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「ああ……そうですか……。僕……私を殺しにきたのですね」
ツグミを見て、大丘は微笑を零す。
ひどく弱々しいその微笑みを見て、ツグミは胸のうずきを覚える。
「僕が大丘さんを嫌う理由は、近親憎悪もあるよ。僕も人を殺したことがあるからね」
ツグミが脈絡の無い話をしだす。
「殺したことに一切罪悪感は湧いていない。後悔もしていない。それどころか、ゴギブリを殺したようなスッキリ感さえある。でもそんな自分を少し怖いと感じている。そして大丘さんは、そういう意味で僕と同類のように見えんだ。もちろん僕は、あんな理由で人を殺しはしないけど」
目の前で大丘が中司一高を殺害したことを思いだしながら、ツグミは喋る。
「正直さ、今の大丘さんを見てさ、僕はがっかりしているんだよ」
本当に落胆した顔になるツグミを見て、大丘は呆気に取られた。その視線には自分に対しての哀れみすら見受けられた。自分がそんな目で見られていることにショックを受けた。
「大丘さんには、もっと憎らしい……憎々しくてしょうがない、嫌な奴のまま、どうしょうもない悪党のままであってほしかった。強くて悪くて憎らしい大丘さんを、僕が力の限りぶっ飛ばしてやって、すっきりしたかった。でも今の大丘さん、そのイメージとはかけ離れてしまったよ。物凄く弱々しく見える。力はあっても、とても弱い」
ツグミの心情を聞いて、大丘は苦笑しながら息を吐く。
「人間なんて皆……そうなんですよ。逆に問いますが、君は強い人に……完璧な人に魅力を感じるタイプですか? そういうタイプは危ういですね」
そう話す大丘は、いつもの柔和な大丘に戻っていた。
「いいや。全く隙を見せない強い人に、魅力は感じないな。全く隙を見せないような強い悪党なんていたら、凄く嫌な奴だ。大丘さんにはそういう嫌な奴であったほしかったんだよ。そうであれば、徹底的に嫌うことができた」
と、ツグミ。
「見込み違いで……役者不足で……すみませんね。おっと、役者不足という言葉は誤用の表現でした」
「最早定着しつつある言葉」「意味は通じる言葉なのに誤用扱い」
大丘の台詞を聞いて、伽耶と麻耶が言った。
(強いとか弱いとか完璧とか、そういう問題じゃない。こいつはつまらないし、くだらない奴だった。だから僕が面白い役を与えた。演じる機会を、舞台を与えた)
こっそり見物していたデビルが思う。
「人間なんて皆……くだらないものですよ……。蓋を開ければ、弱さと醜さでいっぱいなものです……」
大丘が言った瞬間、それまで待機していたポチが弾かれたように動いた。
「ばりあーっ」「とぉぅまれーっい」
ポチがツグミに飛びかかるが、伽耶が障壁を張り、麻耶が動きを止めにかかる。
宙を舞うポチの動きが鈍くなり、障壁にべちゃりと当たると、力無く床に落ちる。
床に落ちたタイミングを狙って、真のマシンピストルじゃじゃ馬ならしがフルオートで火を噴いた。
穴だらけになったうえに、溶肉液を体内にたっぷりと流し込まれたポチが、苦しみのたうち回る。
ポチがやられる様を見ても、大丘は一切動じなかった。今度は大丘自身がツグミに向かって駆ける。
「おっと、させないヨー」
悪魔のおじさんがツグミの前に移動し、にやにや笑いながら大丘の行く手を遮る。
「時間を稼いで」
「わかってるサー」
ツグミがスケッチブックを取り出しながら、小声で囁く。悪魔のおじさんにはその囁き声も耳に届いていた。
大丘の脇の下の下から伸びた黒い剛毛まみれの長い節足が、悪魔のおじさんめがけて次々と繰り出される。
悪魔のおじさんは両腕を広げる。肘から先が変形し、クッションのような形状になって、悪魔のおじさんの体の両側を完全に覆う程に大きく膨らんだ。
クッション化した両腕によって、六本の節足は全て受け止められる。引き裂く事も貫く事も出来なかった。
大丘は数歩後退したかと思うと、大きく跳躍した。人の頭を優に飛び越える高さに飛び上がった。
「かたまって……」
「解き放て。空気のパーンチ」
そのまま悪魔のおじさんを飛び越えていき、ツグミに攻撃しようとした大丘であるが、伽耶が空気を瞬時に圧縮し、麻耶が圧縮した空気を大丘の方向に向けてのみ解き放った。
空中で大丘の体が大きく吹き飛ばされ、エントランスの柱に激突し、床に落ちる。
(空間固定のガードが出来なくなるほど弱っているのか? それとも不意打ちでたまたま防ぎ切れなかったのか?)
吹き飛ばされた大丘を見て、熱次郎が疑問に思う。しかしいずれにしても、今が絶好の機会だ。
熱次郎と真が追撃しようとしたが、思い止まった。ツグミから強い力が迸っていたからだ。トドメはツグミに任せた方が良いと、二人して判断した。
ツグミがスケッチブックを開く。開いたページには、黒いガラスの破片が割れて飛び散るかのような、奇妙な絵が描かれていた。
「さよなら、大丘さん。とっておきの力いくよ。空間歪曲シュレッダー」
冷たい眼差しで大丘を見据え、冷たい声音で言い放つと、ツグミは力を発動させた。
開いたスケッチブックから、力が迸る。
大丘の体がぴたりと止まった。空間に固定されてしまったかのように、身動きが出来なくなった。
周囲の景色がひび割れて壊れていく。空間がばらばらの破片になって崩れていく。
(半年前、ジュデッカに用いたあの力か? 隔絶空間による拘束)
真はツグミが半年前にジュデッカ相手に使用した力を思い出していた。ただ亜空間に閉じ込めるわけでもない。空間を複雑に歪めることによって、肉体も精神も束縛し、能力の発動すら出来なくなる。ジュデッカが自力で脱出できなかった所を見ると、転移も不可能なようだ。
しかしこの能力は、それとは違った。ツグミが描いた絵を現実に被せる能力の応用だ。
今回、ツグミは封じるためにこの能力を振るっているわけではない。完全に殺すためだ。空間の歪曲率を極限状態にして、空間の歪に吸い込んでいる。その際に、大丘の肉体は徹底的に捻られ、こんがらがって、ねじ切られて、ばらばらにされていくことになる。
大丘自身も空間操作の力を備えているが、とても抗いきれなかった。ツグミの力の方が強い。
(なるほど……これはたまりませんね。死にますね。確かにシュレッダーにかけられているようです……)
歪の中に体が少し入っただけで、全身に激痛を覚え、全身から血が噴き出し、大丘が己の死を確信した、正にその時だった。
「何かいるよォ!」
みどりが鋭い声を発した。全員がみどりの視線の先を見る。
高速で床を滑る影が、たちまち大丘の側に接近すると、空間の歪に取り込まれかけている大丘の前で、二次元ボディーから三次元へと変化する。
「デビル」
突如として現れた全身真っ黒なその少年の名を、真が口にする。
デビルが大丘の体に触れると同時に、影に沈むようにして消えた。その際、全身血塗れの大丘もデビルと共に陰に吸い込まれていった。
「デビルじゃんよ……」
「あいつが大丘を狂わせたようだな」
「逃げられた」「致命傷に見えたけど」
「回復の力を持つ奴の元に連れていく可能性が高い。間に合うかどうかはわからないが」
デビルと大丘が逃げた後の空間の歪を見ながらみどり、真、伽耶と麻耶、熱次郎がそれぞれ喋る。
「僕の空間歪曲シュレッダーより、吸引力が強かったな。一瞬だ。こっちは殺傷力はあるけど、手間がかかるというか……」
ツグミが大きく息を吐いてうなだれた。
***
『今どこにいる?』
二次元化した状態で移動しながら、犬飼にメールを送るデビル。
『転烙ホテルにいるぞ。場所は――』
『そちらに行く。プレゼントがある』
犬飼にそうメールを送る。
(プレゼントの命がもつかどうか、わからないな)
自分と同じく二次元化した状態の大丘を運びながら、デビルは思う。大丘はすでに致命傷と思えるダメージを負っている。再生能力があるかどうかはわからないが、再生する気配は無い。二次元化した状態のまま、血が流れ続けている。脈が次第に弱まってきている。
自分一人ならともかく、誰かを伴って平面移動はかなり疲れる。こんな疲れることをしてどうなるのかとも考えるが、デビルはこのプレゼントを犬飼に送り届けることを決めていた。




