を零して言い切る真。
「あるあるある。絶対ある。いいもの拝めたし。やるやるるやるやる」
「どうどう。落ち着け」
いきなり興奮して張り切り出す麻耶を、伽耶がなだめた。




