序章――二人の嘘吐き――
僕は毎日祈っている。ただ祈り続けている。
「湊、貴方は素直で正直なのが何よりの取柄よ」
僕は母親に何度もそう言われて育ってきた。母親は誇らしげに告げていた。母親は優しい笑顔で語りかけた。僕にはよくわからない。僕は特に意識せず、自然なままでいただけだ。素直かどうかはわからないけど、正直であることは僕の自然体なんだ。
しかし、でも、だけど、but、だが――
そう、そこで僕のそんな性質が裏目に出てしまう。悪い作用をしてしまう。前文否定の接続詞がついてしまう。
それは回避不能な不幸。馬鹿正直に人を信じてしまって、裏通りにおける有名な、未成年を狙った悪徳詐欺にあって、多大な借金を負って、付き合っていた子も巻き添えにして、家族にも迷惑をかけて、それでそれで……
今から思えば僕は、とんでもない馬鹿で間抜けだったと思う。でも人の性質は簡単に変えられない。用心することくらいは学習できるが、結局僕の性質は変わらなかったからこそ、今こうして祈っている。
僕はその事件以降、怖くなった。人を簡単に信じてしまう自分の性質が一転して、人が怖くて信じられなくなった。誰をも疑ってかかるようになった。それでも僕の本質は変わらない。僕は人を信じたい。疑っているつもりでも、ついつい信じてしまう。
親がネット上で見つけてきてくれた、若者向けカウンセラー。大丘越智雄さんという人に、事の次第を打ち明けた。今の苦しみを訴えた。
そしていつしか僕は、大丘さんのことを信じていた。
「騙される人が悪いと言う、心無い発言をする人もいます。しかし私はそうは思いません。湊君のような人間も、世の中にいていい存在です。自分を否定することも、貶めることもありません。そんな君だからこそ、惹かれる人もいるはずです。そんな君だからこそ、誰かの気持ちをわかってあげることも出来るはずです。そんな君だからこそ、出来ることだってあるのです」
耳障りのいい肯定の言葉は、僕の心を揺らす説得力を伴っていた。
「否定されるのは辛いでしょう。肯定されるのは気持ちいいでしょう。多くの人間がそうです。ですが、肯定してくる人は、口先だけで本音は違うかもしれません。ただのリップサービスの肯定かもしれません。否定する人も、相手のことを真剣に思うからこその否定かもしれません。それらに容易く心を揺らしてしまうのは、時としてリスクに繋がるケースもありますが、私はとても人間らしいと感じます。魅力的です」
僕は否定されることに弱い。そういう世代とも言われているが、僕は特別弱い。自分のそんな部分に対してコンプレックスがあった僕だけど、大丘さんは個性として認めてくれた。それがとても嬉しかった。
その後、僕は大丘さんと話をする時間を心待ちにするようになった。大丘さんの言葉の全てを受け入れられた。いや、たまに疑問に感じることがあっても、大丘さんはきちんと納得できるように説明してくれる。
そしていつしか僕は、大丘さんの言葉に、一切の疑問を抱かなくなっていた。
「湊君だからこそ出来ることがあります。チャレンジしてみませんか? 新しい世界を創るために、君の力が必要なのです」
だから大丘さんに誘いを受けた時も、僕は何の疑問も無く飛びついた。ただ喜びと期待に胸を膨らませていた。
誘いを受けたのは僕だけでは無かった。同じように大丘さんに相談をしていた人達が一ヵ所に集められていた。皆若い。僕と同世代の未成年もいれば、二十代の人もいる。皆僕と同じように、悩みを抱えている人達である。
僕達は東京から関西のぽっくり市へと送られた。暇な時間が多かったので、僕達は少しずつ会話を行い、打ち解けていった。似たような境遇とあって、安心して会話が出来た。中には僕なんかずっと不幸な環境にいた子もいて、話を聞いて胸が痛んだ。話をしながら泣き出す子もいれば、話を聞いて泣き出す子もいた。
『君達に任せる役割――それは祈りを捧げることです』
ぽっくり市に着いた僕達に、テレビ電話越しに大丘さんは告げた。
世界を変える役目を担うという、大それた話。一体どんなことをするのかと、期待する一方で不安もあったけど、正直拍子抜けしてしまう。ただの祈るだけ?
ビルの中の広間に通された僕達の前で、同じ白い服を着せられた青少年が、揃って一心不乱に祈りを捧げている。その光景を見て、僕達をぎょっとする。彼等の体からはそれぞれ、植物と人が混じったような姿の白い小人が生えている。
『君達はこの奇跡の植物の苗床になって頂きます。君達が新しい理想世界の誕生を強く祈ることで、この植物――アルラウネは育つのです。君達の気持ちを糧にして、成長するのです。このアルラウネこそが、世界を変えるための重要なピースなのです』
僕達は大丘さんの言葉を信じ、毎日祈っている。ただ祈り続けている。
アルラウネが育ち、僕達の体から生え、育つ経過を見ることは、僕達の喜びにも繋がった。
次から次へと生えては育つアルラウネ。一体幾つ必要なんだろう?
最近、大丘さんが顔を見せなくなった。ここに来てからは画面越しにしか会えない。忙しいのだろうか? 少し不安もある。
もう一つ不安がある。僕達が育てているアルラウネは、これで最後だと聞いた。アルラウネの育成という役目を終えたら、僕達はどうなるのだろう? 次は何が残っている?
***
嘘吐きの鼠の話。人々をおだてて、騙して、貢ぎ物を巻き上げ、神への信仰すら捨てさせた、口上手な鼠の話。しかし鼠の正体は悪魔だった。騙された人々は、神から罰せられ、虚無の地獄へと堕ちる話。私はあの話がとても気に入った。
嘘吐きの鼠は、この忌々しい世界を創った神へ抗う者だ。人かを神から引き離す者だ。だから私は、嘘鼠の魔法使いと名乗っている。
私は死の運命さえも利用した。命ある限り抗う。死すらも利用する。世界に、運命に反逆し続ける。死を代償にして、上級運命操作術『運命の特異点』を発動させることで、人工的に縁の大収束を呼び起こし、輪廻の渦の中で、その時が来るのを待ち続けた。
私はこの世で最も愛した弟子ですら利用した。あの子に呪いをかけたようなものだ。あの子に私の思想を刷り込んだ。あの子に愛情を刷り込んだ。
『希望じゃないだろ。それは呪縛だ』
来世の私も、私に向かってそう告げた。全くもってその通りだと私も思う。
あれは――そう、呪いをかけたも同然だ。死にゆく私の前で泣くあの子を前にして、私のことを忘れろと、他の男と幸せになれなどと告げて、酷く残酷な言動だった。あの子の性質もわかったうえで、ああ言えばあの子がどうするかも計算したうえで、ああ言ったのだから。
そして私の魂は、千年もの時を超えて、とうとう愛しい弟子と巡り合う。
大きな誤算。来世の私である彼は、嘘吐きの鼠である私に嫌悪感たっぷりだ。それはまだいい。私自身、私が犯した罪を認めている。しかしそれだけではない。彼は私の千年越しの仕掛けの全てを否定し、弟子の行いも台無しにしようとしている。
あの子を創ったのは私だ。あの子に自分の夢を背負わせた。孤独を背負わせた。しかし他ならぬ私の魂が、時を越えて、私と私の弟子の夢を破壊しようとしている。何という皮肉な展開。
実の所、私がこの展開を心底忌々しく思っているかと言えば、そうでもない。来世の私の気持ちも理解できる。
だが――千年の時を越えてあの子と再会し、あの子を愛し、あの子と私の夢を壊そうとする来世の私を、放っておいていいものだろうか?
嘘吐きの鼠の正体は、人を神から切り離す悪魔だった。私も悪魔に徹した方がいいのではないか? そうしなければ全てが無駄になる。
正直、私は迷っている。私に出来る事は少ない。与えられる時間は、機会は、極めて僅かだ。もし次に、私にその機が訪れた際、私は――




