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汚山に奴隷にされ、常に嬲られている女性、ルーシー中島。彼女は汚山の奴隷であると同時に、ミルメコレオの晩餐会の幹部も務めている。
再生力持ちで、どんなに嬲られてもすぐに癒える。痛覚さえも無いように、周囲からは見られている。何をされても彼女は痛がる表情を見せないからだ。
汚山に対しては反抗的な態度を取ることも多く、例え殴られるとわかっていても、聞き入れられないとわかっていても、言いたいことを躊躇うことなく口にする。
汚山はそんなルーシーに怒りを覚え、すぐにルーシーを殴り、あるいは常人なら死ぬような目に合わせるが、ルーシーを追い出すという事は決してしない。
かつてルーシーは、小さな新興宗教の教祖をしていた。
ルーシーは強い再生能力を有するだけではなく、他者も含めて、命ある者全ての体細胞を操作して、怪我や病気を癒す力がある。両親の計らいによって、その力を売り物にして教祖の座に収まり、金持ちからは大金をむしり取る一方で、貧しい人は無償で癒していた。
そんなルーシーの話が、汚山の耳に入った。汚山はその話を聞いて激怒する。
「あべこべじゃねーかっ! 何で金を持ったランクの高い人間からふんだくって、ろくに金も稼げないランクの低い人間には、何も要求しないんだよっ! そんな馬鹿な話があってたまるか! ふざけやがって! お前のような奴が一番ムカつくんだ! この偽善者が! ズベタが! 劣性遺伝子マニアが!」
汚山はルーシーの教団に乗り込み、両親や信者達の見ている前でルーシーを罵倒し、ルーシーに殴る蹴るなどの暴行を働いた。
ルーシーの両親も、信者達は止めることも出来なかった。汚山とその配下達によってすでに痛めつけられて、動けない状態にされていたからだ。
その後、親を含めた教団を人質に取られる格好となったルーシーは、汚山の奴隷となる道を選ぶ。
汚山に声をかけられても、ルーシーは無視しない。ルーシーが反抗的な言動を取ったとしても、汚山は手をあげてくるだけで済む話だが、無視するとさらに機嫌が悪くなり、親にも手出しをされそうな気配を感じたからだ。
教祖をしていた実績も買われたのか、ミルメコレオの晩餐会の一員にされ、組織運営の一翼を担う幹部にまでされた。そして他の幹部と同様に、高い賃金を支払われた。
人質を取られているという理由だけではなく、ルーシーは与えられた役目を真面目にこなす一方で、汚山が自分をそのような地位に据えたことを不思議に思う。
「何故私を幹部にしたのですか?」
ある時ルーシーが尋ねる。
「お前に高い能力があるからだ。そいつを腐らせることも、踏み潰すことも、絶対にしてはいけない事だ」
いつも人を食ったような態度の汚山が、この時は真顔になって答えた。
徹底的に人間の優劣をつけるという価値観は、汚山の中で絶対的なものであり、それは敵味方を越えたものなのだと、ルーシーは知る。汚山は最低の屑であるし、思想にも賛同できないが、徹底的に貫く信念だけは、ルーシーも一目置いている。
だからといって、ルーシーは汚山に心を許しているわけではない。ただ仕方なく汚山の玩具にされたままでいるわけでもない。
PO対策機構が本気でミルメコレオの晩餐会を潰そうとしている今が、最大のチャンスだとルーシーは見ている。
「ああ、今夜でっかいヤマがあってよ。そいつを乗り切れるかどうかで俺の命運も決まる」
ルーシーの横で、汚山は父親と電話していた。汚山は父親にこまめに電話をかけているし、この時はいつも上機嫌だ。
『そうか、頑張れよ』
「ありがとうよ」
父親が短く励ましの言葉を送ると、汚山は心底嬉しそうな笑顔になった。
「お父さんと話している時だけ、表情が違いますね」
電話を切ったタイミングで、ルーシーが声をかけると、汚山は照れくさそうな笑みをこぼす。
「俺の親父は、俺が殺人を犯した際に、裁判所に来て、被害者の糞遺族に一言も謝らなかった。怒り狂って詰め寄っても、無視していた。最高の親父だぜ」
虚空を見上げ、汚山はいつもとは違う穏やかな笑みをたたえて話す。
「俺がムショにブチこまれてから……毎週日曜日には面会に来てくれた。俺を一言も責めなかった。俺の愚痴も全部聞いてくれた。俺が脱走してからは、こっちから電話かけて……ちゃんと応じてくれる。俺が間違っていると感じた時は、俺に注意もしてくれる。たまにお前と同じ注意されちまうこともあるな」
(この腐れ外道にも、たまに人間味のある部分が見える)
汚山に心を許すことは決してないが、それはルーシーも認めている。
「ルーシーはまだ考えが改まらないのか?」
「何がですか?」
「とぼけるなよ。俺の考えこそ正しいと認められないのか? 俺はずっと見せてきたはずだ。証明してきたはずだ」
汚山が笑みを消し、真顔になる。
「弱い奴。頭の回らない奴。成果を挙げられなかった奴。金を稼げない奴。そいつら皆、人としての価値の低い奴だ。そいつら皆、どうなったか。俺が見せてきたはずだ」
「まさか……そのために私の前で意識して殺してきたというのですか?」
いつも声に感情を交えず、感情を面に出さないルーシーであったが、この時は声が少し震えていた。心なしか顔も強張っているかのように見えた。
「それもある。でもまあお前がいなくても同じことをしたさ、俺は。でもお前が側にいて、それは意識していた。お前にわからせてやるつもりだった」
汚山は真剣に語り続ける。
「俺はな、ルーシー。生まれてきて……出会った中で、二番目にムカついた存在がお前なんだよ。一番ムカついたのは、弱者の分際で俺を辱めて、俺がブチこまれる原因となったあいつだけどな。俺にはお前という存在が理解できない。弱者に施しを与える――篤志家ってのか? 俺からすると、そんなのは信じられないおぞましいクリーチャーだ。生物の掟は弱肉強食が基本であり、それは人間だって変わらないはずなのによ。お前はそいつに逆らっている。どういうつもりだ? それで優越感に浸れるってのか? いいことをしている気分になると、気持ちいいのか? それとも誰かが褒めてくれるから、その評価が欲しいのか? 偽善者め。吐き気がする」
喋っているうちに、汚山の声に憎悪と侮蔑が宿る。
「私の噂を聞きつけて、私のことが許せなくて、私の元にわざわざ訪れ、私をこうして汚山の奴隷にしたうえで、私にそれをわからせたかったと?」
「ふん。どうやらまだ認められないようだが、結論は早いな。お前が認めるまで、ずっと俺はお前の前が無能の屑共が如何に生きる意味がないか、証明し続けてやるよ」
(つくづく可哀想な人)
汚山の話を聞き、溜息をつくルーシー。
「何だよ……その溜息は……。俺を見下しているのか?」
「いいえ」
汚山の問いを、ルーシーは否定した。
(ただそう感じただけ。それは素直な私の感情。見下しているのとは違う。でもこの人に言ってもきっとわからない)
ルーシーはこの時のこの考えが間違っていたと、すぐに知ることになる。
電話がかかってくる。いつもはルーシーが取って報告するが、この時は何故か汚山が電話を取った。
「襲撃は失敗したとよ。まんまと返り討ちだ。多少は敵の戦力も削いだらしいが、敵の火力が相当なもんだ。グレネードマシンガンまで持ってきていやがるとよ。それであっという間に殺されまくったらしい」
いつもの汚山の表情になってせせら笑う。
「奴等はここに向かっている。グレネードマシンガンの対策は考えておかないとな。防げそうな能力者、いるか?」
「います」
汚山の問いに、ルーシーは即答した。
「ルーシー……」
汚山がまた真顔になって、ルーシーの肩に手を置いた。力はこもっていない。ルーシーの方を見てもいない。
「俺を見下すのは勝手だ。俺を舐めるのも好きにしろ。そんなことをしても、俺の価値が揺らぐことは無いんだ。だがな……俺を哀れむな。それこそが最悪の侮辱だ。そいつはムカつくどころの騒ぎじゃない。絶望して力が抜けちまうぜ」
自分が抱いた感情を見抜かれていた事に、ルーシーは驚くと同時に、汚山への認識を少し改めた。




