二つの序章
汚山悪重は優生思想を絶対視していた。人間をランク付けしていた。自分が無価値と見なした人間は、生きる価値すら無いと断じ、実際に命を奪った。
「無能の末路。いや、当然の帰結だ、自己責任と言ってもいい。価値の無い奴はこうなるんだ」
悪相かつ凶顔に憎々しげな笑みをたたえ、汚山は血を拭う。
自己責任論を振りかざす人間は、実は優生思想を抱いている者が多いのではないか。あるいは自分でも気づかないうちに、その手前に迫っているのではないか。ルーシーはたまにそう考える。
世の中には、どうにもならない運命の元に生きている人間の方が圧倒的に多いと、ルーシーは知っている。自虐や被虐でもない限り、そんな人間が自己責任どうこうなんて口にできない。
つまり自己責任論を振りかざせるのは、たまたま運よく生まれてきただけの者にすぎず、そんな輩が自分より運の無い境遇の不特定多数の人間へのマウント取りをして、悦に入っているだけだと、ルーシーは侮蔑している。
「貴方の考えは、自分より劣る者を見下す思想であり、優生論にも通じ、ナチスと本質は一緒です」
「出たーっ。ここでナチの名が飛び出しましたよっ。いやあ、実に光栄なことですが、比較対象としてはどうなんでしょうねえ」
ルーシーの持論を聞いて、汚山はにやにや笑って顎をいじりながら、実況口調で喋る。
「相手を最低の悪者に仕立てるためには、ナチスのレッテル貼りしとけばいいという、安直さが伺えます。昔から定番の手ですな」
解説口調に切り替えた汚山の言葉を聞き、ルーシーは一理あると感じてしまった。しかし自分の表現は的確であったとも思っている。
「理屈なんかどうでもいい。俺は弱い奴が大嫌いだ。無能が大嫌いだ。阿呆が大嫌いだ。貧乏人が大嫌いだ。そいつら全員、命は軽い。そう扱われるべきだ」
そこからまた口調を変え、本来の汚山の喋り方になる。
「ですが殺すほどの理由にはなりません。殺すほどの失態でもありません」
蔑みと怒りと悲しみと虚しさを交えた口調で、ルーシーは告げる。
ルーシーの視線の先には、血塗れの死体が横たわっている。人としての原型もあまり残っていない肉塊と成り果てたそれは、汚山の部下だ。汚山が作った組織――サイキック・オフェンダーのみで構成された関東最大の組織――『ミルメコレオの晩餐会』の幹部だ。
彼の失敗は微々たるもので、組織に与えた損害も軽微だった。だがたまたま虫の居所が悪かった汚山は癇癪を起こし、憂さ晴らしでもするかのように、その幹部を嬲り殺しにした。
「うるせえっ!」
汚山はまた癇癪を起して、ルーシーの顔を殴りつけた。
ルーシーの端正な容姿が一瞬大きく歪んだ。顔の骨が数ヵ所砕ける重傷を負ったが、一瞬だけだ。すぐに元の美しい顔に戻る。腫れあがる事もない。
「無能を晒した時点でいらねーんだよっ! 俺を不愉快にさせた時点で死刑なんだよ! 俺はこの世の頂点に立つ身だから、人の命を自由に扱う権限がある。何て言ったっけ……。生殺剥奪権があるっ!」
「それを言うなら生殺与奪権です」
傲然と吠える汚山の言葉を、ルーシーが訂正する。
「うるせえっ!」
汚山がルーシーの腹部を蹴り上げる。うつ伏せに倒れるルーシー。何か言う度に癇癪を起こすので、手を出されたくなければ何も言わない方がいいのだが、ルーシーにはそれも許されていない。必ず会話するようにと命じられている。
「ルーシー、何でお前がこんな目にあっているかわかるか? それも弱いからだ。俺より弱いから、こうされても仕方ねーんだよ」
ルーシーの頭部を踏みつけながら、汚山は嘲りたっぷりに吐き捨てた。
「つまりはこの組織に入った自己責任ですか。組織のためにしっかりと貢献していた人でしたのに……」
「本当に使える奴なら、ミスの一つや二つは許す。こいつはどんなに働こうが、替えが効く奴だ。どれだけ貢献したかなんて関係無い」
ルーシーが哀れみを込めて言うと、汚山は憎々しげな笑みをたたえて否定した。
電話がかかってきて、ルーシーが取る。
「PO対策機構に入り込んだ草からです。原山勤一を西に逃したことの汚名返上のため、PO対策機構は今後、ミルメコレオの晩餐会の掃討に熱をあげる方針のようです」
ルーシーが部下からの報告を伝えると、汚山は顔をしかめてベッドの上に腰を下ろす。
「ええと、この場合、原山が迷惑なことをしたと考えればよいのでしょうか。あるいはPO対策機構の無能をなじればいいのか」
実況口調で問いかける汚山。この後解説口調で自答するとわかっているので、ルーシーは口を出さない。
「原山は尻尾を巻いて逃げ出した弱者とも捉えられますが、生き残るための選択を行った結果、生き延びた強者とも言えます。明確な非は、敗北したPO対策機構にありますねえ」
解説口調で言う汚山に、ルーシーは疑問を感じる。
「敗者であろうと、PO対策機構の力は強大ですよ。まともに戦ったら、我が組織の被害は甚大です」
ルーシーが意見した。ルーシーは汚山の奴隷でありながら、ミルメコレオの晩餐会の大幹部でもある。彼女の実績と実務能力を見て、組織の一員として貢献させた方がよいと汚山は考えた。ルーシーもその期待に応える形で、よく働いている。
「俺を馬鹿だと思っているのか? そんなことは承知のうえなんだよ。いいか。これは生存競争だ。俺達とPO対策機構、どちらが生き残るかをはっきりさせる時が来たんだよ」
「つまりは全面戦争ですね。会議を招集する準備をしましょうか?」
それ以外にも道はあると考えるルーシー。すでにそれ以外の道を辿る計算が、ルーシーの中で働いていた。
「そうしろ」
「西の使者が、取引のやり直しを要求していますが」
「PO対策機構と全面戦争するなら、もうコソコソする必要もないか?」
汚山が死体を一瞥する。つい昨日、日本西部との取引を台無しにして失敗したのが、死体だった幹部だ。
「むしろ西との取引は、PO対策機構を釣る餌にしてもよいかと」
「そいつはいい案だと言いたいが、それは西の機嫌を損ねるから無しだ。ああ、それともう一つ。そのゴミを片付けておけよ」
部屋の中の肉塊を指して、汚山は命じた。
それが四日前の話。
***
「応援はまだ来ないのか……」
敵の脅威に晒されながら、敵から発見されないことを祈って、男が呟く。
「到着した時に、俺達二人の死体が発見されるのかねえ……」
隣にいる男が自虐的に呟く。
二人がいる場所は廃村だった。
仲間は全て殺された。敵は超常の力を用いる。二人にはそのような力は無い。そして今、敵から逃れて、廃屋の一つに隠れている。
「場所といい、シチュといい、ホラー映画の主人公気分だな」
「ああ、俺もそれ思った。一人だと超恐怖だが、二人いるとわりと怖くないな」
「つまりそれって、いざという時俺を盾にするつもりだからか?」
「それもあるけど、話していると気が紛れるだろ」
「あるんかーい」
軽口を叩きあうことで、何とか恐怖を紛らわせている二人。
二人はPO対策機構のエージェントであった。数十分前まで五人のチームで動いていたが、三人は殺された。
彼等に課された任務は極めて異質であり、聞いた時点で明らかに危険そうな代物であった。とある取引の監視であるが、その取引内容は、西から来たサイキック・オフェンダーの集団による人身売買だという。
五人チームによって、取引現場の監視が行われたが、二時間程前、あっさりと見つかってしまい、三人が殺された。残った二人は逃走し、廃村へと逃れた。
窓からこっそりと外を覗くと、六名の男女が、自分達を捜索している姿が確認できる。
「しつけーな……。とうとう来やがった」
「時間の問題だな。応援は間に合わ……いや、間に合った……」
悲観的なことを言いかけてから、PO対策機構の男は安堵した。
二人の少年が、廃村に現れた。一人は異様に背が低く、もう一人は背が高くて髪も長いというデコボココンビだ。
「お前達は……」
「PO対策機構の犬が堂々と!」
外にいた男女が臨戦態勢を取る。
「星屑散華」
その場に現れた背の低い少年が短く呪文を唱えると、掌から金平糖の散弾が打ち出され、銃を構えた女の体を撃ち抜く。
背の高い少年の方が木刀を抜き、残った五人に向かって正面から突っ込んでいく。
六対二の戦いは五対二に、四対二に、三対二にと、段々と数字が変動していった。同じ数字になった時点で、生き残った二人は逃走の道を選んだが、少年二人は逃すことは無かった。
五人が殺され、一人だけ生き残った。いや、生かされた。口を割らせるために捕獲した。
「ありがとう……助かった」
「際どいタイミングだったから怖かったけどありがとう」
逃げていたPO対策機構の工作員二人が廃屋から出てきて、少年二人に礼を述べる。
「ケッ、てめーら無能共の救出だけじゃなくて、人身売買される奴等の救出も依頼されちまってるから、さっさと現場に案内しな」
背の低い方の少年――星炭輝明が横柄な口振りで促す。
「お願いします。あ、テルは……こいつは凄く口悪いですけど、大目に見てやってください」
背の高い方の少年――虹森修が愛想良く微笑んでフォローする。
「ここから徒歩二時間ですが、乗り物はありますか?」
「闇タクで来たから、車で行けるなら近くまで車で行こうぜ」
逃げていた工作員が問いかけると、輝明が言った。
現在、星炭輝明と虹森修はPO対策機構の一員とされている。半年前の『覚醒記念日』以降、サイキック・オフェンダーと呼ばれる超常の力に目覚めた犯罪者達の抑制のために、PO対策機構という組織が作られたが、その中にはかつての国仕えの術師達や、フリーの術師も大勢組み込まれた。
四人が闇タクシーで現場近くまで移動する。
取引現場を訪れる。山中に建つ無数のプレハブ小屋。土についた複数の足跡。
「この中か?」
「はい」
輝明がプレハブ小屋を見て伺い、PO対策機構の男が頷く。
修が小屋の一つの扉を開くと、六畳ほどのスペースの中に、まだ十代の少年や二十代前半ほどの若者達が十数人も、体育座りをした格好でぎゅうぎゅうに詰められていた。
他の扉も開けていく。ほとんどが男子であったが、女子だけが詰められている小屋もあった。
「まだですか? 早く楽園に連れて行ってください」
「救いが……救いが欲しいの……。ねえ? 私、救われる地に行けるんでしょ?」
少年の一人が不安げに問い、若い女性が痛切な表情で訴える。
「拉致されたわけではなく、洗脳済みで、自らの意思でってことだね」
「ケッ、洗脳というよりマインドコントロールだな。そしてマインドコントロールされているのに、本人の意思って表現はどこかおかしいな」
修が囁くと、輝明は不敵かつ愛敬に満ちた笑みを浮かべて、皮肉っぽく言った。
それが五日前の話。




