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原山勤一と山駄凡美はサルバドール吉川に助けられた後、明智ユダと合流した。
関所周辺の道路以外の場所に限り、生体情報監視装置が仕掛けられていないという話を信じて、夜の山中を歩く勤一、凡美、吉川、ユダの四人。
高く伸びた草をかき分け、土のぬかるみに悪戦苦闘し、枝で服を破り、肌を切るなどしながら、悲惨な行軍を続けている。
「こんなのキツすぎる……夜の山の中を歩いていくなんて……」
最後尾のユダが弱音を吐く。先頭を行く勤一や凡美とは距離が離れてしまった。
「吉川さん……本気で西に行くつもりですか?」
「それしかない。しかしお前は付いてこなくていいんだぞ。もう俺は義賊ではない。義賊屋吉川は壊滅した。俺が壊した」
ユダに問われ、吉川は暗い口調で淡々と告げる。
吉川はずっとこんな調子だった。このように沈んだ吉川を、ユダは見たことがない。
「嫌です。僕は絶対仲間は裏切らないんです」
ユダがきっぱりと言い切る。
「しかし俺は仲間を……」
「だからあれはバーサーカー事件ですって。吉川さんの意思ではなかったわけですから」
「そうだ。だがな、俺は以前の吉川とは違うぞ」
「え?」
「俺の心は変わってしまった。もう義賊などどうでもよくなってしまった。今までやったこともどうでもよくなっている。仲間を殺したのに、心の痛みが……全く無いわけではないが、あまり辛いとも感じない。おかしい。良心が薄れてしまっている。だから西を目指すんだ。西に行って俺は、ならず者になって生きる」
ダークな口調で語る吉川。ユダはうつむき、しばし思案する。
「でも……あの人達を助ける時、腐った人には見えないからって言ってたじゃないですか」
「心が完全に壊れたわけでもないからな。ただ、半分以上は壊れてしまった。以前の人格と微妙に違う。何故こうなったのかはわからないが、おぞましい話だ……」
期待を込めて指摘するユダに、吉川は心なしか他人事のような口振りで喋る。
「バーサーカー事件も、サイキック・オフェンダーの仕業なのかもしれないな。誰かが悪意を抱き、それを引き起こしている」
「いえ、でもそれは覚醒記念日以前よりちょくちょくあったらしいですよ」
「超常覚醒者のフライングか」
話しながら吉川は、少し離れた場所で先頭を歩く勤一を見た。
勤一が先頭に立って、必死に草をかきわけて道を作っている。
(頑張っているな、あいつ)
(皆に苦労させまいとしているみたいね。いや、そうなのよ。彼はそういう人)
勤一を見て、吉川と凡美は思う。
(私はあの子を全然見ていなかった。あの子がいじめられていたことさえし知らなかった)
息子の凡助のことを思いだす。息子はいじめられていたことを自分に隠していた。いつも家で疲れている顔をしていた自分を気遣って、言えなかったのかもしれない。
(そういう優しい子が、この世界では犠牲になる。割を食う。優しくない、悪い人の食い物にされる。きっと勤一君も……)
勤一も根は優しく真面目なのに、不幸な目に合って、どこかでタガが外れただけなのではないかと考える。
(せめて今度はちゃんと見よう。凡助の代わりというわけではないけれど、この人のことはちゃんと見て、私が助けられるなら助けよう)
凡美が前に進み出た。
「勤一君、私も手伝う。ずっと貴方にばかりやらせててごめんなさい」
「いいや、これは男の仕事だ」
凡美が申して出て勤一の隣で草をかき分け始めたが、勤一は片手を上げてやんわりと拒んだ。
「男も女もないでしょ。私だって覚醒して肉体強化されているから平気よ」
「いいんだ。俺がやりたい。今はそういう気分だ」
「あまり気負わないで……」
凡美のその台詞を受け、勤一は草をかき分ける手を一瞬止めた。
「俺は誰も死なせたくなかった……」
一言呟いてから、すぐ作業を再開する。
「仲間がいなくなって悲しいのは、私も同じ。でもそれは運が悪かったのよ。勤一君の責任じゃない」
そう言ってから、凡美の脳裏に息子の死に様がよぎった。
(あの子も運が悪かった? それだけ? 運が悪かったから諦めろっていうの?)
自分の言動が間違いだったと痛感する凡美。
「いや、運が悪いと言っては駄目ね。訂正するわ。私達の敵が悪いのよ。世界が私達を潰しにかかっている。世界が敵よ。つまり私以外の世界が悪い」
「西に行けばそんなことは無いって話だ。さっさと西に行くべきだった。俺が変な意地張っていたせいで、皆死んだ……。畜生……俺が何かすると、俺の考えを通すと……何もいいことありゃしねえ」
かつての口癖をまた呟いてしまい――しかも凡美の前で言ってしまった事に、激しく自己嫌悪の念を抱く勤一。仲間が出来てからは、この悪態は意識して呟かないようにしているが、それでもたまに出てしまう。
「俺はペットのままでいた方が正解だったのか?」
「ペット?」
「ああ、俺はヒモだった。田舎者の餓鬼が一人で都会に来て……憧れの東京では何をしても駄目で……そんな俺が女に拾われて、養われていた。ペット扱いされてな。俺は最底辺の下級生命体だったんだよ」
勤一の述懐を聞き、凡美は胸の痛みを覚える。
(みじめな気持ち……。私とはまた違う形で、みじめな気持ちを抱いて生きてきたのね)
凡美とも共通する点が幾つか見受けられるが、どこか大きく違うとも感じた。
「ペットでいたことが正解なんてことはないわ」
(ペットを辞めたから、私とも会えたじゃない)
優しい口調で告げた後、口に出さずに付け加える凡美。
「気付かずにすまなかった。考え事をしてぼーっとしていた。君だけにやらせるわけにはいかない。交代だ」
吉川がそう言って勤一の前に進み出て、進行の邪魔になっている草を分け始めた。
「ありがとう……」
「あら、吉川さんにはやらせるんだ」
礼を述べて下がる勤一に、凡美が微笑みながらからかった。
「この明智も手伝いますっ。俺だって男ですっ」
「まだ俺がやり始めたばかりだ。しばらくしてから交代を頼む」
ユダも申し出たが、吉川が笑って下がらせる。
「あの義賊屋吉川のサルバドール吉川が助けてくれるなんてな」
意外そうに言う勤一。
「あんたらは殺しは御法度だって聞いたぞ。俺達は散々殺しをしている。いくら殺しても平気だ。一般人は全て敵だと思っているからな。そんな俺達と行動して平気なのか?」
「気遣ってくれるのか。随分と優しい殺人鬼だな」
吉川が冗談めかすと、勤一は眉根を寄せて口を閉ざした。
「さっきも言ったろう。俺の目には腐った奴に見えないと。それに……俺ももう人殺しをしてしまった。本意ではないが」
「バーサーカー事件なんですよっ。吉川さんは何も悪くないんですよっ」
ユダがいささかむきになってフォローする。
「バーサーカー事件て、いきなり周囲の人達を殺してしまうあれが起こったの?」
凡美が口に手を当てて問う。
「その可能性があるという話だ。確かに俺は……話に聞くバーサーカー事件そのままだった。怒り、憎しみ、殺意に支配されて、気が付いたら仲間を手にかけていた」
「おぞましい話ね……。発生しえない殺意が発生し、殺したくもない相手を殺させる。最悪よ……。それがもし、誰かの悪意によって引き起こされているなら、悪魔の所業だわ。まあ……私達も人殺しの悪党なんだけど……」
思ったままを口にする凡美。
「俺はもう義賊に戻ることもない。こっち側で生きていくことにする。西に行けば、俺達も脅えず暮らしていける」
「それ……噂が真実であれば――の話ですよね?」
不安そうに言うユダ。本当に西が無法者の楽園かどうかはわからない。そういう噂が流れてきているというだけだ。
「噂の信憑性は高いと思うぞ。散々流れている西の噂が嘘だったら、その方が驚く。ある程度誇張されているのではないかと、疑わしい部分もあるが」
勤一が言った。
「それしか道は無いし、希望を持って進みましょう」
凡美が意識して明るい声を出した。
そんな四人の後を、こっそりと後をつけている者がいた。デビルだ。
デビルは吉川のことをマインドコントロールし続けている。吉川をより奈落の底に落としてやろうと考えていたが、それ以上に、勤一と凡美に興味を抱いた。
「希望を持って進みましょー希望を持って進みましょー」
尾行しながら、凡美の台詞をぶつぶつと繰り返すデビル。
「希望を持って……希望を……」
「ん?」
ユダが立ち止まって振り返る。デビルも移動を止める。
「どうした?」
吉川も立ち止まり、ユダの方を見る。
「つけられているような……。無敗、消えましたけど。いや……気のせいみたいです」
ユダが向き直る。
(あいつは凄く鋭いみたいだ。あいつには要注意。心の動きもなるべく止めておかないといけない)
ユダを意識し、デビルは己の思考も極力消すよう心掛けた。




