24
「そうか。あの『はかいしんくん』が君だったわけね。ところで、パラレルワールドの存在を信じるか?」
初めて会った時、出会い頭にそんな台詞を投げつけられた。からかうような笑顔で。
大学の講演に呼ばれた脳減賞作家。大丘は彼とSNS上の知己であった。大丘は知っていたが、彼――犬飼一は知らなかった。
「僕は信じます」
「お、躊躇わずに言い切ったね」
大丘が答えると、にやにや笑っていた犬飼は、よりおかしそうな笑顔になる。
「よく夢を見ますから。殺人鬼になっている自分の夢を。毎回同じ夢なんです」
出会ったばかりの相手に、冗談にしても引かれそうになることを平然と口にしてしまった自分に、大丘は驚いていた。
「殺したい奴がいるのか? 殺しの願望でもあるのか?」
犬飼は笑みを消さず、しかし大丘の言葉を冗談とすら思わず、引く事も無く、尋ねてきた。
「両方……ですね。ああ、危ない奴と思われちゃいますね。でもその夢の中の殺人鬼は、別の世界の自分じゃないかと思うんです」
「危ない奴はごまんと見てきたし、俺だってカタギとは言い難いから気にしなくていいぜ。殺されるのはごめんだけどな」
犬飼にそう言われて、大丘の胸を覆うものが動いた。全てをぶちまけたいという衝動が働いた。
元々大丘は犬飼の作品に惹かれていたし、SNSの罪ッター上で会話して、その人柄にも惹かれていた。そして実物の犬飼も、SNS上とあまりイメージが変わらない。
「殺したいのは家族です」
引かれようが怖がられようが構わないと考え、大丘は打ち明けた。
「僕には両親と弟と、生まれたばかりの妹がいます。その全てが煩わしいんです。赤ちゃんの妹はうるさいし、弟は反抗期真っ盛りで僕にも両親にも喚き散らします。父親は……仲良かったですし、尊敬もしていたのですけどね。母親はネカディブで自己中心的で、僕が小さい頃から、僕を仇でも見るような目で見て、よく僕をなじりました」
「ま、ありふれた話だ」
あっさりと一言で切って捨てた犬飼に、大丘の胸に黒い靄が生じた。怒りと殺意が確かにその時沸いた。自分は必死に訴えたのに、それを見下されたと感じて、怒りに繋がり、殺意に繋がった。
「捉われて苦痛の重しになっているなら、さっさと家を出るか、さっさとケリをつけた方がいい。それだけの話だぜ? 出来ない事情でもあるのか?」
「家を出るか、ケリをつけるか、それは重複していませんか?」
「パラレルワールドの自分になれってことだよ。言わせんなよ」
大丘が尋ねると、犬飼は笑ってそう答えた。その台詞を聞いて、大丘の怒りと殺意も嘘のように消えた。そして犬飼への尊敬と憧れの念が一気に強まった。
「また会いたいです」
たっぷりと二時間以上会話した後、別れ際に、大丘は熱っぽい目で犬飼を見て言った。
犬飼は、大丘が初めて出会った、規格外の存在だった。惹かれる年長者だった。ついていきたいと思える者だった。自分の心を開ける相手だった。
後々になって大丘は知る事になる。今くらいの年齢に、年長者で、自分を導いてくれるような存在を求める心理に陥る若者のパターンが存在し、そういった者につけいる者もいると。そして大丘は自分がそのパターンに陥ったことを自覚し、その時の心理を思い起こして、カウンセラーとなって活かすことになる。
「何? 俺のこと気に入ってくれた? そっか、じゃあいい所に連れてってやるよ」
別れるはずだったが、犬飼は大丘を誘った。
犬飼に連れてこられたのは、裏通りの賭場だった。そこで大丘は様々なギャンブルに興じた。無論、初めての体験だった。
「ちゃんと自分の金賭けろ。なけなしの金を失うかもしれないスリルがあるからこそ、燃えるんだよ」
犬飼に言われ、大丘はドキドキしながら有り金を全てつぎ込んだ。結果は見事にすってんてんだ。しかしとても楽しいひと時だった。
「あの遊戯場は……まあいいんだけど、色々と物足りないっていうか、不満もあるっつーか、もっとこうすればいいなーって所が多くてな」
賭場を出てから、犬飼は難しい顔で言う。
「俺の理想の……自分の組織作りてーなとは思ってるんだ」
そう言って犬飼はにやりと笑う。
その後大丘は、犬飼の理想の組織作りを共に行い、果たすことになる。そしてその後、犬飼の組織を理想から外して破壊することにもなる。
***
禍々しい雰囲気が、広間に立ち込めている。いや、雰囲気だけではない。恐ろしいほどに負の感情が渦巻いていることを、デビルは感じ取っている。デビルはそれらの感情を増幅することも吸収する事も出来るので、敏感に察知できる。
広間の中に、無数の大きな椅子が放射状に配置されている。その数はざっと見て、二十以上はあるだろう。椅子は全て中心を向いて置かれている。
まるで儀式の場のようだと、デビルは思う。
負の念は、椅子から生じている。
椅子の中に魂がある。
大丘は椅子の一つをいじっていた。ばらばらの椅子を組み立てていた。
椅子の足元には手足がもがれ、全身の皮を剥かれた人間が転がっている。目玉も無い。歯も全て抜かれている。口を半開きにして涎を垂らしながら、ひくひくと体を震わせている。
やがて大丘は、四肢の無い人体を椅子の中に押し込んだ。そして人体の上に椅子のパーツを被せていき、完全に椅子の中へと入れてしまう。
(つまりこの椅子の中全てに人が入っている。負の感情は椅子の中の人から出ている)
椅子と負の念の正体を知り、デビルは距離を取った。
(気を付けないと。僕が側にいると、負の感情を吸い取って穏やかにしてしまう。その変化を悟られるかもしれない。ただでさえあの男は勘がいい)
平面化した状態で、大丘の作業をこっそりと撮影しながら、デビルは己の無意識的な能力が発動しないよう、ずっと気を遣っていた
***
デビルから送られた映像を視た犬飼は、思いっきり苦笑いを浮かべていた。
「椅子人間とはたまげたね。江戸川乱歩かよ」
『心当たりがある? 魔術的な儀式をしようとしているのではないか?』
「いや、そういう意味じゃない。昔の小説家の作品に、な……。心当たりは全然ねーよ。これは専門家に聞いてみるしかないな」
そう言って犬飼は、弦螺とエボニーに映像を送ってみた。
『にゃんでおまえがこんなえいぞうおくってくるにゃー』
『これは有名な外法の封印術『永劫会議』だよう』
『たましいをずっととじこめておく、きょーりょくむひなふういんじゅつだにゃー。おーばーらいぶすら、こいつをしかけらたれらたまらんにゃー。にゃんにんものまじんやだいようかいが、こいつにふういんされたいつわがあるにゃー』
エボニーと弦螺が解説する。
「そうか。あいつは術師になっていたんだっけな。そんなもんこさえて、誰を封じようとしいるなんだか……。まさか俺じゃねーよな?」
大丘の動向が気になるが、もし自分を殺したいなら、こんな大掛かりな方法など用いる必要は無いと、犬飼は思う。きっとそれなりの相手なのだろう。
「おっと、今の話はデビルにも教えておかないとな」
犬飼が呟き、デビルにメールを送った。




