マフィアと環境保護団体と中国秘密工作員で遊ぼう(前編)
二十一世紀半ばから、環境保護こそ最と尊いという価値観が世界中に蔓延し、そのお題目の元にありとあらゆることが規制され、人類の文明の進歩を停滞させるまでに至った。
日本も国際世論の目を気にして、様々な規制を設けたものの、多くの国民の心情としては、他国民ほど過度な環境保護思想に感化されることがなく、「あー、また無駄に感情的な外国が、わけのわからんことで騒いでうるさいな」程度の認識しか無かった。
しかし最近になって、日本も変わりつつある。一体どこで火がついたのか、日本でも環境保護ブーム、動物愛護ブームが起こりだしているのだ。
ネットではそれらの話題が尽きず、本屋でも環境保護本が売れ、政治でも政党が環境保護政策の公約を掲げるようになっている。さらに、世界最大の環境保護団体『グリムペニス』の日本支部の支部員は急増している。
「おかげでグリムペニスは、日本の政治中心部にも、まだ細いながらに根を張った。すげーなあ? エリックぅ? これでちょっとやそっと暴れても、政府に圧力かけてもらえば、ポリスのお世話にならずに済むんだからなあ。おペニペニ狩り放題だぜ」
環境保護過激派組織『海チワワ』の幹部ジェフリー・アレンは、夜の安楽市絶好町繁華街を歩きながら、デパートの前で環境保護のスピーチをしている若者達を尻目に、傍らにいる男に声をかける。
「ミャー」
アタッシュケースを携え、上半身裸で、引き締まった筋肉と均整の取れた裸体を晒している白人――エリック・テイラーが、満面に朗らかな笑みを広げ、猫のような鳴き声をあげる。
エリックの前には、地図を記した画像が現れていた。歩きながらホログラフィディスプレイを出すのは禁止されているが、エリックに限ってはディスプレイを見ながら歩いても、誰かに当たるということはまず無い。
ジェフリーもフードをかぶった真っ黒なローブ姿という占い師めいた格好をしているので、異様に目立つ二人組みとなっている。
そのうえジェフリーは非常に痩せこけていて、目つきもおかしく、肌の色も病的な蒼白さなので、不気味で近寄りがたい印象を与える。それとは対照的に、エリックはたとえ上が裸で猫の鳴き声しか発さなくても、いつもにこにこと笑顔であるため、多少変態っぽくても人当たりがよく、接する者を安心させる。
実際警察に職務質問を受けることも珍しくないが、その度にジェフリーが魔術を使って逃走している。
「ただ、今までグリムペニスは散々日本叩きもしていたから、嫌っている日本人も多いし、他の国に比べてスムーズにはいかねーだろうな。んで、エリック。褥通りってのはどこかわかったか? 安楽市は何度も来てるが、そんなイミフなスポットまでは知らねーし」
「ミャー」
尋ねるジェフリーに、エリックが立ち止まり、ビルとビルの間の狭い路地裏を指す。
「おいおい、マジかよ。日本は何でも狭くて小さいのが好きだが、こいつは限度越えてるだろ」
悪態をつきながらも、先にその狭い裏路地へと入っていくジェフリー。エリックもその後に続く。二人並んで歩けるスペースすら無い。
少し歩くと、多少は横に開けて道と呼べる広さになる。道の左右には、何の店だかわからない店名の店舗が、幾つも建ち並んでいる。地下に降りる階段も幾つか見受けられる。
道は頻繁に折れ曲がっていて、結構長い。途中で何名かとすれ違ったが、明らかに裏通りの住人であった。中にはジェフリー達のことを、知っていると思われるような視線を向ける者もいた。
「裏通りの住人が集う場所だって話は本当みたいだな。それに加えて、俺達みたいなテロリストや、海外のマフィアもか」
ジェフリーが呟いた直後、離れた場所から、銃声が幾つか立て続けに響く。
「抗争も頻繁に起こる場所だって話も本当か。巻き添えとか愉快な事態になるのだけは勘弁だが」
「ミャーミャー」
不意にエリックが、嬉しそうに道の脇を指す。
「おお、ラットか。可愛いもんだ」
薄汚いドブネズミが鼻をひくつかせながら周囲の様子を伺っているのを見て、ジェフリーが顔をほころばせる。
「食うなよ、エリック。いくらお前が猫でも食うなよ。あんなラットでも、こんな糞みたいな人間社会の片隅で、精一杯生きているんだ」
「ミャア……」
明らかに「食わねーよ」という感じの、嫌そうな顔になるエリック。
「人間以外の全ての動物の命は尊いものだ。いらねーのは人間だけさ。人間は地球を破壊するために、悪魔から遣わされたファッキンな生物兵器なんだぞ」
「ミャーミャー」
微笑みながらエリックがジェフリーを指す。
「そう、俺も運悪く人間に生まれちまった。バ~ット、俺は悪魔の洗脳からは解けているから、悪魔の遣い共を少しでも減らす努力をして、死んだ後はちゃんと天国に行くんだぜぃ~? 海チワワやグリムペニスに属していないほとんどの人間は、地獄に落ちて永遠に苦しむ予定だけどなァ。あひゃひゃひゃひゃっ!」
高笑いするジェフリーであったが、すぐに笑みを消した。自分達に近づいてくる複数の人影を察知したのだ。
「おっ、こっちは二人で来たってのに、そっちはぞろぞろと大勢で出迎えか。こりゃ傑作だ」
ぞろぞろと固まって現れた九人の男達を前にして、ジェフリーはたっぷりと揶揄をこめて言い放った。
***
海チワワはグリムペニスの汚れ役を引き受ける、下部組織と見られている。
グリムペニスにせよ、海チワワにせよ、彼の国ははっきりと敵視している。その両方の組織が、彼の国で活動をした。それだけで許されることではない。大きな派閥が現れただけで、徹底的に弾圧を加えるという野蛮な行いを、二十一世紀も後半になろうという昨今においてやってのける前時代的な政府に、彼は反吐が出る思いだった。
彼は自分の国が大嫌いだった。正確には、一党独裁を続けるあの政党が大嫌いだ。だが今の彼は、その国のために働いている。
「あいつら一体どこに行ったのかねえ……。メールしても電話しても出やしねーし。もう自由時間は終わりだってのに」
カンドービル内にある、裏通りの住人が集うバーであるタスマニアデビルを出た所で、中国秘密工作部隊『煉瓦』の副長である李磊は、携帯電話のディスプレイを眼前に投影し、難しい顔で呟く。
本日の任務は、海チワワの悪名高い幹部が、安楽市に潜伏しているチャイニーズマフィアと何やら取引をするというので、問答無用でそれを妨害するというものであった。情報源はチャイニーズマフィアに潜伏している工作員からだ。
どちらにせよ、本国からしてみれば敵と呼べる勢力であるが故、たとえ国交断絶した島国の中での出来事であろうと、看過することはできない。
できれば海チワワの幹部であるジェフリー・アレンとその側近であるエリック・テイラーも仕留めたいとして、李磊は煉瓦の中でも特に腕利きの三名を引き連れてきたのだが、その三名とは別行動を取っていた。
「もうすぐ取引の時間になるってのに……もしかしてあいつら、どっかでトラブルにでも巻き込まれたのかな?」
三人揃って連絡に応じないということは、その可能性が高いと見ていい。
「一人で行くしかないか……。いやー、でもこれって死亡フラグとまでは言わないけど、嫌な予感するんだよね」
独りごちると、李磊は気乗りしない足取りで、ビルの外へと歩いていく。
(どうも匂うな。ドンパチ始める前の匂いだ)
店から出た一人の少年が、李磊の後姿を見送り、口に出さずに呟いた。
***
その占い師然とした風貌通り、ジェフリーは占いを得意としてもいた。本人曰く趣味の領域であるが、その的中率は極めて高い。
朝、ジェフリーは今日の取引がうまくいくかどうかをタロットカードで占ってみた。何度やっても、出るのは塔のカードだった。タロットカードは正位置と逆位置で異なる性質へと変化するが、塔のカードだけは、正位置にしても逆位置にしても悪いニュアンスしかないカードである。
ジェフリーはこの日、チャニーズマフィアとの取引のために、安楽市絶好町の繁華街にある褥通りという場所を訪れた。
「おーおーおおーっ、あえて嬉しいぜ! どんな動物でも節操無く食う、憎むべき悪魔の遣いの国の方々よ!」
目の前に現れた九人の男達に向かって両手を開き、歪な笑顔でおちょくった挨拶をするジェフリー。
「今から入金する。例のブツを」
噂通りの人物だとして、チャイニーズマフィアの九人は特に憤ることもなく、簡潔に用件を訴え、ディスプレイを出す。
「おっけーい! エリックぅ」
「ミャー」
ジェフリーに呼応し、エリックがマフィアの代表っぽい男の方へと歩いていくと、その前でアタッシュケースを開く。
中には強化プラスチックで厳重に保管された瓶が二十個ほど並んでいた。
「こいつが本物だという証明もしてほしいんだがな」
ケースを受け取った男が、ジェフリーに向かって言う。
「冗談じゃなく、今ここでお前さんらの体で試せばいい。大した代価じゃねーんだしな。それどころか素晴らしい力が手に入るんだぜ? 十字架や日光で溶けちまうようなこともないしな。デメリットは、定期的に血を欲するようになるくらいだな」
ジェフリーの言葉を受け、マフィア達はそれぞれ顔を見合わせる。
チャイニーズマフィアの面々は、海チワワより高額で吸血鬼ウイルスを譲り受ける取引をしたのである。
かつて海チワワは、三狂と呼ばれる優秀なマッドサイエンティストの一人、草露ミルクから、吸血鬼ウイルスを奪い、その製法を我が物として利用していた。自分達の兵隊の強化にも用いていたし、バイオテロとしても使用していたし、時として今のようにマフィアやテロリスト空いてに商品として売り出してもいた。
「ところでお前さんら、凄まじい悪食グルメだっていうが、同族食いはするのかい? 俺は食うぜ。ボーイのおペニペニ限定だがな。あれはオススメするぜ。ギャハハハッ」
耳障りな声で嘲笑するが、マフィア達は黙殺していたので、ジェフリーもシラけて笑うのをやめた。ジェフリーとしては占い通り、この交渉が決裂した方が面白いとすら思っていたし、そうしたら皆殺しにしてやろうと考えていたのだが――
(俺の占いもたまには外れることもあるか)
ジェフリーがそう考えて嘆息したその時、ウイルスの詰まったケースが、マフィアの手から弾きとばされた。
「あーあ、ここで俺一人で喧嘩しかけるのはねえ……。流石にどうかと思うんだけど」
頭をボリボリとかきながら、気孔塊を放ってケースを吹き飛ばした李磊が呟く。
「このままあいつらの到着待ってたんじゃ、マフィアが揃って吸血鬼化とか、厄介なことになりかねないし、あいつら一体どこほっつき歩いてるのか知らねーけど、一向に来やしないし、ここは俺一人で頑張るしかねーな」
そう言うと、李磊は再び気孔塊を放ち、地面に落ちたケースの中身を完全に破壊した。
「うぇーるかーむ! 誰だか知らないけど闖入者よーこそ! 楽しませてくれよぉぉ!? なあっ、エリックぅっ」
李磊の方を向いて両手を広げて歓迎のポーズを取り、心底嬉しそうな声と表情で叫ぶジェフリー。
「ミャー」
エリックも李磊が遊び甲斐のありそうな相手であると見て取り、屈託のない笑みを広げて一声鳴くと、笑顔のまま李磊を見据えて戦闘態勢を取った。




