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今から約半年前。安楽警察署。
覚醒記念日から十日経った。日本においては、覚醒記念日から二週間後辺りまでが、最も犯罪件数が増えている。能力に目覚めた者の数は、この期間が最も多い。
まだPO対策機構が設立されていないため、安楽警察署は連日てんやわんやだった。殉職者数もこの時期に集中している。しかし殉職した理由は、サイキック・オフェンダーだけに限らない。
その日、署内で事件が起こった。
「どうしました? 署長」
菩薩の大日向の二つ名を持つ裏通りの生ける伝説の一人――少年課の大日向七瀬が、補導された未成年の犯罪者を署の外に送る途中、廊下で蹲っている雫野春雄署長に声をかける。
いつものように、黒マント姿の春雄は安楽警察署に務める警察官には見慣れたものだが、補導された少年から見ると違和感の塊で、少しぎょっとしてしまう。
「ぐっ……ぐぐぐ……うぐぐ……全部……」
苦しげに呻く署長から、殺気が放たれていることを察した七瀬は、少年の体を抱きすくめると、大きく跳躍して署長から距離を取った。
「全部壊れろぉぉおぉ!」
憤怒の形相で怒声をあげ、署長は力を解き放った。
強烈な衝撃波を受けて、少年をかばう格好になった七瀬が、二人して吹き飛ばされて床に倒れる。
「七瀬さん! 署長!?」
裏通り課の係長である梅津光器がその場面を目の当たりにして、驚きの声をあげた。
「大丈夫……です。この子を安全な所へ……」
頭からかなりの血を流し、どう見ても大丈夫ではない様子の七瀬が、少年を梅津に預ける。少年は自分をかばった七瀬を見て、泣きそうな顔になって震えている。
「壊れろ……全部壊れろ……。否、私が壊してやる。破壊し尽くしてやらん!」
春雄が歪んだ笑みを広げて宣言すると、呪文を唱えながら、ポケットの中から何かを取り出し、梅津に向かって投げつけた。
「噛神! って……避けるなァあぁぁっ!」
白いつぶてのようなものをあっさりと避けた梅津を見て、激昂する署長。
「人喰いっ蛍ぅぅうぅぅううぅ!」
今度は梅津達と逆方向にいる警察官達に向かって、人喰い蛍を放った春雄であったが、警察官達は窓から飛び降りて逃げる。安楽市に務める警察官故に、危険時には即座に反応して対応できる。
(前に何度か見たけど、署長の人喰い蛍の量が、段違いに多いぞ)
三日月状の光滅の数を見て、梅津は息を飲む。
「ちょっとちょっと! 一体全体どうしたんですっ!?」
裏通り課の若手、松元完がやってきた。
「見てのとおりだよ。署長がおしかくなっちまった。攻撃してくるぞ」
言いつつ梅津は銃を抜いた。
「ええっ!? いいんですか!? 署長撃っちゃって」
「明らかにおかしいし、犠牲者が出る前に何とか鎮めないとよ」
梅津が春雄に向かって銃を撃った。足を狙った。
だが、銃弾は署長の足をすり抜けて、床を穿った。
「何だ……?」
目を剥く梅津。署長にこのような力があったなど知らない。雫野流の妖術師ということしか知らない。
後でわかったことだが雫野春雄署長はリコピーアルラウネバクテリアに感染し、それによって新たな力も得ていた。それに加えて雫野流妖術も行使し、彼の妖術師としての力も飛躍的に増幅していたのである。
「何が警察だ……。何が法の番人だ……。不要不要。いらんのだ! 私がしてきたことも全て無駄だった。この世に護る価値など無い。この世は壊して然るべき。そうだ……。破壊し尽すべきなのだ! ふおおおぉーっ!」
署長が高らかに叫び、怒りと殺意を撒き散らし、梅津と松本に襲いかかった。
その後、安楽警察署の腕利きの警察官達が次々とやってきて、署長と交戦した。謎の発狂とパワーアップを果たした雫野春雄であったが、多勢に無勢で、警察署より逃走に至る。
事件の二ヵ月後、新たな安楽警察署署長となった、元裏通り課課長酒井清継の元に、雫野春雄元署長から電話があった。
『くっくっくっ……どうやら私も……最近巷で話題になっている、バーサーカー事件の被害を受けたようだ。突然おかしくなって暴れていた。バーサーカー事件の被害者達と同様のことが、私の身に起こっていた』
自嘲たっぷりな口調の春雄の言葉を聞いて、酒井は納得する。
「それなら貴方のしたことは不問になるはずです。バーサーカー事件は――」
『駄目だ。公式にはバーサーカー事件は、発狂して破壊衝動の虜となった後、元に戻るという話になっているが、そうとも限らない事は、貴様も知っていよう。稀にその後の人格も変えてしまう事がある。変化の度合いは人それぞれであるが、私は特に悪い方に変化しているようだ。今……今……多分酒を飲んで酔ったせいだろう……。どうにか……昔の良識のある自分を取り戻しているうちに、私の身に起こった事を伝えておきたかった。それと……謝罪を……』
春雄の声が徐々にか細く、掠れていく。
『ああ……この自分が消えていく。いいか? 私を見つけたら容赦なく殺せ。最早かつての雫野春雄に非ず……』
懇願にも似た春雄の言葉を聞き、酒井は唇を噛んだ。
『聞け……私の能力の正体……私を……殺す……方法は……』
全てを語る前に、電話は切られた。
***
「悪因悪果大怨礼!」
雫野春雄が叫び、黒い極太ビームが放たれる。
三人のPO対策機構の兵がビームの直撃を受け、それぞれ、上半身、体の半分、腕が消し飛ばされた。
「うわあああっ!?」
腕を失って倒れた者が、自分の腕が無くなっている事実を見て、パニックを起こして喚く。
「人喰い蛍!」
夥しい数の三日月状に光滅がまた現れて、飛来する。何人もが撃ち抜かれる。
「たは~、人喰い蛍の数がとんでもないですね~。尋常じゃない力です」
男治が春雄の術を見て、感心する。
「あの怪しい黒マントにやられまくってるね」
岸夫が優の隣で、春雄を見ながら言った。
鋭一が透明つぶてを放つ。
「手応えが無い……? さっきの傘とは違う……防がれたのではなく、すり抜けた?」
上から降らせた透明つぶては全て、地面に直撃していた。春雄には当たっていない。
卓磨が蓄積した力を解き放って爆発させる。
「あれ……これも効いてないぞ」
爆破をピンポイントで直撃させたにも関わらず、春雄は平然としている。
「いやー、今一瞬だけ、あの黒マントさんの体が爆発に合わせて、ぶわって揺らめいたようにも見えましたよー」
と、竜二郎。
「むー……消滅視線、また効いていないみたいですう」
優が難しい顔で唸った。
(手応えはあるのに、消えてない。確かに消しているのに、そこにいる。これってどういうことでしょうかあ?)
高速で思考を働かせる優。
「実体が無いんですかね~?」
春雄を見て、危機感の無い声で訝る男治。
「いや……確かにそこにいるように見えるぞ。解析してもそこにいるぞ」
「しかし攻撃は尽くすり抜けてますよ。どういう原理なんでしょうかね~」
史愉と男治が言う。
新居が春雄を狙って銃を撃ちまくる。春雄の体に一瞬穴が開いたが、すぐに元に戻る。
「すり抜け方が面白いな。ちゃんと穴が開いている。ホログラフィー・ディスプレイのすり抜けとは違う」
新居が呟く。ホログラフィー・ディスプレイに手を突っ込んでも、映像が大きくブレて乱れることはない。ただすり抜けるだけだ。しかし雫野春雄の体に攻撃が加えられた際、先程の卓磨の爆発にしても、今の銃撃にしても、体が揺れていた。
「完璧な不死身なんて有り得んだろうし、何かあの辺に謎を解く鍵がありそうではあるな」
新居が不敵な笑みをたたえて言った。




