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吉川が逮捕され、そして脱走した翌日。月那美香事務所。
「いよっ、近くに来たから寄ってみた」
裏通り中枢最高幹部である悦楽の十三階段の一人、新居が訪れた。
「あんたか! わざわざ出向いて何の用だ!」
「初対面で親の仇みたいに睨まれるとは、随分嫌われたもんだな」
睨んでくる美香に、新居は苦笑する。
「戦場のティータイムと裏通り中枢の抗争の時の、あんたのやり方にはかなり不満があったからな! しかも結局負けていいる!」
「たまたま側に来たから、顔出して労ってやろうと思っただけだ。あと、俺の助手のオリガが七号の熱烈なファンだから、七号のサインをまた貰おうと思ってな」
「またまかされよだにゃー」
「このハンカチに頼むわ」
新居からハンカチを渡され、上機嫌でサインする七号。
「ケッ、七号なんかのファンな時点で見る目ねーわ」
二号が毒づく。
「二号が一番嫌いだとも言っていたな。ツクナミカーズの汚点だとも」
「なるほど最悪だっ。心底見る目無いわっ。ケッ」
新居が言うと、二号は思いっきり不機嫌な表情になった。
「サルバドール吉川の件、聞いているか?」
「ああ! 昨日、吉川達が逃亡したということだろう! しかも逃亡した義賊屋吉川の者達の多くが殺害されたとの報も入った!」
「逃げ出して殺されてりゃ世話ねーなー。でもあいつらは殺すなって命じられてたんだべ? やったのはPO対策機構ってわけじゃないよね~?」
美香が頷き、二号がせせら笑う。
「殺害したのはリーダーのサルバドール吉川らしい。街中の監視カメラにその場面が撮られていた」
「何だと!?」
「マジで? 何それ。脱走しといて仲間割れ?」
「すげーあほくさい話。つーか殺し厳禁じゃなかったのかよ」
新居の報告を聞き、驚く美香と十一号。二号は呆れている。
「移民犯罪者同士で結束していて、殺しや暴力が御法度だったのに、突然トチ狂って仲間皆殺しとはね。しかし妙な話でもある」
と、新居。
「何かしら事情があったか、さもなくば『バーサーカー事件』ではないですか?」
十三号が言う。
「俺もそうだと思っていた。バーサーカー事件がそもそも何なのか、依然として謎だがな」
バーサーカー事件とは、覚醒記念日前より東京都内とその近郊で頻発している殺人事件である。ある時、突然殺戮衝動に駆られて、周囲の人間を殺し尽くすという、極めて不可解な事件だ。
仲睦まじい家族、友人、恋人同士がも突然そのような悲劇に襲われる。殺した人間に動機は無い。突然怒りや憎しみに支配され、殺人衝動に駆られ、近くにいる親しい人間を殺しにかかるのだ。加害者は正気に戻り、自分がそのような殺戮に及んだことに絶望する。自殺した者も多い。
覚醒記念日以降は、バーサーカー事件の発生件数がかなり上がっている。そのうえバーサーカー事件を引き金にして、超常の力に目覚めるケースも多い。
「私は……いや、雪岡研究所繋がりの者は、バーサーカー事件の犯人の見当がついている! 断定はできんが!」
「へえ。誰だよ?」
美香の台詞を受けて、新居は興味を抱く。
「デビルと呼ばれる者の仕業ではないかと、噂されている! 真もみどりも優も睦月も言っていた!」
「そうか。真に話を聞いてみるか……」
新居が呟いたその時、美香にメールが入る。
「仕事が入った! また原山勤一と山駄凡美を追えとのことだ! 関所付近で奴等が乗り捨てたトラックが発見され、現在PO対策機構の刺客が複数放たれている!」
「またあいつら……もういいって話になったんじゃねーのー?」
「強いから怖いにゃー」
美香が指令内容を報せると、二号は露骨に嫌そうな顔をして、七号は頭を抱えて脅えた。
***
吉川は漫画喫茶の一室で、暗い顔で待ち続けた。
「吉川……さん?」
待っていた相手が訪れ、恐る恐る声をかける。
別人のように憔悴しきった吉川の顔を見て、明智ユダはぎょっとする。
「聞いての通り……俺が皆を殺した」
暗い顔のまま口にした吉川の台詞を聞いて、ユダは生唾を飲んだ。
「どうして……ですか? どうしてそんなことを……」
「わからないっ……。いきなり頭の中が怒りと殺意で塗りつぶされて、気が付くと全員殺していたんだっ……」
震える声で問うユダに、吉川は苦悶の形相になって答える。
「突然殺意に駆られるって、それ……あの『バーサーカー事件』じゃないですか?」
ユダが言う。
「そうかも……しれない……。あの事件と符合するな。まさか俺の身に起こるなんて……」
顔を押さえてうなだれる吉川。
「明智……。俺はこれからどうすれば……」
「俺は吉川さんについていきます」
小声で弱音を吐きかけた吉川に、ユダは震える声で、しかし力を込めて宣言する。
「また同じようになって、お前も殺すかもしれないぞ」
「その時は何とか逃げます。俺は吉川さんを裏切りません。俺は生涯、決して誰のことも裏切りません」
吉川が力無い声で言うが、ユダはより一層力を込めて言い切った。
***
美香にPO対策機構オフィスから指令が入る一時間半前。
原山勤一と山駄凡美と布町歩の三名が、関所の近隣住宅内でくつろいでいたその時だった。
「こっちだ」
「油断するなよ」
三人の男が住宅敷地内に入り、囁き合う。
刺客が接近している事に誰も気付いていない。食事をとったあと、勤一も凡美も布町も疲れ切った体を横たえていた。
襲撃に気が付いたのは、部屋の中に彼等が踏み込んだ正にその時だった。
「ぎゃあっ!」
布町が悲鳴をあげる。銃声は一回。しかし三発の銃弾が撃ち込まれ、一発は足を、一発は腹部を貫き、一発は頭部をかすめた。
「動かない相手を外すのか……」
焦茶色のソフト帽とスーツ姿の髭面中年男が、呆れ声を発した。
「す、すみません……」
銃を撃った男が緊張して謝罪する。彼は初陣だった。
「歩君!」
凡美が跳ね起きて、撃たれた布町を見る。
「行け、悪獣」
焦茶色服の中年男の隣にいる、白スーツ姿の若い男が呟くと、その手から白い何かが飛び出した。
(何だ……)
蛇のように床を這うそれを見て、立ち上がった勤一は眉をひそめた。真っ白ではあるが、それは一見して男性器のような形状をしている。
白い性器モドキ――悪獣が跳躍する。空中で口を開く。小さく鋭い牙が口の中にびっしりと並んでいるのが見えた。
焦茶色スーツ男がそのタイミングに合わせて、両手を振るって何かを投げつけてくる。
床から跳ねた悪獣を、勤一は腕を一振りして難無く弾き飛ばす。そしてその動作の途中に変身を完了し、全身青黒く筋骨隆々な体へと変わる。
白スーツの放った悪獣をはねのけた一方で、焦茶スーツが投げたものの一つが、勤一の脇の下に当たり、そのまま体にくっつく。
形状こそ違うが、それもまた悪獣であった。破心流の妖術師が使役する疑似生命だ。白い塊が口を開いて牙を覗かせたかと思うと、勤一の体にかぶりついた。
強固な肉体を持つ勤一であるが、悪獣は勤一の肌も筋肉いともたやすく食い破り、体内へと物凄い勢いで進んでいく。
「糞がっ!」
勤一は躊躇いなく悪獣が潜り込んだ傷痕に手を突き入れ、悪獣を体内から引きずり出したが、今度は勤一の指に噛みつき、指を食いちぎってしまう。
白スーツ男の投げたもう一匹の悪獣は、スーパーボールのように跳びはねて、凡美に何度も襲いかかるものの、凡美は巧みに避ける。
やがて凡美が動きを止めて、口を開く。
悪獣が凡美の開いた口を狙い、飛び込んでいこうとしたが、凡美の口からビームが放たれ、悪獣を消し飛ばした。
勤一の脇に開いた穴は、あっという間に塞がる。指も再生する。悪獣は握りつぶされていた。
最初に銃を撃った男が、勤一を狙って撃つ。
一度引き金を引いただけ。弾は一発出ただけだが、銃弾は飛んでいる最中に三発に分身する。撃った銃弾を増やすのが、この男の能力だった。
三発のうち二発が勤一に当たったが、勤一に効いている気配は無い。
「うぜえっ! さよならパーンチ!」
勤一が怒声と共に、拳のヴィジョンを投影しつつ、孫の手による遠隔攻撃を見舞う。銃を撃ってきた男が吹き飛ばされる。
白スーツ男が今度は白い紐のようなものを飛ばしてくる。白い紐が勤一の体に絡みつく。
勤一は絡みつく白い紐のようなものを引きちぎろうとしたが、掴んで引っ張っても伸びるだけだ。しかも伸びた分もすぐに勤一の体にへばりつき、絡んでいく。
白い紐のようなものが、次第に太くなっていく。勤一の体の表面についた部分から、体液を吸い取って、体を膨張させている。
(これまたウザい……)
辟易とする勤一。致命傷に至るようなダメージではないが、勤一の体の動きを鈍くするには十分だ。そしてこれまでと違い、確実に勤一の体の力を直接削っている。
凡美が右手を棘付き鉄球に変えて、焦茶スーツ男に向かって放とうとしたが、男は両手を上げて降参のポーズを取った。
「待て。俺達は逃げる。やりあうつもりなら続けるが、そいつが危なくなるぞ?」
突然撤退宣言をした焦茶スーツ男に、凡美も勤一も、味方の白スーツ男でさえも、呆気に取られていた。
「撤退するぞ」
焦茶色スーツの中年男が、倒れた銃使いの男を抱え上げる。
「もうですか? いいんですか?」
「放っておけばこいつが死ぬしな。仲間を見殺しにしてまで、任務を遂行しなくてもいい。そして向こうにも重傷者がいる。痛み分けにした方がいいだろう」
白スーツ男が問うと、焦茶色スーツの男が答え、部屋を出ていった。
白スーツ男は勤一と凡美の追撃を気にしつつその後を追うが、二人は最初に撃たれた布町を介抱していた。焦茶スーツ男の撤退宣言は、彼等にとってもありがたいものだった。
「しっかりしろ」
元の姿に戻った勤一が、布町の服を脱がせ、傷口を縛って応急手当を行う。
「置いていってください……。もう俺は多分……助かりません」
「病院に連れて行く」
布町がかすれ声で訴えるが、勤一は聞く耳を持たずに告げた。
「そんなことしたら……捕まっちゃいますよ……」
布町の台詞が、勤一の心に突き刺さる。
(俺は……田舎から東京に出てきた時、誰もが俺のことを知らんぷりだった。俺のことを怒鳴り散らす奴ばかりだった。俺を拾ったあの豚も……一方的に俺をペット扱い。俺が困っても知らんぷりだった)
昔の自分と、今の布町を重ね合わせる勤一。
「捕まらないし、見捨てもしない」
勤一は静かに告げると、布町の体を抱え上げた。




