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「君達は役目を果たしました」
大丘は苗床の役目を与えられた青少年達を前にして、厳かな口調で告げた。
「もう日常に帰った方が良いでしょう。ここにいても何もなりません」
若者達の歓喜の表情が一斉に曇る。あるいは凍り付く。
日常は忌むべきものだ。自分達は大丘によって導かれ、その日常ならざる領域へと連れてこられたと信じていた。そして自分達は崇高な役目を果たしたと信じ、満足していた。それなのにその行為は終わったと告げられ、忌まわしい日常へ帰れと、この世でも最も信じる者から告げられた。彼等にとって、これほどショッキングな展開は無い。
「嫌ですっ。次の役割をくださいっ」
「世界を変えるお手伝いがまだしたいですっ」
「私、家に帰りたくないっ。ここで世界を変えるための崇高な任務を続けたいっ」
苗床の若者達が口々に訴える。騒然とする。
大丘が無表情に、ゆっくりと片手をかざすと、彼等は沈黙した。
「世界を変える手伝いをまだしたいというのなら、尚更です。日常に戻って、出来る範囲のことで、力をつけてください。そして得た力を用いて、改めてここを訪ねて、世界を変えるための手助けをすればいいのです。あるいは、今からここオキアミノ反逆で、働くのも有りでしょう。ここのボスにはその旨を伝えておきます」
「力をつけろって……」
一人の少年が呆然とした顔で呻く。
「何でもいいと思いますよ。超常の力を覚醒させるもよし。何らかの技能を身に着けるもよし。学問を究めてみるもよし。選択するのは君達ですよ」
そこまで喋った所で、ずっと厳粛な面持ちだった大丘が、ようやく微笑んだ。
「今更何でそんな……僕達は今の世界に絶望しているのにっ」
「湊君、絶望して諦めないでください。私も諦めませんから。どんな人間も、少なからず世界を変える力があると、私は信じています。世界を変える規模の大小はありますが」
叫びかけた少年の名を口にして、大丘は優しい口調で諭す。
「皆さんも同様です。次のステージに進む時が来た――それだけのことです」
そう言い残し、大丘は苗床達に背を向けた。
苗床の若者達は固まったままだった。誰一人もう声を発そうとしない。何か話したくても、声が出せなかった。何を言っても、もう大丘の態度は変わらないと悟っていた。たった今、信じていた大丘によって、巣立ちの時を宣告されたのだから、それは決して変わらない。感情は受け入れてなくても、事実は受け止めていた。
「何であんなことを?」
「この人のキャラらしくもない正論だった」
大丘の後を追って部屋を出た伽耶と麻耶が、疑問を口にする。ネロも外に出る。
「言葉通りですよ。彼等が次のステージに進むためのショートカットです。いや、そうなるかどうかは彼等次第ですが。どうなるかは、人それぞれでしょう。今の言葉によって、立ち直りが早くなる者もいれば、そうでない者もいる。自殺してしまう者もいるかもしれません。しかし――黙ったままであれば、立ち直るにしても、命を放棄するにしても、彼等は散々無為な時間を過ごしてからようやく、次のステージに進むことになります」
歩きながら大丘は、包み隠さず、偽りもせず、心情を吐露する。
「そういう意味で聞いたんじゃない。どういう風の吹き回しなの?」
「全然貴方らしくない説得だったから驚いている」
伽耶がさらに問い、麻耶が付け加える。
「ああ、そういう意味での質問ですか」
大丘が姉妹の方に振り返り、微笑を零す。
「彼等に対して、私に何の感情も無いわけではないですよ。ずっと面倒見てきましたから。彼等は私に従順でしたから」
大丘は前に向き直り、小さく息を吐いた。
「しかし私が説得した所で、彼等の呪いは解けますかね?」
『呪い?』
「純粋であるという呪いです。それは私が彼等と会う前からある、彼等の性質。彼等はそれ故に雪岡さんに目を付けられたのですし、その性質故に、私の説得は逆に彼等を苦しめてしまう可能性もあります」
そこまで話した所で、四人はオキアミの反逆のアジトの裏口へと着いた。
「私はここでお暇させていただきますよ。他の皆さんによろしく」
そう言い残すと、大丘は裏口の扉を開いて外へと出た。
「逃がしてよかった?」
「よくないと思うけど、何となく止め難い空気だった」
「うむ」
疑問を口にする伽耶に、麻耶が答え、ネロも頷いた。
***
学校の教室で、制服姿のまま着席姿勢を強いられている晃、十夜、凛、蟻広、陽菜、エカチェリーナ、カシム、カバディマン。ツグミは教団の前でジャージ姿で、竹刀を手でぽんぽんと叩いている。
「時間が無駄に流れているような気がするが、これは時間稼ぎか?」
「おらぁぁっ! 私語厳禁~っ!」
カシムがうんざりした顔でツグミに問うと、ツグミはチョークをカシムめがけて投げた。カシムはかわすことが出来ず、透過の能力も発動できず、額にチョークの直撃を受けてしまう。
「奇妙な光景だ。でもその制服はいいな。私だけ除外されているのはどうして?」
服装も変わらず、席にも着いていない柚が物欲しげな顔で言った。
「抗えることが出来たのは、柚だけだったな。しかし柚もこの空間内にいる。つまりこいつ、柚に匹敵する力の持ち主なのか」
「ポイントの大幅プラスが必要ね?」
蟻広が柚とツグミを交互に見やると、柚が微笑みながら冗談めかす。
「心に描いた空間を現実にあてはめてしまう力だな」
柚がツグミの能力の正体を言い当てる。
「カバディ……」
カバディマンが必死に立ち上がろうと体を揺するが、立つことは叶わない。皆着席姿勢から動けない。
「キツいわ~……この歳デこの服……」
「私は中高とセーラー服だったのよね。こういうヤボったい制服は逆に新鮮」
エカチェリーナはげんなりしてうつむいていたが、陽菜は平然としていた。
「おい、俺以外も結構私語してるのに、何でそいつらにはチョークぶつけないんだよ。ん……?」
カシムが文句を言うと、ツグミはゆっくりと前のめりに倒れていく。
「ツグミっ!?」
晃が立ち上がる。座った姿勢のまま拘束されているような状態であったが、その拘束も解けた。
次の瞬間、教室が消える。全員の服装も元に戻る。晃以外も拘束状態が解けていた。
「驚嘆に値する能力ではあるが、本人の器がついていっていない。しかし短い時間といえども、そのような力を使いこなせたことは見事だ」
晃に抱き起されるツグミを見て、柚が解説しつつ称賛する。
「裏切り者の大丘からメールきたわ」
「何て?」
陽菜が報告すると、エカチェリーナが不機嫌そうな声を発する。
「苗床の面倒を見てほしいって。彼等を見捨てないでほしいってさ」
「はん、言われンでもそのつもりやったのな」
吐き捨てるエカチェリーナであったが、大丘からそのような頼みをされるとは、少し意外と感じた。
「ぽっくり連合は降伏するつもりみたいだぜ。大丘からこっちにもメッセージ回ってきた」
と、カシムが伝えたその時、真がその場に現れる。
「ツグミと十夜は無事なのか?」
「十夜はダメージ受け過ぎ、ツグミは力の使い過ぎで倒れたみたい。意識が戻ったらみそを食べさせて、体力の回復を促すわ」
倒れたままの十夜と、晃に介抱されているツグミを見て真が問うと、凛が答えた。
さらに伽耶と麻耶とネロもその場に現れる。
「雪岡と会ったよ」
ツグミと十夜は意識を失っていたが、突入した全員が揃ったことを確認して、真は告げた。
「転烙市に来いと言われた」
「貴方も転烙市に? 私達も言われたわ。でも今は離れられない」
真の言葉を聞き、陽菜が言う。
(祭りには間に合いたいけど、今は抗争の後処理に追われそう)
口の中で付け加える陽菜。
「嫌な報告入ったデ。PO対策機構の兵士がヘリから現れよった」
エカチェリーナが部下から入った報告を口にして、真を睨む。
「このタイミングで攻めてくるなんてね……」
陽菜も真を睨む。
「貴方が呼び寄せたのね」
「僕達は偵察に来たし、報告もしたさ。でも僕が呼んだわけじゃない」
「同じことでしょ……」
弁解する真だが、陽菜は憮然とした顔のままだ。
「僕達はここで退いておく。目的は達することが出来なかった。僕達は苗床をどうにかするのが目的だったからな」
「いや、それは真の目的だから」
真が言うと、伽耶が突っ込んだ。
「本当そうね。PO対策機構の偵察を名目にして、好き放題やっちゃって……」
凛が呆れて言ったが、真は素知らぬ顔をしていた。




