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(接近戦じゃ特に危険とか噂されている私が、その接近戦でダメージ食らったとか、他のオーバーライフの子達にも教えてあげたいなー。ていうか、余裕ぶって見せたけど、フツーに考えると実際厄介だねえ、この状況)
罠の配置は大体わかるが、どんな罠が仕掛けられているか、全て把握しているわけではない。いや、六畳部屋ほどのスペースしかない小部屋で、しかも罠が張られている中で接近戦となると、例えどんな罠があるか事前にわかっていても、実際に全て回避しきれる確証は無い。
(でもね、だからこそ面白いんだよー)
しかし不利な立場や逆境を楽しむ性質にある純子からすると、こういうシチュエーションは大好物であった。
「どうして今の、かわさなかったんです? その気になれば、貴女ならかわせてたはずだ」
中腰に構えなおし、葉山が問う。
「貴女、ゲームの対人戦とかで、例え避けられても、わざと何発かくらってみるタイプじゃないですか?」
「んー、当たり。真君がプロレスとか好きで、一緒に見るようになってさー。プロレスの、相手の攻撃もあえて受けて魅せるのって、わりと好きなんだよねえ。相手への敬意みたいなもんもあり、自分の踏ん張りも見せられるしさあ」
会話しつつ、純子は掌に意識を集中し、滅多に使わない能力を発動させんとする。
「あ、それ効きませんから。無理だし無駄ですから」
純子が何をしようとしているのか、葉山は直感で気づいた。
「百合から聞きました。貴女は空気を含め、触れたものの分子や原子を操る事ができるって。運動を加速させたり減速させたりして温度を変化させたり、原子分解だってできるから、手に触れられたらアウトで近接戦闘が厄介とか、異なる物質を結合できるとか、いろいろね。そして手で触れた物質を操作できるってことは、放射能だって作れますよね? 今やろうとしたのはそれでしょ? でもそれ無駄です。常人ならひとたまりも無かったでしょうが、僕は蛆虫ですから、核戦争対策に放射能汚染も耐えられるよう肉体改造してあるオーバーライフの人達と同じように、放射能にも耐えられるんです。すでに実験済みですし」
「ちょっと訂正した方がいいかな。放射能を作るではなく、放射線を発生させる――ね。放射能ってのは、文字通り放射線を出す能力や性質を指す言葉だから。言うなら私自身に放射能があるって事だけど」
実行しようとしたことを見透かされた純子は、小さく息を吐いて中断する。
「やっぱり百合ちゃんの刺客かー。でも私を直接狙ってくるなんて、意外だねえ。彼女の性格からすると、私は最後にとっておいて、私の周囲から崩してくるというか、まずはあの子を狙ってくると思ったのにさー」
「その通りだと思いますが、貴女を狙ったのはもっと別な事情ですよ」
「で、君は何者なの? 百合ちゃんなんかより、私は君の方にずっと興味があるな」
白衣のポケットに両手を入れ、少しかがんだ格好になって純子は訊ねた。一見そのポーズは、戦闘放棄したかのようにも見える。
「君は何処から来たの? 君は何者? いや、何なのかな? 宇宙人?」
交戦しながら純子は気が付いた。目の前にいるそれが、決定的に自分達とは異なる存在だと。
「だから蛆虫ですよ。うねうねするだけの蛆虫です。見た目は人間に見えても人間ではない。蛆虫なんです。でも貴女は、それを少しだけわかってくれたみたいだ。それは嬉しい」
葉山の答えは相変わらずだった。
(アルラウネと同じかな。余所から来た存在。少なくともこの星で生まれた者では無い)
純子は長いこと生きているが、本当の意味でのファンタジーな存在など、今までアルラウネ以外に見たことが無い。
宇宙人と遭遇したことは無いし、妖怪だの神話上の化け物だのは人間の術師による創造物だ。だからこそ、純子は本能レベルでそれがわかってしまった。この葉山という男は――本人が語るように蛆虫かどうかはさておき――人間では無い存在であると。
(まずは捕獲しよう。幸いにも私の敵としてエンカウントしてくれたから、研究素材にしても構わないし)
ポケットに突っ込んだ右手に意識を集中しつつ、純子はその右手をポケットから勢いよく出した。ポケットから出た手は手首から先が無い。
葉山の頭部の左に、転移された純子の右手が出現する。
直後、純子は右手に痛みを感じる。転移した右手に目もくれずに動いた葉山の左手のナイフが、純子の右手を貫いていた。
「おやおや、随分な反射速度だねえ」
微笑みながら、純子は掌が貫かれたままの状態でナイフを握りしめる。
「これ、ひょっとして手を刺されたままでも力を発動とかできますかね?」
呑気な口調で訊ねる葉山。
「もちろーん。掌にさえ接触していればね」
純子が話している間に、ナイフの刃に細かい霜が張り付いていた。霜の数は見る見るうちに増えていき、ナイフ自体があっという間に氷で覆われる。
「うわちゃちゃちゃ!」
低温火傷を負って悲鳴をあげる葉山。純子はそのまま葉山の手ごと凍結させるつもりだったが、分子活動の停滞効果が葉山の手の凍結に至る前に、葉山がナイフを離していた。
純子の名も無い能力は、掌や指先等の神経が通っている部分に接触した部分とその周辺のわずかな範囲の空間の分子や原子を操れるものであって、ナイフの刃の部分に作用することはできても、柄や葉山の手そのものに直接影響を与えるものではない。二秒程度の時間さえあれば、熱を奪って葉山の手ごと凍結する事もできたが。
「まさか……僕の――蛆虫の弱点を見破るとは! そう、蛆虫は昆虫だから寒さに弱い!」
驚嘆したような口ぶりと形相で、葉山は叫んだ。
「よしっ! 手が痛いので今日はここまでとします。そんなわけで蛆虫ランナウェ~イ!」
「えー、もう少し頑張ろうよ」
あっさりと逃走宣言した葉山に、純子がおかしそうに言う。
葉山が窓を開け、下を見る。地上七階の高さ。
「今の僕なら飛べる。そんな気がします。いや、必ず飛べます。そう、今なら緊急脱皮して蠅になれる! そしてあの大空を飛べる!」
高らかに叫ぶと、葉山は窓から身を乗り出し、両手両足を大きく大の字に広げて勢いよく飛び降りた。
「ぶーん! 僕は蠅だ! 蠅だから空も飛べるはず!」
落下しながら嬉々とした声をあげ、ばたばたと手をはためかせる。
大きな落下音と共に、葉山の体が地面と激突し、血が飛び散った。
「何かデジャヴが……」
純子も窓から身を乗り出し、飛び降りる。ただし葉山のように全身ダイブしたわけではなく、着地を前提として足から降りる形で。
地上に激突するまで1メートルの所で、急激に純子の落下速度が減速し、軽やかに着地する。
「死体でもサンプルになるかなあ。って……生きてるねー」
うつ伏せに倒れている葉山を見下ろして純子が言った直後――
「うねうねーっ! よくぞ見破りましたねー!」
全身から血を噴出しながら、葉山が勢いよく起き上がった。
「そうっ、僕は蛆虫だからこれくらい平気です! 体中のいろんな所の骨が折れている気がしますが、なあに、元々蛆虫には骨がありませんから大した影響はありません!」
「んー……でもその分、逃げるのはしんどくなってないかな?」
「ふっ、あなたは蛆虫を馬鹿にしていますね! くらえ~、奥の手! 蛆虫ファイアー!」
叫ぶなり葉山は己の喉の奥に指を突っ込むと、文字通りの血反吐を純子に向かって噴出した。
「ちょっ……」
流石の純子も顔をひきつらせ、大きく後方に跳んでこの攻撃をかわす。
「そして逃げる! ヘイ、タクシー!」
その隙をついて、たまたま通りかかったタクシーめがけて勢いよく血まみれの片手を上げたが、上げた直後、折れた手がぷらんと垂れ下がった。
「おやおや、これはまた大変なお客様だ」
タクシーが止まり、白黒まじった髭面の初老のタクシードライバーが、血まみれの葉山を見ておかしそうに笑いながらドアを開ける。
「これが真の蛆虫ランナウェイです! ではさらば! うねうねーっ!」
乗り込み際に純子の方を向いて勝ち誇ったように告げると、葉山はドアを閉め、タクシーが発車した。
「んー……これ、サンプルになるかなあ?」
道路に撒き散らされた血反吐を見下ろし、純子は呟いた。
(始末し損ねたわね)
純子の背後で、純子だけに聞こえる声が響いた。
(貴女が始末した方がよかったのに。でないと……)
「真君が危ない?」
振り返り、宙に浮く女性の霊を見上げて、にっこりと屈託無く笑う。
「私は逆だよー? むしろ真君と戦わせて、経験つませてあげたいね。強敵と戦うほど強くなるもんだしさ」




