15
「何だ……こいつは……」
影が起き上がるようにして現れた、全身真っ黒な影のような少年を見て、吉川が唸る。
「わかりません。でもこいつはずっと僕達についてきました。時折感じたんです。気のせいかとも思いましたが、そうではなかったようです。そしてこの悪意はただ事ではないです。もしかしたら……」
ユダがデビルを睨んで、いつになく厳しい口調で言う。
デビルもユダを見返していた。ずっと隠れて観察しているつもりだったが、ユダのせいで台無しになってしまった。
「あなたがお婆さんをおかしくしたの?」
「お婆さん、目が悪いから。お婆さん、目が悪いから。お婆さん、目が悪いから」
問いかける凡美に、同じ台詞を繰り返すデビル。吉川とユダには何のことかわからないが、凡美はぞっとした。先程自分が口にした台詞だったからだ。
「もしかして、吉川さんをおかしくして、皆を殺させたのもこいつですか? いや、バーサーカー事件を引き起こしているのはこいつですか? だとしたら、何のためにそんなことを……。何のために僕達を……」
「何だと……」
ユダの推測を聞き、吉川の顔色が変わる。
「ニートの仲間あぁぁ! 四人集まればニート四天王ぉぉお!」
老婆が叫びながら腕を振るうと、腕から伸びていた湾曲していた針のようなものが、一斉に射出された。
凡美は針を避ける。勤一は腕で防ぐ。吉川とユダがいる方には放たれていない。
「否定するなら申し開きくらいは聞いてやる」
デビルを睨みつけて吉川が問うと、デビルは目を細めた。明らかに笑っているのがわかる。それを見て、吉川のやることは決まった。
「有罪」
吉川が一言呟くと、デビルがいる場所の空間を歪める。空間の歪みはみるみるうちに大きくなり、やがて歪みが極限になった時、デビルの体が頭頂から股間にかけて、縦一文字に切断された。
直後、吉川とユダは驚愕した。二つに分かれたデビルの切断面がそれぞれ盛り上がり、それぞれが元のデビルになったのである。そして目の前に二人のデビルがいる。
「分裂しましたよ……」
「プラナリアかよ。面白いな。無限に分裂できるかどうか試してやるか」
ユダが声に恐怖を滲ませるが、吉川は臆することなく、さらにデビルの周辺空間を歪ませる。
(無駄な消費。これ以上のダメージも分裂もお断り)
今度はデビルもただやられるわけではなく、二人揃って、地面に潜り込むかのように二次元化して、空間歪曲による切断を避けた。
「どうしたのっ? 勤一君っ」
「毒……かな? 糞っ……」
突然蹲り、苦しげに顔を歪める勤一に、凡美が声をかける。
「うがああぁぁあ! にぃぃぃぃとぅぅぅおうおぅおぅ!」
叫びながら迫る老婆に、凡美が口からビームを放った。
「うごっ!」
ビームの直撃を受けた老婆が倒れる。
「何の……こ、これしきぃぃ……ニートなどに負けぬわぁ~……」
かなりのダメージを負ったはずだが、老婆を殺害するには至らず、老婆はゆっくりと身を起こす。
「勤一君、大丈夫なの?」
「大丈夫……でもねえけど、頑張って排出してみる」
「これでどう?」
凡美が右手を鉄球に変えて飛ばし、勤一が毒針を受けた箇所にくっつけた。
鉄球の棘が勤一の腕に突き刺さり、何かを勤一の体内に注入していく。
「大分楽になった。でも……今は動けない……」
「わかった。時間を稼ぐわ」
勤一をかばうようにして、勤一の前に立ち、老婆と向かい合う凡美。
「お前かっ! お前が一郎をたぶらかし、堕落させてニートにしたんだね! 私にはわかるんだよ! 許さなあぁぁぁい!」
勤一と自分の間に立った凡美を見て、老婆が怒り狂う。
二次元化したデビルが、二手に分かれてそれぞれ左右に分かれて、家屋へと接近してくる。
吉川はユダの手を取り、転移した。家の中から庭へと出た。相手が何をしてくるかわからないので、ひらけた場所の方が戦いやすいと判断した。
デビルは動きを止め、Uターンして、自分の後方に転移した二人の方へと向かう。
(二人同時は無理だ……)
吉川が右側から来るデビルに狙いをつけ、空間を歪ませた。
今度は切断されるのではなく、爆発が起こった。極限まで空間を収縮させることで、圧縮された空気が爆発的に広がった。爆音と共に地面が爆ぜ、土が弾け飛ぶ。そしてデビルの体も。
血肉が、骨が飛び散る。体表とは異なり、血は赤い。骨は白い。中身は人と変わらないように見える。
左側から来たデビルが地面から飛び出るようにして三次元に戻り、吉川とユダに向けて衝撃波を放った。
吉川もユダも避けられず、大きく吹き飛ばされて倒れる。
(当たったけど、クリーンヒットはしていない。少し目測を見誤っていた)
二人を吹き飛ばして倒したものの、そのダメージはいまいちと見るデビル。
「死ンねええぇぃ! ニート製造機さげまんあばずれがァァッ!」
老婆が跳躍し、大きく伸びた二本の牙を凡美に突き刺そうとする。
凡美は冷静に右腕を振り、手首のバネを伸ばした。
「ぷぽっ!」
棘付き鉄球が老婆の顔を横殴りにして、老婆の牙を二本共折った。頬骨と鼻も折れ、歯も何本も折り、老婆は凡美のすぐ手前に落下する。
「ごぼごぼ……よくも……」
顔面を血塗れにして、老婆が恨めしそうに凡美を見上げる。口から吐き出す血の中に、歯も混じっていた。
(殺すしかないのか……)
動けずに凡美任せにしている状態で、勤一は口の中で呟く。
(俺は手をかけたくない。凡美さんにやってほしい……ああ、卑怯なこと考えてやがるな、俺……)
自身の考えを恥じる勤一。
「うぽおおおう!」
老婆が叫び、両腕から再び湾曲した針のようなものを何本も生やす。
老婆が腕を振り、凡美めがけて至近距離から針を一斉に飛ばした。
凡美の鉄球が手に付いたまま、激しく回転しだす。同時に、鉄球についた棘の何本かが伸びて横に大きく広がり、まるで扇風機の羽根のような形状になった。扇風機の羽根モドキは高速回転して、全ての針を弾き飛ばした。
「ンおのれえええぶふっ!」
悔しそうに叫んでいる途中に、老婆の体が大きく吹っ飛ばされた。縁側から庭へと落ちる。
「勤一君」
凡美が勤一に目を向ける。まだ苦しそうな顔の勤一が、渾身の力を振り絞って殴り飛ばしたのだ。
「俺が……ケリをつける……」
勤一がよろけながらも、倒れた老婆に向かって歩いていく。凡美は頷き、見送った。
「この……親不孝者がぁ~……。ニートになったうえに……親に手をあげるなんて……」
見下ろす勤一を、老婆般若のような形相で見上げ、毒づいた。
「ごめんよ。俺は一郎じゃねーんだ。でも……」
勤一が告げると、老婆ま表情が激変した。憑き物が落ちたかのように、急に穏やかな顔になる。
「ああ……そうだったのかい……。私……色々勘違いしていたみたいだ……」
先程までの笑顔が老婆に戻った。
「今……靄がかかっていた頭が冴えて、色々思いだしてきたよ……。ありがとうね。私に……」
老婆の台詞は途切れた。何かを伝えようとして、途中で絶命した。
「吉川さん」
「大事無い」
デビルの衝撃波で倒された吉川に、凡美が声をかけると、吉川は痛みに顔を歪めながらも立ち上がった。
四体一の構図になり、デビルは小さく息を吐く。流石にこれは分が悪い。
「お前は何者だ? どうしてこんなことをする」
「俺がケリをつける。俺がケリをつける。俺がケリをつける」
吉川が問うと、デビルはつい今しがた勤一が口にした台詞を繰り返す。
「この親不孝者がありがとうね。この親不孝者がありがとうね。この親不孝者がありがとうね。この親不孝者がありがとうね」
今度は老婆の台詞をオウム返しで繰り返すデビルに、その場にいる全員が激しい苛立ちを覚える。
「何なんだ! お前は!?」
叫んだのは勤一だった。
「何でこんなことをするんです!」
(楽しいから。暇つぶしと興味本位)
さらにユダも怒りの形相で叫ぶと、デビルは勤一と老婆の亡骸の方へとゆっくり移動した。
「この!」
悠然と歩いてくるデビルに対し、勤一が蹴りを放ったが、デビルは二次元化して避ける。
(え?)
目を剥く勤一。デビルが消えただけではない。老婆の遺体も消失していたからだ。
デビルは二次元化する際に、老婆の死体も同時に二次元化していた。そして影のような状態になって、共に移動して、四人から少し離れる。
片腕で老婆の亡骸を抱えていたデビルが、もう片方の手で老婆の体を引き裂き、肉片をちぎり出した。そしてちぎった肉片を、己の前方の地面に次々と投げつけていく。
死体を弄ぶような所業を目の当たりにして、四人は固まってしまっていた。あまりにも常軌を逸する行動を見て、何も出来なくなってしまった。しかしその行動の意味を知り、さらに常軌を逸した行いだったと知る。
デビルは肉片を地面に投げつけて、文字を作っていた。アルファベットの五文字が、地面に描かれている。DEVILと。
「イカレアピールか? くだらない奴だ」
硬直からいち早く解けた勤一が呟き、拳のヴィジョンを放った。
デビルの全身が粉々に吹っ飛んだ。かつてないほどの巨大な拳。これまでで最も高速。以前の有効範囲を遥かに越えた距離への攻撃。
(彼の怒りが、威力を大きくはねあげたみたいね)
勤一の孫の手の威力を見て、凡美は思う。
「死んだ……死にました。生命活動停止しています」
肉片となって散らばるデビルを見て、ユダが報告する。
(確かに死んでいる。でも……何だろう、この感覚。死んでいるのに、死んでいないような気がする……。どうして……? 気配も無いのに)
報告した一方で、ユダは漠然として不安を抱いていた。
「こいつは何だったんだ? PO体側機構の刺客にしては趣味が悪すぎる」
「案外……俺達と同じかもな……」
訝る吉川に、勤一が放心気味の顔で言った。何となくそう感じたのだ。
「同じサイキック・オフェンダーです? それなのにこんなことを?」
「別にサイキック・オフェンダーが全て仲がいいわけではないから、そういうこともあるかもな」
信じられないし信じたくないユダであったが、吉川は可能性としてありうると受け止めた。




