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勤一は老婆の家を掃除していた。埃を取り、カビも拭き取る。床の汚れた後も出来得る限り綺麗にしていった。
凡美も吉川もユダも、その作業を手伝う。
「こんなことしても意味は無いとわかってるいけどな。どうせすぐに汚すだろうし」
自分が勝手にやり出した事なのに、他の三人にも付き合わせてしまっている事を申し訳ないと思いつつ、勤一は言い訳するかのような口振りで言った。
吉川とユダは別の部屋を掃除している。現在は居間で、凡美と勤一の二人で掃除をしている。
「あのお婆さんは殺さないんだ?」
わかりきっていることだが、一応確認する凡美。
「ボケてるんだ。殺す必要は無い。気分的にも殺したくない相手だし」
勤一がぼそぼそと小声で答える。
「見て、アルバムが有る」
凡美が棚からアルバムを取る。
「埃が被っていない。きっとあのお婆さん、これをよく見てるんだ」
言いつつ凡美は、勤一にも見れるようにアルバムを床に置いて開く。
「次第に色褪せていく、デジタルではない写真か。飾るならともかく、アルバムに収めるならデジタルと相場が決まってるのにな」
「それがいいとか何とかの理由で、非デジタルを好む人も結構いるのよ。この人があのお婆さんの子ね。髪型が勤一君と一緒ね。顔は……そこまで似てないかな。体型も同じ感じだし、お婆さん、目が悪いから……」
「最後の写真が四十年も前だな。爺さんの写真は三十年前まで。その後は……鶏と花の写真ばかり、十年分続いている」
掃除の手を止めて、凡美と共に座ってアルバムを覗き込んでいた勤一は、物悲しい気分になる。
「あの婆さんを殺さなくても……俺達はここを出て行かないといけない。そしてあの婆さんはまた独りぼっちになってしまう……。そのうち病気にもなって、一人で苦しんで死ぬんだ……」
ニヒルな面持ちで呟く勤一に、凡美は不快感と警戒心が混ざったような感情を抱く。勤一はあの老婆に容易く同情してしまっている。
「俺、ここに残ろうかな……」
「何時間か前に会ったお婆さんのために、そこまでするの? 可哀想ではあるけど、赤の他人でしょ? 老人の介護を毎日ちゃんと出来ると思っているの? しかもこんな山奥でさ。簡単に情に流されちゃ駄目よ」
意図的に厳しい声を発して、感傷的になっている勤一を否定する凡美。
「そうだな……。ド田舎が嫌で都会に出てきたのに、またこんな所に戻るのは、息が詰まる」
勤一が息を吐き、自嘲の笑みをこぼす。自分の一瞬の気の迷いがおかしかった。
「どういうわけか、最近俺の中のどろどろした感情が薄れている。誰も彼もぶち殺してやりたいと、そういう感情がずっとあったのに……」
「私も似たようなものよ。どうして急に薄れたのかな……。何か原因がありそうだけど」
(それは僕が側にいるからだ。僕の意思とも無関係に、自然に吸い取ってしまっている)
二人の会話を縁側の外で聞きつつ、デビルが自身の能力であることを意識する。
「PO対策機構の奴等の中に、そういう能力者がいたのかもしれないな」
(外れ。原因は僕)
勤一の台詞に、心の中で突っ込むデビル。
「どろどろしたものは薄れたけど、このやりたい放題やった半年間、何の悔いも無いよ。やってやったぜっていう気分だ」
再度息を吐き、勤一は立ち上がった。
「今、一瞬だけ気が迷った。この家であの婆さんが死ぬまでは、世話して……なんて思ったけど、それは俺が生きる道じゃない。俺は手あたり次第に殺してやる道を選んだ。健全な一般人様は皆敵だし、できるだけ殺してやらないといけない。やっと願いがかなったんだし」
「それが願いだったの?」
不思議そうに尋ねる凡美。
「昔さ、何度も思った。通り魔のニュースがあるとさ、俺も同じことやりたいとずっと思ってた。通り魔の方に感情移入していた。実現した奴が羨ましくて、格好良くて、可哀想にとも思った。どれだけ追い詰められればそんな行為に走るんだって、そう考える。少なくとも幸せな人生は送ってないし、ただ運が悪くてそうなっちまっただけだ」
喋りながら、勤一の中でどろどろした感情が再燃していく。
「そんな奴に対して、世間の糞虫共はこう言う。『死にたければ一人で死ね』とな。それを見て、俺は思ったよ。こいつらブチ殺してえなーと。こいつらに生きる価値は無いと。こいつらは敵だと。だから今は、こうして力を身に着けて、こうして誰彼構わず殺して回って、物凄く気持ちが晴れやかなんだ。心底すっとしている。罪悪感なんて微塵も無い。爽快感しかない。この半年間、最高の日々だった」
「私も似たようなものよ。どろどろした気持ちは薄れているけど、考えは変わってない。世界の大半は敵なの」
半年前までの生活、殺された息子のことを思いだしながら、凡美は暗い顔で言った。
(睦月もそうだった。僕が憧れたシリアルキラー達もきっとそうだ。そして僕も同じ。目の前にいる彼等も同じ)
二人の話を聞いて、デビルは思う。
「でもあの婆さんは敵じゃない。ある意味、俺達と同じなんだよ。世界に見捨てられた、不幸な人なんだ。だからどうしても殺す気になれない」
「そっか」
そこまで喋った所で、老婆が部屋にやってくる。
「一郎っ、掃除なんてしてくれなくていいよっ。お友達と一緒にゆっくり休んでくつろいでなさい」
「でも汚れてるから……」
「汚れちゃいないよっ。私が毎日ちゃんと掃除しているんだからっ。そう言えばこの方は一郎の彼女さん?」
人差し指と中指の間で親指を抜き差ししながら、にやにや笑って尋ねる老婆。
「いや、そうじゃない……」
困り顔で否定する勤一。
「おや、そうなのかい。うちの一郎と仲良くしてあげてくださいねえ。大人しくて奥手だけど、根はいい子なんですよう」
「は、はい」
にこにこ笑いながら言う老婆に、若干引き気味になりながら頷く凡美。
「一郎はこれからどうするんだい?」
「しばらくしたら……家を出る。仕事があるし」
老婆が問うと、勤一は老婆から目線を逸らして答えた。
「そうかい。それは仕方無いね。また気が向いたら帰ってきておくれよ」
老婆は取り乱すことなく受け入れ、笑顔で告げる。
「で、今何の仕事をしてるんだい?」
「えっと……」
誤魔化そうとして、嫌な記憶を思い出してしまう勤一。東京に出てきた際、様々なバイトをしていたが、ろくなことがなかった。
「まさか……仕事ってのは嘘で、本当はニートかい?」
「いや……その……」
「そこで口ごもるってことは、ニートなんだねっ。そうなんだねっ」
逡巡している勤一に、突然顔色を変える老婆。
「そんな……まさか……ニートだったのかいっ。おお……何てこったい……おおお……お父さん……一郎がニートになっちまったよ……うおおおん……」
泣き出す老婆に、勤一は少し嫌な気分になった。結局この人も世間体を重視するタイプだったのかと。
「ニートは……ニートは許さないよっ。一郎! 私はお前をそんな子に育てた覚えはないっ! ニートなんかになったら、きっとそのうち事件を起こして、人様に迷惑をかけるんだよ! だから……今この場で私が殺してやるうううぅっ! うおおおおっ!」
「ええっ!?」
突然老婆が殺意を放って変身したので、凡美が驚きの声をあげる。
老婆の全身が膨れ上がり、肌がオレンジ色に変色したうえに硬質化していく。腕からは長く湾曲した針のようものが何本も飛び出し、爪が長く伸びて刃となり、口からはサーベルタイガーのように飛び出した長い牙が二本生えた。目は真っ赤だ。そして額の中央にもう一つ目が出現する。
勤一めがけて老婆が爪を振るう。勤一は後方に跳んで避ける。
「どうなってるんだ……」
化け物に変身し、憤怒の形相で自分を睨みつけてくる老婆を見て、勤一が呻く。
「バーサーカー事件? 吉川さんに起こって、そしてこのお婆さんにも?」
ふと、思いついたことを口にする凡美。バーサーカー事件だとしたら――その被害を受けた吉川と行動を共にしていた自分達の側でまた起こるなど、ただの偶然ではなく、何か関連性があるのではないかと疑ってしまう。
(壊れた玩具を余計に壊しても、それは面白くない。そんな遊びはつまらない。壊れた玩具があったら、作り直してみたいと思う。作り直してからまた遊んでみる方がいい)
ほくそ笑むデビル。老婆を狂わせ、なおかつ能力を覚醒するように促したのは、彼の仕業だ。
「にぃぃぃィぃトぅおオオォォォヲぉおぉおォォ!」
老婆が咆哮をあげ、勤一めがけて何度も腕を振る。
避けながら勤一も変身した。全身が青黒く変わり、筋肉が盛り上がっていく。
「ほら見な! やっぱりニートだった! 青くムキムキになっちゃって、どう見てもニートだ! ふざけんな! 私はお前をそんな子に育てた覚えは無いわ! 時間を戻せえぇぇっ! そういうことは異世界でやれええぇっ!」
すっかりと錯乱して意味不明なことを喚きながら、また我武者羅に攻撃を続ける老婆。
勤一は一方的に受けに回って、反撃しようとしない。
(正気に戻す方法は無いのか? そもそも何で急におかしくなった……)
頭を巡らす勤一だが、答えは出ない。
「何の騒ぎだ。って、これは……」
騒ぎを聞きつけて、吉川とユダやってきた。変身した老婆を見て呆気に取られる二名。
「あのお婆さんよ。急におかしくなって襲ってきたの」
凡美が解説する。
(まただ。またいる。もうこれは間違いない)
ユダは強烈な悪意を放つ者が近くにいることを感じ取った。これで三度目だ。そして今度はすぐ消えることもない。勘違いではなく、自分達はずっと誰につけられていたと確信した。
「皆! 庭ですっ! あの辺に禍々しい何者かが潜んでいます! 僕達はそいつにずっと尾行されていたんです!」
ユダが縁側の外――庭の一ヵ所を指して叫んだ。デビルの潜んでいる場所だった。
(しょうがない……)
ここで逃げるのも芸がないと思い、デビルは二次元化と保護色を解いて、堂々と姿を現した。




