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大丘越智雄は幼少時、甘やかされて育てられた時期があった。そのせいか、すぐ癇癪を起こす悪い癖が出来た。
その日は、父親にラーメン屋に連れて行ってもらった。大変美味いラーメンで気を良くした大丘は、父親が替え玉を頼んでいるのを見て、自分も頼んだ。
「お前は無理だろ。食い切れないだろ」
父親に笑ってそう言われ、大丘はカチンときた。
「嫌だ。僕も替え玉」
「無理だって。残すって」
父親が諭すも、散々駄々をこねた結果、父親も折れた。
しかし父親の予想した通り、大丘は残してしまった。
「どうした? 食べるんじゃないのか?」
「やっぱり……いい……」
にやにや笑いながら尋ねる父親に、苦しげな顔で拒む。
「お父さんもお腹いっぱいなんだがなあ」
そう前置きをして、父親は大丘の残した麺を食べ始める。
「だったら残したら?」
「せっかく出して貰ったのに、残していくのは店員さんに悪いだろう? 食べ物を粗末にするのも駄目だ」
そう言って無理して食べる父親に、大丘は尊敬の念が強く沸いていた。
しかしその一年後、大丘は父親と喧嘩した。何で喧嘩をしたのか、覚えていない。つまらない理由であったとは覚えている。
父親と喧嘩した日の翌朝、大丘が私立小学に通う際、電車のホームで父親を見かけた。たまたま同じ電車で同じ時間だった。
仲直りしたくて手を振る大丘。しかし父親は反応しない。
「お子さん、手振ってますよ」
大丘の同僚が、大丘を指して父親に声をかける。その声は大丘の耳にも届く。
「いいや、あれはうちの子じゃないよ」
意地悪い笑みを浮かべて言い放つ父親の声も聞こえて、大丘は心臓が凍り付くような思いを味わう。
この時の発言は、大丘のトラウマになった。
父親とは修復不可能なほどズレたと感じた。父親はちょっとした意地悪のつもりであり、本気で嫌ったわけでもなかったが、大丘の心には致命的な亀裂が生じていた。
あれ以来、胸の内で黒いもやもやが生じるようになった。そしてその黒い靄が耐えがたいと感じるようになった。
そして現在、黒い靄だけではく、もっと別なものも生じている。それは黒い靄より強く、おぞましい。
憔悴しきった顔で、大丘はとぼとぼとぽっくり市の道を歩く。
(色々と手を尽くしましたが、結局空回り……悔しく、そして虚しいですね)
黒い靄よりおぞましいものを意識しつつ、必死にそれから目を逸らせようとしつつ、大丘は落ち込んでいた。
疲れてしまった。今後のヴィジョンも見えない。
黒い靄が胸の内に生じて苦しい。黒い靄の行き場が無くなっている。しかしこの黒い靄があるからこそ、自分はここまでやってこられたとも言える。
眩暈が生じ、よろめき、歩道の真ん中で膝をつく。
「大丈夫ですか?」
膝をついている大丘に、通行人の女性が心配して、声をかけてきた。
大丘は女性を見上げてにっこりと笑うと、笑顔のまま銃を抜いて、女性の頭部を撃ち抜いた。
「はい。大丈夫です。おかげですっきりしました」
女性の死体を見下ろして、清々しい笑顔で礼を述べる大丘。
(いや……すっきりしていません。黒い靄だけではなく、私の……僕の中に別のものが生じている……)
黒い靄よりおぞましいもの――棘が生えた黒い虫のようなものが首筋と胸の内を這いずり回っている。
それは――純子との戦いの時から生じた。
黒い虫の正体はわかっている。それは――
(やっと見つけた。しかし何だあれは? まるで僕が心をいじった後みたいだ)
大丘を発見したデビルは、大丘の歪な精神状態を見てとって、平面化した状態で眉をひそめていた。
(あれもシリアルキラーのようなもの? 同胞? しかし……何かが違うような気がする)
大丘の行動を見て、デビルは思案する。
(睦月とも、勤一や凡美とも違う。僕が求める者とは違う。似ているけど何か違う。世界を睨みつけ、焼き尽くさんとする者とは違う)
何がどう違うのか、デビルにはうまく言葉で言い表せない。うまく整理できない。しかし違うと感じる。
「屈したく……無いですね……」
大丘が呟き、ゆっくりと立ち上がった。
「転烙市に行ってみますか……」
歩き出す大丘。
(転烙市か……。犬飼達も行くようなことを言っていた)
大丘の後を追うデビル。正直大丘という男への興味は失せつつあるが、犬飼にとっては重要な男のようなので、犬飼への義理立てで、仕方なく後を追っていた。
***
真、ツグミ、伽耶、麻耶の四名は、ぽっくり駅にいた。転烙市には電車で向かう予定だ。当然、途中で新幹線に乗り換える。
四人は安楽市から来る増援と待ち合わせをしていた。
「あ、来た。みどりちゃんだー。おーい」
ツグミがみどりの姿を見て手を振る。みどりの横には、犬耳犬尻尾の少年の姿もあった。
「ヘーイ、ツグミ姉、伽耶&麻耶姉、元気ー?」
『&でまとめるな』
みどりが歯を見せて笑うと、伽耶と麻耶が口を揃えて抗議した。
「熱次郎も来たのか」
みどりの隣の熱次郎を見て、意外そうに言う真。彼が来るという話は聞いていない。
「来て悪いかよ。純子も真も、俺だけ蚊帳の外にしてさ」
ぶすっとした顔で言う熱次郎。
「犬少年、超可愛い……。触りたい……撫でたい……」
「説明しよう。伽耶はケモナー」
熱次郎を見て顔色を変える伽耶と、一言で説明する麻耶。熱次郎とは初対面というわけでもない。何度も会っている。
ツグミが熱次郎の側にいき、頭を撫でだす。
「可愛いと思った時には――撫でたいと思った時にはすでに撫でているのが! 真のケモナーっ!」
「やめろっ。付け根は敏感なんだっ」
ツグミが変顏になって力説する。熱次郎は嫌そうに拒む。
「雪岡はお前のこと、こっち側と判断した――と言っていた。けど、微妙にそれは違うんじゃないかな?」
「じゃあ何だと?」
真の疑問を受け、熱次郎は憮然として問い返す。
「お前がどっちに着くか、僕にも雪岡にもわからないから、いや、お前自身が決めあぐねていると踏んだから、どっちも声をかけなかったんだよ」
「ふん。言っただろ。俺は純子側だ。純子と会うまでは、せいぜい真のことを利用してやるさ」
真の言葉に余計に気を悪くして、熱次郎は腕組みしてそっぽを向く。
「姿を消したのは純子だけじゃない。ホツミもだ」
「累もな。あっち側についたんだろう」
熱次郎が言うと、真が付け加えた。
「ホツミと累は純子に声をかけられたのかな。だとしたら何で俺は駄目なんだよ。決めあぐねてなんかいない。俺は純子側なのにさ」
熱次郎が不満と不安が入り混じった表情でぼやく。
「真兄、熱次郎は今落ち込み気味だから優しくしてやんなよォ~。弟みたいなもんだろぉ~?」
「別に真に優しくなんかしてもらわなくていい。それに実年齢は俺の方がちょっとだけ上だ」
みどりが真をたしなめるが、熱次郎的には、そのようなことを言われると余計に情けなくなってくる。
「これ、アクセサリーじゃないんだ」
「もしかして純子に改造されてこうなった?」
伽耶と麻耶も熱次郎をいじりだす。熱次郎に実際に触れるのは初めてだった。
「もしかしなくてもそうだ」
真が麻耶の言葉を肯定する。
「だからー、耳の付け根はやめろ。尻尾もな。付け根が敏感なんだって言ってるだろうに」
姉妹の手を振り払う熱次郎。
その後、電車に乗る六名。
「うっひゃあ、伽耶姉麻耶姉、やっぱじろじろ見られてるねー」
みどりが視線を意識して、わざと見ている者にも聞こえるように声を発する。
「駅構内でもそうだっただろ」
「慣れてる」「気にならない」
真、伽耶、麻耶がそれぞれ言う。
「ここに来るまでは俺がちらちら見られていた。帽子被って来ればよかったと思ったよ」
「これ被るか?」
熱次郎が言うと、真がジャケットを脱いで熱次郎に差し出す。
「いらん」
「ありがたく。すー……はー……」
「ちょっと麻耶……」
熱次郎が拒否したので、麻耶が代わりに真のジャケットを受け取って被り、堪能しだした。




