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「ふわ~……」
「おはよう、エカさん」
寝ぼけ眼であくびをしながら現れたエカチェリーナに、陽菜が声をかける。
早朝の真達の脱走劇の後、眠り足りないエカチェリーナはさらに二時間程寝ていた。
「嫌な夢見タわ~。あの糞ったれの祖国に帰る夢や。いちびっテばかりの亭主も出てきて、もう最悪やで」
うんざりした顔で言うエカチェリーナ。
「私が見た一番嫌な夢は……誰も彼にも見捨てられ、裏切られ、エカさんにも見捨てられる夢かな」
「何言うとんねン。そんなことせエへんよー」
陽菜の言葉を聞いて、エカチェリーナは笑顔になって否定する。
「陽菜は日頃からそないなこと考えてビビってるの~?」
「う、うん……私も色々と嫌な思い出あるしね……」
ストレートに問われ、戸惑う陽菜。
「お互い様か。過去のしんどいの忘レるのも難しいなー。でも今は悪くない環境やし、今を肯定的に受け止めて楽しんどき」
「そうだね。わかってる」
わかってはいるが、素直に受け止めきれない理由がある。
(エカさんの気遣いが、優しくて、温かくて、心地好くて、痛い)
うつむき、拳を握る陽菜。
(だってこれ、フェイクなんだもん。私の能力で、そうあるようにと願って作った結果だもん)
自分の能力で、エカチェリーナの自分に対する好意を無理矢理向けている。その意識が常にまとわりついているので今の心地好い環境を、エカチェリーナの言葉と想いの全てを、陽菜は素直に受け止められない。
部屋の扉がノックされる。
訪れたのは蟻広と柚だった。
「PO対策機構内部の草から連絡だ」
「草?」
「スパイのことな」
蟻路の言葉の意味がわからない陽菜。エカチェリーナが意味を教えた。
「奴等、ぽっくり市に戦争仕掛けてくるつもりでいる。グリムペニスの人外や能力者、政府お抱えの霊的国防機関の術師達、殺人倶楽部、裏通りの腕利き達なんかをかき集めてやがるぜ。はっ、最後の障害だったミルメコレオの晩餐会を潰して、勢いづいていやがる」
蟻広の報告を聞き、陽菜とエカチェリーナの表情が劇的に変化する。
「それだけちゃうやろ。ぽっくり市の事情も知られタんやろな」
「昨日、オキアミの反逆とそれ以外の連中が抗争して――今、共喰いしている最中だから、攻めるに絶好の機会と踏んだわけね」
「これまでぽっくり市の情報は洩れんようにしとっタ。そのおかげで迂闊に手出しせんかった部分もあるやろ。これまではちびちびと偵察送ル程度やったけど、うちらの遠視や予知能力者の網を抜けるほどのモン寄越して、向こうにあれこれ知られてもーたわ。で、PO対策機構はいけると踏んだ、と」
「つまり……私達より数も質もPO対策機構の方が上?」
エカチェリーナと陽菜が話す。
「質まではわからないだろうが、数では上と判断したんじゃないか?」
陽菜の言葉に対し、蟻広が言った。
「癪だけど……転烙市に応援頼むしかない?」
陽菜がエカチェリーナの顔色を伺いながら、思ったことを口にする。エカチェリーナはあま
り転烙市に良いイメージを抱いていない。
「それは早計なンやない? いや……うん……ま、今のうちに手は打った方ガええな」
渋々といった表情で、エカチェリーナが言った。
「ぽっくり連合とPO対策機構が手を組む可能性はないのか?」
「有り得るで。落ち武者がワンコロになってへりくだる展開や」
柚が推測を口にすると、エカチェリーナがたっぷり毒を込めて吐き捨てた。
***
ぽっくり連合アジトでは昼になってもう一度、幹部達が集まって、会議が行われていた。
「助っ人来る言うてはったけど、もうどーにもならへんやろー……」
「そーそー、降伏するのが現実的でがんす」
「いっそPO対策機構に護ってもらう手もあるな」
「いくらなんでもそれは屈辱的やわ」
「こっちの命かかってるのに、屈辱がどーとか言って死にたいんかい」
「大丘はん、ずっと黙ってないで、何とか言いよ」
幹部連中から悲観的な言葉ばかりが出る中で、一人が大丘の発言を促した。
「降伏するとまで仰る人がおられますが、私の方針は変わりませんよ。助っ人をあてにして、戦いに臨みます」
「何言うてんねん。その助っ人も、実際来てくれるかどうかわからんちゅう話やないかい」
大丘が朗々とした声で告げると、幹部の一人が反感を剥き出しにして言った。
「もう付き合いきれんわ。ワイは抜けるで」
「助っ人に見込みがあれば……やけど、そうでなければ、うちも降ろさせてもらうわ」
「俺も……」
とうとう離脱を口にした者が現れた時、大丘の中に黒い靄が現れた。
「ああ……またですか。またズレが生じるのですね。また丁度よく合致しないのですね。また調和が乱れるのですね。またスムーズにいかないのですね。また妨害されるのですね。家族も、犬飼さんも、中司君も、雪岡さんも、他の皆も、皆そうでした。どこかでズレる。私と合っていたはずなのに、どこかで外れる。どこかでズレる。どうしてでしょうね?」
笑顔で告げると、大丘は銃を抜き、最初に抜けるといった幹部を撃った。
銃声の後、会議室は静まり返った。頭を撃ち抜かれて果てた幹部と、笑顔で銃を構えたままの大丘を凝視し、全員固まっていた。迂闊に何か口にしようものなら、次は自分が殺されるという恐怖が、彼等の口を閉ざした。
「関西ではイラチとかイラッチというのでしたっけ? 私は多分それです」
笑顔のまま、言葉を続ける大丘。銃も下ろさない。
「私とズレると、頭に来ますし、頭に来ると同時に殺意が湧いてしまって、気が付くと殺しちゃっているんですよ」
喋りながら、大丘は思う。
(犬飼さんの時は、殺すのではなく、彼の大事なものを壊してがっかりさせてあげましたけどね。雪岡さんは……殺したくても殺せませんでした。でもこのままでは済ましません。準備は整えてあります。彼女の目的は何としても阻まないと。そのためにもこの人達には、私のプラン通りにズレることなく働いてもらわないと)
そんな大丘に、恐怖や怒りではなく、呆れ、蔑む視線を向ける者がいた。
(いきなり壊しにかかる部分は、犬飼や僕と似ているかもしれない……と思ったこともあったが、勘違いだった。全然違う。壊す理由が違う。だから全然違う。似て非なる者)
平面化した状態でずっと観察していたデビルは、大丘に対する結論を出した。
(こいつはつまらない)
そしてわからない。犬飼はデビルにどうしてほしかったのかを。
(わからないけど、もう僕はこいつに飽きた。飽きた玩具は最後にどうするか――どう遊ぶか、それは決まっている)
デビルがそこまで考えた所で、大丘がメールを受け取り、確認する。
「助っ人が到着したようです。彼等は私達と共闘してくれるでしょう。きっと勝てますよ」
慄く幹部連中に向かって柔和な口調で告げると、大丘はようやく銃を下ろした。
「では、改めて攻め込むとしましょうか。頑張りましょうね、皆さん」
そう言うと、大丘は幹部達に堂々と背を向け、部屋を出ていった。背を向けた自分を撃とうとする気概のある者も、逆らう度胸がある者も、この中にはもういないとわかっていた。
***
『PO対策機構はこれよりぽっくり市に攻め込む。到着次第、真達も加われ』
真の元に、新居から連絡が入る。
「断る」
『はあ?』
即座に拒絶する真に、新居は不機嫌そうな声をあげる。
「僕達は遊撃部隊として動く。その方がいいし、そういう役割がいた方がいい」
『こいつは許せ……なくもないな。まあお前等はその方がよさそうだ』
真の話を聞いて、新居は納得した。
電話を切ると、真は新居から聞いたことを一同に報告した。
「おおー、PO対策機構が本腰入れて攻めてくるのかー」
「わくわくー」
表情を輝かす晃とツグミ。
「この二人は本当お気楽」
「緊張感無い」
そんな二人を見て、伽耶と麻耶が言う。
「オキアミの反逆のアジト近くに移動して、潜んで様子を見よう」
真が促し、一行は女子組と男子組二手に分かれて、タクシーで移動することにした。
「外見てよ。物々しい連中が同じ方に向かって走ってる」
凛に言われ、伽耶、麻耶、ツグミが外を見ると、奇抜な格好をしたバイクの群れが、やかましいエンジン音を吹かして走っていた。
「時代錯誤でキツいバイク集団」「珍走団」
揃って顔をしかめる牛村姉妹。
「元裏通りの住人のサイキック・オフェンダーね。昨日見た顔もいる。ぽっくり連合よ」
「大丘さんもいるかなあ」
凛とツグミが言った。
「昨日ぼこぼこにされたくせに、昨日の今日でまた攻めていくの?」
「変な話だよね」
十夜と晃もバイク集団を見て、不思議そうに言う。
「PO対策機構と組んだとか?」
「有り得る話だけど、それなら僕の方にも連絡を寄越すはずだ。そんな話はない」
可能性を口にする十夜であったが、真は否定した。
「あいつら……」
真が珍しく唸るような声を発する。
「どうしたの? 相沢先輩。ヤバい奴いたの?」
「ああ……とびきりヤバいのがいた」
晃に問われ、真が認めた。
(そして昨日こっぴどくやられたぽっくり連合が、今日またリヴェンジに乗り出した理由がわかった。あいつらと組んでいたなんて……)
バイク集団の中にいた者達を確認し、真は腑に落ちる。




