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グリムペニス日本支部ビル。史愉の実験室。史愉はその日、男治を呼んで自分の研究の手伝いをさせていた。
休憩時間に入り、茶を淹れる史愉。
「知っていますか~? 崖室ツグミさんという凄い能力者が、ミルメコレオの晩餐会と一戦交えようとしていることを」
男治の言葉を聞いて、史愉の手が一瞬止まる。
「ぐぴゅぴゅ、あの崖室ツグミが、ミルメコレオの晩餐会に関与しているんスか。あれは中々興味深い能力者だったぞ。何とか実験台にできないものか」
かつてネコミミー博士のキュウリが刺さって、史愉が河童に変えられた際、抗議してくれたツグミのことを思い出す。
「しかも星炭流の二人に加勢させるようですね~。輝明君に何かあったら、ふくが悲しみます~。いや……何かあったらふくが戻ってくるかな? それなら輝明君に何かあってほしいです~」
「わっはっはっ、ひでー親父ッスね」
男治の言葉を聞いておかしそうに笑う史愉。
「それはそうと、こっちも気になる情報を聞いたぞー。ぐぴゅう。リコピーアルラウネバクテリアの覚醒を促す薬剤が、西で出回っているのは知っているってスよね?」
「はい」
「それが最近、東でも出回り始めているって話だぞー。しかもバラまいているのがミルメコレオの晩餐会だとか」
「ほへ~、色んなことしているんですね~」
「ぐっぴゅぴゅ。でもこれは妙なことだぞ。売るわけでもなく、タダでバラまいている。何の意味があるのよ……」
「同志を増やしたいだけなんじゃないですか~?」
「うーん……何か臭うぞ」
思索する史愉。ミルメコレオの晩餐会は西と繋がりがある時点で、西の組織からリコピーアルラウネバクテリアの覚醒を促す薬剤を譲り受け、拡散していることはわかるが、タダという点が引っかかる。
真っ先に思いつくことは、薬剤の実験目的だ。そしてそんなことをして得する人物も、史愉は真っ先に思いつく。
「純子さんが作った可能性が高いですね。世界をこんな風に買えた張本人ですし」
「うん。いかにも純子がやりそうなことだぞ。ということは、純子は西にいるのかな……」
半年前より、純子が行方不明になっているという話は、史愉も当然知っていた。
「ああ、話は変わるけど、男治、もうすぐミルメコレオの晩餐会掃滅作戦が始まるんだぞ」
「知っていますよ~」
「その時にあたし達も乗り込んで、実験台確保しまくってやるぞー」
「えへへへ、それはいいですね~。いいですよー」
史愉が誘いをかけると、男治はあっさりと乗った。
***
ツグミ、上美、アンジェリーナ、輝明、修の五人は、闇タクシーで中司一高がいる場所へと向かった。
一高に見張り役としてこっそりくっつけてきた踊るジンジャークッキーが、周囲の映像を散策して、場所を割り出した。ホテルの外に街区表示板が張ってあったので、すぐに場所はわかった。安楽市内の一角だ。ツグミ達が住む絶好町からそう離れてはいない。
ホテルの周辺には、如何にも異様な気配の男女が何人も巡回している。
「気付かれずに侵入は難しいな。かといって救出作戦で強行突破するわけにも行かねーし。どうしたものか」
輝明が呟きながら、ツグミに視線を向ける。
「色々できるらしいじゃねーか。何か手立てはねーのか?」
「むー……私には思いつかないけど、私のお友達さんなら……」
言いつつツグミが怪異のうちの二人を呼び出す。
一人はツグミを黒ずんだ姿にした影子だ。いきなりもう一人のツグミが現れたかのように見えて、輝明と修はぎょっとした。
もう一人は、ステッキを手にした燕尾服の中年男だった。口髭で覆われ、羊の角を生やし、腰からは先端がスペード状の細い尾が伸びている。悪魔のおじさんだ。
(イメージ体に魂が宿っていやがるのか……。こいつは驚きだ)
輝明は一目見ただけで、二人の怪異の正体を見抜いた。
「悪魔のおじさん、影子、知恵を貸して」
「おっさんはともかく、私も呼び出したの? 私はパス。考えることはこいつに任すわ」
ツグミがお願いするが、影子はあっさりと拒絶する。
「同じ顔で表情は全然違うね。喋り方も違うし」
「ワルツグミって感じだぜ」
修と輝明が影子を見て囁き合う。
「まずは定石通り、偵察した方がよいと思うネー」
ステッキをくるくる回して弄びながら言う悪魔のおじさん。
「偵察ならさせてあるよ。動きは無いし」
「踊るジンジャークッキーだけではなくて、フルーツサイチョウも出すのだヨ。それに動きは無いというが、今どうなっているか、ここの皆に教えてネー」
「えっとね……。あ、ちょっと待って」
悪魔のおじさんに促されるも、ツグミは電話を取った。
『崖室、輝明達とは合流したみたいだな』
ツグミに電話をかけてきたのは真だった。
「せんぷぁ~い、苗字じゃなくて名前で呼んでと言ったの、また忘れた~?」
『そうだった。どうも忘れるツボに入っているようだ。で、少し面倒な注文をしたいんだが、奴等が何をしようとしているのか、探ってみてくれないか?』
「先輩、それはわりとギリギリだと思う。侵入するのも難儀しているし、救出はもっと大変だし、そこでそんなことまで調べている余裕はないよ」
「だな。ついで程度にしとけよ」
上美と輝明が口を出す。
「それに下手すると、救出対象の中司先輩も、あいつらに何かされる可能性あるのよ?」
『そうか。じゃあそれはついででいい』
上美と輝明の意見を聞き入れ、真も折れる。
「じゃあ余裕あったらついでっていうことでー」
『よろしく』
電話が切れた。
「で、建物の中の様子は?」
影子が尋ねる。
「何かね、教室みたいな所に一ヵ所に皆集められて、椅子に座って机に向かって、テストみたいなことさせられてるよ? 紙に何か書き続けてる」
ツグミが踊るジンジャークッキーの視線を通して見た光景を伝えると、一同怪訝な顔になる。
『はい、時間です。全て書ききらなくても問題はありませんので、ペンを置いてください。では、次は個別に口頭で尋ねていきます』
柔和な笑みを張り付かせた大丘越智雄が告げると、青少年達は一斉に机の上にペンを置いた。
「ツグミだけが見て、それをツグミが口頭で伝えるのは面倒だネ。踊るジンジャークッキーの視界を、ホログラフィー・ディスプレイにリンクさせようじゃないカ」
悪魔のおじさんが言うと、虚空に向かってステッキをふりがさす。その直後、ホログラフィー・ディスプレイが投影され、教室で授業を受けているかのような映像が映し出される。
「何でもありかよ」
「ジャップ~」
「洋司先輩もいるね。まだ無事でよかった」
輝明とアンジェリーナが唸り、上美が安堵する。
『ここにいる皆さんは、純粋すぎたが故に辛い想いをしたのだと、私は考えています。純粋であることは必ずしも善に繋がることではありません。しかし純粋さはパワーでもあります。純粋であることが苦しみと繋がらないようにするには、世界への認識を改め、新しい世界、新しい自分の開拓を――』
「何だこりゃ? 自己啓発セミナーか? スピリチュアルどうこうたみたいな、そんなノリかねえ?」
「そうも見えるけど、僕の目には、何か確認しているように感じる」
輝明が顔をしかめる一方で、修は思案顔で言った。
「確認?」
上美が修を見る。
(あれ? 影子がいなくなってる?)
悪魔のおじさんはいるが、いつの間にか影子がいないことに気付く上美。
「あるいは念押しかな。選別しているような……。うん。自分でもわからないけど、あの男の目線の動きを見ると、そんな風に感じちゃったんだ」
と、修。
「これ……政馬先輩が関わってるとかないよねえ……? 純粋さがどーこー言ってる時点で、何かそれっぽいような……」
ツグミが上美の方を見て伺う。
「私もそれは思ったけど、逢魔政馬って人は、大人は不要だって言ってたから、ちょっと違う気がする。若い人達多いけど、大人も結構いるし」
上美が顎に手を当てて言った。
『僕は……家に戻りたいです。学校に戻りたいです。元いた日常生活に戻りたいです。新たな自分に……超常の力に頼って……なりたいとは思わない。僕は……自分の力で頑張ります』
突然、一高が立ち上がって、涙声で発言したので、全員注目する。
「この人が、私達が助けようとしている先輩」
上美が、輝明と修とアンジェリーナを意識して伝えた。
『弟が僕のことを心配して探してきてくれた……。僕は弟のことも……きっと他の皆のことも、誤解していた。悪く考えていた。変な思い込みに捉われていた……。一人で暴走していた。悩みは……帰って皆に相談します。苦しいことも……ちゃんと相談して解決します。だから僕は、大丘さんの助けはもう要りません』
「おお、洋司君が聞いたら喜ぶよ、これ」
一高の台詞を聞いてまずツグミが喜んでいた。
「喜ぶ場面じゃねーだろ馬鹿。あの状況であんなこと言うのは、ヤバいことにしか繋がらねーぞ」
「だよねえ……」
輝明がしかめっ面になって言い、上美は神妙な面持ちになって同意した。
『そういう考えもありますね。しかしその考えは……その思想は、求められるものではありません。その時点で相応しくありません。中司君、君は適合しませんね。わかりました。家にお帰りなさい』
大丘が優しい笑顔で告げ、一高はほっとした。
『こちらへどうぞ。外にお連れしますよ』
笑みを張り付かせたまま、扉を開き、部屋の外に出るように促す大丘。
一高は恐る恐る外へと出る。何故か大丘も一緒に出て、部屋の扉を閉めた。
『困った子ですねえ。中司君、君がそう考えることは素晴らしいことです。しかしこの場でそのような発言をすることは、他の皆も動揺させてしまったじゃないですか。届けなくてはいけない商品が減るということは、私の評価のマイナスに繋がるのですよ? 全て君のせいです』
笑顔のまま、優しい声音のまま、しかし大丘の台詞には、一高に対する確かな怒りが込められていた。一高は震えあがる。
「ケッ、やっぱりこうなりやがったか……」
「ジャップ~」
輝明が溜息をつき、アンジェリーナは下顎を両手で押さえておろおろとする。
「ヤバい雰囲気だけど、大丈夫なの?」
上美がツグミの方を見て問う。ツグミは全く慌てた様子が無い。
「うん。平気。影子が側にいる」
ツグミが言った直後、映像の中で影子が出現し、大丘に向かって後ろから殴りかかった。
大丘はまるで後ろに目がついているかのように、素早く横に避けてこの不意打ちをかわす。しかもその際に一高の腕を取って、自分の方へと引き寄せていた。
「影子が現場に着いたし、もう強行突破しても平気だと思うのよネー」
悪魔のおじさんがもじゃ髭をいじりながら促す。
「本当か? 救出相手が敵の手に落ちている状態なのによ」
難色を示す輝明。
「でもここにこうしてもいられないよ」
「ジャップっ」
上美が言い、アンジェリーナが大きく頷く。
「よーし、影子を信じて、私達も突撃ーっ」
ツグミが緊張感の無い弾んだ声を上げ、建物に向かって駆け出す。
そのツグミの前に、赤い車体の車が空から落下してきた。




