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柚が呼び出した光り輝くリス二匹と、影子と悪魔のおじさんが肉弾戦で戦っている。
「リスのくせに強いぞ、これ」
押され気味の影子が顔に焦燥の色を浮かべている。
「リスだけならまだしもあの女のがネー」
喋りながら悪魔のおじさんは大きく跳躍した。柚がどんぐり爆弾を投げてきたのだ。悪魔のおじさんがいた空間が爆発する。
「ツグミは今かなりギリギリだし、私達が負けたら、後は無いよ」
影子が焦っている理由はそれだった。ツグミにこれ以上怪異を出す力は残っていない。
蟻広はハチジョウと対峙している。ハチジョウはスケッチブックと鉛筆を出して、絵を描こうとしたが、蟻広はさせなかった。妖魔銃を何発も撃ち、ハチジョウの動きを妨害し続けた。
「ハチジョウがどんな能力使うか、あの人は知ってるのかな? それともただ、危険な雰囲気を感じて防いでいるだけ?」
ツグミが荒い息をつきながら、蟻広を見る。
(ツグミ、やっぱりかなり消耗している感じね)
凛がツグミの側に寄り、腰に下げているみそ瓶の蓋を開けた。
「ツグミ、みそをあげるから食べて。少しは体力回復できるから」
「ええ~、直接食べるの? 舐める程度ならいいけど、食べるの?」
顔をしかめるツグミ。
「我儘言ってる場合じゃないでしょ。食べて」
「こ、こんなにいっぱい……」
手に山盛りのみそを取り出してみせる凛に、ツグミは引いていた。
「死にたいの? 今戦っている最中なのよ」
「うぐぐぐ……戦っている最中に、おみそを直食いする戦士なんて、ビッグバン以来、全宇宙で私が初めてなんじゃないかなー。うう……わかりましたあ。いただきまぁ~す……」
ツグミが凛の手に盛られた味噌を貪りだす。
「しょっぱいぃぃ。日本人は塩分取り過ぎたって、昔ウイルスで一儲けしたどっかの組織が言ってたあ」
「何やってんだ、あいつら……」
戦闘中に嫌そうに食事をとるツグミと、食事を与えているらしき凜を見て、蟻広が訝る。
「でも力戻ったでしょ。今のはとっておきのみそよ」
「うん。ありがとさまままー、凛さん。おかげで私もとっておきの奥義を披露できるよ。超喉乾いたけど」
ツグミが言いつつ、ハチジョウと同じように、スケッチブックと鉛筆を鞄の中に取り出して構えた。
(危険な気配だ。あの娘から大きな力を感じる)
影子と悪魔のおじさんとの交戦の傍ら、柚はツグミの力が漲っていることに気付いていた。
「え?」
「これは……」
「はあ?」
突然周囲の景色が変わり、蟻広、柚、凛は呆気に取られ、怪訝な声を漏らしていた。
四人がいる場所は学校の教室だった。そして蟻広、柚、凛、影子、ハチジョウ、悪魔のおじさん、二体の光り輝くリスは、それぞれ安楽二中の制服を着せられて、席に着いている。
「おっほんっ! それでは授業を始めるっ。先生に口答えしたら……! うらーっ! おらーっ!」
ジャージ姿のツグミがサディスティックな笑みを広げて、竹刀をぶんぶんと振り回す。
「これ、どういうこと……?」
凛が呆然とした顔で誰とはなしに問う。
「幻覚か……? いや、違うな」
蟻広が席から立ち上がろうとしたが、立てなかった。
「ツグミの能力だネー。私も巻き込むとは……いやはやだヨー」
悪魔のおじさんが息を吐く。こちらも席に座らされたまま動けない。
「ここは亜空間というわけでもないし……どうなってるの?」
「コラー! 私語厳禁! 凛さんも今は生徒だから、先生に従わないと!」
みそによって生じた渇きを潤すため、ペットボトルの水をがぶ飲みしていたツグミが、凛に向かって竹刀を指して怒鳴る。
ツグミはかつて累から、絵の中に世界を作る力を習っていた、これはその力の応用だ。絵の中の世界を現実世界へとかぶせたのだ。
「動けない。これはどうにもならない」
ハチジョウが無表情に言う。
「そうでもない」
柚がゆっくりと立ち上がる。他の面々はツグミの能力によって、『教室の絵』に従わせられていたために、席から動けなかったが、柚だけがその力に抗うことが出来た。
「ていっ」
ツグミが柚の額めがけてチョークを投げつけるが、柚は片手でチョークを受け止める。
「くっ……反抗的な生徒だっ。おのれ~、こうなったら!」
柚には自分の能力が通じないと見て、ツグミは顔を歪めると、その姿を消した。
次の瞬間、ツグミは蟻広の真後ろにいた。そして背後から蟻広の喉元に竹刀を回して、竹刀で羽交い絞めにする格好を取る。
「席について大人しくしろ~。さもないとお~……この生徒がどうなるかわからないぞ~?」
「む……わかった」
下衆顔で脅迫するツグミに、柚は眉間にしわを寄せて従った。
「どこにそんな教師がいるんだ。マイナス3しとく」
「もっと引いていいんじゃない?」
蟻広のツッコミを聞いて、影子が言った。
***
陽菜はこれまでに命をかけた戦闘経験もあるが、その回数は多いとは言えない。戦闘経験は、向かい合った四人に比べて文字通り桁違いに少ない。
さらに言えば、陽菜の相手は大体サイキック・オフェンダーが相手であり、陽菜の能力によってあっさりと封じてしまい、一方的に勝利することが多かったため、真剣に身の危険を感じたこともあまり無い。
しかし今回の相手は、四人中三人が、超常の力に頼る者ではない。
加えて、陽菜はまだ心が揺れていた。先程真に言われたことが響いていた。
(こんな時に……動揺している場合じゃないっていうのに……。しっかりしてよっ)
自身を叱咤する陽菜だが、どうしても集中できない。
(貴女は何者でもない。君の人気は作り物。お前がサイキック・オフェンダーのボスであることも、真の言う通り、純子に与えられただけの――)
(うるさいっ! 今戦っている最中だってのに!)
自分をなじる自分の声が聞こえて、陽菜は声無き一喝を自分に浴びせる。
その陽菜の脚を狙って、晃が撃つ。
その陽菜の腕を掴んで、エカチェリーナが引っ張る。
「陽菜! ボサっとすなっ!」
エカチェリーナの叱咤は、陽菜自身の叱咤よりよほど強く響いた。陽菜はようやく戦いに集中できるテンションになった。
陽菜の部下の一人が、次から次へと蓋の閉まった掌サイズのガラス瓶を、次から次へと幾つも投げていく。
「カバディ?」
一つがカバディマンめがけて飛んできたので、カバディマンは訝りながら、ひょいとかわす。
直後、瓶が一瞬にして巨大化し、カバディマンは瓶の中に入った状態だった。
「カバディ!?」
驚愕して、カバディマンは両手で瓶を殴りつける。しかし瓶はびくともしない。
瓶に封じられたのはカバディマンだけだ。他の者の近くには、投げられた瓶が届いていない。
「まーた問答無用なヤバそうな能力だこと」
晃が呟き、瓶投げ男を狙って撃つ。
しかし銃弾は当たらなかった。瓶投げ男がかざした瓶の中に、銃弾が収まっていた。エネルギーも完全に殺された状態だ。
(どういう条件で瓶に入れられるかわからないと……対処できずに一巻の終わりだ)
十夜が瓶詰め男を一瞥して思う。十夜は別の部下と近接戦闘を行っている最中だ。
十夜と戦っている相手は、大柄な女性だった。エカチェリーナもかなり大柄だが、それより一回り大きい。身長も明らかに180センチを超えている。十夜より背が高い。腕も太い。ボクシングスタイルで、十夜とほぼ互角の戦いをしている。
「面白い力だけどなー」
にやにやと笑うカシムが、壁から出てきて瓶詰め男に接近する。
瓶詰め男が瓶を投げる。瓶が巨大化してカシムを瓶の中へと閉じ込める。
次の瞬間、瓶詰め男の顔が引きつった。カシムがあっさりと瓶のガラスを通過してきたからだ。
「俺はお前の天敵だ」
カシムが言った直後、瓶詰め男がもう一度瓶を投げた。投げる直前に、陽菜に目配せをしていた。
「無駄だって……え? 何だこりゃ!?」
瓶の中から通り抜けようとして、出来ないことに気付き、愕然として叫ぶカシム。すり抜け能力が発動しない。
(ああ、しまった。失念していた。そういやここのボスは、超常の力を消す力の持ち主だったな。糞っ。そんなのありかよっ)
陽菜の方を見て、仮面の下で悔しげに顔を歪めるカシム。陽菜は瓶詰の仮面花嫁に、冷ややかな視線を向けている。
エカチェリーナが十夜に向かって黄緑の液体の塊を二つ放つ。スライムのようなそれは、一つが十夜の足に直撃し、そのままへばりついた。
動きが鈍った十夜の隙をついて、女が側頭部に蹴りを入れる。メジロエメラルダーの防御力も突き抜けた強烈な衝撃を食らい、十夜は意識が飛びかける。
しかし十夜はそのまま気絶することなく、蹴りを食らいながらも、女の足を掴むと、軸足の方に足払いをかけて、女を転倒させる。
(駄目だ……意識が……)
しかし十夜がもったのはそこまでだった。目が開いているのに視界が暗くなる。意識が保てない。
(駄目だ……このまま気絶すれば……殺される……。二度と目覚めない……)
恐怖に震えながらも、十夜の意識は闇に落ちていく。
「十夜!」
晃が叫び、女に向かって銃を撃つ。
女が後退してかわしたその時だった。
晃も、十夜と戦っていた女も、瓶詰め男もエカチェリーナも陽菜も、カバディマンもカシムも、全員制服姿で教室に座っていた。
「え……?」
「何やこれ……? うち何でこんな格好……」
「お、おい俺の服は……?」
陽菜とエカチェリーナが状況の変化に驚愕し、動揺する。カシムは花嫁衣装を着ていないことに動揺していた。十夜は机に突っ伏して気絶している。
「って、凛さん達もいるし。何してるの?」
「ようこそ……」
晃が凜に声をかけると、凛は座ったまま半眼で言う。
「それでは授業を始めーる。先生に口答えしたら許さな~い」
竹刀で黒板を叩きながら笑顔で告げる、ジャージ姿のツグミ。
「敵の能力みたいだけど……。駄目、私のキャンセル能力でも消せない……」
陽菜がエカチェリーナの方を向いて首を横に振る。
「え~と……これ、どういう能力なのさー?」
「私達にもよくわからないけど、ここじゃツグミに逆らえないネー。ツグミ以上の力が出せない限りネー」
晃が誰とはなしに問うと、悪魔のおじさんが、端的に状況を答えた。




