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『純子、超常能力覚醒施設で異変発生ですよ。超絶限界突破コースを受けた被験者が、想定以上の力を覚醒させて暴走し、施設を攻撃しています』
根人が純子の頭の中に直接連絡を入れ、純子の脳内に映像を映し出す。
「おやおや、大丘さん。そこにいたんだー」
狂気に取り憑かれている大丘が、真達と対峙する姿を見て、純子は楽しそうに微笑んだ。
少し遅れて、超常能力覚醒施設からも連絡を受ける。
「真君、みどりちゃん達も来てたんだー。これはバッドタイミングなのか、それともナイスタイミングなのか」
『平面化したうえに保護色で姿を隠していますが、暴走した被験者をずっと後ろから観察している者もいます』
根人が報告し、さらなる映像を純子の頭に映す。
「へー……これはこれは」
蠢く影を見て、純子は懐かしい気分と共に、好奇心をそそられた。
「私も行こうかなあ。いや……今はやめとこ。その平面化している人の動き、チェックしておいてねー」
『了解しました』
純子の要請に、根人が応じた。
***
どう見ても正気を失っている様子の大丘を見て、ツグミは愕然としていた。
一体どういう経緯で大丘がこのようになってしまったのか、ツグミは想像する。しかし上手く符合しない。これは勝手な先入観かもしれないが、大丘のキャラとは違うような気がする。あるいは大丘が外面だけ取り繕っていただけで、実は思い悩み、追い詰められていたのかもないとも考える。
(ここで彼等が来るとは……面白いことになってきた)
影の中でほくそ笑む一方で、デビルは奇妙な感覚を感じていた。
(さっきから……見られている? 気配は極力消しているつもりなのに……)
確かに何者かの視線を感じるデビル。ここの所、感知の力に長けた者に悟られることが多かったので、それらの力に気付かれないように技も力も磨いたつもりであったが、それでもなお、自分の存在が気取られていることに、腹立たしく思う。
「もや……もや……くろ……い……もや……うっとう……しい……くろいも……や……」
真達を睨みながら、ぶつぶつ呟く大丘。
「もや……やめ……ろ……。くろいもやとくろいむし……! おまえたちがぼくをくるしめ……くるわせ……! すべて……おまえたちのせいで……ぼくがわるいんじゃないぞっ!」
子供じみた口調で喚くと、大丘の体が変貌していく
全身の色が濃い緑色に変わり、緑の太い血管のようなものが無数に浮かび上がる。口の端は大きく裂け、全ての歯が鋭く尖る。
「これが本当に大丘さん……?」
これまで知る大丘とは別人のように成り果てたその姿を見て、ツグミは何故か失望にも似た感情を抱いていた。
大丘は憎々しいまでに清々しい笑みをたたえ、平然と悪事を行う悪人。ツグミはそんな大丘に怒りを抱き、殺された中司一高の仇を討ち、これ以上の悲劇を起こさせまいとして、静かに闘志を燃やしていた。それなのに、今目の前にいる大丘ときたら……
「何だかなあ……。私……大丘さんのこんな姿見たくなかったな」
憎むべき敵であるからこそ、弱々しく壊れて歪んでしまったその姿に、ツグミは深く失望する。
「真先輩。復讐なんて馬鹿のやることってのは違う。私は馬鹿だからいいの。復讐は馬鹿な展開になっちゃって、馬鹿を見ることにも繋がる。これが……」
ツグミが喋っている間に、大丘が攻撃してきた。
大丘の口の中から大量の黒い霧のようなものが吐き出され、エントランスに広がっていく。
「しーるどー」「あっちいけー」
伽耶が障壁を張り、麻耶は念動力で黒霧を吹き飛ばしにかかった。
黒霧は真達六人に届くことなく、途中で跳ね返るような動きをして逆流する。
「どうして合わせないの?」
自分とは異なる防ぎ方をした麻耶に対し、伽耶が不思議そうに尋ねる。
「遮り続けるには不安な要素を感じたから。あの黒い霧、かなりヤバい」
麻耶が答えた。ほぼ直感だが、その直感に従うべきだと麻耶は感じて、力を大目に使って、念動力で弾き返すという手を用いた。
「イェア。麻耶姉の判断はナイスだったぜィ。よく見てみ。あの黒い霧、床や柱もすり抜けてるよォ~。多分伽耶姉のシールドも透過してくるぜィ」
みどりが指摘する。確かに黒い霧が、床や柱の中に一瞬入ってまた出てくる光景が来られた。
「触れるとどうなるんだ?」
「解析してみたけど、ありゃ精神を汚染されるわ」
真が尋ね、みどりが答えた直後――
「うっきぃいぃぃぃぃぃ!」
「ふがー! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死かにぇへえうええぇぇえぇぇ!」
「ぶっこぶっころぶっ殺すううぅぅ! ゆるゆるゆるさ許さねぇ~んッ!」
エントランスにいた施設の者が、黒い霧を浴びると、全員が一斉に憤怒の形相になって叫び、柱を殴りだしたり、自分の体を掻き毟り出したり、あるいは攻撃しあったりと、怒りに取り憑かれて狂乱化しだした。
「接近戦は控えた方がいいな。黒い霧を浴びてああなる」
熱次郎が言いつつも、大丘の足元から三本の触手を出し、大丘の体に巻き付けた。
動きが封じられた大丘めがけて、真が何発も銃弾を撃ち込む。
「くろい……むし……。こわい……。こわい……むし……はいずるなよ……」
大丘が譫言のようにぶつぶつと呟くと、脇の下から黒い剛毛で覆われた虫の節足を六本生やし、拘束する触手を一気に引きちぎった。銃弾が効いている気配も無い。
「皆、手を出さないで。僕にやらせて欲しい」
凜然とした眼差して大丘を見つめ、ツグミが言い放った。顔つきも声も豹変している。
「男に変わった」「男の子バージョンになった」
「気持ちはわかるが、許可できない。あれはお前一人の手に負えないぞ」
伽耶と麻耶が言い、真が拒んだ。
「わかったよ。でもごめん。真先輩。僕は馬鹿だから、僕が仇を取りたい。僕がラッシュかける」
ツグミが言い放つと、影子、悪魔のおじさん、叫乱ベルーガおじさん、ミミズマンが、大丘の両脇と前後を取り囲む格好で出現した。
「キュイーッ! きゅアっ! アー! アアァーッ!」
正面の叫乱ベルーガおじさんが叫びながら、真っ先に襲いかかる。ミミズマンも後から床を這って接近する。
「ちょっとこれヤバいんじゃないかネー」
悪魔のおじさんは警戒して攻撃に移らなかった。影子はそんな悪魔のおじさんの様子を見て、攻撃を躊躇していた。
大丘の体から再び黒い霧が発生し、叫乱ベルーガおじさんとミミズマンを包み込んだ。
「キュ……キュオ……アギギギギギィ!」
叫乱ベルーガおじさんが突然かがむと、床に連続で頭突きを叩きこみだす。ミミズマンは自分の体を固結びにして蠢きだす。
「七十七の怪異にも効くのか」
「ふわぁ~、下手に怪異出しても無力化されるか、下手すりゃ敵になるよォ~」
真とみどりが言う。
戦闘不能となった叫乱ベルーガおじさんとミミズマンの体に、大丘が虫の足を振りかざす。ミミズマンの体がばらばらに切断されて消える。叫乱ベルーガおじさんは節足の尖った先端を頭に突き刺されて、動かなくなって消えた。
「影子、悪魔のおじさん、離れて牽制し続けて」
「わかったヨー」
「何か考えがあるの? 私、あんな風にされたくないんだけど?」
ツグミが指示を出すと、悪魔のおじさんはシルクハットに手をかけながら頷き、影子は大丘を見据えながら顔をしかめていた。
「いい手を考えるまで牽制してて」
「あんた、私達のこと使い捨てが効く駒くらいにしか見てなくない?」
「まあ実際そんなところだヨー。そういう役割を担えるのが私達なのだからネー」
ツグミの言葉を聞いて、影子は呆れ、悪魔のおじさんは微苦笑を零していた。
「うるさい……むし……くろいむし……くろいもや……」
掠れた声を漏らすと、大丘が影子めがけて節足を振るった。
「なわっ!?」
影子が悲鳴と共に体を回転させて、床に頭を激しく打ち付けられる。
「ほほー、これまた驚いたネー」
悪魔のおじさんが目を見開く。大丘が空間操作を行ったのだ。空間操作の力そのもの非常に高度で、術師でも能力者でも、限られた者しか出来ない。
「くろいむしむしむし……」
大丘が呪文のような言葉を紡ぐと、真達の横に、空間の揺らぎが発生した。
「何だ、これ。B棟住人にしては綺麗だ」
現れた異形を見て、熱次郎が皮肉る。それは無数の人の頭部が重なり、長い節足が何本も生えたクリーチャーだった。
「ポチだよ。大丘さんがよく呼び出す奴だ」
ツグミが言った直後、ポチが猛然と熱次郎に襲いかかった。
熱次郎は飛びかかってきたポチの体を両手でキャッチして、掌から力を発動して、原子分解を試みる。
「うわちっ!」
悲鳴をあげて転移して逃げる熱次郎。熱次郎が力を発動させるより早く、ポチの体表から緑色の液体が飛び出て、熱次郎の体を溶かした。
「前は口から吐いてたのに、体から出しやがったわ……」
倒れている影子が、ポチを見て呻く。影子も以前にこの攻撃を一度食らっている。
「ううう……痛って~……」
手と腕と顔の一部が無残に溶けた熱次郎が呻く。一応再生能力はあるが、熱次郎の再生能力は弱い。
(悪いけどツグミ姉に付き合ってらんないわ。犠牲が出てからじゃ遅いし、速攻でカタつけるよォ~)
みどりが決断し、転移する。
「黒いカーテン」
大丘の背後に現れたみどりが、暗黒惑星への扉を開き、大丘を問答無用で屠ろうと試みた。
しかし大丘の節足が大きく伸びて、見えない何かをがっしりと掴み、体が黒いカーテンに吸い込まれるのを防ぐ。
(うっひゃあ……こいつってば、虫の足の先で、空間そのものに体を固定させてるよォ。そんなことも出来るんだ~)
驚きと感心が混ざった表情になるみどり。
黒い霧が噴出し、至近距離からみどりの体を覆う。
「みどり!」
「みどりちゃんっ!」
熱次郎とツグミが叫ぶ。
「だ、大丈夫……みどりは……何とか抵抗れる。でもあたし以外がこれ浴びたら……ひとたまりもない……」
黒い霧の中から、苦しげなみどりの声が響く。
(強がってみたけど……今のはかなり効いたわ~……頭がわやくちゃになって、正気失う寸前までいった……)
連続で転移は出来ないので、霧の中から大急ぎで走って出てきたみどりが、苦悶の表情のみどりが大きく息を吐く。
(真兄、こいつは想像以上の化け物だわさ。何してくるかわからない。どこまでの規模の力を持つかもわからない。気引き締めてかからないとやべーよォ)
(そのようだな)
みどりが念話で注意を促し、真も認めた。
「伽耶、麻耶、お前達は防御に徹してくれ。何かあったらすぐ対応して皆を護るようにしてくれ」
「最初からそのつもり」「了解」
真に指示を出され、伽耶が言い返し、麻耶は頷いた。
「ほーれほれ、ここまでおいデ~」
悪魔のおじさんが遠くから己の尻を叩いて挑発する。
「くろ……いもやがもやもや……」
大丘はあっさりと挑発に乗って、悪魔のおじさんの方に冠ってふらふらと歩いていく。
歩きながら、足を振るう。空間の歪みが発生するが、悪魔のおじさんは際どい所で回避していく。
「くろい……もや!」
かわされたことに腹を立て、黒い霧を大量に噴出させるが、悪魔のおじさんは大きく距離を取って避ける。
(僕が……力を求めた理由……何だったのでしょうか……?)
大丘の頭に、疑問が浮かぶ。怒りを力に転換させて、黒霧を発生し続けた結果、少し正気が戻ってきた。
(ああ、思いだしました。シンプルです。力があればそれだけ、黒い靄をどうにかできるからです。黒い靄を生じさせた相手を消せますし、黒い靄に悩まされないようにできるからです)
そこまで思った所で、大丘はふと、自分の目の前に見覚えのある少女がいることに気が付いた。
「え……? 崖室……ツグミさん……?」
ツグミと目を合わせ、大丘は呆然とした顔で、訝るように名を呼んだ。




