12
「おやおや、ここは四階ですよ? 空を飛べる能力の方がいらっしゃるのですか? それに、よく私の場所がわかりましたね」
窓から入ってきたツグミ、上美、悪魔のおじさんに対し、大丘は爽やかな笑顔で迎える。
「先輩、無事でよかったけど……」
大丘の隣にいる脅えきった表情の一高を見て、上美は訝しげな顔になる。
(中司先輩の様子が変……)
虫人間が側にいるから脅えているのだろうかとも勘繰った上美だが、そのわりには脅え方が激しいように見えた。何かもっと恐ろしいことがあった直後のような。
そして上美の視線は虫人間達に向けられた。虫と混ざった顔を見るといずれも若い。十代の子もいる。外にいた虫人間達と同じだ。
「まだ生まれたてほやほやなんだね」
ツグミがいつになく真顔になってぽつりと呟く。上美がツグミを一瞥する。
「この虫と混ざった人達ね、人間だよ。セミナーに相談しに来た人達だよ。つい今、術で人を虫と混ぜてた」
ツグミは監視させていた踊るジンジャークッキーの視点で、全て見ていた。大丘が不合格と認定した青少年を、呪文を唱えて虫人間にする様を。
「しかも……元の人の心も残っているってわけね……」
上美はぞっとしながら、そして同時に強い怒りを感じながら、善人面をした大丘を睨みつける。
「草露流妖術と呼ばれる妖術流派は御存知ですか? 妖怪作りを専門とした妖術流派ですが、その継承者は途絶えているとされています。しかし……私はその継承者のようなものです。先祖代々、断片的に語り継がれた草露流妖術を独自にアレンジしながら、継いでいた家系の者に、術を習いましたからね。そして私の師はもう亡くなられたので」
大丘が両手を広げて語る。
「つまりこういうことかネー、ネットでお悩み相談室を開き、セミナーに来た人達をこうやってキメラにしちゃうトー」
「いいえ、そのために人を集めているわけではありません」
悪魔のおじさんの言葉を聞いて、大丘は首を横に振った。
「彼等は私のテストに不合格だった者達です。しかしテストが不合格だからといって、ただ帰すのも勿体無いと思い、こうして私の術の支配下に置いたのです」
「なるほどー、よくわかる理屈だネー。お得だヨー」
大丘の話を聞いて、悪魔のおじさんが嬉しそうに拍手する。
「私にはわかんないな。わかりたくもないし」
ツグミが珍しく声に怒りを滲ませたその時、何名かの足音が近づいてきた。
「ジャップ~」
「お、悪事の首魁と救出対象が一緒にいるじゃねーか。追い詰めたのか?」
アンジェリーナと輝明がやってきて声をかける。少し遅れて修もこちらに向かってくる。
「早かったね、アンジェリーナさん。皆、この虫人間達は、セミナーに集められた人を術で改造したみたいなの。まだ意識も残ってる」
「ケッ、そんなことだろうとは思っていたさ。でもだからといって、加減はできねーぞ。あっちは真剣に俺達を殺しにかかってきてるんだからな」
上美が教えたが、輝明は全く容赦する気は無かった。修も同じだ。そして輝明の台詞を聞いて、虫人間にされた者達は絶望の表情を浮かべる。
「ねね、悪魔のおじさんの力でどうにかならない?」
「おやおや、ツグミは私が何でも出来ると思っているのかネー?」
ツグミに尋ねられ、悪魔のおじさんはもじゃ髭をいじりながら軽く肩をすくめる。
一方、大丘が一高の手を取って、後方に下がろうとしたが――
「おぉっと、そうはさせないよ~」
影子が亜空間トンネルから姿を現し、一高と大丘の間に割って入った。
「ナイス影子~って……影子ーっ! 後ろーっ!」
歓声をあげかけたツグミだが、途中から叫ぶ。
「うわっ!」
リオックと混ぜられた虫人間が飛びかかり、影子は慌ててかわす。
さらにサソリモドキと混ぜられた虫人間が、臀部から真っすぐ突き出た細長い針のような管を影子に向けて、先端から液体を噴霧した。
「クサッ!」
回避した影子が、顔を歪める。サソリモドキは管の先から、酢のような刺激臭を友なく酢酸入りの液体を威嚇用に吹きつける。この臭いから、ビネガロンとも呼ばれている。
影子が距離を取った隙を狙って、今度は大丘が一高の腕を取り、素早く自分の手元にと引き寄せた。
「影子ぉ~……」
「悪い……うっかりしてた……」
がっかりして抗議気味の声を発するツグミに、影子も面目ない様子で謝罪する。
「人質に取られちゃったか」
修が眉をひそめる。
「おい、そんな三下の悪党みてーな真似しても、しょーがねーだろ」
「ジャップ!」
輝明が呆れ気味に言い、アンジェリーナも同感だとばかりに大きく頭を縦に振る。
「別に私はこの子を人質に取った覚えはありませんよ」
笑顔で言いつつも、大丘は一高の腕を掴んだまま放さない。
「彼は商品になれませんでした。彼自身がそれを拒みましたし、私も受け入れました。そしてこの子は私に災禍をもたらす存在でしたよ。この子が貴方達を呼びよせたのです」
「商品……」
笑顔で語る大丘の台詞に一高はぞっとする。
(人身売買をしている人だったんだ。そして僕ももう少しの所で、どこかに売られて……何をされるかわからなかったんだ。洋司が僕を心配して、裏番達に頼んでくれたおかげで、助かるかもしれない)
一高はその真実を知り、恐怖よりも、悔恨と、弟への申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
(洋司に謝らなくちゃな。心の中で疑ったことも。あんな態度してみせたことも。僕は馬鹿だった……)
一高がそこまで考えた時、目の前にいたツグミや上美の表情が変わった。輝明と修の顔も険しくなる。
彼等が何故急に様子を変えたのは、一高にはわからなかった。
銃声が響き、一高の意識は何もわからないまま途切れた。
「何……で……」
ツグミが呆然として呻く。
「黒いもやもやが消えました」
脈絡の無い台詞を口にする大丘。その顔の前には硝煙が漂っている。
「おや? 何故そんな目で見るのですか? 怒っているのですか? 不思議ですね。私は何も悪いことはしていませんよ?」
銃を取り出すなり、即座に一高の頭を横から撃って射殺した大丘は、これまでと変わらない温和な笑顔のまま尋ねる。
「何で……どうして殺したの……?」
大丘の突然の凶行の意味が分からず、固まったまま問いかけるツグミ。
「これは私の中に生じた黒い靄を消すため、その引き換えにして頂いただけの話です。私の計画の邪魔をした罪の償いとも言えます。はい。これで等価交換という事に致しましょう。おあいことも言いますね。私はこの子おかげで、この子が貴方達を呼び寄せたおかげで、二度の失敗を犯してしまいました。組織内の私の評価も下がってしまいました。私の計画はPO対策機構に露見してしまいましたし、このように商品を一つ失ってしまいました。大ポカの二連続ですよ。だからこの子の命で贖ってもらったのです。これは何も悪いことではありません」
爽やかな笑顔で穏やかに語る大丘を、上美とツグミは化け物を見るような目で見ていた。修と影子は冷ややかな目で、輝明は怒りを押し殺して睨みつけてつけている。悪魔のおじさんだけは、にやにやとおかしそうに笑っている。
「ジャップ……」
アンジェリーナは胸の痛みを覚えていた。腹の中で、胸の奥で、黒い渦が激しく渦巻いているような感触を覚えていた。
かつての自分も似たようなものだった。人の命を散々弄んできた外道だ。しかし今は違う。今は違ってかつてがこうだっただけに、黒い濁流がアンジェリーナの中で荒れ狂った。
「ジャップ……ジャ……ジャアアアァップ!」
激昂したアンジェリーナが咆哮をあげ、大丘に飛びかかる。
しかしクワガタの虫人間が立ちはだかり、アゴのハサミでアンジェリーナのボディーをがっちりと咥えこんだ。
「ジャアアァァップ! ジャプジャップゥゥーッ!」
暴れるアンジェリーナだが、自分を挟んだハサミはびくともしない。
「ふうん。そんなに簡単に人を殺せちゃうんだ。そんな理由で人の命を奪えるんだね」
ツグミの口調ががらりと変わったので、輝明と修は少し驚いた。顔つきも今までも明らかに違う。
「崖室さん……もしかして男の子に代わった?」
「うん。こういう時はね、こっちがいい。女の方の僕には向いていない。だからバトンタッチしておいた。この格好は嫌だけど仕方ない」
上美が問うと、ツグミは静かな声で言った。
「腹いせ程度で、中司先輩を殺しちゃえるような、そんな人を相手にするのは、僕の役割だ」
「正確には私達の役割だろっ」
「そりゃそうだヨー」
影子が飛び出す。悪魔のおじさんもステッキを回す。
悪魔のおじさんのステッキの動きに合わせて、アンジェリーナを挟んでいたクワガタのハサミが折れた。
「ジャアアアアアップッ!」
アンジェリーナがクワガタの虫人間を蹴り倒す。
ムカデの虫人間が身をくねらせて影子に飛びかかったが、影子はあっさりと避けると、ムカデ人間の頭に手を置いた。
ムカデの虫人間の体が黒ずんでいく。やがて全身が黒ずんだムカデの虫人間は、方向を変えて、近くにいたサソリモドキの虫人間に襲いかかった。
「へえ。敵を味方にして操れる能力ですか。ある種、私と被っていますね。しかも私が先に操っている者を、横取りして支配下に置いてしまうとは」
影子のしたことを見て、微笑を張り付かせたまま興味深そうに言う大丘。
「斬り逃げシャーク!」
余裕ぶっている大丘の態度に苛立ちを覚えながら、大丘を狙って術を放つ輝明。湾曲した光の刃が床を滑り、大丘めがけて直進する。
大丘は避けようとしなかった。自分に向かってくる光の刃に向かって掌をかざし、短く呪文を唱えた。
光の刃が砕け散った。しかし衝撃が生じ、大丘の体も弾き飛ばされる。
「マジかよ……」
呆然とする輝明。斬り逃げシャークは輝明が作ったオリジナル妖術で、かなりの威力を持つ。それをいともあっさりと防がれたように見えた。
「やりますね。今のは中々堪えました。流石は星炭流の麒麟児と言われた継承者」
すぐさま起き上がり、称賛する大丘。輝明の攻撃を防いだことには防いだが、ノーダメージとはいかなかった。
大丘の後方の扉が開く。さらに多数の虫人間と、さらにはミルメコレオの晩餐会の能力者達が現れる。
修と上美と影子が突っ込み、虫人間達相手に近接戦闘を挑む。ミルメコレオの晩餐会の能力者達は、輝明と悪魔のおじさんが相手をしていたが、その間に大丘は味方を時間稼ぎの道具にして、一人でさっさと逃走してしまった。
「まんまと逃げられちゃったね」
廊下に散らばった虫人間と能力者達の死体を見渡し、修が息を吐いた。
「洋司君に合わせる顔が無いよ」
一高の亡骸の前でうなだれるツグミ。
「任務失敗か。これでお前達がこの件に関わることは、もう無くなった。とはいえ、手を引いておけって言っても、その様子じゃ手引く気も無えか」
輝明が上美とツグミとアンジェリーナを見て言う。
「あんな奴等を野放しにはしておけないよ」
「ジャップ!」
闘志を燃やす上美とアンジェリーナ。
「PO対策機構に話を通してみるわ。ミルメコレオの晩餐会との戦いに参戦できるようによ」
輝明が電話をかける。
「ツグミ、あまり入れ込むんじゃないヨー。所詮は他人だからネー」
悪魔のおじさんがツグミを案じ、近付いて声をかける。
「こういう時にその言い方、他の誰かがしたら凄く腹が立つけど、そういう言い方をするのが悪魔のおじさんなんだから、腹も立たないな」
ツグミは悪魔のおじさんの髭面を見上げると、力無く笑った。




