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かつてデビルは、純子が世界を変えようとしていることに、疑問を感じていた。素晴らしい変化だと思う一方で、同時に反感も抱いていた。
誰も彼もが力を得ることになったら、自分の活動もしづらくなるのではないかと。世界の破壊が進んでしまったり、ディストピアになったりしないかと、そんな危惧を抱いていた。しかしそのような事にはならなかった。
半年前は、勇気の前に立ちはだかり、純子の目的を阻止しようとしていたが、現在のデビルは、変化したこの世界を存分に満喫している。
頑張って相当な長距離移動をした所で、デビルは二次元化を解いて地上に現れた。一緒に二次元化して連れてきた勤一と凡美も、元の姿に戻る。
(三人分を二次元化して移動は凄く疲れる……)
デビルは地面に両手と両膝をついてへばっていた。かなりの無理をした。
「俺達を助けてくれたのか? お前は敵だったんじゃないのか?」
勤一が問うと、デビルは勤一の方に顔を向ける。
「世界中が憎むべき敵だ。世界中が憎むべき敵だ。世界中が憎むべき敵だ」
「おちょくるなよ。そういうのが楽しいのかも知れないが、こっちは楽しくないし、お前も馬鹿にしか見えない」
先程勤一が口にした台詞を繰り返すデビルに、勤一が冷めた口調で告げる。
「重要」
しかしデビルはおちょくっているつもりはなかった。それどころか、勤一のその台詞を聞いたからこそ、心が動いた。
「神に見捨てられる運命に見えた。神に見捨てられた者を助けるのが悪魔」
それはただの方便だった。デビルの本心は別にある。
(かつて憧れたシリアルキラー。世界に火をつけて、焼き尽くしてやりたいと本気で願う者。あげく実行する者。この二人もそうだ。僕と同じ。同胞が神様に踏みにじられる姿を見たくなかった)
デビルは勤一達と重ねていた。かつてデビルが憧れていた殺人鬼達に。そして今の自分に。
「でも悪魔は所詮悪魔よね。味方面していても味方ではない。どこで背中を押してきて、奈落に突き落としてくるかわからない」
不審げな視線を向けて口にした凡美の台詞に、デビルは思わず微笑んだが、闇夜の中の真っ黒なデビルの表情の変化は、二人の目には見えなかった。
凡美は全くデビルに気を許していない。吉川を、そしてあの老婆を狂わせたのはデビルの仕業だ。今助けたのも気まぐれなだけだと受け止めている。
「助けてくれたことはありがとう。でも出来ればもう会いたくないわ」
凡美が告げると、デビルは地面に沈むようにして平面化する。
「世界を焼き尽くせ」
二次元化して姿を消した状態で、デビルはそう言い残すと、その場から去った。
「あいつ……」
デビルの言い残した台詞が、勤一の胸に刺さる。
「あいつは……気まぐれで俺達を助けたわけじゃなくて……」
言いかけて、勤一は口ごもった。
「さあ……逃げようぜ。追っ手はすぐに来る」
さっきも転移した後にすぐにこちらの居場所を見つけてきた。無理にでも走り続けなければ、すぐに見つけられてしまう気がする。
「あとひと踏ん張りだ。この山さえ抜ければ、西に逃げられる。そう信じよう」
「そうね。でも私の足が……」
力強く声をかける勤一だったが、足を撃ち抜かれた凡美は、まともに逃げられそうにない。
勤一は無言で凡美をおぶる。変身は解いているが、基本的に筋力も体力も常人のそれを上回っているし、凡美を背負っての移動も、さほど苦ではない。
「生き延びてやる」
「ええ。生き延びましょう。歩君達……死んだ子達の分も」
二人して決意の言葉を口にする。
勤一が山の中をまた歩き出す。草を分けて、山を下っていく。
「道だ……」
数分移動した所で、二人は車道へと出た。
そこに都合がいいことに、トラックがやってくる。
勤一は止めようと思ったが、その必要は無かった。車の方が止まってくれた。
「おいおい、何だね、君達。その格好は。泥だらけじゃないか。服もぼろぼろだし」
初老のトラックドライバーが顔を出し、勤一と凡美に声をかけた。
「わけありのようだね。町までは距離があるが、荷台でよければ乗っていきな」
「助かります」
笑顔で告げるトラックドライバーに、勤一は礼を述べ、凡美を背負ったまま荷台に乗った。
「勤一君、この人は殺さないでおこう」
「わかってる。先に親切にしてくれた人は……やりにくい」
耳元で囁く凡美に、勤一は苦笑しながら言った。
***
夜の森の中、忽然と姿を消した勤一と凡美を追って、PO対策機構の者達が捜索を続けること一時間。
「よし! 諦めよう! 全員撤収!」
「わかったにゃー」
「私の真似をするな! しかも五度目だ! まだ撤収するとは言っていない!」
「ううう……また騙されたにゃー……」
美香のように叫ぶ二号を、美香が叱る。七号は渋面になる。
そんな美香達の元に、テレンスがやってきた。海チワワの面々も少し遅れて来る。
「かなり遠くまで逃げたようです。これ以上の山狩りは無理があります。さっきは草木を分けて移動した痕跡が残っていたからこそ、追いつくことも出来ましたが、今回はそれらの痕跡が全く見つかりません」
「早い話がもうお手上げ、撤収しようってこった」
テレンスが神妙な面持ちで告げ、ミランが懐中電灯を振り回しながら肩をすくめた。
「了解! こちらもそのつもりだった! 撤収だ! さっさと帰って風呂に入ってBL小説読んでマスかいて寝るぞ!」
「私の真似をするな! そして台詞を取るな! 余計なことも言うな! 下品なことも言うな!」
「ぐへえっ! ばべぇ! ほげえッ!」
また二号が美香の振りをして叫び、美香が二号を叱りながら殴打する。
「人前でアイドルがアイドルの顔を拳で殴るなんて嫌~ね~」
その光景を見てキャサリンが顔をしかめた。
「やれやれ、美香ちゃん達の失敗を記事にしなくちゃならないとは、心が痛むな」
美香と一緒に行動していた義久が頭をかく。
「これ以上はもう無理じゃない? 人工衛星の追跡も、遠視能力での追跡もかからない。諦めよう」
プルトニウム・ダンディーの面々が来て、来夢も撤収を促した。
「ヘイヘイ、オリジナル~。あたし達だけで頑張るか~い?」
「わかった! 撤退だ!」
二号が嫌味ったらしい声をかけると、美香は憮然とした顔で撤退を受け入れた。
「堕天使は天界の追跡を振り切って、地獄へと向かうようだ」
電子煙草を咥えて、エンジェルが呟く。
「空振りで空っぽってわけでもない。二人捕まえた」
「だねえ。サルバドール吉川を捕まえたんだから、これでよしってことにしてもらおうぜー」
来夢と二号が言う。
「A級サイキック・オフェンダーの二柱の一人である、原山勤一を逃がしてしまったから、二人捕まえようと、失態扱いになると思いますよ」
と、怜奈。
「義賊屋吉川の頭目だから、大物だし、PO対策機構の面目は立つんじゃないかい」
「大物だけど危険度としては低いし、優先順位的にも低い相手よ。義賊してから民衆の支持もあったし、そんな吉川は捕まえて、もっとヤバい原山は逃がしたんだから、オフィスはいい顔しないでしょうね」
マリエが言うも、十一号は懐疑的だった。
「我々がその辺のことをどうこう言っても仕方ない!」
美香が叫び、踵を返す。
その後、一行は吉川とユダを捕えている場所まで引き返した。
まだ吉川に転移する力は残っているが、これ以上逃走するのは無理だと判断している。何よりユダを危険に晒したくなかった。
「そうか。あいつらは逃げおおせたか」
美香から報告を聞いて、拘束された状態で座っている吉川は、安堵の笑みを浮かべた。
「よかったですね。僕達は……見ての通……」
「死ねえぇえぇっ!」
ユダが皮肉げに言いかけたその時、銃声が響いた。
自警団の一人が憤怒の形相で、ユダめがけて銃を撃っていた。だが克彦の黒手が、銃弾を受け止めていた。
「やめなさい。何をするんですか」
テレンスが発砲した男の銃を叩き落とした。
「何で止めるんだ! こいつらに仲間が殺されたんだ!」
「義賊屋吉川のメンバーは捕縛に留めろとの命令だ! 殺し殺されを覚悟で仕事に臨めないなら、PO対策機構はもうやめろ!」
涙混じりの声で怒鳴る自警団に、さらに大きな声で美香が叫んだ。
発砲した自警団の男は、他の自警団の仲間に連れられていく。
「厳しいね、美香。正論だけど、仲間を殺されて憤っている人相手なんだから、もう少し言葉を選んでもいいと思う」
「逆だ! 相手次第でもあるが、こういう場面では飴より鞭を使う方が効果的だ!」
来夢が意見するが、美香は聞き入れることなく主張する。
「そうかな? 俺にはわからないな」
「黙らせるにはその方が面倒でなくていい! 気遣いしなくてはならないほどの関係性がある相手でもない!」
小首を傾げる来夢に、美香はあっさりと切り捨てた。
「はあ~、何にせよ私達の仕事は終わりね。夜の山の中歩くとか、しんどかったわー」
キャサリンがうんざりした顔で愚痴る。
「ダイエットにならない? 毎日山の中を歩き続けるといいよ」
「そんなのする必要が無いの。カロリー消費した分、また蓄えなきゃね~」
来夢がからかうも、キャサリンは平然とした顔で受け流した。
「理解しがたい。理解したくもないけど」
キャサリンの反応が気に食わない来夢。
「デビルが側にいますね」
明智が気配に気付いて、隣にいる吉川に囁いた。
「何もしないようなら放っておけばいい。留置所まで来たら面倒だが」
「そうですね」
吉川が言う。ユダも危険は感じなかった。常に隠れているデビルが、ここで仕掛けてくるとも思えなかった。
(明智ユダはやはり面倒だ。近付くとすぐに気付かれるし、今後も出来るだけ関わりたくない)
今回、デビルはユダのせいで中々思い通りにいかなかった感が強い。徹底して苦手意識を植え付けられる格好となった。
***
勤一と凡美がトラックに拾われ、何時間か経過した。
高速インター前のファミレスでトラックが止まる。
「あんたらも飯食うかい? 金が無いなら奢ってやるよ」
初老のトラックドライバーが、二台にいる勤一と凡美に声をかける。
「今更ですが、どこまで行くんです?」
「ぽっくり市の手前さ。東から逃げてきたサイキック・オフェンダーも何回か乗せたことがある。君等もそのなりからすると、そうじゃないのか?」
「どうしてそんなことを? 危険ではないですか?」
あっさりと指摘するドライバーに、少し驚いて問い返す勤一。
「ははは、図星か。俺も能力持ちだ。いざとなったら戦える。しかも強いぜ」
ドライバーが笑顔で力こぶを作ってみせる。
「ま、君はいい面構えしているからな。一目で気に入ったよ。そんなに悪い奴でもなさそうだし」
見る目の無いおっさんだと勤一は思った。自分ほど悪い人間はいないのにと。
一方で凡美は、勤一のことを誇らしく感じていたし、このドライバーは見る目があると思っていた。
「悪い奴ですよ。だからPO対策機構にしつこく追いまわされて……」
「ははん、そんなことだろうと思ったよ」
勤一が力無く言うと、ドライバーはまた笑う。
「俺も能力を身に着けて、罪を犯した。殺したい奴がいて、殺した。それはバレてないけどな。サイキック・オフェンダーみたいに暴れ回ることもせず、日常に戻ったが、それだけの違いだ。つまり、だ。俺もある意味そっち側なのさ」
言いながらドライバーは歩き出す。二人も二台から降りて、ついていく。
「俺は覚醒記念日も、今の世の中の在り方も歓迎してるぜ」
ファミレスの店内に入り、席についてから、ドライバーがまた喋りだす。
「素晴らしいパラダイムシフトだろ? 超常の力は誰にでも身に着く。だから人から恨まれるようなことをしたら、しっぺ返しを食らう。そうならないようにすれば、どうすればいいか? 人に嫌な想いをさせないことだ。優しい世界を創ることだ。それだけでいい。そうなればいい」
(そうね……。そうであれば、私の息子も死ななかったし、私も誰も殺すことはなかった)
お喋りなトラックドライバーの話を聞いて、凡美は口の中で皮肉げに呟いていた。




