5
純子の前の机の上で、ネズミよりはずっと大きいが、兎よりは小さい程度のサイズの動物が、身を寄せて丸まっている。純子の頭の上にも一匹乗っている。
全身純白の毛で覆われ、体のフォルムはモグラに似ている。口と鼻はせり出し、バクを連想させる。翼のような形の葉が背より生え、頭頂からは花が咲いていた。
その生物の名はアクル。映像を記録することが可能で、記録した映像を他の生物の頭の中に直接見せる力を持つ。純子が惑星グラス・デューからDNAを採取し、地球に持ち帰って培養した。
「前にミスター・マンジやネコミミー博士と話したんだけどさー。地球とグラス・デューを繋げたのは、アルラウネなんじゃないかなあって、私は思ったの。もうグラス・デューには進化の可能性が無いと感じて、それで地球にってね」
頭の上のアクルを机の上に置き換え、一人しかいない部屋で、まるで誰かがそこにいるかのように語りかける純子。
『その説は有り得なくないぞ。理にかなっている』
純子の頭の中で声が響く。
『ただ、元々空間が繋がりやすい環境にあったという点も考慮した方が良い。アルラウネ達が、そして古き根人達が両惑星間を行き来しているうちに、余計に繋がりやすくなったのでは?』
「もちろんその可能性も考えていたよー」
『アルラウネからしてみれば、あの星よりも地球の方が良い環境だろう。あちらでは基本的には、知性の無い生き物に宿ることしか出来ない。稀に、無宿と共生するケースもあったようだが、無宿や週末に吹く強い風とは相対関係にあったしな』
「根人さん達からするとどうなのかな?」
純子が尋ねる。純子と会話している者は、『根人』と呼ばれる惑星グラス・デューの住人だ。その正体は植物であるが、極めて高い知性と精神性を備え、植物間の中で意識を移動することが出来る。転烙市のあちこちに惑星グラス・デューから持ち込んだ植物を植えている理由は、根人達が転烙市の中を移動しやすくするためだ。地球の植物を移動することも出来るが、故郷の星の植物の方がより適している。
『生態的にはグラス・デューが適している。知的好奇心を満たし、心を潤すには地球だ。これは多くの者がそう答えると思うが、だからといって全ての根人が地球に引っ越すことは無い。アルラウネもその辺は、分かれるのではないか?』
根人の意見を聞き、純子はふと思いだす。
『この星は、アルラウネにとって、夢の大牧場とも言える』
半年前に交わしたアルラウネ久美との会話での台詞。知性の無い動物よりも、複雑な知性と精神、何より欲や葛藤を備えた人間の方が、アルラウネにしてみれば、進化を促すための良い宿主と言える。しかし今の根人との会話を聞いた限り、全てのアルラウネが、その良い宿主を求めているわけでもないとも言える。
『生物の進化は渇望よりもたらされる。超常の力の取得も、運命に振り回され、底辺で泥を舐めさせられ、極限まで追い込まれた者達の渇望によって成る。アルラウネはそれを促す生き物であるからな』
「生物の進化のシステムを利用して、自らも進化した力を取り込むのがアルラウネかー」
半年前、リコピーアルラウネバクテリアが全世界に拡散された。世界は大きく変化した。しかし現状は純子の理想にはほど遠い。全ての人間がリコピーアルラウネバクテリアに感染したわけではないし、感染したから必ず力が目覚めるわけでもない。リコピーアルラウネバクテリアを意図的に覚醒する薬がさらにそれを促進したが、それも決定打とは言えない。
(アルラウネは宿主の力を記憶している。相性の問題もあるけど、別の宿主にその力を分け与えることだって出来る。でもリコピーアルラウネには、そんな力は無いからねえ。それも課題の一つだけど、今は別にいいか)
宿主から得た力を、他の宿主にも与える力に関しては、純子からすれば考慮しなくていい要素であった。少なくとも当面の目的と照らし合わせると、大きく関係することではない。
『まだ陰体を用いるつもりか?」
「陰体はネコミミー博士とミスター・マンジに任せちゃった。メインでは多分使わないかな。こないだは突貫作業というかぶっつけ本番というか、実験も足りなかったからね。今度はあの二人が面白いものを作ってくれるんじゃないかなあ」
純子が根人と喋っていると、陽菜から連絡が入った。
『PO対策機構が現れたわ』
***
陽菜とエカチェリーナと蟻広と柚の四人は、ビルの窓から、オキアミの反逆ビル前に現れた、軍用車とバイクの一団を見下ろしていた。
「誰も出て来ようとしないね」
車とバイクを見やりつつ、陽菜が呟く。敵もまだ足並みが完全に揃っていないのではないかと見る。
「先制攻撃できるで。チャンスや」
エカチェリーナが陽菜を伺うが、陽菜は眉間に皺を寄せたまま窓の外を見下ろし、返答しようとはしない。
ぽっくり連合とヨブの報酬との戦いで、かなりの犠牲が出た。明らかに弱体化している。このままPO対策機構と連戦していいものかと迷う。余計に犠牲を出して、そのあげく敗れる結果が予測できてしまう。
「また死人出ること気に病んどルのか。降伏してまうという手もあるで」
陽菜の迷いを見て問って、エカチェリーナが柔らかな声で言った。
「敵もかなりの大人数だ。被害を出す前に降伏は、この場合英断だろう。ぽっくり連合相手とはわけが違うよ」
柚もエカチェリーナに同意する。
(どーせこいつらの役目は終えているようなもんだし、降伏したところで構わんだろうからな)
皮肉げに思う蟻広。
「純子にも連絡してある。純子が手を考えていると言ってた」
「どんな手使うやら」
陽菜が言うと、蟻広は鼻を鳴らした。
「車から降りてきたぞ」
蟻広が噛んでいたガムを吐き出す。
「特に強い強者の魂を幾つか感じる」
車から降りてきた者を見つめ、柚が言う。
と、そこに純子がやってきた。
「仕掛けをしておいたよ。こっちの陣営の人は、入口近くに近づけないでね」
にっこりと笑って告げた純子の言葉を、陽菜は部下達にも伝えた。
***
「酷い有様だ」
車から降りた弱者盾パワー委員会会長の澤村聖人が、顔をしかめる。道がえぐられていたり、血塗れだったり、死体がそこかしこに転がっていたりと、凄惨な戦いの痕跡が残ったままだ。
「敵さんも相当やられている。いいタイミングで来たんじゃない?」
「窮鼠猫を噛むって言葉を知らないのか? 追い詰められた敵ってのは返って厄介なんだぜ?」
シャルルが言うと、李磊が顎髭をいじりながら悪戯っぽく笑う。新居は未だに車の中にいる。
「しかし今は全く人気が無い。俺達が来ることもわかっていただろうに」
「戦うかどうか迷っているとか?」
「罠が仕掛けてある可能性がありますよう」
鋭一、冴子、優が言う。
オキアミの反逆アジトビル前で、PO対策機構の面々が様子を伺っていると、変化が生じた。
突然、巨大な植物が生えて入口を覆い出す。その植物は、葉も茎もツルも花も黒い。黄色に筋が所々にあって、不気味感を増している。しかしもっと決定的に不気味なことがある。葉、茎、ツル、花の表面から、内臓のようなものが飛び出ているのだ。
黒い内臓植物はみるみるうちに広範囲に広がり、やがて建物の横も覆われていった。さらに建物の前方にも伸びてくる。
「何だよ、あれは……」
バイバーが眉根を寄せて呻く。
「超常の能力にしては範囲と規模が凄まじいのう」
「いやあ、力が働く気配はほとんど感じなかったですよ~」
チロンと男治が言った。
「ぐぴゅ。男治の能力のパクリか?」
「たは~。植物生やせば僕の能力のパクリになるんですか~?」
史愉がからかい、男治が苦笑したその時だった。
黒い花から黒い粉が大量に吹き出される。
「複数の毒素確認」
つくしが報告した。
「毒だ。下がれ!」
バイパーが叫ぶ。
「見たまんまだねー」
シャルルが笑いながら後方へと移動する。李磊も続く。新居も車の中から出て走って逃げる。
「ぐぴゅー。急いで離れろー。間抜けは毒吸いこんで死んどけー」
史愉がどうでもよさげに呼びかけ、解析を始める。史愉は下がる様子が無い。毒物への耐性と、浄化能力に関しては、自信があった。
「おーい、我が弟子。お前の力で何とかできんかね?」
「やってみまあす」
李磊に促されて、物に向かって消滅視線を用いた。が、すぐに消された部分が再生して元通りになる。
「全部は消しきれませんし、これは難しいですねえ」
優は自分の能力でこの植物の対処を早々に諦めた。
「俺達を近づけないようにして、足止め食らわしている感があるな」
「つまり敵さんはこの間に逃げるのか?」
「あるいは、もっとヤバいものを準備中で、その時間稼ぎかな~?」
新居、犬飼、シャルルが言う。このままではPO対策機構の面々もビルには近づけないが、ビル内に人がいると思われる状態で、あの毒を噴き出す植物がそのままであるとも考えづらい。そうなると時間稼ぎとしか考えられない。
***
「あれは私の実験の副産物だよー。実は失敗作なんだけどねえ。こういう利用の仕方もありかなーと思って」
ビルを覆う黒い内臓植物を見下ろしながら、純子が弾んだ声で解説する。
「妖魔銃で出てくるアレに似ているな」
「妖魔銃にしても、この黒い植物にしても、私の必殺技の神蝕を組み込んでるよ」
蟻広の感想を聞き、純子は言った。
「ビルの後ろは開けてあるから、足止めしている間に逃げてね」
「ちょっと……何それ? 逃げるための足止めなの?」
純子に促され、陽菜は目を丸くする。
「そーだよ? あの人数相手に、しかも強者も多い相手に、ぽっくり連合やシスター達との戦闘後の兵士出しても、無駄な犠牲を出すだけだよ? ここは逃げて犠牲を出さないのが得策だよー」
「逃げるにしてもどこへ?」
柚が尋ねる。
「転烙市やろ。純子、あんた初めからそのつもりやったンやな。こうなることも見通しとったんやろ」
「うん。そうだよー」
エカチェリーナが半眼で指摘すると、純子は笑顔であっさりと認めた。
「あんたな……誰も彼もが住んでいる土地、ほいほい捨てらレるもんちゃうで」
呆れるエカチェリーナ。
「全員逃げなくてもいいよ。逃げられる人、逃げたい人、ここで降伏してPO対策機構の言いなりになりたくない人は、裏口から出て転烙市に来るよう促して欲しいんだ」
「わかった。でも私は逃げない。気遣ってくれているのに、ごめんね、純子。ああ、祭りの時は行くよ。ちゃんと協力する」
純子に言葉に頷きつつも、陽菜自身は逃げるという選択を拒んだ。
「すまんこって言おう」
「それはちょっと……」
純子が言うも、陽菜は難色を閉めた。
(ま、確かに純子は色々と考え、見越したうえで準備していルようやけど、ちいと引っかかるわ。話聞いた限り、元から転烙市にぽっくり市のサイキック・オフェンダーも、転烙市に呼び寄せるつもりだったんやろ)
エカチェリーナが純子を見て推測する。エカチェリーナの考えでは、それは別に悪いことではないが、純子はそれを前もって陽菜にもエカチェリーナにも話していない。事前に話せば都合が悪かったのかもしれない。
と、そこに勤一と凡美が現れる。
「すまん。立ち聞きしてた。俺達はその話に乗りたい。転烙市に行く」
勤一が申し訳なさそうに言った。
「世話になったのに、砂をかけるように出ることになってごめんね。でも、私達はPO対策機構に降りたくはないの」
凡美も軽く頭を下げて、申し訳なさそうに告げる。
「気にせんでええて。あンたら一宿一飯の恩は十分すぎるほど返してるやん」
「うん。向こうに行っても元気でね」
そんな凡美と勤一に対し、エカチェリーナと陽菜は笑顔で告げた。




